第15話 見知らぬ隣人 その伍

 退院の日がやってきた。

 あの翌日も矢野原は何もなかったような顔で病室へ見舞いに来て、黙々と数独を解いて帰って行った。

 長谷川の事を聞くと、どうしようもないから帰したとケロリという。

 確かにどうしようもない。警察に突き出すにしても宇宙人だの化け物だのの話ではまともに取り合ってはくれないし、俺も怪我をしたわけではない。

 何となく腑に落ちないものがあったけど、どうしようもない事ってのはどうしようもない。

 それからは何事もなく、退院の日を迎えた。

 長谷川のことが気にならなかったわけではないけど、俺にもどうしようもない事だ。首を突っ込んでも鋼たちに迷惑をかけるばかりだし、俺一人で何ができるわけでもない。

「荷物はこれで全部?」

 仕事を休んで迎えに来てくれた鋼が入院中の着替えをまとめたバッグを確認している。

「それだけ。怪我をした時の服は汚れたんで処分してもらっちゃったから」

 短い入院だったから荷物はたかが知れている。そうでなくても毎日通ってくれた鋼がタオルや着替えはこまめに持ち帰ってくれていた。

 なんだかひどくバタバタしていたが、あっという間の入院期間だった。

 念のためだった検査結果にも異状はなく、明日には早速実家のカフェで店頭に立つ。

「先に行って会計を済ませておくから、挨拶が済んだら正面玄関のところで待ってて」

 鋼はそう言ってバッグを持って病室を出て行く。

 俺もその後に続くが、病室を出てすぐのナースセンターへ挨拶に立ち寄る。

「お世話になりました」

 俺より年上の看護師たちは口々にイケメンがお見舞いに来なくなっちゃうのは残念だとからかってきたが、何もなく退院して行くのが何よりだと見送ってくれた。

「折角の目の保養だったのに」

「彼氏と仲良くね」

 きゃいきゃいと笑いながら見送ってくれる看護師たちを後に俺は丁度止まったエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターに飛び乗って、ドアが閉まった瞬間に自分の失敗を思い知った。

「長谷川っ!」

 俺の顔を見るなり長谷川はエレベーターの緊急停止ボタンを押した。

 ギギュッとベルトが軋む音が聞こえてワゴンが停止する。

 長谷川はそのまま俺を床に付き倒すと馬乗りになって手にしていたナイフを俺に振りかざす。

 俺は慌ててその腕を掴み、真っ直ぐ下りてくるナイフを横へずらした。

 ギッと鈍い音。同時に頬にぱっと熱が散る。

 逸らしたナイフは俺の頬をかすりワゴンの床に突き刺さったようだ。

 ナイフを床にかませてしまい第二打が繰り出せないうちに、俺は長谷川の身体の下から抜け出し、ドアに駆け寄りコンソールの通信ボタンを押した。

 通信が通じてオペレーターが何かを言っているが、そこに応える暇はなく、再びナイフを構えた長谷川が襲ってくる。

 俺だって黙ってやられたりはしない。

 ナイフを構えて身体ごと突進してくる長谷川の腹を思いっきり蹴とばした。

「ッ!」

 長谷川は俺の蹴りをもろに腹に食らいナイフを取り落して床に転がる。

 ゲホッと咽る声がしたが、すぐに体を起こして立ち上がろうとしたので俺は慌ててナイフを拾い上げ、自分が持っていたバッグに突き立てた。これでナイフは簡単には抜けない。

 俺はナイフの刺さったカバンを壁と挟むように背に回し、立ちあがった長谷川と向かい合った。

「どういうつもりなんだよ……」

「……」

 黙って肩で息をしている長谷川はもう尋常な様子ではない。

 眼だけがギラギラとこっちを睨みつけているが、その目に宿っているのは憎しみでも恐怖でもなく狂気だった。

「うるせぇっ!」

 咄嗟に顔を庇った為に肩を思いっきり殴りつけられた。それでもぐわんと頭が揺らいで膝が折れそうになるのをぐっとこらえる。

 加減しているとか言うレベルじゃない。石か何かで殴りつけられたような衝撃だ。

 最後まで相手に対して暴力を加えるのはやめようと思っていたが、こうなるともうどうしようもない。俺は再び殴ろうと振りかぶった長谷川の胸にもう一撃けりを入れ、後ろに揺らいで膝をついたところを一気に攻めあげた。

 膝をついた長谷川の脚を踏み台に、奴の頭に膝蹴りを食らわす。

 シャイニングウィザードなどと口にするにはちょっと恥ずかしい名前で呼ばれるプロレス技の変型版だ。本来ならば回し蹴りなのだが、膝蹴りにすることで狭いエレベーターワゴンの中でも十分に威力を発揮したと思う。

