13 偽りの礼拝堂

 知っていた。ここに眠る憐れな少女が忌まわしき儀式の犠牲者だということは。


 当然のことだ。儀式により召喚されたのは、



 リリウ



 だったのだから。


 降霊術や降神術のように、特定の対象を探索して術式で捕え、強制的に呼び出す召喚の魔法は難解であり、危険でもある。まず、召喚する対象を間違いなく特定するという難関がある。その上、強制的に引っ張り出すという力技を仕掛けなければならない。見事、召喚に成功した後も、術者が対象に力負けすれば、あるいは説得に失敗すれば、攻撃を受ける恐れがある。


 この儀式は、複数の生贄を基盤として魔界からのエナジーを導引し、まさしくリリウを引きずり出すことに成功した。召喚魔法に魂を掴まれ、引きずり出されたのは、リリウ――この俺、であった。


 一瞬のうちにゲートに飲み込まれ、また吐き出される。薄暗く、血腥く、おぞましい空間に放り出された俺としては、あまりにも唐突すぎて、自分の身に何が起こったのか理解するのに数秒を要した。


 その隙に、最後の生贄である少女が捧げられてしまった。今でも狂気の台詞が耳に残っている。



――最愛の娘を捧げます。願いを叶えたまえ!



 そして、魔法陣の上に寝かされていた少女の胸に、短剣が突き立てられたのだ。思い出しても、あまりのひどさに吐き気がする。俺の身体能力なら、阻止できたはずだ。あの瞬間、機敏に動くことができたなら。自分が何をすべきかについて、たった一秒か二秒、早く決断することができていたら。


「到底、そのような儀式に巻き込まれた者だとは言えなかったものですから、旦那には記憶を失ったと嘘をつきました。それでも匿っていただき、あまつさえ従者のお役目までいただき、本当にありがたいことだと感謝しています。」


 埋葬に立ち会った面々にこれらの事情を告白し、アデュレイに頭を下げて謝辞を述べた俺は、内心、実にせいせいしていた。


 少女の命を救うことはできなかったが、無事に埋葬を終えた。今後、遺体が邪教徒の忌まわしい道具として使われることがないよう、墓所に祝福を与えた。少女を生き返らせることはできないとしても、少なくとも来世に疵を残すことは防いだ。これは、償いを果たしたと言ってもよいのではないだろうか。


 残り一つ。もう一つの目的を果たせば、もはやこの身がどのように処されようとも気にはすまい。


「そういうことなら、僕はこれから君を何と呼べばいいのかな。」


 アデュレイは困ったように苦笑して尋ねた。


「どうも連呼するのが憚られる名前のようじゃないか。耳にするのがいやな人たちもいるようだしね? 何よりも、このようなことで光の教団に目を付けられるのは避けたいものだ。」


「神官としての名前は、エクシオンです。」


「ふむ? いいね。エクシー?」


「いやです。」


「シオーン?」


「いやです。」


「君はわがままだな!」


 アデュレイは両手を腰に当てた。


「じゃあ、リー・リーだ。決まり。」


 どちらがわがままだというのか。一方的に決めつけて、アデュレイはエリザの方に向き直った。


「彼から、詳しい話を聴きますか。お辛いのであれば、無理にとは申しませんが。」


「ありがとうございます。」


 一拍置いて、エリザは言葉を付け加えた。


「実のところ、私は生きているグレースに会ったことがありません。あの子は私が逃げ出した後、儀式の成功のために生み出された子ですから。逃げ出すことを封じられ、どうせゆくゆくは生贄に差し出すのだからと、出生の届出すらしてもらえなかった。当然、洗礼も受けていないし、偉人の名前ももらえなかった。この先を知るのが辛いなどと、私が言うのはおこがましいというものです。」


 思い詰めたようなその視線を受け止めるに堪えず、俺は目を逸らしてしまった。しかし、彼女は後を続けた。


「どのような最期であったか、もっと詳しく教えてください。」


「レディ、」


 斜め下に下ろした視線を右に、左にとさまよわせながら、俺は急いで答えた。


「世の中には、知らない方がよいこともあるかと存じます。」


「それは、そうですね。」


 彼女は揺るがなかった。


「それでも、教えてください。」


 俺は眼を瞑った。自分でもわかっている。事実と向き合いたくないのはこの女性ではない、俺だ。再体験するのがいやなのだ。本心をいえば、何もかも打ち捨ててこの辛気臭い都市から離れたいところだ。しかし、それはまだできない。


 嫌味にならない程度に溜息をついて、俺は頷いた。


「覚悟がおありなら、儀式が行われた場所にご案内しましょう。ここから遠くありません。小さな礼拝堂があります。」


 俺は馬を置いたままにして、歩き始めた。馬車一台が通れる程度の幅で道が付けられているので、馬で向かうこともできたが、急ぐ理由はない。何なら途中で気が変わってくれればありがたいくらいなので、殊更にゆるゆると歩を進める。進めば進むほどに上り坂になっていくのであるが、勾配は緩い。負担にはならない。


