第13話 見知らぬ隣人 その参

 翌日。面会時間早々から矢野原は再び見舞いと称して病室にやってきた。

「今日も鋼に頼まれたの?」

「鋼には来るなって言われた」

「は?」

 我が物顔でスツールに座り、持っていたブリーフケースから数独の本を取り出すと黙々と解きはじめる。

 ホントに見舞いする気ねーな。と、思いつつも、じゃあ、何故鋼には来るなと言われたのに来るのか?

「何しに来てんだよ」

「釣り」

 ますますワケ分からん。

「ここに居れば、彼、来るだろ?」

「……釣りって俺が餌か」

 鋼はもう長谷川に接触するべきじゃないと言っていた。

 だから長谷川が興味を持ったらしい矢野原に来るなと言ったんだろう。

 俺一人なら来ない可能性もあるが、矢野原がいれば来る確率は上がる。

「どちらかと言うとお前が餌っぽいけどな」

「言ってろ」

 黙々と数独に勤しむ矢野原をしばらく見ていたが、ふと俺の方を見る。

「おかしい」

「え? 何が?」

「気配は来たのに……このフロアに来ない」

「え?」

 長谷川が病院に来たが、この病室へ来ないという事か?

「怪我か何かして運ばれてきたとか?」

「歩いて普通に着た。けど、追おうとしたら逃げられた」

「は?」

 どうやら矢野原は自分の取り巻きの1人を長谷川の尾行につけていたらしい。その長谷川が病院内で尾行を巻いてしまったという。

 しかし、彼はここに姿を現していない。

「入口から病室まで30分もかからない……」

「急に何か用事が出来て帰ったとかは?」

「薄いから位置まで分からないけど、この病院内に居るのは僕がわかる」

 様子を見に行こうとしたのか矢野原が腰を上げたところに、ちょうど看護師が俺を呼びに来た。

「高遠さん、検査のお時間なので検査病棟にお願いします」

 看護師から検査票を手渡される。もう眩暈もなく歩くことも問題ない俺は検査は付き添い無しで行かなくてはならない。

「途中まで一緒に行くよ」

 矢野原がにっこりとほほ笑んで雑誌をブリーフケースに戻すと帰り支度を始めた。

『1人の時に何かあったら鋼でも僕でもいいから呼んで』

 頭の中に矢野原の声が響く。

 俺は黙って肯いて、矢野原と共に病室を出た。


 検査病棟は時間予約制で待ち人がほとんどいない所為かひっそりと静まり返っている。特に俺が向かうMRIなどの大型機器の検査室は地下にあるため、どこか薄暗くひっそりとしていた。

 矢野原とはエレベーターで別れた。奴は外来待合室と玄関のある1階で降りた。

 俺は少しは何か感じ取れないかと、エレベーターを降りてから一生懸命あたりを探ってみたが、鋼や矢野原の様に何かを感じ取れることはなかった。唯一分かるのはほんのりと矢野原が近くにいるという事だけだった。

(矢野原の気配も何となく分かるようになってきただけ、融合が進んでるのかな……)

 鋼はもっとはっきりわかる。最近はこの病院の敷地に近づいた辺りから分かるようになった。人がいなければもっと遠くに居てもわかるかもしれない。

 気配がわかるというのは不思議な感じだ。

 今もほんの少し離れたところに矢野原の気配を感じている。

 MRIの大きな機械に横たわり、眼を閉じて真っ暗な中でガンガンとバケツを叩くような轟音の中でも仄かにその存在を感じ続けている。目でもない、耳でもない、匂いや触感でもない何と言うか俺の知らない知覚が感じ取っているような未知の感覚だ。

(鋼たちは匂いっていうけど、匂いとも少し違う何かなんだよな……)

 そんなことを考えていると、矢野原の気配が動いた。

(あれ? 何かあったのか?)

