第12話 見知らぬ隣人 その弐

「俺、時々、鋼って友達居ないんじゃないかって不安になることがあるんだけど」

「僕も」

 4人部屋の病室の窓際のベッド。外はいい天気で青い空と白い雲が窓いっぱいに見える最高のロケーション。

 ベッドの脇には美人。これ以上ないくらい美人。同室の患者さんたちが奴が入口に立った瞬間色めき立つくらい美人。しかし、男だと分かってションボリ昼寝に入るくらい美人。

 鋼に頼まれたと言って、矢野原が病室に現れたのは面会時間が開始して間もなくの事だった。

 白いシフォンのシャツにグレーの細身のパンツ、薄いブルーの綿のストールを巻いたロシアの妖精は今、俺のベッドサイドのスツールに腰かけてずっと数独を解いている。

「何しに来たんだよ?」

「鋼に言われたから来たんだよ。なんかして欲しいならするけど、あんまり親友の恋人に手を出したりしたくないんだけど」

 矢野原はこの前の拉致事件以降かなり俺に対する態度が変わった。

 その前にも一度和解はしていたものの、それよりずっと変わった。

 変わったというか、酷くなったというか、取り繕わなくなたっと言うか。

 一人称は相変わらず俺と会話するときは矢野原が取り繕ってる風の「僕」だけど、態度はそれなりに悪い。

 その態度の悪さは嫌いじゃない。以前のぺったりした笑顔で笑ってた頃よりは、俺はずっとましだと思ってるんだけど。

「暇なの?」

 つか、俺は矢野原の職業を知らない。今日は平日の昼間、矢野原が俺の為に有給を使うとは考えづらいし会社勤めとかではなさそうだ。

「暇じゃないよ。論文の執筆中で大学に顔出さなくていいだけ」

「論文!? 同人誌じゃなくて!?」

「……僕の事なんだと思ってるの?」

「腐男子」

「即答するな。あれは彼女らの話で俺は彼女たちに頼まれただけなんだから」

「へぇ。じゃあ、何の仕事してんの?」

 矢野原も鋼も宇宙人だが、彼らは人間社会の中で生きている以上ほぼ人間と変わりない生活をしている。彼らには戸籍もあるし、学校にも行ってるし、もちろん仕事もしている。下手すると人間より家系までしっかり把握している。どんな万能宇宙人でも稼がなくてはお金は手に入らないし、お金が無ければ何もできないのがこの社会だ。

「大学講師。非常勤だけどね」

 鋼が弁護士だと聞かされた時も驚いたけど、矢野原の大学講師はそれ以上の驚きだった。

 あ、でも美術系とかだったらちょっとわからなくはないかも。

「矢野原が大学講師……あ、美大とか!?」

「……数学科」

 続けて名乗られた大学名は泣く子も黙る国立大学。

「マジか……」

「僕の事なんだと思ってるわけ? 顔が綺麗なだけじゃ賞賛は得られないんだよ」

「え? 賞賛を得るために大学講師……?」

「容姿端麗頭脳明晰。必須でしょ」

「はぁ……」

「理系男子は顔が良ければかなり評価高いしね」

 とんでもないことを言いやがる。

 しかし、いまだに本業一本では食えずにいる俺からしたら、反論なんか微塵もできないわけで。

「人に注目されるなら塾か予備校の講師でも良かったんだけどね。なんかバラエティーのタレントみたいな扱いは好きじゃないんだ。やっぱり見られるなら崇拝が良い」

 大学講師が崇拝されるかどうかは知らないが、こいつらしい分かりやすい志望動機で納得した。

「さて、と」

 ずっと手元の数独パズル雑誌から目を離さなかった矢野原がやっと顔をあげる。

「来たよ」

「え?」

 来たよと言うのとほぼ同時に、カーテンの向こうに人影が立つ。

「こんにちは。長谷川です」

 昨夜も聞いた声だ。

 カーテンの下にはジーンズと少しよれたスニーカーの足元。

 彼氏が警戒してるのでダメです。とは言えずに、俺は長谷川にどうぞと促す。

「失礼します。昨夜は遅い時間に……」

 そこまで言いかけて、言葉が止まった。

 見ればカーテンを開いてこちらを見たまま長谷川は硬直している。

「あの……?」

「あ、ああ、す、すみませんっ」

 声をかけるとフリーズの解けた長谷川が顔を真っ赤にして慌てて頭を下げる。

「これ、お見舞いです」

 そう言って白い紙袋を矢野原に向かって差し出す。

 あーというか、おーというか、なるほど、美人に弱いタイプか。

 真っ赤になってまるで告白のラブレターを差し出しているかのような様子の長谷川にニヤニヤしながら矢野原を見ると驚くほどの真顔で長谷川を見ていた。

(こいつの事だから新たな信者獲得くらいの様子かと思ったのに……)

