2 見えざる従者

 タウンハウスは、ほぼ真四角の庭園エリアを囲むように建っていた。


 庭園の通路に面した建物はどれも等しく四階建てで、装飾煉瓦を用いた左右対称の整然とした建築様式であることが共通しているが、煉瓦の色味を変えてみたり、通路から玄関に至るテラスの床板に豪奢な彫刻を施したりと、個々の棟に独自の特徴が見られる。


「私のタウンハウスに招待すると言いましたが、実は私は遊学中の身ですから、自分のタウンハウスを持たないんですよ。外国人ですからね。あのテラスハウスの三階と四階を借りて住んでいます。」


 と、アデュレイが指し示した建物は、ミルクティーのような柔らかな色合いのライムストーンで外壁を鎧われていた。明かり取りの窓の周囲だけ、白い石英の薔薇で飾られていてひときわ目を引く。


 辺りの風景を記憶に刻みながら彼に付いて歩き、ごく短い拱廊を渡ってテラスハウスに入ると、そこは一階のフロアだった。白髪を上品にまとめた老女が、格子縞のショールを羽織って壁際のテーブル席に座り、編み物をしている。


「ミセス・モーガン、ごきげんよう。新しく雇った私の従者です。」


 通り際に、アデュレイが事のついでにように俺を指し示すと、その太った老女は手を止めて俺の方を見た。彼女は見事だった。促されるまで直視を控え、無駄口を叩かず、俺と目を合わせた後であっても、僅かな驚きの色さえ見せなかった。この完璧な管理人は、住人のいかなる秘め事も口外しないに違いない。


「ごきげんよう、光のご加護がありますように。」


 見間違いかと思うほど短い間に彼女は笑顔を見せて、そしてまた無表情に戻った。四階のフロアまで階段を上る途中で、早朝や夜更けに出入りする際は彼女を煩わさないようにとアデュレイから忠告を受けたが、そのようなことは言われるまでもなかった。


 大体、何で早朝や夜更けの出入りについて忠告されなければならないんだ?


 どうやら、この若い男は見知らぬ異邦人を自宅に泊めるつもりらしい。酔狂にも程があると思わざるを得なかった。


 いよいよ部屋に招き入れられると、さらに疑念が深まる事態となった。


「お客様だ。まず髪を切ってあげて、それから入浴も頼むよ。着替えも必要だ。従者の仕着せがいいね。たしか衣装ケースにしまってあるはずだ。サイズが合うといいが、まあ、合わなかったら何とかしよう。身ぎれいになったら、軽く食事にするとしよう。それから休む。クタクタだよ。でも、眠れるかな。」


 玄関に入るや否や、独り言を言っているのかと思ったが、召使いが出てきて彼のステッキや上着を受け取りながら用事を聴いている――ように見える。いや、見えない。つまり、その召使いたる人物が、目には見えないのだ。どうやらこの部屋に存在する何かが、彼の身の回りの世話をしているらしいのではあるが。


「まさか、驚いているのかい?」


 廊下の奥に位置するサロンまで移動して、彼は面白そうに目を見開いた。


「〈見えざる従者〉だよ。家事全般を任せることができて便利な精霊だが、外に連れ出すことはできない。だから、目に見える従者もほしいと思っていたところさ。」


 随分、砕けた口調になっている。彼の母国の訛りだろう、喉の奥を震わせるような響きや鼻から息が抜けるような息遣いが加わって、気を張らずに話していることがわかる。


「僕の魔法を弾いたからには、君も魔法使いなんだろう? 今すぐにでも話を聴きたいところだけれど、身支度が先だね。そうだ、まだ名前を聞いていなかった。教えてもらえるのかな?」


 藍色の双眸を輝かせてこちらを見つめる、その表情には好奇心以外の感情は認められなかった。が、俺はすぐに答えることができなかった。さりとて退くこともできず、沈黙を貫くにも限界があって、ついに意を決した。


「リリウ。」


 どのような反応が返ってくるのか、注意深く見守る。


「リリウ。珍しい名前だね。」


 彼はあっさりと頷いた。俺は、拍子抜けしたような、安堵したような、何だか落ち着かない気持ちになった。


「じゃあ、リリウ、とりあえず散髪だ。その赤毛は情熱的で素敵だけど、そんなに長く伸ばすのは流行遅れだね。〈見えざる従者〉が、うまくやってくれる。そうだね、上の部分は丸く短めにカットして、襟足は段差を付けて軽くしよう。君、目は黄金色なんだね。豹みたいだ。きっと少しばかり野性味のある感じが似合うよ。」


 やけに饒舌で、嬉しそうだった。俺としては戸惑うほかない。あっという間にドレッシングルームの鏡台の前に座らされ、空中を舞う鋏と櫛に毛を刈られ、浴室に押し込められて、詰め襟のお仕着せをあてがわれた。彼はどうしても俺の身支度に口を出したかったのか、ドレッシングルームから脱衣所にまで付いてきて何かしゃべりたそうにしていたが、丁重にお引き取り願った。