 離れたところにあったと思った矢野原の気配がこちらへ向かっているのを感じる。というか、多分、すぐそばにいる。あの検査扉の向こう側くらい。

「高遠さん、動かないでください」

 反射的に顔をあげそうになって、技師に注意される。

 仕方なく目を閉じたままじっとしているものの、何だか落ち着かない。

(ドアの外にいるのは矢野原だ。とりあえず検査が終わったら矢野原から事情の説明が受けられるはずだから……)

 自分に言い聞かせるようにして無理やり納得する。

 今は矢野原と俺が諍う理由はそんなにない筈だ。さっきだって何かあれば呼べと言ってくれた。

 でも、何か底知れない不安のようなものがひんやりと俺の中に積もってくる。

(長谷川だって敵意があると決まったわけじゃない。悪く考えれば何でもそんな気がしてくるんだ……)

 なのに……エアコンで適温に保たれているはずの部屋が酷くうすら寒いような気がした。


「はい。これで検査は終了です。ご気分は悪くありませんか? 介助を呼ばずにお部屋まで戻れますか?」

 そう問われても宇宙人が怖いからとは言えずに、俺は大丈夫ですとだけ答えて検査室を出た。

 検査が終わって間もなく、扉の前に居た矢野原の気配はまた少し離れたところに移動していた。

 もしかしたら検査中の俺が心配になって見に来てくれたのかもしれない。

 そんな楽観的なことを考えながら病棟へ戻る廊下を歩いていると、不意に腕を掴まれた。

 矢野原――と言いかけて口を噤む。

「黙って」

 長谷川だった。

 一瞬、矢野原だと思ったが長谷川だった。

 俺は完全に油断していた。矢野原の気配だと思っていたのはこいつのだった。俺には大雑把な判別しかできず、矢野原と長谷川に融合していた奴は兄弟だったのだ。似ていて不思議はない。

 俺の腕を掴んだ長谷川は、俺の腹に大きな刃渡りのナイフを突きつけている。

「大声出したり、誰かが来たらすぐに刺す」

 そのまま腕を引かれ、検査室の奥にある部屋のドアを開けた。

 中には酸素ボンベのようなものが何本も置かれている物置のような部屋だ。

「しばらく、ここで大人しくしていてください」

 まるでドラマの悪人のようなセリフ。ベタすぎて笑えないけど。

 しかし、俺もそんなドラマみたいなベタな台詞しか返せない。

「俺をどうするつもりだ?」

 昨日見舞いに来た時とはうって変わって暗い顔の長谷川が唇をゆがめるような嫌な笑い方で笑う。

「このシチュエーションなら人質しかないだろ」

 人質。鋼と矢野原に対する人質って意味だろう。

 俺を人質にしてどうするんだとはもう聞かない。聞いてもロクな話じゃないだろう。

「あんたの中にいる人の事か?」

 反応は激的だった。

 その言葉を聞いた途端、ガンッとものすごい勢いでボンベを蹴飛ばす。ボンベは固定されているのでぐらっとしただけだったが、長谷川の足が心配になるほどの威力だった。

「気持ちの悪い異形が……あんたもその仲間だよな」

 声に響くのは侮蔑と怨嗟。

 彼の側に居たのは矢野原の兄だと聞いている。その人と一体何があったらこんなになるのか。

(矢野原は兄は死んだと言っていたが……それと関わる話なのか?)

 非常灯一つだけで窓もないくらい部屋で、ぜいぜいと息を荒げて憤怒に駆られている長谷川は俺にナイフを突きつけたまま、器用にポケットから取り出した結束バンドで俺の手足を拘束した。

 そして、床に寝転がされると、長谷川はそのまま隣に腰かけた。

「どうせすぐに感づいて、奴らは来る」

 病室で見た時とはうって変わった荒んだ姿。

 眼はギラギラと憎しみに淀み、じっとこれから彼にとっての敵がやってくる扉を睨んでいる。

「何で……一度は受け入れた存在をそんなに憎むんだ?」

 ぎろりと長谷川の目が俺を睨んだ。

「俺と同じ目に会えば、お前にもわかるよ」

 同じ分かち合う者同士。

 長谷川が失った相手が、俺と同じように恋人だったのかはわからないが、彼らが分かち合おうと思う相手は大概深い思い入れのある相手だ。

 矢野原の様に特に思い入れ無くとも支配する様に分け与えるものもいるが、彼らと付き合い始めてそれは少数なのだと知る。

(矢野原……?)

