第9話 触手な友人 その参

 薄く、暗く、視界が霞み、再び覚えのある感覚に落ちそうになった時、不意に頭の中に声が響いた。

『結!』

 好きな人が自分を呼ぶ声。

「あ……」

 俺はその声に口から発する声で返そうとして思いとどまった。

 これは鋼が何処かから俺に伝えている声だ。叫んでも届かないような遠くかもしれない。

『鋼!』

 頭の中で強くその名を念じる。

 鋼! 鋼! はがね! はがね!

 その間にも矢野原の手は俺の頬を包み込むようにしてもう唇が触れあう寸前まで来ている。

 カシャシャシャッというシャッター音がやたら大きく聞こえて、それが矢鱈と気に障る。

「はが…ね……」

 絞り出すように掠れた声がこぼれた瞬間。

 今まで自信満々だった矢野原の笑顔が消えた。

「……ちぇっ、時間切れ」

 軽く舌打ちして、俺から離れる。

 俺は何が起こったかわからないまま、どさっとそのままベッドに倒れ込んだ。

 ベッドに倒れ込むとほぼ同時にホテルのドアが激しくノックされる。

 いやもうノックと言うより叩き壊さんばかりの勢いだ。

「ドア開けてあげて。ほっとくと壊れちゃうから」

 矢野原はドア近くに居た女の子にそういうと、彼女たちに気づかれないように俺の拘束も解いた。

「結っ!」

「鋼っ!」

 互いの名を叫んだのはほぼ同時だった。

 そして、扉から飛び込んできた鋼がわき目もふらずに俺に駆け寄り、俺は腕を伸ばす鋼の胸に飛び込んだ。

 その瞬間!

「「「きゃーーーーーーーーっ!!!!」」」

 複数の黄色い悲鳴が上がり、鳴り止まないシャッター音とフラッシュがそれに重なる。

 は? なにこれ?

 俺も鋼も状況が理解できず、何となく抱き合ったまま、フラッシュを浴びせられるままに呆然とする。

 そんな俺たちを見て矢野原はにっこりと笑うと言った。

「ご協力ありがとう」

 なんなんだよこれ。


 そして、俺と鋼は並んでカウチに座らされ、その周りを再び女の子たちに囲まれた。

 あー、なんかわかっちゃった。そして俺こういう連中知ってるわ。

 たまにゲイバーなんかに迷い込んでも来るんだけど、SNSでもよく見たことあるよ。腐女子だっけ? 俺には縁のない世界だと思って気にしたこともなかったけど。

 しかし、どうやらこう言ったことに免疫のなかったらしい鋼はまだ俺の隣で呆然としてる。

 俺は彼を落ち着かせるようにそっと膝に手を置いた。

 その瞬間、またもや周囲がざわっとする。

 あ、これもツボですか? メンドクサイなぁ。

「矢野原、説明してくれ」

 俺が手を置いたからではないだろうが、何とか自分を取り戻した鋼が少し怒ったような声で言った。

 そんな説明なんか求めても幸せには慣れないから早く帰ろうよと提案したかったが、鋼は納得しなそうな気がしたので俺は黙っていることにした。

「結くんと俺でコスプレ撮影会してた」

 矢野原はすぱっと簡潔に説明したが、多分、鋼が知りたいのはそういう事じゃない。

 鋼の方をちらっと見ると眉間に皺を寄せている。そうだよね。これで納得はできないよね。

「俺を騙して結から引き離してまですることか?」

「……だってこうでもしなきゃ結くんを貸してくれないじゃないか」

「結は物じゃない」

 こうして鋼と矢野原が言い争っている間も、周囲のざわめきは止まらない。

 一番の被害者は俺だと思うが、俺の代わりに鋼が怒ってくれているのですっかり毒気は抜かれてしまった。第一、拉致られた先で行われていたのは腐女子のコスプレ撮影会で、命に危険があるわけでもない。

 ゲイを自覚してからそういうのもあるんだな程度には知っていたので、今更何のショックを受けるでもない。

 ただ、心配してくれた鋼の気持ちは嬉しいし、俺を脅した矢野原には腹が立つので鋼の好きなようにしてもらって、どこかで上手く落ち着けたらさっさと帰りたいというのが本心だ。

