5 不可思議な死

 万神廟の造りというものは、どれも似ている。正面の大門を通り過ぎた後、祭礼を行うための広大な敷地を通り抜けて最初の伽藍の玄関にたどり着く。玄関前には広い階段があるが、大概、階段を使えない参拝者のために左右に緩やかなスロープも備えられている。


 敷地内には複数の伽藍が乱れなく配置され、祭られる神が多ければ多いほど伽藍の数も増える。そして、全ての伽藍が屋根付きの廻廊で結ばれているのである。


 王立病院も、これを基盤として改築されたと見えて、棟は一様に南側を向いて左右対称に並び立っていた。霊安室は最奥の棟にあり、随分、長く廻廊を通り抜けねばならなかった。


 院内はもともと静かであったが、中央に据えられた最大の診療棟を通り過ぎるとさらに人の気配がなくなり、廻廊の窓から見える緑も濃くなっていった。敷地の奥にはちょっとした木立があるのだろう。薬草園や畑も拵えられていると思われる。


「ジェーン・ドウについて、私の意見を聴きたいとのことでしたが、」


 他に廻廊を渡る者がいないのを確かめてから、アデュレイは口を開いた。


「ご遺体を引き受けようという方はいらっしゃらないのですね。」


「そうです。今朝、午前五時過ぎ、大聖堂の前で発見されたご遺体です。」


「なるほど、城兵がそのようなことを言っているのを小耳に挟みました。」


 俺は短く息を飲んだ。耳聡く反応して、アデュレイは歩きながら背後に一瞥をくれた。


「何か?」


「申し訳ございません、旦那様。」


 慌てて、俺は背筋を伸ばした。


「ミス・ドウは、大聖堂の前で亡くなっていたとのことですが、それではなぜ大聖堂が引き受けて埋葬しないのでしょうか。」


 ロバートは、目をしばたたいてアデュレイと顔を見合わせた。アデュレイはすぐには答えず、数歩進み、やおら立ち止まった。


「ロバート先生、彼はロマヌーム帝国の出で……、それも離島にいたようなのです。都市の常識には疎くて。きっとロバート先生にも愉快な質問が飛んでくるでしょうが、都度、ご教授いただきたい。」


 これを聞いてロバートが心得顔に頷くのを見てから、アデュレイは俺の方に向き直った。


「ジェーン・ドウというのは行旅死亡人に付けられる仮の名前だよ。男性なら、ジョン・ドウと呼ばれる。身元不明の遺体の氏名はわからないが、ともかく何らかの名前を付けないことには死亡記録も残せないし、皮剥ぎ人に引き渡すこともできないからね。」


 物騒な単語を聞いた。俺の表情を見守りながら、アデュレイは先を続ける。


「皮剥ぎ人は、埋葬や皮剥ぎについて独占的な権利を持っている。都市の内部で死んだ家畜や愛玩動物は、住人が勝手に埋葬したり処分したりしてはいけないんだ。必ず皮剥ぎ人に引き渡さなければならないし、家族で処分する場合でも、皮剥ぎ人を関わらせて料金を支払わなくてはならない。皮剥ぎ人は、引き渡された動物の皮を剥いで売り捌く。そして、死体を都市の外に持って行って埋葬する。行旅死亡人についても然り。」


「そんな、まさか。皮を剥ぐんですか。」


「人の皮は剥ぐまいよ。だが、行旅死亡人を始末する料金は公費から僅かに出るだけだから、丁寧に埋葬されるとは思えない。墓標もないだろう。」


「大聖堂というからには、神殿なのでしょう? 神殿には、永代供養をする場所があるのではないですか。」


 俺はなおも食い下がった。到底、信じられなかったからだ。神殿の前にあった遺体が、物を放り捨てるかのような扱いを受けるということを。


「神殿で祭祀を行うには、誰かが寄進しなくてはならないよ。まして、大聖堂とあれば。聖人や貴族の他には、功績を挙げた偉人や模範的な信徒でなくては葬ってもらえまい。」


「浄化は? 光の神ナスターテの得意分野でしょう? ご遺体を浄化しなければ、都市に疫病が流行ってしまうかも。」


「浄化はしない。誰も浄化のための寄進はしないのだから。ゆえにこそ、疫病を防ぐために病院と皮剥ぎ人が処分する。」


 アデュレイの答えを聞いて、俺は奥歯を噛み締めた。言いたいことはあったが、光の神ナスターテを批判するがごとき発言がどこまで許容されるかわからない。しかも、それを病院内で言い募ったところで何になろう。


 会話は終わったと解したのか、アデュレイは再び廻廊を進み始めた。静かに後を追って最奥の棟に近づくと、ある種の臭いを感じた―肺の奥を突かれるような重い死臭、それから強い没薬の匂い。堅く黒いクルミ材を組み合わせた通路に、どれも同じような飾り気のない扉が並んでいる。わざと目印は出していないのだろう。部外者には、どれが目当ての部屋か、すぐにはわからない。