 クタクタだと言っていたから、俺の支度を待ちはしないだろうと思っていたが、〈見えざる従者〉に背中を押されてサロンに移動すると、八角形のセンターテーブルの前にアデュレイが陣取っていた。寝間着の上にシルクのガウンを羽織っただけの砕けた格好だった。


 彼は俺に気が付くと、手に持っていた茶碗を卓上に置き、代わりに小皿からドライフルーツを摘まみ上げて、その指で隣席の辺りを漠然と指し示した。


「やあ、リリウ、男前が上がったじゃないか。どうぞ、掛けてくれたまえ。ああ、そうだ、夜の上着はチャコールグレーがいいな。」


 最後の台詞は〈見えざる従者〉に向けたものだ。限りなく無口で給金も求めぬこの働き者は、音もなくブラッシングルームに移動したようだ。


「君は随分、立派な体格をしているんだな。何とか着られる制服があってよかった。日を改めて仕立屋に行こう。ちゃんと誂えないといけないからね。まずは腹拵えするといい。じきに食事が運ばれてくるから、先に飲み物でもどうぞ。軽く摘まめる物もある。」


 俺は警戒しながら席に着いて、卓上を眺め、グラスに注がれた果物のジュースを選び取って口に含んだ。どういう工夫をしているものか、適度に冷えていた。


 アデュレイが言葉を切ったので、沈黙が舞い降りた。この部屋に来るまでの間も、俺の方から何か言葉を発することはなかった。さすがに、そろそろハッキリさせなくてはいけないと思い、気は進まないものの、俺は重い口を開いた。この地の言語は俺の母語ではないが、怪しまれない程度には話せるはずだ。


「助けていただき、感謝します。」


「どういたしまして。」


 少しだけ待って、アデュレイは微笑した。


「光の恵みが云々、って言わないんだね。」


「え?」


「いや、別に。何でもない。」


 アデュレイは然らぬ体で目を軽く見開き、両手を開いてみせた。俺には真意を測りかねたが、気を取り直して先を続けた。


「旦那は、本気で俺を従者として雇うおつもりなんですか。」


「そうだよ。今までずっと、そういうつもりで会話していたのだけれど?」


 何を今更、と言わんばかりに目を見開いて彼は答えた。


「察するに、外国人には在留証とやらが必要なんでしょう? それを持たない奴を雇うなんて、どんな厄介事に巻き込まれるやら。きっと後悔することになりますぜ。」


「在留証は何とでもなるよ。なくしたと言って、再交付申請をすればいい。地元の貴族に口をきいてもらって。それで在留証が手に入れば、今度はそれをもとに他の証明書などを作ることもできる。」


 社会的に見て全く好ましからざる発言を堂々としてのけた後、彼は形のよい指を伸ばして干した杏を一つ摘まみ上げた。


「大体、何だって君は在留証を持っていないんだい? エインディアの王都・ヘイヴンに入るためには、必ず事前審査を受けて在留証を受け取らなくちゃならない。つまり、君は城門を通らずに侵入したというわけだ。なぜ? 入城の審査を受けるとまずいことでもあったのか。それにしては、君の服装は全くもって密入国向きではない。まるで、私を見つけて! と言わんばかりじゃないか。」


 指先で弄んでいた杏をゆっくり口に含み、彼は笑みを深めた。


「興味深い――実に、興味深い。」


 俺は膝の間で両手の指先を合わせ、何と答えたものか、暫く沈黙を守っていた。この風変わりな貴公子を味方と捉えるべきか、災難の兆しと捉えるべきか。それによって自ずと答えは変わる。


「俺の事情を話してもいいですが、」


 ついに観念して、俺は肩を落とし、両手を握り合わせた。


「きっと旦那はお信じにはならないかと。」


「そんなの、話してみなくちゃわからないだろう。」


「昨夜、気がつくと、この城市の街路に突っ立ってたんです。それより前の記憶が抜け落ちてる。」


 突拍子もない話なので、むしろ率直に述べてさっさと終わらせることにした。


「ここがどこなのかもわかっちゃいません。さっき旦那が、エインディアの王都・ヘイヴンっておっしゃったから、そうなんでしょうね。」


 さしものアデュレイも目を丸くして絶句していた。やがて、視線は俺から外さぬままに、器用にも机上の茶碗を持ち上げ、空いた方の手を軽く振って続きを話せと促した。


「もっと言いますと、旦那が自分や俺を魔法使いだというのも、意味がわかりません。魔法というのは、各々信じる神や精霊から力を導いて使うもんでしょう。今日、旦那は俺に何かの力を投げかけてきた。それはわかります。何か俺に干渉しようとしましたね? しかし、俺にはどうやら加護があるようだから、そういうのは通用しないんです。」


「す……、」


「す?」


 アデュレイが深く息を吸い込んで何か呟いたので、俺は訝しんだ。


「すばらしい!」


 アデュレイは手に持った茶碗を、まるで酒杯のように掲げてみせた。


「全くもってすばらしい。君を連れてきたのは正解だった! 君に訊きたいことが山ほどある!」


 どうやら、この風変わりな貴公子との出会いは災難の兆しの方にあてはまるようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る