 しかし、鋼はのらりくらりと躱されるうちにますます激昂し、矢野原の胸ぐらをつかむと立ち上がろうとした。

 立ちあがる鋼の背を見ると僅かに膨らんでいる。

 拙い。鋼の奴、触手が。

 俺は慌てて立ち上がり背にかぶさるようにして鋼を止める。

「鋼! 落ち着け!」

「大丈夫だよ、結くん。みんなわかってるから」

 鋼の代わりに矢野原がニヤッと笑った。

「何を……」

「ここにいる全員。僕の」

 僕の――その後は続かなかったが、それがどういう意味かはすぐに分かった。

「えっ!」

 そして驚いたのは俺だけ。

 慌てて周囲を見ると女の子たちはにっこりと笑うだけ。

「全員? ……マジか」

 ここにいる5人の女の子たちは矢野原を受け入れて近しい存在になっているという事。

 そりゃ変化させられるのは1人に限った事じゃないのはわかっていたけど、鋼と矢野原の間にある「変える」ことへの価値観の違いに驚いた。

「鋼もわかってたの?」

「……会うのは初めてだけど、判る」

 鋼はなんだか気の乗らない様だ。知ってるけど認めてない。そんな感じ。

 まぁ、そうだよな。鋼は俺を変える時にすごく慎重だった。彼は俺が受け入れるのが嫌なら自分が死んでもいいとまで言ってくれたんだ。

 だから俺は彼らを受け入れるってことは重大なことだと思ってたし、鋼に望まれたことは俺にとって大事なことだった。

「つか、5人もって……」

「彼女たちだけじゃない。他にもいるから機会があったら紹介するよ」

 矢野原はさらりとすごいことを言う。

 え? なにその矢野原ハーレム。宇宙人って一夫多妻アリなのか?

 そりゃ法に基づいて結婚するような関係じゃないし、可能なんだろうけど、でも……。

「俺は俺を認めてくれる人を大事にしたいんだよね」

 矢野原は彼女たちの方を見やる。

 その顔には正しく愛しいという気持ちがこもっているのがわかる様な温かいまなざしだ。

 ちょっと意外だった。矢野原がこんな風に誰かを大切に思ってるなんて。人数は多すぎだけど。

「彼女たちは俺を理解してくれて、俺のことを美しいと言ってくれて、常に俺を大事にしてくれる」

 あ、前言撤回。やっぱり好きなのは自分かよ。

「彼女たちにどうしてもって言われたら断れないよね」

 そしていつものロシアの妖精風美人スマイル。

「それで、コスプレBL写真ってわけか……」

「次の本の参考資料に欲しくて!」

 俺のボヤキに女の子が被せてくるが、俺はもうこれ以上それに関わるつもりはなかった。

「帰ろう、鋼」

 俺は鋼の背中にぺったりと頬をつけて言った。

 再びきゃーーっと悲鳴が上がるが、俺はすっぱり無視して鋼の手を握った。


 本が出来たらお送りしますね!

