第11話 見知らぬ隣人 その壱
いきなりの衝撃の後、俺はバランスを失って硬いアスファルトの上に放り出された。
眼から火花が散るってのはこういう事を言うんだと思った。
「痛ってェっ!」
あ、ヤバい。頭揺れてる。
ぐわんぐわんと眩暈のする頭を抱えたまま、俺は尻もちをついたその場所でそのままどさっと横になった。
頭を打ったのは頭が痛いからわかる。気絶するような感じじゃないけど、とにかくぐるぐる目が回って気持ちが悪い。
俺は目を開けることもできず、ただひたすらにこの激しい眩暈が遠のいてくれないかと祈った。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃねーよ……痛ってぇ……」
俺を案じて誰かが話しかけてくるが、それが誰か確かめることもできない。
ぐっと迫り上げてくる吐き気を堪えながら、頭を庇うように身体を丸くした。
「申し訳ない。今、救急車を呼んだからそのままじっとしていてくれ」
「救急車……?」
そんなにするほどの事じゃねーよ……と身体を起こそうとしたら、誰かに動かないでと止められた。
ざわざわと聞こえるのは人の声、俺はどうやら人に囲まれているらしい。
え? どういうこと?
流石に訳が分からなくなって目を開けようとしたら、瞼が全く動かなくて、それどころか身体もなんだか麻痺したようで動かない。
あー、これ、本格的にヤバいのかも。
吐き気と眩暈に襲われながら、俺は動けないままそんなことで焦りはじめていた。
次に目覚めた時は病院で、どうやら他の人の気配があるところを見ると個室ではないようだ。
辺りは静かで、窓際のベッドは窓から入ってくる日の光で明るい。
(確か、俺は頭を何かぶつけて……)
それは朝の出来事だったはずだから、そんなに時間は立っていないのだろうか?
俺はベッドに横たえられ、その視界の端には点滴袋の鈴なりになった点滴台が横に見える。もちろんその管は俺の腕につながり、軽く腕を持ち上げるとネットで覆われた下に管が刺さってるのが見えた。
周囲には誰もおらず、隣のベッドには人の居る気配があるが、カーテンで区切られていて見ることはできない。もちろん俺はベッドから立ち上がることは難しそうだ。こうして目を開けていても頭の中がグルグル回っている。
こういうのってナースコールとかした方が良いのかなとぼんやり考えていたら足音が聞こえてきた。
「結!」
聞き慣れた声がした。
走るでもないギリギリの急ぎ足くらいの足音に続いて、鋼の声が部屋の中へ飛び込んできた。
「あー、鋼ぇ……」
初めて口を開いた俺の声は少し呂律が回らず甘えたような感じになった。
まぁいいや。鋼だし。ちょっと甘えたいし。
なんて、温いこと考えてたら、ベッドのカーテンを開けた瞬間に鋼が号泣した。
「ええええっ」
「結っ! ゆいーーっ!」
「ちょ、ま、おま、待て! 大丈夫! 大丈夫だから!」
ベッドに寝かされてる俺の方が超焦る。
それでもこんなに心配して泣いてくれる恋人が愛おしくて抱きしめたい衝動に駆られるが、俺は今管だらけで身動きが取れない。
「落ち着け! 鋼!」
「で、でも、結……」
「大丈夫、大丈夫だから、死なない! 死なないから」
体は起こせないので、手だけ布団から出して布団にしがみついている鋼のうなじに触れる。
「結……」
目を真っ赤にして鼻水まで垂らして泣いてる恋人を宥める様にゆっくりと撫でる。
「大丈夫、ちょっとしんどいけど、大丈夫……」
繰り返し囁いて、顔を布団にうずめたままの鋼の頭を撫でていると自分も少し落ち着いてきた。
(俺も結構パニクってたんだな……)
ぐずっと鼻をすする音がして、鋼がやっと落ち着き始めた頃、廊下に新たな足音が聞こえてきた。
「気が付かれたんですね」
看護師がさーっとカーテンを開けながら言う。
俺のベッドには身長187センチのスーツ姿の男がしがみついて泣いてるんだけど、そんなのは全く気になりません! という笑顔で看護師は俺のベッド横のナースコールで何事か連絡していた。素晴らしき看護師のスルー力。
そして、すぐに男の医者がやって来て俺のあれこれを見始める。
今日が何時だかわかりますか?
ここが何処だかわかりますか?
どうしてここへ来たか覚えていますか?
