17 魔法の定理
アデュレイは俺の前を行きつ戻りつしながら、時折、俺の方に視線を投げ掛けた。
「僕が王都の市街地で君を見かけた時のことを覚えているかな。そろそろ空が白み始める時分だった。この季節だから、午前六時過ぎだろうか。例の儀式が深夜に執り行われたとすると、その時点で地下礼拝堂にいた君が、約六時間後にはレディ・グレースを大聖堂の前に横たえた後、街路をぶらぶら歩いていたことになるね。ところで、家令から報せを受けたライオス卿が家臣を率いて礼拝堂に赴くのに、ある程度の時間を要したと思われる。それでも夜明け前には王城に火事の報せを届け出ているのだから、それまでには遺体の運搬と火災の工作が完了していたはずだ。すると、彼らが地下礼拝堂に到着したのは、午前二時頃といったところだろうか。そのときに君がまだ水場の辺りをうろうろしてご遺体の清拭をしていたなら、きっと見つかってしまったろうね。君は、ライオス卿が地下礼拝堂に到着したとき、すでにそこにはいなかったものと考えられる。」
アデュレイは立ち止まった。
「後で夫人の様子が気になって戻ってみると、すでに家門の方々が到着していたので近づけなかったと、君は言っていたね。君は、どこから戻ったのだろう? そう、君はレディ・グレースのご遺体を大聖堂の前に横たえてから、急いで現場に戻ってきたのではないかな?」
俺は黙っていた。アデュレイは、俺の表情を観察するように見つめてきた。
「すると、疑問が生じる。グレイモアハウスから市街地まで、早馬でも小一時間かかる距離なのだが、君はどのようにして徒歩でこの距離を往復したのだろうか。しかも、往路ではご遺体を抱えた状態だったというのに。おまけに、いかに大聖堂が目立つ外観だからといって、初めて訪れる都市で、それも夜中にそれを探し当てるにはかなり時間がかかると思うのだが?」
俺は視線を足下に落としてから、睨み上げるようにしてアデュレイを見つめ返した。
「通常の人が徒歩で行けば、まず無理でしょうね。タイムオーバーです。」
「僕の知る限り、神聖魔法に飛行や時空のカテゴリーはなかったと思うのだけれど。」
「そりゃ、旦那がお知りにならないだけでしょ。」
「ごもっともだね。あらゆる魔法を知り尽くしていると言えるほど、僕は博識ではない。」
アデュレイはパッと両手を上げて降参の意を示すと、再びゆっくりと歩き始めた。
「神聖魔法でも召喚のカテゴリーはありうるしね。太陽神の召喚魔法が夜中に使えるかどうかは、君という専門家のみぞ知るといったところだけれど。」
そして、アデュレイは立ち止まった。肩越しにこちらを見ながら、
「それにしても、君は巧みに言葉を使い分けているね。」
と言って、微笑んだ。
「今、君は下町言葉を混ぜたよね? 旦那がお知りにならないだけでしょ、とね。ここにライオス卿がいらっしゃれば、君は、旦那様がお知りにならないだけかと存じます、とこう言ったはずだ。」
「言葉遣いがお気に障ったのでしたら、改めます。」
「そういうことではないよ。わかっているくせに。」
アデュレイはこちらの方に向き直って、軽く戒めるように右手の人差し指を振った。
「君はレディ・エリザベータに対し、自分はロマヌーム帝国の出で、小さな離島にいたと身の上を述べたね。これは、僕が病院でロバート先生に君を紹介するときに適当にでっちあげた嘘と同じだ。これを言うとき、君は僕の顔色をちょっと窺ったよね? あのときの作り話に便乗しても構わないかな、という感じでね。」
俺は肯定も否定もせず、沈黙を守った。アデュレイは少しだけ待ったが、返答がないと見て話を続けた。
「僕は確信しているのだが、君はロマヌーム帝国の離島に住んでいる人と実際に会って話したことはないのだろうね。彼らには特殊な訛りがある。特別に訓練を施さなければ、エインディアの貴族に仕えることなど覚束ないよ。ましてや、君のように、指導もされないのに採用当日から従者然と振る舞うことなどできるはずがない。思うに、君がロマヌーム帝国とはいわないまでも、あの辺りの出身なのは事実なのだろうけれど。」
アデュレイは俺に近づいてきて、俺の左肩の先で立ち止まった。
