14 ガーディアス家の醜聞
ひどく不吉な印象のその男の瞼が、小刻みに痙攣した。黒い絹の手袋を嵌めた手を上げて、彼は左瞼を押さえた。見れば、その手も細かく震えている。
「早く。彼女から離れよ。」
三度目の警告が発せられるのに、エリザの声が重なった。
「ライオスお兄様! この方たちは邪教徒ではない。」
彼女は身を翻してその男に駆け寄り、グランはその場に控えたまま黙礼した。アデュレイは壁際に退いて様子を見ているようだ。
「私の考え違いだった。この方は、最近外国から来られた異教の神官でいらっしゃる。魔王とは関係なかった。ミスター・ベルティエも、清廉潔白な方だ。グレースの埋葬を手伝ってくださった。」
ライオスと呼ばれた男は、ひどく眉根を寄せて渋面を作った。エリザの顔を穴が開くほど見つめ、それからアデュレイと俺には数秒にも満たない短い一瞥を寄越した。再び瞼が痙攣し、それを手で押さえると、その手を素早く顔の前で一振りした。その仕草に反応したか、左右の兵士は剣の柄から手を離し、姿勢よく直立した。
「紹介させてほしい。ライオス・アーチー・アダム・ケドン・キャンベル・ガーディアス・ラザラム。私の兄だ。」
エリザがアデュレイの方を向いてライオスを指し示すと、ライオスは顔を斜めに傾け、横目でアデュレイを眺めるようにしながら、辞儀をしたのかしなかったのかよくわからない、実に曖昧な挨拶をした。
彼のフルネームの長さは、父方も母方も名門で、光の教団に十分な寄進をするほど裕福で、彼自身も領地と爵位を持っていることを示している。しかし、アデュレイも有力な貴族の子弟だ。無爵だからといって軽んじられていい立場ではない。
「ラザラム卿。すでにレディ・エリザベータからお聞きのようですが、アデュレイ・ロラン・リシャール・ベルティエです。貴家の国際倶楽部でお会いしたこともあるかと存じますが、改めてご挨拶申し上げます。」
アデュレイは細かいことを気にする様子もなく、右足を引いて左腕を腹部に当て、優雅な身ごなしで挨拶した。
「また、この度のご不幸に心からお悔やみ申し上げます。」
「どうも。」
ライオスは素っ気なく頷いた。どこまでも無愛想であった。
「こちらは太陽神エリオースの神官、エクシオン殿。この地ではミスター・ベルティエの従者を務めていらっしゃる。」
すぐに、エリザは俺を指した。俺は、可能な限りさりげなく見えるよう静かに隠し扉を閉じて、それを背に黙礼した。
「太陽神?」
ライオスが疑わしげに俺の風体を見定めてきた。
「一体、どういう事情でその扉を開けたのだ? ここは当家の私的な礼拝堂だ。家門に関わりのない者の許可なき立ち入りはご遠慮願いたい。たとえ、神職に就いていらっしゃる方でも。」
ライオスはひどくいやなものを見るように一同を眺め渡し、エリザを咎めた。
「葬儀が終わったらすぐ知らせるようにと言ったのに、これはどういうことか。漸く教区警察の連中が帰ったので遅ればせながら駆けつけてみれば、よりにもよってこのような場所に部外者を案内するとは。」
「それについては、レディに責任はございません。」
俺は慌てて、半歩進んで弁解した。途端に、びくりと打たれたように仰のいて、ライオスは険しい視線をこちらに投げた。顎が固く強張っている。
俺は両手を胸の前で開き、目に見えない大きなボールを抱えるような身振りで彼の警戒を解こうと試みた。神官と紹介されている手前、最大限に上品なエインディア語になるよう注意して発音する。
「私は誤った手順により、あなたの母君に召喚された者です。つまり、私はこの奥に何があり、そこで何が起きたかをすでに知っているということです。この場所まで案内したのは彼女ではありません。この私です。」
ライオスはともかく、彼の私兵と思しき者たちにどこまで聴かせてよいかわかりかねたため、わざと曖昧な言い方をした。これでも、肝心のライオスには伝わるはずだ。
「ライオスお兄様、神官殿はグレースにも祝福を与えてくださった。」
エリザが横から加勢に入った。
「エクシオン殿が! グレースの死に際に太陽神エリオースの祝福をくださったのだ。」
そしてエリザは、今までの経緯をライオスに語って聞かせた。どうやら、ライオスが連れてきた私兵は彼の腹心と見えて、エリザの語りを聞いても動揺の色を示さなかった。内心どうあれ、全員、表情を消して静かに待機していた。ライオス自身も、話の内容が儀式の核心に触れても人払いしようとはしなかった。
エリザの話に耳を傾けるライオスを観察するうち、俺も徐々に理解した。この男は当初から害意と不機嫌を示しているものの、凶暴な質を持つというわけではなさそうだ。ただ、彼は死ぬほど怯えているのだ。
エリザの滞在先はグレイモアハウスだった。ガーディアス家のタウンハウスだ。当然、そこで兄妹は再会を果たしたのだ。そもそもエリザたちを呼び戻したのも、ライオスであったに違いない。そうでなくては、あまりにもタイミングがよすぎる。