 しかし、一瞬で矢野原は得意のぺったりスマイルを取り繕い、そっと紙袋を受け取った。

「結くん、僕、お茶を買ってくるから少し席を外すよ」

「あ、ああ」

「どうぞごゆっくり」

 矢野原はそのまま紙袋をベッドサイドのテーブルに置くと、長谷川にスツールを勧めて立ち去った。

 長谷川が怪しいって鋼に頼まれて来てたんじゃないのかよ! と、言いかけてぐっと飲み込む。

 何か考えがあるのかもしれない。

 とりあえず二人して矢野原の背中を見送り、俺はもう一度長谷川にさっきまで矢野原が座ってたスツールを勧めた。

「すみません……」

 気の毒になるくらい謝り倒しの長谷川は椅子に座ってからも俺に頭を下げた。

「こちらこそ、気にしないでください。あれは俺も悪かったんです。とまれって言われたのに入っちゃったから」

 俺も頭を下げる。

「救急車呼んでくれたのも長谷川さんですよね? 止血とか応急手当てが良かったんで傷も残らないって言われました。ありがとうございます」

 俺が搬送された時、頭の傷はきちんと手当がされていて、そのおかげで化膿することもなく経過も良好だと言われている。

「良かったです……俺も、この仕事クビになるとかなりキツかったんで、高遠さんが弁護士まで入れて口添えして下さったのは本当に助かりました」

 明るい日の光の中で穏やかに笑う顔は何の危機感を抱く必要もなさそうな人柄の良さを感じる。

(ただ、気になるのは彼の中に居るらしい宇宙人のアレ……か)

 さっきの矢野原の反応も気になる。

 鋼は少し薄いと言っていたが、矢野原にもわかる程度には濃く匂っているんだろうか?