「検死に赴いたとき、君は、万神廟のありようについて僕に詳しく説明してくれたね。このときの話から考えると、君はエインディアの王都には詳しくないが、どこか別の国で都市生活を送った経験があるようだ。その都市で、君自身が貴族か富裕層であったか、貴族か富裕層に仕えた経験があるか、どちらかだ。僕は前者だと思うけれど。」
「ですから、」
俺は語尾を被せるように答えた。
「神官でしたと、申し上げました。」
「そうだね。それだけ?」
「え?」
「君は、魔王の名を隠し名として与えられていたので、間違えて召喚されたと言っていたが…、」
今、アデュレイの声は囁きに近かった。
「魔法の定理からみると、それはありえない事態だ。魔王を召喚する目的で発動された術式は、対象不見当なら、普通はそこで終わる。しかしながら、術者が辣腕であった場合、不見当でも探知を続行するように術式を組む。そうすると、本来の対象を引き当てることができずとも、何とか術者の要求に足る類似対象を引いてくるはずだ。隠し名が合致したから引いてくるというのは、いささか乱暴すぎる。それが真の名であったなら、全くありえないとまではいえないだろうが。」
「乱暴な魔女だったのでしょう。」
俺は冷たく答えた。
「実際、狂人でしたから。常識では測り知れないかと。」
「リー・リー。」
アデュレイは口元に微笑を浮かべて、首を振った。
「どうか、僕を信頼してくれないか。」
俺は口を引き結んだ。アデュレイは何とも言えない表情で暫く黙っていたが、やがて俺の左肩に柔らかく手を置いた。俺はその手を見下ろしたが、払いのけはしなかった。
「君、…リリウなのだろう?」
何と応じてよいものかわからず、俺はますます黙り込んだ。不自然なほど、長い沈黙だった。微動だにせず、一言もなかった。
「旦那は、おかしなことばかり言いますね。」
俺は肩に置かれた手を見下ろしたまま、口を開いた。
「旦那の名推理によると、俺は大都市に住む富裕な神官だったんでしょ。さっき言っていたことと矛盾するじゃないですか。」
「うん。君は、神官のエクシオンでもある。君の太陽神の神聖魔法は本物だ。しかし、奇妙なことに、君のなかには神聖魔法と魔界魔法が同居している。」
「へえ? そうなんですか。」
俺は肩に置かれた手を右手で掴み取った。俺の爪が少しばかり伸びて、アデュレイの肌に食い込んだ。
「そんなことを言って、怖くないんですか。本当に俺が魔王だったら、どうするんです? 秘密を漏らさないために、ここで旦那の息の根を止めるかも?」
「君は、そんなことはしないよ。」
掴まれた手を引こうともせず、あっさりとアデュレイは応じた。
「レディ・グレースの検死をしたときから、わかっていた。僕の感知の魔法は、とても繊細なのだよ。場合によっては、細かなニュアンスまで汲み取ることができる。そう、あのとき、僕は彼女の証言に耳を傾けていたのだ。だから、君は語らなくてもいい。君がどのような思いで彼女の蘇生を行ったか、すでに僕は理解している。」
不覚にも手が震えた。俺は爪を引っ込めてアデュレイの手を離し、代わりに自分の身を退いた。
「旦那はまともじゃない。」
混乱させられるべきはアデュレイの方であるはずなのに、そこまで推認しながら敵対しようとしないその態度に、俺の方が混乱させられた。
「まあ、人前ではリー・リーと呼ぶのがいいかな。面倒な人たちの注意を引かないに越したことはないからね。」
アデュレイは自分の馬に近づき、結びを解いて騎乗した。小さな円を描くようにその場を歩かせ、馬を落ち着かせながら、手綱を持った手で俺の馬の方を示した。
「空腹だよ。早く帰ろう。馬を返して、その後、入浴して、それから漸く食事だからね。食事に辿り着く前に餓え死にしてしまうかも知れない。急ぎたまえ。ほら、早く。」
どうやら、一連の会話が始まる前の人間関係がまだ維持されているようだ。俺は少しの間、棒立ちになっていたが、気を取り直して視界全体に治癒のエナジーを振り撒いた。範囲魔法である。
アデュレイは目を見開いて、爪痕の消えた自分の手の甲を確認した。それから、莞爾として笑んだ。
「ありがとう。さすがだね。」
そして、鮮やかな手綱捌きで馬を進めた。
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