 胸の前で手を握り締め、目を輝かせてそう言われたが俺は丁重にお断りした。

 俺と鋼はあれからすぐに服を着替えてホテルを出た。

 ホテルの地下駐車場に停めてあった鋼の車に乗り込むと、なんだかどっと疲れが出た気がする。

 運転席に座る鋼が、助手席に座った俺に軽くキスしてきた。

 頬に触れてる手が少し震えてて、まだ気持ちが昂ぶってるんだとわかる。

 俺はその手をぎゅっと握ってから、少し離れた鋼にキスを返す。 

「心配かけてごめんな」

「結の所為じゃない」

「でも、心配かけた」

 鋼が矢野原にどこに呼び出されたのか知らないが、車で来ているってことは相当移動させられたのかもしれない。

「結は大丈夫か?」

「うん。まさか拉致られるとは思わなかったけど」

「あいつも……まったく」

 鋼は苦々しく吐き出すとそのまま口をつぐんだ。

 そして会話は途切れ、少し重い空気が車内に流れる。

 でも、ハンドルを握った手とは別に、しゅるんと触手が俺の方へと延びて来て俺の腰に巻き付いた。

 時間はもう午前3時を過ぎていて、本当なら俺の部屋のベッドで二人でのんびり眠りに落ちている頃だったのに。

「あんなハーレムみたいにできるんだなぁ」

「俺は、ああ言うのは嫌いだ」

 いつになく鋼にしては珍しいきつい口調。

 俺一人の為にあれだけ苦しんだ鋼なら当然の反応か。

「つか、あんなに自分はあんなに沢山侍らせて情報漏洩してんのに、鋼と俺であんなに脅すことないじゃんな! なんか理不尽だよ」

 俺は軽口のつもりで言ったのだが、それを聞いた鋼は更に表情を険しくした。

「俺には出来ない……」

 鋼はハンドルを握って前を向いたまま、その先に居る何かを睨むように眉を顰めた。

「俺だって、ハーレムの一人とか嫌だよ」

「……そうじゃない」

「え?」

「俺を受け入れてもらうってことは俺と近づくってのは言ったよな」

「聞いた」

「俺の身体は一部が離れてもある程度俺の自由になる。結が矢野原に連れて行かれてもどこに居るかわかったのは、結の中に俺の一部があるからだ」

 俺は鋼を受け入れると決めた時に、鋼の一部を飲まされた。

 多分それだけじゃない。

 鋼と抱き合う様になって、鋼を体の中に受け入れている。彼の身体から分泌する物を沢山受け入れている。その時に少しずつ俺の身体は鋼に近い物に変わって行ってるのだろう。

「一部は結の組織と融合するけど、俺の意思が通じる部分が体の中に留まり続ける」

「うん」

「それを人間の身体に不利益をもたらす存在に変化させることもできるんだ」

「え!? それって……」

「今、結の中にある俺の一部を猛毒に変えて結の……身体を壊すこともできる……」

 躊躇いながら殺すという単語を使わなかった鋼。俺の身体に巻きつく触手がほんの少し力を弱め震えている。

 こんなことを聞かされても俺は震える触手を感じながら、身体は正直ってのは宇宙人にも言えるんだなとか呑気なことを思っていた。

 もちろん不安にはならない。

 得体の知れないものが体の中に居て、それが命を脅かすかもと思ってもそれが鋼だとわかっているから。

「鋼は俺を殺したりしないだろ?」

「絶対にしない」

「じゃ、いいよ」

 俺は腰に巻きつく触手をつかんで引き寄せ、それ頬を摺り寄せながら助手席のシートに深く体を沈めた。

「俺は鋼を信じてるから」

「ありがとう」

 鋼の声は少し震えていた。

 俺は静かに目を閉じて、仄かにあたたかい触手の感触を頬に楽しんだ。

 淀んだ沈黙は消え去り、同じ沈黙でも暖かなものが車内に流れた。

 ただ、俺はあえて鋼が言葉にしなかった険しい表情の意味を心の奥で考えていた。

 矢野原はハーレムのように何人もの女の子に自分を与えている。

 鋼は決して安易に与えるものではないと思っている。

 俺は鋼と共に生きる覚悟があるから彼を受け入れた。

 彼女たちにそれがあるのだろうか?

 矢野原はその重みを彼女たちに説明しているのだろうか?

 鋼と俺が近づいた時に必死に俺を遠ざけようとした矢野原。

 矢野原は俺が拒否すれば鋼が死ぬ覚悟であることを知っていたようだった。

 鋼と矢野原の価値観の違いを親しい矢野原はわかっていたから俺を遠ざけようとした。

 つらつらと事実だけを頭の中で箇条書きにして行くと、ぼんやりとその後ろのものが見えてくる気がする。

「矢野原の恋人たちに会ったのはこれが初めてじゃないんだ」

「え? まだ他にもいるのか?」

 まるで頭の中を読まれたかのような鋼の言葉。

 鋼は再び難しい顔をしている。

「……顔も覚えてないけどね」

 それは顔を覚えるほど何度も会ったことが無いという事?

 鋼はそのまま再び黙り込んだ。

 俺はもうそれ以上考えるのはやめることにした。

 俺が無事なのがわかっても鋼があんなに怒っていた理由が少しわかった気がした。



―― 続

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