 俺の膝蹴りをもろに食らった長谷川は脳震盪を起こして気絶していた。

『結っ!』

 長谷川を蹴りのしたところで鋼の声がして、天井からずるりと触手が下りてきた。

「鋼、早く長谷川を運び出して! 人が来る!」

『分かった』

 鋼の触手はワゴンの点検用らしい小さな上部の扉から長谷川の身体を引きずりあげた。

 そしてそれとほぼ同時にワゴンは動きだし、間もなく次のフロア止まりドアが開いた。

 俺はカバンに刺さっていたナイフをカバンの中へしまうと救助に来た係員に狭いところで閉じ込められたのでパニックになってしまって……と説明した。

 俺は頬の傷を手当てしてもらった後に今度こそ鋼の待つ正面玄関へと向かった。


 外へ出ると鋼が車で待っていて、後部座席には矢野原と毛布でくるまれた人大の何かが見えた。多分、長谷川だろう。

「大丈夫かよ?」

「僕が拘束してるよ」

 俺は助手席に入り込んで後ろを見ると、毛布の隙間には矢野原の黒い触手が何本も巻きついているのが見えた。

「どうするの?」

「矢野原が処分しないなら俺がするけど」

 俺の問いに珍しく怒気を隠さない鋼が答えた。

「それだけ融合が進んでいれば、同族と同じだ。俺が組織を与えれば、彼は拒絶反応を起こして同族の組織を失う」

「それって……」

「彼は死ぬね」

 矢野原が何でもないことのように言う。

「やるなら僕がやるよ。鋼が手を汚す必要もないし、僕は試したいことがあるんだ」

「試したいこと?」

「兄の話はしたよね……」

 矢野原は兄と癒合することで、兄の個を消失させその組織を乗っ取った。

 それは矢野原の系統が原種に近い組織を残し続けていたため、他の系統の種より融合に抵抗が少なく矢野原の中にほぼ兄の組織を受け入れることができた。

 ただ、個を判別するための意識は消失してしまったため、ただ兄と同じ組織があるのみだという。

「長谷川の中にある組織は兄が狂う前のものだ。しかも一人の個体を維持するほど大量に」

 矢野原が毛布の上からそのふくらみを撫でる。

「僕の中の兄の組織と長谷川の持つ兄の組織を融合させれば、兄の意識がよみがえる可能性がある」

「生き返るってこと?」

「人間で言うならね。でも、その場合、長谷川はどうするんだ?」

 ずっと黙っていた鋼が口をはさんだ。

「死ぬかもね」

 矢野原の答えは簡潔だった。

 命を維持している物が消失すれば、命は維持できなくなる。

「でも、生き残る可能性もある」

「え?」

「兄が長谷川を生かすことを選択して、長谷川がそれを受け入れれば長谷川は生き延びる」

 でも、それは彼が拒否してきた生き方。

「それを長谷川が納得するとは思えないんだけど」

「まあ、わからないよ。兄が生き返るとも限らないし、再融合は失敗するかもしれないし、成功しても拒否れば長谷川は死ぬ。でも、訳も分からないうちに与えられたものではなくて、選択肢の中から自分で選ぶなら多少は納得できるんじゃないの?」

「……」

 それ以外に選択肢はないのだけど、少なくとも選択肢があるだけまし。

 化け物と呪いながらも自死を選ばなかった長谷川が次に何を選ぶのか。

「僕と話すより、兄と話した方がこいつも納得するでしょ」

 矢野原はまるで他人事のように言った。


 俺は鋼と共に俺のマンションに戻り、矢野原は途中で長谷川を連れて車を降りた。

 再融合するならば万全を期するべきだという鋼の言葉で、鋼たちの事を診療することができる医療設備のある病院で準備を整えてから行うことになった。

 それまでは長谷川は矢野原の監視下に置かれることになる。

「やっと、帰ってきた……」

 安堵の溜息のように言葉が口を吐いて出た。

「おかえり、結がいない間は寂しかったよ」

 リビングに入った途端、ぎゅっと背中から抱きしめられる。

「毎日会えても、こうやってできなかったもんね」

 鋼の腕の中で少し身じろいで、腕の拘束を緩めてもらうと俺も向き合う様に位置を変えて鋼の首に腕を回した。

「あったかい、安心する、帰ってきた気がすごくする」

「そうだな」

 向かいあってぎゅっと抱き合う。

 触手でグルグルに抱かれるのも好きだけど、こうして胸を合わせて腕に抱かれるのも好きだ。

 首に頬をうずめて、ぎゅっと抱き合って、互いの存在を感じ合う。

「ごめん……」

 鋼が擦れるような声で言った。

「なに謝ってるの?」

「結に怪我を……」

「俺を襲ったのは長谷川だよ」

「でも……」

 車の中で鋼はずっと怒ってた。

 それは俺に傷をつけた長谷川に対してだけじゃない。俺から目を離したこと、俺をこんなことに巻き込んだこと……そして、俺と分かち合ったことで俺に被害を与えている自分に怒ってる。