そして幼少期に離れ離れとなったエリザと密かに再会を果たした彼は、魔王の名を持つ男を従えた外国の貴族が、儀式に使われた遺体を狙っていると聞かされたことだろう。そこに途方もなく恐ろしい目的が隠されていると予想したとしても無理はない。
それでも、妹の傍にくだんの危険人物がいると見て、彼は引かず進んできたのだ。自分の連れた私兵では敵わないかも知れない可能性を考慮しながらも、まるで熟練の魔法使いが力の呪言をぶつけるかのように、決然と命じたのだ。妹から離れるようにと。
この男は、本当に臆病なのか。実は、豪胆なのか。それとも、ただの無謀な輩か。なかなか、一筋縄では行かない人物であることは確かなようだ。
「最愛の娘を捧げる、と言ったのか。」
込み上げる吐き気をこらえるように、低く圧し潰した声でライオスは感想を述べた。
「なるほど、確かに儀式の手順を誤ったと見える。最愛の者を差し出すのが儀式の条件だというなら、はなから自分自身を差し出すべきだった。あの女は、自分しか愛したことがなかったのだから。」
侮蔑に満ちた口調だった。あの女、というのは彼の母親のことだろう。酷評を口にしつつも、そこに憎い相手が目の前から消えた喜びなど微塵もなく、皮肉気に口元を歪めるライオスの姿はまるでひどく吐血している者のようで、俺は落ち着かない気分になった。
「私にお任せいただければ、この地を太陽神の光により浄化してさしあげます。」
俺は、また半歩ほど進んで申し出た。
「結構だ。」
ライオスは即座に拒絶した。
「日頃から、大願成就のためには光の教団を抱き込んでおくのがよいと両親に言い含めて、スノーデン伯爵の名義による多額の寄進を続けてきたのだ。このようなときにこそ、役に立ってもらう。問題の場所は念入りに洗い浄めた後、光の教団から上級の魔導士を呼んで浄化させる。」
「俄かに現れた神官が無償でよいから浄化させてくれと申し出ても、困惑なさるのは無理からぬことです。」
俺は食い下がった。
「しかし、あの儀式の間から生きて立ち去った何者かがいるのです。その何者かは、悪魔の信奉者かも知れません。その者が儀式の続きを行おうと企んだらどうなさいますか。悲劇が繰り返されるかも知れません。一刻も早く、召喚の魔法陣を崩してしまうべきです。」
一瞬、ライオスとエリザは目を見交わした。それからエリザは、俺の方に身体を向けた。
「エクシオン殿、それについては心配ない。あなたが感じたもう一人の気配とは、恐らく、私たちの家令だ。」
「私の味方は限られていた。」
補足するかのように、脇からライオスがエリザの後を継いだ。
「グレースが屋敷から連れ出されたことも、直前まで気づくことができなかった。すぐに忠実なる当家の家令が後を追ってくれたが、何分、彼はただの初老の男性だ。大戦の英雄などではない。儀式が執り行われたことと、どうやら何かが召喚されたことを私に伝えに戻るのが精一杯だったというわけだ。」
「失礼ですが、私から質問しても?」
今まで沈黙を守っていたアデュレイが口を開いた。失礼ですがと前置きしている割に、口調は特に遠慮がちでもなかった。
「先程、教区警察の相手をしていたとおっしゃっていましたよね。スノーデン卿の私有地内にあるオランジェリーで発生した火災の件ですか。」
ライオスがびくりと眉を震わせるのを見て、
「公示人から聞きました。」
と、アデュレイは付け足した。俺は固く口を引き結んだ。昨日の今日だ、本当に公示されているかどうか確認しなければわからない。もしこの場にベルナルドがいたら、悲鳴を上げて卒倒したのではなかろうか。
「この火災で、貴家の従者六名もお亡くなりになったとか。その全員が、夫人のご実家であるキャンベル家から連れてきた従者ですね。」
「ミスター・ベルティエ。」
ライオスは苦しげに目を瞑り、黒手袋を嵌めた手で前方を押すようにして発言を中断させた。
「当家の醜聞だ。家門の存続に関わることだ。どうか、どうか内密に願いたい。」
「もちろんです。」
アデュレイは頷いた。
「儀式によって誤って召喚されたその男は、今や私の従者なのです。私は、彼について一切の責任を持たねばなりません。つまり、私たちは一蓮托生なのです。私がこの事件を夜会の酒の肴に供するようなことは、決してありません。」
ライオスが納得したかどうかはわからないが、その沈黙を確認して、アデュレイは先を続けた。
「あなたがいまお連れになっている方々も、きっと代々ガーディアス家に仕えているか、その血筋の方ですね。忠実かつ誇り高き方々なのでしょう。彼らは、あなたと志を一にする方たちだ。この地下礼拝堂から、オランジェリーに遺体を移したのは、彼らですか。」
今度こそ、身も凍るような沈黙が訪れた。控える私兵たちは無表情を維持していたが、比較的若い数名は、居心地悪げに身じろぎした。そして、居心地悪いのはこちらも同様であった。
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