「ただいま」

 長谷川との会話が一段落ついたのを見計らったように矢野原が戻ってきた。

「あ、あのっ! お、おかえりなさいっ」

 矢野原を見るなり、まるでバネが弾けるように長谷川は立ち上がり矢野原に席を譲った。

「僕はもう帰りますので大丈夫です」

 そう言いながら長谷川と俺にペットボトルのお茶を渡してくる。

「自己紹介まだでしたね。僕、結くんの友人で矢野原と言います」

「長谷川です。すみません、お邪魔したみたいで」

「いいえ。僕はまた明日も来ますから。結くんが僕では退屈みたいなんで話し相手してやってください」

 と綺麗な作り笑顔でにっこりほほ笑み、矢野原はカバンとジャケットを持って帰って行った。

 長谷川はその後ろ姿をうっとりと見つめて見送っていたが、彼の背が見えなくなるとぽつりと溢すように言った。

「怖い……方ですね」

「え?」

「あ、いや、その、怖いくらい綺麗な方ですね」

「ああ、顔は良いですよね」

 慌てて取り繕ったが、気になる呟きだった。

 怖いって何が? と思うのもあったが、彼が矢野原にやたらと反応するのも気になる。

「矢野原が気になります?」

 冗談めかして聞いてみた。笑い飛ばさられるならそれでもいい。もしかしたら一目惚れなんじゃと思うくらい気にしてたから。

 そんな風にからかい半分だったのが、長谷川の反応は極端に予想外だった。

「気になります。あなたの周りには彼らの様な方ばかりなのですか?」

「それは……」

「昨夜お会いした弁護士さんもそうですよね?」

 長谷川が俺を見て言う。

 何とは言わないが、彼は明らかに鋼や矢野原が人間と異質なものだと気が付いている素振を匂わせる会話。

「何の事だか」

 さわらぬ神にたたりなし。

 長谷川とこの話題を続けることは危険だと咄嗟に思った。

 しばし見つめ合ったが、長谷川もこれ以上会話を続けるつもりはなかったらしく、「長居してもご迷惑になりますので」と退室して行った。

 長谷川は俺にお礼に来ただけ、俺は数日後には退院して元の生活に戻る。

 彼との接点はなくなり、もう会うこともない人かもしれない。

 でも、何だか胸の中にちりっと小さな棘が引っ掛かる様な不安を感じる。

「あれ? 彼はもう帰ったの?」

 ぼんやりと不安について考えていると、再び矢野原が顔を出した。

「帰ったんじゃなかったのか?」

「鋼には一日付いてろって言われてるからな」

「意外と律儀」

「鋼は怒らせると怖い」

 そう言うと矢野原は再びスツールに腰かけ数独の雑誌を広げた。どうやら新しく買ってきたらしい。

「律儀なんだか適当なんだか」

「僕がいてもあんまり楽しい事にはならないからね」

 矢野原は雑誌から顔をあげずに言った。

「彼は誰かの組織を受け入れてる。しかし、その相手はもう死んでる」

「え? どうしてそんなことわかんの?」

「分かるよ。彼に与えられた組織と同じ組成の存在を僕は知っている。そして、その人物はもう3年も前に死んでいる」

 なんてことはない世間話程度に矢野原は言ったが、それは相当ショックな話だった。

 彼らが死ぬのは寿命が来た時と――自ら死を望んだときだけ。

「寿命?」

「違う。事故死だ。あー、でも自死でもあるのかな。同族同士で融合して消滅した」

「それって片方に飲みこまれたってこと?」

 確かそんな話を聞いたことがある。

 同族同士で融合することは、互いの意識の乗っ取りあいになってどちらかが消滅してしまうと。

「……彼らはどちらも意識が消滅することはなかったけど、互いの組織が拒否反応を起こした。僕らも随分長く存在しているからね。系統が離れるとどんな異変が起きているかわからない。彼らは共に消滅した」

「詳しいな」

「僕の兄だからね」

「兄?」

「同じ個体から分裂した個体。僕は29年前、彼は32年前、僕の父にあたる個体からそれぞれ分裂した」

 のどかな昼下がり、周りのベットからは安らかな寝息が聞こえる。

 手元の雑誌から目も離さず、世間話の気軽さで、宇宙人と彼らの生態に関しての話をしている。 

 ただ、俺はやはり思った以上に動揺していた。

 彼らがそういう感情を持ち合わせているのかわからないが、兄弟が死んだ話をこんな簡素に聞かされるのは何か違う。

「ちょっと待てって。そんな話、ちょっと……」

「キミが気に病む必要はないよ。三年前の終わった話だ」

「でもっ」

「ああ、終わっちゃいないか。兄の忘れ形見が居るなら対応が必要だ。何とかするよ」

 矢野原は事後処理でもするような感じでタスクに追加したようだ。淡々とした様子は変わらず、雑誌から顔も上げない。

 でも、俺にはそんないつも通りの矢野原にも不安を感じた。

 明らかに動揺している。本来の矢野原なら長谷川がいても席を外したりせず、逆に積極的に話をして相手の腹の中を探り出そうとするだろう。

 しかし、矢野原はそれをせず会話を避け接触から逃れた。

 そして思い返すのは長谷川の言葉。

 長谷川は自分の中の物と同じ存在を感知できていた。

 多分、俺よりも判別能力が高いかもしれない。

 そうれなら、矢野原にもわかったように、長谷川も感じたかもしれない。

(だから、あの言葉か……?)

 怖い。たしかに長谷川は矢野原をそう言った。

 首を突っ込むべき問題じゃないと漠然と感じていたが、このままでもいられないような気がする。

「キミは首を突っ込まない方が良い」

 不意に矢野原が言った。

「鋼にもそう言っておくから、退院したら彼のことは忘れた方が良い」

「……それで済むのか?」

 俺だってできれば関わりたくはない。

 でも、こういう時の嫌な予感は何となくあたる。

「あいつは俺よりも融合が進んでるみたいで、矢野原や鋼の事も気が付いてた。多分、俺が彼と同じことも気が付いてると思う」

「そっか」

 矢野原は再び雑誌に目を戻した。

「でも、偶然、たまたま、そうだっただけかもしんないし」

「キミはそう思うの? だとしたら相当な楽天家だ」

 長谷川は俺にそうであることを仄めかすようなことを言っている。

 もしそれが俺の勘違いだとしたら……と楽観的には考えられない。

「キミの怪我まで彼の所為じゃないといいけど」

 そこまで思い至ってはいなかったけど、そんなことも疑った方が良いのか?

