11 治癒の鎧

 『蒼穹の猛き鷹』の二人は、装いを改めて訪れた。喪服でこそなかったが、木製のトグルで前を閉じる布製の防具は暗い色調で、新品らしくどこもほつれが見当たらなかった。下には革製の防具も着けていると見えて、短めの袖からは鋲を打った籠手が覗いていた。


 アデュレイによると、壮年の男が「護剣のグラン」、若い女の方が「柔剣のエリザ」というのだそうだ。やはり二つ名持ちだったのだ。


 先にアデュレイたちが到着して待ち設けていたと知って、彼らは驚いた様子であったが、初めに挨拶を交わした後は慇懃を装った無視を決め込んだ。グランが乗ってきた荷馬車には棺も用意されていたため、遺体を納棺して荷台に固定し、グランが御者台に座った。エリザは伴走して輓馬を励ますつもりらしく、戦歴を思わせる堂々たる体躯の馬に騎乗した。この間、他者の手を借りようとはしなかった。


 何だか硬い空気が漂っていたが、土台、この状況で明るい会話が飛び交うはずもない。アデュレイは遊学中の身で自分の馬を連れてきてはいなかったが、病院で二頭の馬を賃貸しておいたので、俺たちの方はその間に合わせの馬に騎乗することとなる。俺が制服の腕に弔意の腕章を留め、黒い帽子やステッキなど、アデュレイの持ち物を鞄にしまって鞍に装着しているところで、荷馬車が出発した。ハラスメントの皮切りである。道中、先が思いやられた。


 いくらか先行したとしても、車を引きながら走るのでは、それほど速度を上げることはできない。間を置かず俺は一行に追いついたが、後ろから見る限り、アデュレイはエリザに話しかけようと幾度か馬を寄せては、巧妙に避けられているようだった。馬車は王都の北に向かっているようだ。


 市街地を離れて北に向かうほどに、手入れの行き届いた緑の区画や、真新しく芸術的な建築物が目に付くようになった。富裕層の邸宅が存在感を出し始めたのだ。さらに馬を進めると、徐々に建築物が減って左右に木立が迫ってきたが、それでも舗装された広い道が続いていた。有事には軍隊が進む道だ。しっかり管理されている。


「旦那様!」


 俺はアデュレイに馬を寄せて、大きく声を上げた。


「行き先を確認なさいましたか。」


「いや。」


 アデュレイも俺に聞こえるように声を上げて答えた。


「聞いていないが、ここはノーズヘイヴン地区だ。このまま進めばいい。昼前には着くだろう。グレイモアハウスはその辺りだ。」


 途端に、エリザは肘を締めて停止の合図を送った。勢い余って少し進んだところで馬は立ち止まり、馬車は気づかずに先を走った。彼女は驚愕して振り返り、馬の歩みを緩めた俺たちを交互に注視した。


「なぜ知っている?」


「漸く、私と会話をする気になりましたか。レディ・エリザベータ。」


 返すアデュレイの言葉に、彼女はますます目を見開いた。


「なぜとおっしゃいましても、ノーズヘイヴンで最も広大な領地を所有するのはガーディアス家ではないですか。埋葬に適した私有地は、きっとそのタウンハウスから大きく離れてはいないだろうと思いまして。実は、昨夜、ちょっと知り合いの城兵に頼んで調べてもらったのですが、あなた方は入城時に滞在先をグレイモアハウスと申告していますね?」


 エリザは答えなかった。険しい顔つきになってアデュレイを睨みつけている。街路の遥か前方で、異変に気付いた荷馬車が停止するのが見えた。


「大変なときに帰還なさったものです。馬上で申し上げることでもありませんが、お悔やみ申し上げます。私でお助けできることがありましたら、いつでも…、」


 エリザは終いまで言わせなかった。彼女の軍馬が臨戦態勢に入ったのを見て、俺は自分の馬を割り込ませた。否、ただひたすらおとなしくあれと調教されたこちらの栃栗毛はすくみ上がっていたのだが、無理に屈服させて押し進めた。


 猛々しい馬が歯を剥いて上からアデュレイを捕まえにかかるのを左腕で止め、強力な咬合に抗って逆に手前に引き寄せた。右手で馬首を殴りつけると、ただその一発で馬は口を離した。この争いで、腕に留めていた腕章は引き千切れた。


「リリウ! 大丈夫か!」


「いいから下がって!」


 すぐに手綱を取ってアデュレイを後ろに庇い、俺はエリザと対峙した。


「邪教徒め!」


 エリザは馬上でわなわなと震えていた。激情が伝染して、軍馬も目を剥いて息を荒げる。


「お悔やみだと! 笑わせるな! お前たちのいいようにはさせない!」


「あなたは考え違いをしている。」


 アデュレイは俺の背後で声を上げた。前に出ようとするので止めたが、静かに首を振って、やはり前に出た。乗馬を鎮めながら、


「レディ・エリザベータ。あなたは考え違いをしている。」


 もう一度、繰り返した。それから隣の俺を見て、


「君も。」


 と、続けた。俺はまじろいだ。


「えっ…、俺?」


「そう。君も、考え違いをしている。」


 Uターンした馬車が猛烈な勢いでこちらに戻ってくるのが見える。グランは片方の手で手綱を取りながら、別の手で膝の上に刀剣を準備しているようだった。そしてアデュレイは、敢えて馬車が戻ってくるまで待っているようだった。