あーとかうーとか言いながら医者の質問に答える。
その医者の後ろでは身長187センチのスーツの男がまだ目を真っ赤にして涙ぐんで俺を見ている。
シュールだなぁと思いつつも幸せは隠せない。
こんなに具合悪いのに、幸せなんて思っちゃう自分はおかしいんだろうか?
そんなこんなでさっくりと診察を受けた後、俺は工事現場で搬送中の機材に頭をぶつけ気を失って救急搬送されたこと。傷は酷くはないけれどMRIなどの検査結果が一通り出て判断するのでしばらくは入院になることを告げられた。
「ところで、これは事故ですよね? その関係の方はここにはお見えになってないのですか?」
不意に鋼がそんなことを看護師に言い出した。
気がつけばいつの間に立ち直ったのか、さっきまでずびずび泣いていたとは思えない位ちゃんと男前の顔で。
「はい。先ほどまでこちらにいらしたんですが、警察の方がお見えになってたので席を外されてるんだと思います」
「わかりました。戻られたら私からもお話しさせていただきます」
すっかり仕事モードの顔で鋼は念のためにと言って医師と看護師に名刺を渡す。
こんなずびずび泣いてて可愛い恋人だけど、なんと鋼の仕事は弁護士だ。企業顧問がほとんどだとは聞いてるけど、事故の対応とかもやってるのかな?
「ごめん、手間かけちゃうね」
俺はベッドの脇に立った鋼のスーツの裾をちょんっとつまんで言った。
鋼はすかさずしゃがみ込み、スーツの裾をつまんでいた手を両手で握り、目線を合わせてくれる。
「大丈夫。結の方が大変だし、恋人なんだから甘えて」
鉄壁のスルー力を発揮していた看護師も医師もビタッと一瞬硬直した。
優しく甘いイケメンな囁きは、医師にも看護師にもバッチリ聞かれ、同室のカーテンの向こうに居る患者さんたちにも聞かれ、俺は何とも生ぬるい入院生活を送ることになるのがこの時決定したのだった。
申し訳ございませんでした。
と、その後やってきた工事現場の責任者たちは土下座も辞さぬ勢いで頭を下げられ、なんと親会社の顧問弁護士だという人まで現れて謝り倒してきた。
俺としては結構ぼんやりしてたから事故と言っても申し訳なさの方が先になっていたのだけど、こういう時は組織の人にはきちんと謝ってもらって、もし申し訳ないと思うなら現場の人間に影響が無いようにと言うべきだという鋼のアドバイスに従って、示談を受け入れた。
条件は悩むまでもなく完璧。入院治療費から後の通院まで完璧フォロー、入院中の収入分の保障や怪我をしたときに汚れた服の弁償までまるっと込みで十分問題のない額を提示された。
これってやっぱり最初に鋼がいたからなんだろうな。
俺の恋人として病院ではすっかり認識されている鋼だが、最初に謝罪に来た担当者は鋼の名刺を見るなり顔色を変えて、翌日には顧問弁護士がご登場だった。
俺は鋼に依頼するほどでもないと思ってたんだけど、家族の事だからと色々とやってくれた。
「御礼は退院したらね」
そう言ってにっこり笑った鋼にどんな謝礼を求められるのかはわからないけど、一人暮らしで頼りの実家は自営業、もう貧乏ヒマなし一族にはありがたい事だった。
入院は頭と言う患部を考慮して一週間もかかることになったけど、特に心配なこともなさそうだという話だった。あれほど酷かった眩暈も3日たって随分楽になった。
「結構、俺が悪い気がしてるんだよね」
俺は事故のその瞬間は覚えてないんだけど、ガードマンが止まってくださいと言ったのを聞こえないふりで通ろうとしちゃったのは覚えてる。
「意外と結はドジッ子だよね」
この宇宙人はどこでこういう単語を仕入れてくるのか一回問い質さないといけないけれど、どうせ矢野原あたりだろうから一旦放置。
「ドジなのは否定しないけど、まさかこんな大事になるとは思わなかったからなぁ……あの時のガードマンが俺の事故の所為でクビにとかなってなきゃいいけど」
「それは大丈夫。こちらからの意向としてきちんと先方には伝えてある。示談内容に含んではいないけど、十分考慮してると思うよ」
お人好しなんだから。そう言いたそうなのをぐっと飲み込んで弁護士の鋼は俺の意向を通してくれた。正式なクライアントでもないのに。
あの日、鋼は俺が怪我をしたのを「知った」んだと思う。
誰に連絡するよりも先に俺の病院へ駆けつけてくれた。もちろん俺も連絡する前。連絡するなら鋼しかないけど、鋼は俺の「一大事」に気づいて仕事中なのに飛んできた。
多分、鋼の事だから俺の状態もわかったと思う。鋼の一部を体に融合させている俺の事だから、もしかしたら病院の検査機械より良く知ってるかもしれない。