「それ以上謝ると俺が怒るよ」

 鋼は人間じゃないけれど、トラブルなんて人間同士でだってあるはずだ。

 鋼がめちゃくちゃモテる男で横恋慕した女に俺が刺されたりするかもしれない。

 鋼はカッコいいし、優しいし、愛情深くて、こんなに良い男なんだからありえない話じゃない。

 だから、鋼が悪いわけじゃない。

「俺は鋼とこうして分かち合う者同士になって何も後悔してない。だから謝るな」

「結……」

「鋼が不安になる度、何度でも言うよ。俺は後悔してない。だから謝らなくていい。俺は鋼が好き。こうしているのが幸せ。例え何があっても」

 抱きしめてくる鋼の腕にさらに力が入る。

「大体、今回の事は矢野原が悪い。あいつが長谷川を放置してるからこんな目に会ったんで、ちゃんと今日みたいに監視してくれてたらこんな目には合わなかったんだし!」

 冗談めかして怒って言うと、鋼は少し笑ったがすぐに真面目な声で言った。

「長谷川も被害者だ」

「それも違うね」

 俺は即答する。

 被害者なもんか。

 命をかけて助けてもらって、感謝の気持ちもなく逆恨み。

 そんなものが被害者なものか。

 長谷川はただ弱いだけだ。

 だけど、その弱さもわからなくはない。

 だから誰を憎むとか罰するとかではなく、上手くこの話が終わらないかと悩む。

 そんな都合のいい話があるわけないとしても、それでもハッピーエンドがあればいいと思う。

 鋼に抱きしめられたまま、ソファに二人並んで腰かけ、互いの顔を見合った。

 作り物だと分かっていても、鋼のその瞳には俺を愛しむような優しさがあって、肩を抱き寄せている腕は暖かくて心地よい。

 これを作り物だと思うこともできるけど、作り物を使ってでも鋼が俺に伝えたいものなのだと考えるとまるで違う。

 微笑んでキスする。ふにっと柔らかい唇が触れあう。

 それは外装の柔らかい皮膚が俺に触れたのではなくて、鋼が俺に好きだって気持ちを伝えるためにこういう形で触れてきているもの。

 俺は人間で人間の愛情表現に慣れているから、それに合わせて鋼が伝えようとしているだけの事。

 触手とは少し違う硬い指先が首筋を揉みほぐすように触れてくる。

「んっ……」

 耳の後ろを擽るように触れられるとたまらず声が漏れる。

 欲情を煽る愛撫とは少し違う、柔らかな眠気を誘う様な優しい揺らぎ。

「眠いならこのまま眠ってもいいよ。疲れてるだろう? 俺がベッドに運んであげるから」

「ん……大丈夫。もう少し、鋼とこうしてたい」

 甘えるように鋼の手に頬を摺り寄せ、もう一度その熱い唇にキスしようとしたとき、不思議な感覚が頭の中で飛び跳ねた。

「っ!?」

 その一瞬で甘い気分はすっかり飛び去って、なんだか急にスカッと目が覚めた様な変な覚醒感がある。

「結……」

 鋼も眼を見開いて俺を見ている。二人は同じものを感じ取ったらしい。

「これって……?」

「矢野原だ」

「マジか」

 こんな風に存在を感じるなんてのは初めてだった。

 頭の中にびりっと電気が通されるような強制的な感覚。

「え、じゃあ、もしかして矢野原ヤバいんじゃ……」

 ぼんやりと位置を感じる程度だったモノとは明らかに違う感知だった。

 鋼は俺の言葉にうなづくと入り口に掛けてあったジャケットを取り玄関に向かう。

 俺もそれについて上着を着た。

「結は……」

「残れなんて言うなよな。俺だって仲間なんだから」

 俺は鋼の言葉を遮って言い切った。

 鋼は一瞬躊躇ってから、靴を履いている俺を変な姿勢のまま抱きしめた。

「何かあったら俺が守るから」

「うん」

 俺はその言葉には素直に肯き、鋼の背に腕を回してギュッと抱き合う。

「行こう。すごく嫌な予感がする」



―― 続


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