「まだ、敵意や害意があると決まったわけじゃ……」

「まぁね。彼の腹の中は読めないよね。でも……」

 矢野原は俺を見るとどこか昏いモノを感じる顔で笑った。

「俺が怖いってのは、当ってるんじゃないかな?」

 なんかもう、嫌な予感しかしないので早く退院したい。

 俺の頭の中はそれ一色になっていた。


「そうか、矢野原の兄さんのね……」

 夜になって仕事が終わって見舞いに来た鋼と入れ替えに矢野原は帰っていった。

「鋼は知ってるの?」

「詳しくは知らないが、亡くなったことは知ってる」

 鋼は差入れにもってきたらしいリンゴを器用にうさぎに剥きながら話を続ける。

「矢野原の筋はとても原種に近い系統なんだ。俺たちの祖先は遠く辿れば1個体にたどり着くんだけど、その中でも他との融合を好まず、できる限り原種に近い状態を保つべきだと考えている系統なんだよ」

 この系統と言うのは人間で言うなら一族にあたるものなんだろう。

 俺と鋼のように、その、セックスを含め互いの組織を取り込みあい続けると彼らは微妙に変化するらしく、それを鋼はとても好んでいる。

 好きな人を自分色に染めて、同じように染まるというのは浪漫チック路線が大好物の鋼には結構琴線に触れるものがあるのだろう。

 もちろん人間にだっていろいろいるように、彼らにもいろいろいるのはわかる。だから、純血主義じゃないけど、そういう原種を守ろうとするって考えが存在するのも理解はできる。

 ほんの少し、ほんの少しだけ、矢野原が鋼に出会った俺に対して威嚇してきたことや、鋼に対して抱いていた気持ちの裏にある物が見えた気もした。とりまきを作っても、誰かと親密になろうとはしない矢野原の気持ちが少しだけわかったような気がするのは傲慢だろうか。

「……結は優しいな。異質な物でも理解したいと考えている」

「鋼?」

 鋼はうさぎリンゴの並んだお皿をサイドテーブルに置くと、そのまま少し身体をのり出し、俺の唇にキスをした。

『そのおかげで俺は結に受け入れてもらえたけど、それが必ずしも良いとは限らない。俺たちは異質で……正体を隠して生きなくちゃならない存在ではあるんだ』

 不意に頭の中に響く声。あまり人に聞かせたくないところはこうやって接触で伝えてくる。

 その特殊さに狙われるばかりでなく、異質なものが迫害されるのは歴史が証明している。同じ人間同士なのに髪の色肌の色が違うだけで異端としたときもあった。

 そんな中で生きてくる彼らの苦労は並大抵ではなかったと思う。

 俺がすんなり受け入れられたのと、みんなが怯えないのはまた別の話なんだ。

『迫害こそされなかったけれど、過去には拒絶された時期もあった。正体を明かして受け入れてもらえるのは本当に奇跡に近い。だから、正体がばれることを極端に恐れるものもいる。それは人間の側にもいる。正体を知って怖くなれば仕方ない』

「そんな!」

『納得していたことが、納得できなくなることは稀にあることだよ』

 わかって受け入れたつもりでも、変わってみたらそれ以上のものだったという事か。

 確かに人間とはかけ離れたものが、自分の中に少しずつ芽生え始めるのは恐ろしいと思うかもしれない。

「俺は相当能天気だから、そういうのに鈍いんだよね」

 苦笑してそう言うと、鋼はもう一度俺にキスした。

「好きだよ、結」

 今度は声に出して言ってきた。

 その声があまりにも甘く響くので、俺は真っ赤になって、慌ててリンゴを頬張った。

 こういうのこそ、二人きりでこっそり接触で言えばいいのに!

「でも、退院まであと少しだけど、気を付けて欲しい」

「ん?」

「長谷川が見舞いに来てももう会わない方が良い」

「また来るかな?」

「分からない。何もなければ来ないと思うし、何か思惑があるなら必ず来ると思う」

「……来ないことを祈るよ」

「ああ」

 俺は長谷川に対して特殊な思い入れも何もない。矢野原との関係だって首を突っ込むつもりはない。

 ただ、それは全く相手にとっては通用しない言い訳でもある。

「早く家に帰って、鋼とご飯食べたりのんびり過ごしたいよ」

「……そうだね。可愛い恋人を可愛がれないのはとても寂しい」

 鋼がそう言った途端、ばさばさっと何かが落ちる音がした。

 ハッとして音のした方を見ると、開けっ放しだったカーテンの向こうで看護師が硬直している。

 カーテンの内側では肩を寄せ合いうさぎリンゴを食べながら話をしている。

 男、二人で。

 その現実に気が付いた瞬間、俺は瞬間湯沸かしのようにぼっと顔が火照ったが、そんな様子を見て看護師はフリーズから立ち直った。

「そろそろ面会時間の終了なので、終わったら検温に来ますね」

 そう言って落した書類をさっと拾うと何事もなかったように他のベッドの患者に声をかけに行った。

「鋼。とりあえず退院するまでお預け」

「……そうだね」

 ちょっぴり寂しそうだが、いちゃいちゃは退院すればいつでもできる!

 とりあえずはこれ以上俺の対面がどうにかならない内にも早く退院したかった。



―― 続

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