第8話 触手な友人 その弐
「鋼を呼び出したんじゃなかったのかよ?」
ドアは開けたが、矢野原を部屋の中に入れるつもりはなく、俺は玄関で半ばドアを半分塞ぐような格好で矢野原に言った。
「うん。彼には別の事をお願いしたよ」
矢野原はいつものニコニコ顔。綺麗だけどぺったんこで表情の裏は読み取れない。
こいつの顔こそ作り物みたいだと改めて感じる。
「実は、結にもお願いしたいことがあって」
「……何?」
「僕の友達と一緒に来てもらってもいいかな?」
「え?」
矢野原にばかり気を取られていて、他にも人がいたのに気が付かなかった。
入口に凭れかかっていた俺はドアの影から現れた人影に腕を引かれつんのめる。
「ちょっ、何っ!」
「ごめんね」
そして姿勢を崩して油断したところに口を何かで塞がれた。
甘いけどどこかツンとする不快な匂い。
ヤバいと思った時には身体から力が抜けて、目の前が暗くなった。
次に気が付いたときは別の部屋に寝かされていた。
自分の部屋より高い天井、内装はオフホワイトと茶に統一され清潔的だ。シンプルさに一瞬病院かと思ったが寝かされているベッドの豪華さを考えるとどこかのホテルかもしれない。
ベッドから起き上がると広い窓から綺麗な夜景が見える。
やっぱりどこかのホテルのようだ。しかも夜景を見る限り高層階の部屋でそこそこいいホテル。
起き上がってベッドに座るが、状況が上手く飲み込めない。
衣服に乱れはない。部屋に居たままの綿シャツにチノパン。しかも、鋼に緩められたままだったので胸元が第3ボタンまで開いたまま。
体もどこも痛くない。薬を嗅がされて連れてこられたと思うんだが、その不快感はもう全く残っていない。
(矢野原だよなぁ……)
すべての元凶とこんなことをしでかしてくれたのは矢野原に間違いない。
しかも奴に仲間がいるなんて聞いてない。
ひどく面倒なことになった気がして、何とか鋼と連絡が取りたかったけど、部屋からそのまま連れ出されたためにスマホも財布も持ってない。
(部屋のドアが開けばいいんだけど)
建てつけの良さそうなホテルの部屋のドアが簡単に破れるものだろうか?
そんなことを考えながらドアを見ていると、控えめなノックと共に扉が開いた。
入ってきたのは大学生くらいの女の子だった。
「失礼しまーす! 着替えを持ってきました」
予想外の展開に俺が言葉を詰まらせていると、女の子は手にしていた紙袋から服らしきものを取り出しベッドの足元にあるカウチソファの上に並べて行く。
しかしやたらと枚数と言うかパーツが多く、しかも何だかあんまり着たくないような派手な色のものが並べられた。
「多分そんなに難しい着付けがいるものはないと思うんですけど、お手伝いしますか?」
「え?」
つか、着替えるの決定なの?
何で俺ホテルに拉致られて着替えなきゃならないの?
一体なに! これ! どういう状況?
頭の中には一瞬で膨大なクエスチョンマークが発生しパニック寸前だったが、何とかヒスるのを堪えて言った。
「え、と、これ着なきゃダメなの?」
やっと俺の口から出たのはそんな言葉だった。
まあ、悪いのは矢野原でこの女の子なんだかよくわからないし。
「そのままでも素敵ですけど、是非来てほしいです! 私服ってのもすごく魅力的なんですけど、制服もどうしても捨てがたくて。あ、制服は一応冬服なんですけどシャツは半袖の夏版なんでジャケット着る時は付け袖をしてから着てくださいね。それから、ソックスガーターとかつけ方わかります? エンブレムがある方が右足の外側にくるようにお願いします。あ! あと、着替え終わったらメイクしますので呼んでくださいね」
胸の前で手を握って力説する女の子に押し負けて俺は思わず肯いてしまった。
肯いた俺に満足したのか、女の子はニコニコしたまま部屋を出て行って……何故かドアが閉まった途端にきゃーーーっ! という悲鳴を上げていた。
「ワケ分からん……」
俺はカウチに並べられた得体の知れない服を見て再び呆然とするしか術はなかった。
「最高です! 尊い……」
「はぁ……」
三十分後。
俺は更に途方に暮れていた。
どうみても成人男性が着る服とは思えないというか男子学生でも着ねぇだろ! と言う様な鮮やかなブルーに白のコンビの制服一式(しかもハーフパンツで足にはソックスガーターと黒ソックス)を着せられ、女の子5人に散々メイクをされた挙句に全員が胸の前で拳を握り締めうっとりとされながら取り囲まれるという珍妙な体験をしている。
「コスプレ……」
いや、さすがにわかったよ。そういう趣味はないけどSNSとかで見るから知ってるよ。これはコスプレって奴だよな。なんてキャラか知らないけど、間違いなく3次元の存在ではないような特殊なデザインの服はそれに間違いないと思う。
そして俺を取り囲む女の子たちが呪文のように繰り返す名前は明らかに俺のモノじゃなかった。
「すごい。もう最高です。今、矢野原さんが向こうで準備してるんで揃ったら撮影しましょうね」
「え?」
矢野原が準備?
もう嫌な予感しかしない。
この情報社会、趣味が違っても情報は雑多に溢れて気が付かないうちに擦り込まれている。知りたくないし、知りたくなかったこの先が、その余計な情報の所為でありありと目に浮かぶ。
しかし、矢野原が何故こんなことをするのかがどうしてもわからない。
たかがコスプレ撮影のために、鋼に嘘までついて俺を連れ出したりするか?