大したことじゃないのもきっとわかっていただろう。
でも、鋼は俺を見るなり泣き出した。
ベッドにしがみついて泣く鋼からは俺を案ずる気持しか感じなかった。
ことある毎に宇宙人だからと切って捨ててる俺だけど、鋼がこういう人である限り俺はきっと鋼と一緒に居る。
そんなことをしみじみと考えているうちに面会時間終了の時刻がやってきた。
「また、明日帰りに寄るよ。主治医から食事制限はしなくていいって聞いたからお菓子でも差し入れる」
「ありがとう。でも、忙しかったら無理しないで」
そうは言ってもきっと鋼は絶対来るし、俺も来てほしいと思ってる。
そういうのを何となく言葉の外で確かめるように見つめ合うと、鋼はカーテンに手をかけた。
「わっ、すみません」
「!」
鋼が仕切りのカーテンを開けると男が立っていた。
鋼より背の高い、少し汚れた制服のようなものを着ている男は鋼を見るとぺこっと頭を下げた。
「高遠(たかとお)結さんの病室はこちらですか?」
「はい」
何故か鋼が応える。
そしてしばしじっと見つめあう二人。
え? なにこれ?
「高遠は俺ですけど……何か?」
良くわからないけど、固まったままの二人ではどうしようもなさそうなので俺から声をかけた。
「あ、すみません、俺、あの、事故の時警備に居た
そう言うと床に座り込みガバッと頭を下げる。
おー、見事な土下座。……と、見ているわけにはいかない。とりあえず何か言わなきゃと思ったら、すかさず鋼がフォローに入っていた。
「立ってください。高遠さんはそんな風に謝罪を求めているわけではありませんから」
しかも弁護士モードだ。
「でも、あんな事故起こした上に、俺がクビにならないように示談に入れてくれたって聞いて」
長谷川さんは申し訳なくなるくらい深々と頭を下げ続けている。
「いやいやいや、あの件は俺も悪かったと思ってるんで、現場の会社は俺に十分保障してくれてるし、あんたが止まれって言ったのに俺無理やり進んじゃったし、こっちこそ申し訳ない!」
二人でしばらくぺこぺこと謝り合戦になったが、そっと鋼に止められた。
「結、頭あまり動かさないで」
「あ……」
「すみません……」
そして、三人の間に流れる奇妙な沈黙。
「長谷川さん、そろそろ面会時間も終わりだそうなので、日を改めては?」
「すみません、弁護士さん」
長谷川は鋼の事を知っていたようだ。多分、鋼が俺の意向を伝えた時にでもあったのかもしれない。
「俺の方はホント気にしないで。長谷川さん……だっけ? あんたもクビになったりしなくてよかった」
俺は恐縮しまくっている大男に気にしないでと声をかけた。
「また、来ます。すみませんでした!」
何回聞いたかわからないほどのすみませんを言い置いて長谷川はもう一度頭を下げた。
「では、私も帰ります。長谷川さんそこまでご一緒しましょう」
鋼はそういうと長谷川を病室から出るように促す。
『後で来るから』
カーテンが締まる寸前、鋼の声が響いて、あっと思ってみるとしゅるっと透明な触手が鋼の背を追うようにカーテンの向こうに消えた。
(なんだよ、不穏なこと言って……)
今夜の去り際の鋼の台詞。
入院して三日目、最初の日でも面会時間が終わればしぶしぶだけど帰って行った鋼が今日に限って何故また来るなんて言い出したんだろう?
消灯時間が過ぎて、廊下まで灯が暗くなっている。
カーテンには時折巡回にくる看護師のもつライトの明かりがチラリと行き交うが、他の患者たちは眠っているようでひどく静かだ。
もともと寝つきの良い俺は入院してベッドが変わってもぐっすり眠れるタイプだったので、こんな夜の病院はどこか不思議な感じがする。
そして、暗い中を俺に近づいてくる気配を感じている。
鋼が俺の危険や存在を感知できるように、俺も鋼の存在を薄らぼんやりとだが感知できるようになった。鋼の話ではこのまま融合が進んで鋼の組織が俺に馴染めば、俺はもっとはっきりと鋼の存在を感知できるようなるし、同族であれば何となく分かるようにもなるらしい。
どんどん人間離れして行くなぁと思うけど、宇宙人と付き合うにはそのくらいでちょうどいいのかもと思い始めている俺も中々だ。
『結……』
俺の頭の中に直接響くような声が俺の名を呼ぶ。
人の姿が見えないところを見ると、鋼はどうやら外装と呼んでいる人の皮を脱いで本体のままここへ来ているらしい。
「大丈夫なの?」
『うん、この方が安全』
鋼がそう言うならそうなんだと思うが、俺が知る限り鋼が外装を脱いでまで出かけようとしたことはあまりない。そこまでして俺のところに来たのは何なんだろう?