 ロバートは迷わずに手前から二番目の扉の鍵穴に鍵を差し込み、先ず扉を開放した。室内に窓はあったが、鎧戸で塞がれていた。壁に取り付けられたいくつかの燭台にロバートが触れて回ると、数秒後、それらは順々に青白い明かりを発した。魔法具だ。魔法具は高価な物であろうが、さすがに資金を投入すべきところには惜しまずに投入しているのだ。


 青白い明かりに照らされ、石の寝台の上に寝かされた少女の姿が浮かび上がった。鎖骨から下には白いシーツが掛けてあるが、四肢ははみ出ており、シーツの下は全裸であろうと思われた。


 アデュレイが近づいていくと、ロバートはゆっくりと扉を閉ざした。まるで少女の泣き声のように、蝶番が軋む音がか細く響いた。ロバートは壁際の台から精油を練り込んだワックスを塗った白いコートと山羊皮の手袋を取り上げ、アデュレイに勧めたが、


「私には必要ありません。」


 アデュレイは人差し指を軽く振って断り、俺を見た。


「お前は廊下で待っているかい?」


「いいえ、お供します。」


「なら、ついておいで。あちこち触らぬように。」


 鞄と帽子とステッキを持っているというのに、これ以上何かに触れることができたとしたら曲芸だ。そう思ったが、口には出さなかった。


 アデュレイは寝台の手前で立ち止まり、一、二分ほども黙祷した。それから、重い沈黙の帳を掻き破るかのようにやおら寝台に近づくと、じっくりと少女の面に視線を落とした。


 まだ幼い。十一歳か、十二歳か。幼く見えるだけだとしても、十五より上ということはあるまい。肩を過ぎるほど伸びた金褐色の癖毛は寝台の上に広がっている。頬骨は高く、鼻梁が長い。死の表情は穏やかで、粗野な印象は受けない。アデュレイは、慎重な手つきで彼女の右手に触れた。


「労働者の手ではない。が、爪を磨いてはいない。」


 誰にともなく呟く。


「栄養状態は悪くない。が、ストレスを受けていたようだ。この年齢にふさわしい筋肉が付いているとは言えない。」


 アデュレイは彼女の足元に回り、足裏に触れた。


「長距離を歩いたり、激しい運動をしたりといった経験がない。どこかのご令嬢なのだとすれば、さほど珍しいことでもないが。ロバート先生?」


 アデュレイは彼女から目を離さず、質問を投げ掛けた。


「彼女にはいかなる外傷もないとおっしゃっていましたね?」


「然様、全身を調べましたが、特に死因に結び付く外傷は見当たりません。窒息死でも溺死でもない。私が知る限り、毒薬が使われたわけでもない。」


「突然、頭や心臓の血管が破れれば、若い人や子供でも急死することがあるのでは?」


「もちろん、そういう病気はあります。しかし、そうであるなら、死斑はもっと多いはずです。眼球や鼻腔の状態も確認しましたが、やはりそうとは思えません。それに、彼女は大聖堂の前で突然死んだのではないと思われます。彼女は丁寧にシーツにくるまれ、大聖堂の前に仰向けに横たえられていたそうです。両手は胸の上で組み合わされて。彼女はどこか別の場所で、仰臥した状態で命を落とし、それから大聖堂の前に運ばれてきたのです。」


「例えば、眠ったまま目覚めなかったとか?」


「まさにそのような状況ですが、それだけではありません。死後変化の進行が極めて遅い。彼女は、午前五時過ぎに発見され、死亡推定時刻もそのころだろうとは思いますが、確信が持てません。」


 アデュレイは少女を見下ろしながら、考え込むように話を聞いていたが、ふと、瞬きして少女の髪に触れた。髪の毛の先を観察し、親指と人差し指で軽くこする。


「こびりついている。」


「戸板のような物で運びましたから、汚れが付いたのかも知れません。申し訳ない。」


 ロバートは八の字に眉根を寄せて詫びた。アデュレイはさほど気にしてはいない様子で、振り返った。


「いいえ? これは、運搬中に付着した汚れではありません。それで…、」


 ちらりと俺の方にも視線を投げた後、ロバートの方に身体を向けた。


「結局、ロバート先生のお見立ては如何に?」


 問われて、ロバートはますます眉根を寄せた。


「極めて遅々として死が進行する魔法――例えば、仮死などの魔法を使われたか。あるいは、魔法の毒や呪いを受けて死んだのではないか。そのような疑いを持ち、アデュレイ卿にお越しいただきました。万が一にも、手を施す余地のある人を皮剥ぎ人に引き渡すことになったら、後悔してもしきれませんから。」


「なるほど。まさしく、ロバート先生は君子でいらっしゃる。」


 アデュレイは鷹揚に頷き、石の寝台から数歩離れて距離を取った。


「では、全力を尽くすとしましょう。」 

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