 そう言えば、長谷川の中にあるのは矢野原の兄のものだと言っていた。

 何かそのあたりから思い浮かびそうになった時に、すごくよく見知った気配が近づいてくるのを感じた。

「ごめん……鋼……」

 鋼はすぐに俺の異変を感じ取って駆け付けてくれたのだろう。

 彼には仕事もあって普通の人間のように社会的な縛りもあるはずなのに、そういうものを全ておいても俺を選ぶ。

 この情の深さは彼らの特性なのか、鋼だからなのか……。

『結!』

 扉が開く前に頭の中に声が響く。

 鋼は扉の前に居る。

 それは長谷川も感じ取ったに違いない。獣のように低く姿勢を伏せギリッとドアを睨みつけている。

 鋼にばかり気を取られていたが、その隣には矢野原もいるようだ。

 扉がゆっくりと開く、倉庫の扉は分厚かったが鍵がかかっていなかったのかぎぃっと重い音を立てて廊下の光が差し込んでくる。

「結、無事か?」

「鋼……」

 俺は手足を拘束されうつぶせに床の上に転がされていたが、何とか背をのけぞらして鋼の方を見た。

「結を放してもらいたい。彼は何も関係ないだろう?」

 鋼が長谷川に言う。

「俺がこいつを殺せば、関係なくは無くなる」

「お前の目的は僕だろ?」

 矢野原が鋼を横に押しのけるようにして前に立った。

「お前と分かち合っていた奴は僕の兄だ」

「兄?」

 長谷川が訝しげに矢野原を見た。

「同じ気配がすると思っていたが……兄弟だったのか……」

 あんな化け物でも血の繋がりなんかあるのかよと唾棄する。

「僕たちは単純な生物だからね。キミたちのような複雑なことは考えない。考えすぎることは狂う元だ。そうやって兄も狂った」

「ふざけんな!」

 矢野原の言葉に激昂したかのように、長谷川が寝そべっていた俺の襟首を掴みあげ、仰け反った喉にナイフがあてられる。

「お前の兄だか何だか知らないが、奴は俺を無理やり仲間に引きずり込んで、こ、こんな化け物の仲間にっ……」

「放せっ!」

 声を荒げる鋼を黙らせるように矢野原は鋼のさらに一歩前に出る。

「来るなっ!」

「僕はキミを更なる化け物にすることができるよ?」

 廊下の明かりを背にして、逆光になる矢野原の顔は良く見えないが、影の中にのぞく白い歯で笑っているのがわかった。

「彼に傷をつけたら、僕はすぐさまキミに飛びかかって、その口の中に僕の組織を流し込んでやる。そうしたらキミは過剰に摂取した細胞に体内を侵されて僕と同じものになるねェ」

 ゆったりと淀みなくそう言うと、矢野原は更にもう一歩近づく。

「近寄るな!」

 長谷川は俺を再び床に寝転がし、上着を脱ぎ捨てた。

「この部屋にあるのは酸素ボンベだ。こんな小さな爆弾でもお前らを消すには十分だろうな」

「……」

 矢野原と鋼の動きが止まる。それは長谷川の言葉が正解だからか。

『結……』

 再び鋼の声が頭の中に響いて、後ろ手に縛られた手に何かが触れている。

 ちょん、ちょんっと柔らかい物が手のひらを突いている。

(鋼の触手……?)

『俺の手を握ったら、目を閉じて』

 そう言われて、俺は手のひらを突く触手をぎゅっと握り締めて強く目を瞑った。

 触手は長谷川に気付かれることなく俺の腕と身体に絡みつく。

 その瞬間。

「死にたいなら死ねば?」

 挑発的に矢野原が言う。

「くそっ!」

 長谷川の呻きとライターの石をこする音。

「結!」

 火薬の燃え上がる様な匂いが一瞬した後、俺は力いっぱい触手に引っ張られた。



―― 続

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