『話ができるところへ移動できる?』
「あ、わかった」
鋼の声は俺に直接響かせているので他の人には聞こえないが、俺の声は聞こえてしまう。
俺はそっとベッドから抜け出し、点滴台を掴むと車いす用のトイレに向った。
あそこならば完全に個室なのでここに居るより話しやすい。
「どうしたの?」
俺は周囲に巡回の看護師がいないのを確認して個室に鍵をかけた。さっき見回りが来たばかりだからそんなにすぐには来ないだろうけど。
『会いたかった』
扉が閉じた途端、全身に淡い青色の透明な触手がぶわりと巻き付いた。
「鋼……」
俺も巻きつかれた触手に頬を摺り寄せ、手で抱き寄せるようにしがみつく。
愛すべき恋人の正体。変幻自在な地球外生物。
緻密な形状を長時間保つのは難しいため、普段はものすごくよくできた人の皮をかぶっているけれど、それを脱いでしまえばこんな触手の集合体であることが多い。
透明でまるでゼリーのようだが、その手触りはつるつるしているだけで触れても濡れたりはしない。ただ心地よい温かみと弾力が俺の身体を弄るように拘束してくる。
そのまま、俺は鋼に体の全てをゆだねた。
「エッチするためだけに来たんじゃないよね?」
まだぽうっと熱い頬を持て余しながら俺を抱きかかえている鋼に聞いた。
事後、鋼はまめまめしく世話を焼き、パジャマの乱れは直され、濡れて汚れていた下半身は拭き清められている。殆ど鋼が飲んじゃった上に舐めちゃったんだろうけど。
『心配になって……』
「心配?」
『結は、もう俺たちと人間の区別がつくようになった?』
「まだちょっと無理かな。鋼ならなんとなくわかる。近くに居るなとかそのくらいなら。今日、矢野原が見舞いに来たにもエレベーター降りたくらいでわかったけど……ここにはほかに居ないのかもしれないけどそのくらい」
『そうか』
「何? 此処の病院他に誰かいるの?」
数はすごく少ないと聞いたけど、鋼の同族がいてもおかしくはない。ただ、人間の病院で大丈夫なのかな?
『同族は同族の病院があるからそっちへ行くよ。ただ、今日来たあの警備員の長谷川が気になる』
「え?」
長谷川ってあのガードマン?
『彼からは微かな気配があるんだ。同族ではないけれど、多分結と同じような』
それは彼が近しいものであるってことか。
『だから、多分同族の誰かが側に居るんだと思うんだけど、ちょっと覚えのない匂いなんだよなぁ……この国に居るのは大概わかるんだけど』
予想より広い範囲で確認できてるんだな。もっともそのくらい数が少ないともいうことなんだろう。
『それに匂いが薄いんだ。そんなに融合が進んでいない感じがした』
「ふぅん……」
確かに事故に会った俺の関係者に見知らぬ同族がらみの人がいるってのは、数が少ないと思われる鋼たちにしてみれば奇妙な符号なんだろう。
「何か、ヤバい事ありそうなの?」
『わからない。でも、気を付けておいて。彼、明日また見舞いに来るって言ってたから』
「わかった。気を付ける」
恋人の言うことは素直に聞くいい子ってわけじゃないが、彼らの事はわからな過ぎる。こう見えても俺だって鋼に完全に生殺与奪を握られてるわけだし。
甘い行為のピロートークには少し物騒な話だったけど、鋼は鋼で心配してくれてるのが良くわかるし、俺も退院まで我慢だと思ってたいちゃいちゃが出来てうれしかった。
(見舞いに来た時じゃこんなことできないもんな)
そんな気持ちに浮かれてしまった俺は、この時心配されたことをそこまで真剣に受け止めてはいなかったのかもしれない。
鋼にそっとベッドまで運ばれ、再びカーテンの向こうへ消える鋼を見送った時には、すでに長谷川のことは頭になく、次に鋼に会える時のことを考えてばかりの色ボケ状態だったのだから。
―― 続
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