 途中から、地面には岩が顔を覗かせ始め、やがて二抱えほどもある岩を抱え込んだ巨木を回り込んだところで、道の先に低い岩山が見えた。その赤茶けた色の岩山の、山肌を背景にして、小さな礼拝堂が建っていた。三角屋根の上に留まっていた青黒い鳥が、耳障りな声でジャアジャアと騒いで飛び去っていくさままで不吉に見えるのは、ここで何が起きたか知っているゆえだろうか。


 この礼拝堂は、表向き、ガーディアス家が私的に用いる家族礼拝堂の体裁を取っている。このため、内装も仰々しいものではなく、扉を開けるとすぐ、正面に設けられた祈りのスペースに光の教団の聖印が掲げられているのが見える。正円のなかにさらに二つの円が描かれ、上と下から重なり合って神聖なヴェシカ・パイシスを形作る聖印は、創造の光を表したものだ。


 その立派な聖印の裏に隠し扉があり、地下室への入口が巧妙に秘匿されていた。この地下礼拝堂こそ、魔王を召喚する儀式の場であり、殺害現場であった。闇を照らし、あまねく真理を顕現せしめるはずの聖印が、直下の横暴を許し、犠牲者たちに何の救いももたらさなかったとは。皮肉極まりない話だ。


 隠し扉を開くと、異臭がした。石壁に囲まれた密室に、まさしく奈落の入口であるかのように黒い穴がぽっかりと口を開けており、ここで俺は動きを止めた。


「皆さんは、これ以上を見る必要はないかと。」


 特にエリザを気遣って、俺は早口で告げた。扉を支えたまま、俯いて言葉を継ぐ。


「あのとき、あの場にいた者は、俺を除いて全員死にました。しかし、誰かもう一人いた。それが気になっているので、俺はもう一度儀式の間に赴きます。」


 儀式の間には、七名の男女の死体が転がっていた。恐らくその贄を用いてリリウの座標を特定し、召喚したのだろう。まんまとリリウが出現すると、術者は憐れなグレースに刃を向けた。


 いくつもの刹那が重なった、重要なシーンだった。グレースの命は風前の灯火、俺は理解が追い付かず硬直し、そのとき、視界の外に誰かもう一人の気配を感じた。生きた人間の気配だ。しかし、そちらに構っている余裕はなかった。最愛の娘を捧げるという悪夢の台詞を耳にして、遅ればせながら飛び掛かり、術者を突き飛ばしてグレースを奪い取った……すでに心臓に致命的な刺傷を受けた後であったが。


「あのとき、あの場に、誰かもう一人、誰にも気付かれずに様子を窺っている人物がいました。そいつが潰えた夫人の遺志を果たそうと動き始めるんじゃないか、それが気になって、今まで俺はわざと会う人ごとにリリウの名前を出していました。それを聞いて、敢えて俺に近づいてくる人物がいるとしたら、それは悪魔の信奉者かも知れませんから。」


「夫人?」


 エリザが反応した。


「夫人とおっしゃいましたね? 今?」


 俺は唇を噛んだ。知る方がよいのか、知らぬ方がよいのか。判断がつかないが、彼女は俺に全てを知りたいと覚悟を告げたのだ。ここで言葉を濁しても仕様があるまい。


「レディ・グレースに手を下したのは、彼女の母親です。」


 何だか、自分の声が思った以上に冷酷に聞こえた。


「レディ・グレースが最後の生贄として差し出されたとき、術者のほかに生者はいませんでした。もしあの場に父君がいらっしゃったとすれば、恐らく魔法陣に置かれた七体の遺体のうちどれかだったんじゃないかと。」


 俺は注意深く、エリザの反応を見守った。エリザは目を見張って、驚いたようでもあったが、危惧したほど衝撃を受けたようにも見えなかった。


「エクシオン殿、今の話を聴いてもさほどの驚きはない。」


 彼女は呟いた。確かに、両親のどちらの罪がより重いかなどを取り沙汰する必要はないのだろう。両親双方から裏切られたことは明らかなのだから。


「それよりも、その場にいたもう一人のことだが…、」


 不意に、半開きであった礼拝堂の扉が左右両方とも全開され、彼女は口を噤んだ。隠し扉を支えていた俺は、急いで身体の重心を傾け、一行の肩越しに向こうを透かし見た。


 屋内に入ってすぐのところに、黒ずくめの紳士が佇んでいた。光沢のある黒い絹の上着を着た長身の男性だ。茶褐色の髪と同じ色の髭を蓄え、口角は下がっている。下がりすぎている。その顔つきと粘着質な目つきのせいで、まだ若いのであろうが、見る者にひどく老け込んだ印象を与えた。


「立ち去るがいい。」


 その男は、低くしわがれた声でそう告げた。男の左右には三人ずつ、揃いの革鎧を身に着けた兵士たちが控えており、彼らはその声を合図に身構えた。一斉に、剣の柄に手が掛かる。


「聞こえなかったのか? もう一度言う――離れよ。」


 紫黒の毒を吐き出す長虫が泥の中を這いずるような、何とも気味悪い声が、呪言のごとく念入りにそう告げた。

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