「やぁ、良くできてるね」
ドアから入ってきた矢野原が機嫌よく入ってきた。
もちろん(?)俺と揃いの制服で、ご丁寧に淡いブルーのウィッグまでかぶって。
しかしまあ美形だと思ってたけど、こうしてメイクまでされてるだろう奴はすこぶる半端なく美形だった。
見れば瞳の色まで違う。ロシアの妖精系美人はすっかり異次元の王子様になっていた。
「矢野原……」
「はい?」
「何のつもりだよ?」
俺は座らされていたカウチの隣に座り込んだ矢野原に小声で問いかけた。
「何って、コスプレ撮影会だけど?」
「そんなことの為に鋼に嘘ついて呼び出したのかよ」
「鋼に言えば反対するからね」
そりゃそうだけど……でも、たったこれだけのことでそれまでするか?
鋼が矢野原を呼んだときは腹の真ん中を太い枝が貫いてるような時だったのに。
「とりあえず立ちポーズから始めましょうか!」
不意に明るい声が思考を遮断する。
見ればいつの間に取り出したのか女の子たちはカメラを構え、レフ版や簡易的なライトまで出ている。
「そうだね。……じゃあ、結くんは僕の隣で合わせてポーズとってよ」
矢野原は愛想よく女の子たちに笑いかけて、俺を急かすように立たせた。
「つか、なんでお前の言いなりにならなきゃならないんだよ!」
「言う事聞いといた方が良いよ?」
「な、なんだよ……」
矢野原は女の子たちに見えないように俺の方を向くと唇の端をあげてニヤッと悪い笑みを浮かべる。
「上書きができるって知ってた?」
「は?」
「僕が無理やりキミの情報を上書きしちゃえるってこと」
何をとは言わない。
でもそれは知ってる者にはすぐわかる。
要は俺が鋼を受け入れて、俺が鋼に近しい物に変わったのを矢野原の情報で書きかえるという事。
「そう何度もは書き換えられないから、俺で書き換えたら鋼には戻れないよ」
「っ!」
端正な顔に変わりはないのに、何故かぞわりと背筋を悪寒が走る。
こいつに近い物に書き換えられるなんて絶対に嫌だ。
「写真だけだからさ、非現実を楽しんだ方が良いんじゃない?」
非現実。
宇宙人と付き合ってるだけでも十分非現実的なのにこんなおまけまで要らない。
しかし、半ば脅迫に屈する形で、俺はしぶしぶカメラに向かった。
「次は絡みでお願いしますっ」
一頻り二人でポーズをとらされて散々写真を撮られて、もうそろそろ逃げたいと思い始めたところにとどめの一発が来た。
「はぃ?」
「えーっと、そっちのベッドに移動してもらって、二人並んで腰かけてもらうところから良いですか?」
最初に俺に服を持ってきた女の子がリーダーらしく、ぱっぱと他の女の子たちに指示を出してはライトのセッティングやレフ板の移動させている。
手には一眼レフのデジタルカメラ。レンズもごつくてカメラを知らない俺でも相当高そうなプロ機材だってのはわかった。
(マジこれ何なんだよ……趣味の会にしちゃゴツくないか?)
他の女の子たちもセッティングの合間や手が空くとすかさずカメラやスマホを取り出して写真を撮っていた。
矢野原は何も言わずそんな彼女たちの指示に従い、素直に愛想を振りまいているように……見える。時にはスマホを構えられるとにこっと笑ってサービスするほどだ。
(よくわからん)
俺の知る矢野原と言うキャラとは随分違う気がする。
調子よく、掴みどころがなく、美形で、怖くて、愛想がよくて……。
ますます矢野原と言う宇宙人が良くわからなくなった。
とか、思ってたけど、ちょっと待て! 数行前で彼女はなんて言った?
「絡み?」
「別に本番じゃないし良いよね?」
矢野原は俺の背中にぺったりと張り付いて逃がすまいと肩を掴みながら言った。
「ちょい待て! 本番ってなんだよ」
「本番は本番。有体に言うならセックス」
「するかバカ!」
「僕もいやだよ」
しかし、矢野原は上に着ていたジャケットを脱ぐとタイを緩める。
「まぁ、キスぐらいはするけどね」
「キっ……」
ふざけんな! そう思って立ち上がろうとしたが、全身が一瞬で硬直する。全く動かない。
(矢野原ぁ……)
矢野原をギリッと睨みつけるが奴は涼しい顔のままこちらを見ている。
この硬直はものすごく細い触手が服の下に入り込んで俺を拘束しているせいだろう。前に矢野原に掴まれたときは黒い紐のような触手だったが、当然彼の意志で不可視な物にもできる。どこから入り込んでるのか考えたくもないが、服の隙間から入り込んで俺をギチギチに拘束している。
「流れは矢野原君にお任せするんで、リードしてあげてください」
「了解」
女の子の声ににこやかに返答すると、矢野原は俺の肩から手を離して命じた。
「ベッドに座って」
俺は命令を聞く気なんか微塵もないが、身体に巻きついている触手に引きずられるように俺はベッドへと座る。
「やの、はら……」
自由の利かない身体で必死に抵抗しようとするが指先までぎっちり拘束されていて、視線を動かすことしかできない。
「そんなに緊張しないで、怖くないから」
なんだか空々しい台詞みたいなことを言いながら、矢野原が隣に座り、俺の頬に触れながら顔を寄せてくる。
そして、唇が触れそうなほど近づいた時に甘い香りに気づいた。
俺が拉致られた時に嗅がされたのと同じ匂い。
ヤバい! と思った時にはすでに遅く、俺はゆっくりと視界が暗くなってゆくのを感じていた。
―― 続
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