「最初に申し上げておきます。」


 馬車が停まり、グランが剣を片手に飛び降りようとするのをエリザが手の合図で押しとどめた。その様子を確認して、アデュレイは静かだがよく通る声で告げた。


「私は邪教徒ではない。確かに生活態度は模範的な光の教徒から程遠いでしょうが、だからといって悪魔信仰に打ち込んでいるわけではありません。先ほどの私への中傷は取り消していただきたい。」


 アデュレイは少しだけ待ったが、傭兵二人からは刺々しい視線しか返ってこなかった。アデュレイは小さく溜息をつくと、俺の方に馬を寄せた。


「あなた方二人、そして私と従者。ここにいる四名は、全員、心からその少女の死を悼み、冥福を祈るものです。これに嘘偽りはありません。あなた方は、この男に敵意を向けるのではなく、感謝すべきなのだ。」


 この男、と言うときに、アデュレイは俺の右肩に手を置いた。俺は驚いてアデュレイを凝視した。


「私は、あの少女の検死に立ち会いました。非公式に魔力感知を行ったのです。あなた方が病院で検死結果を尋ねたかどうか知らないが、今一度教えてさしあげましょう。彼女は殺人の被害者です。刃物で胸を刺されて殺されたのだ。そして、この男はその現場にいた。」


「旦那!」


 たまりかねて、俺は声を上げた。不覚にも、声は掠れて震えていた。アデュレイは待たず、畳み掛けてきた。


「最初に大聖堂の前で身元不明の遺体が発見されたという話を耳にしたとき、君は非常に大きな驚きを示していたね。それから、こう言った。ミス・ドウは大聖堂の前で亡くなっていたとのことだが、それではなぜ大聖堂が引き受けて埋葬しないのかと。一切迷うことなく、ミス・ドウと言った。君は、大聖堂前の遺体が若い女性のものであることを知っていたのだ。」


 アデュレイは、するりと滑り落ちるがごとききれいな動きで下馬した。そして喪服の裾を払い、背筋を伸ばしたまま、路面に落ちた弔意を示す腕章を拾い上げて立ち上がった。千切れて、俺の腕から滑り落ちた物だ。アデュレイは掌の上にその腕章を載せ、その裂け目に右手の指を潜り込ませた。


「君は油断しすぎだと、言ったろう? 僕は魔力感知をするにあたって、いちいち許可を取りはしないよ?」


 彼の指が何か白い物を引っ張り出した。薄い紙片だ。畳まれたそれを広げると、七芒星形が描かれていた。


「<摂理の魔眼>は、対象に行使された魔力の種類や効果を分析する。」


 呟くと、アデュレイの指に挟まれたその紙片が、燃え上がるかのように白く美しい輝きを放った。その強烈な光を目にした途端、猛然と思い出した。あの王立病院の、あの辛気臭い霊安室で、アデュレイが魔法による検死を行ったときのことを。


「君は、今しがた軍馬に襲われた僕を救った。そのとき、自らが傷つかないよう、治癒魔法で自分の腕を鎧ったのだ。これほど強力な治癒魔法であれば、傷は受ける傍から完治する。普通は、防具も身に着けていない人が、軍馬にかじりつかれて無事に済むなどということはない。しかし、君は無事だ。」


 光は徐々に収まって、アデュレイの指に挟まれた紙片は、ただの紙片に戻った。それでも、その紙片から、あるいはその紙片を持つアデュレイから、目を離すことのできる者はこの場にいなかった。


「<摂理の魔眼>で視た。今、君が自分自身を癒したその魔力は、その少女の遺体に注がれた魔力と同種のものだ。光の教団の治癒魔法ではない。いわゆる古代魔法。つまり、これが…、太陽神エリオースの絶大なる治癒なのだな。」


 アデュレイは腕章に紙片を重ねて丁寧に折り畳み、騎乗したままの俺の隠しに押し込んで、上から軽く二度叩いた。


「その少女に注がれた治癒の魔法は、膨大な質量のものだった。遺体の損傷を取り除くというような、そんな生易しいものではない。君は、彼女がまだ真の死に至っておらず、万が一にも蘇生するのではないかと思って必死に治癒を施したのだろう。だが、いかに強力な治癒魔法といえども、すでに息を引き取った者には効果を表さなかった。」


 アデュレイは再び馬上の人となった。


「そこで、君は、慈悲をもって埋葬されることを期待して、大聖堂前にご遺体を運んだのだな。だが、そうはならなかったことは、ここにいる皆が承知のとおりだ。」


 馬が落ち着くまで数歩歩かせ、それからアデュレイは馬体の側面を俺の馬の側面に添わせた。低い声で囁く。


「彼女を殺した犯人が誰かは知らないが、絶対に君ではない。僕は確信している。さて、」


 顎を上げて一同を見渡すと、手綱を取った手で馬車の方をそれとなく示すようにして、アデュレイは促した。


「私への謝罪には、これ以上、こだわらないこととしよう。レディをお待たせしてはいけない。埋葬をするのだ。敬意をもって。」


 これに異議を唱える者は、誰もいなかった。

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