第6話 触手な彼氏と俺の初めて

「大丈夫?」

 鋼はそっと俺の肩を抱き、頬を寄せながら気遣う。

「大丈夫……」

 触れ合う頬が熱くて、耳元で囁かれる声が甘くて、鋼に抱きしめられているだけで心から蕩けそうになってくる。

 俺はゲイで、男と寝るのも初めてじゃない。

 ちょっとダメなやつに引っ掛かった時期もあって、SMまがいなプレイを強要されたこともあったが、そこに愛があれば乗り切れた。

 どちらかと言うとセックスに関しては奔放な方だと思うし、イチャイチャするのは大好きだ。

 だから、思い通わせれば、より深く結びつきたいというか……そのエッチしてよりラブラブになりたいというのは当然だと思ってるんだけど……。

「結?」

 ぶるぶると震え始めた俺を鋼が心配そうに見つめる。

 微かに寄せられた眉は欲情に突き動かされながらも俺を思って耐えている作り物とは思えないような繊細な表情を見せている。

 ああ、鋼も俺を欲しがっているんだと心からわかるその表情。

 でも……。

「ちょっと待って! なにそれっ!」

 俺は耐えきれずに鋼を突き飛ばしてベッドから飛び降りた。

「え? え?」

「けど、無理! それは無理!」

 俺は部屋の電気をつけて完全に拒否した。

 きょとんと訳が分からず俺を見ている鋼の後ろには人の腕程の触手が何本も伸びている。その触手の先端は俺の様子を窺うかのように心配げに揺らいでいた。

 その触手は地球外生命だという鋼の本体で、それ込み丸っと俺は鋼を受け入れたいと思ってるんだけど……けど……

「どこのエロ漫画なんだよ! お前はっ!」

 室内等の明かりに照らしだされたその触手は完全に18歳未満禁止なアレ――無数のエロゲ風触手が俺にまとわりつこうとしている状態だった。

「え? どうして?」

 俺に拒否られて泣きそうな顔の鋼を見て、俺も一瞬言い過ぎたかとぐっと言葉を飲み込んだが、かといってこのエロゲ風触手を受け入れられるかどうかは別だ。

「とりあえず、そいつを全部しまえ!」

 俺はそういうとベッドの下に脱ぎ捨てられていたシャツを鋼に向かって放り投げた。


 俺の出来たばかりの恋人は地球外生命体だ。

 正体は変幻自在な触手の集まりで、普段は文字通り人間の皮をかぶって生活している。

 もちろん俺はそのことについては了承済みだ。

 人間の皮を被った鋼の顔は好みのタイプだったんだが、それ以上に鋼という存在に魅かれた。鋼が人間じゃないとわかっても、それでもいいと思うくらいには。

 付き合い始めると、鋼と一緒に居るのはものすごく心地よかった。価値観が良く似ている鋼との会話は楽しいし、少し甘えたな俺には甘やかしたい鋼のスキンシップにも満たされている。二人の間に流れる沈黙の心地よさにこのまま穏やかに寄り添ったまま時間が過ぎていくのを感じていたいと思う。

 触手が本体と言うこともそんなに高いハードルではなくて、普段のスキンシップに鋼は触手をフル活用してくる。

 人間の手で肩を抱き寄せたまま、触手で腰もそっと引き寄せられ、足に絡んだ触手は柔らかくほぐすように波打っているのが気持ちいい。

 その触手は人間の肌のような生々しさはなく、柔らかなトカゲの腹のような薄青い皮膚を持っていたり、水のように透き通った冷ややかな肌触りの物だったりした。それは本当に触れていていても気持ちよく、よく俺は手を握るように触手の先を握ってもきゅもきゅとしていた。

 またそんな俺を見ている鋼が優しくて……俺は幸せいっぱいな恋をしてると思う。

 けど!

 でも!

 これはちょっと話が違う。

「だって、セックスするのに必要だよね?」

 ずるりという擬音のままに鋼の着ているシャツの裾から3本の触手が彼の座るベッドの上に垂れ下がっている。

 いつもの透明バージョンやトカゲのお腹バージョンではなく、色濃く使い込んだ感があるのも腹立たしいエロゲバージョンだ。

 太さはほぼ人間の物と同じくらいだが、長さは2メートル以上ある。

「もっと長くなるし、太くもできるよ」

「そういう問題じゃない!」

 俺は座っている俺の膝をバンバン叩いて言った。

「硬さ?」

「違う!」

「本数?」

「バカなの!?」

 話の通じなさにコイツ宇宙人なんじゃないかと思うけど、そうだ宇宙人だった。

 俺は一つ深呼吸して、荒ぶる気持ちを落ち着けると、諭すように静かに語りかけた。

「第一、そんなのいっぱいあったって入れるところないだろ」

「えっ!?」

「えっ? って、まさかそれ全部突っ込むつもりだったのか!?」

「いや、えっと、その入れるだけじゃなくて、俺は結の事いっぱい気持ちよくさせたくて」

 言ってることは正しい。それは俺もうれしい。

「結は触手が出ていても嫌がらないけど、やっぱり無防備な姿になったら異質な物って思うかもしれないと思って……」

 俺を慮ってくれるのもうれしい。

「それに前にセックスの時の触手ってこういうものだって聞いたから……」

「誰にっ!?」

 爆弾発言。何と言う爆弾発言。

 何だよ! どういうことだよ!

 そりゃお互い童貞同士とは思ってなかったけどさ、触手見せてまでやった事ある奴がいるってこと!? その上、なんでそんなエロゲー触手プレイ仕込まれてんだよ!?

 でも、憤る気持ちと同時に、ざばっと冷水をかけられたように萎びる気持ちもあった。

 お互いが初めて同士じゃないのはわかってた。

 でも、心のどこかで触手まで見せて正体明かしてくれたのは俺が初めてじゃないのかなって思ってた。それくらい鋼にとって俺が特別だったらいいなって思ってたんだ。

 俺だって初めてじゃないし、何の特別もあげられないけど。

 こんな乙女なこと考えて、自分で勝手に傷ついてる。

「……結」

 鋼は急に黙り込んだ俺を心配そうに見ている。

 鋼が俺をすごく大事に思ってくれて、好きだって思ってくれて、お互い最悪な状況だったのにそれでも俺のところに来て必死に謝ってた鋼の気持ちはすごくわかるんだ。

「俺以外にも鋼を受け入れた人はいるの?」

 そうだよね、考えてみたら俺は鋼に合わせて近しいものに変わるけど、鋼は何人でも自分に近しいものに変えられるわけで……。

 俺がしたように鋼の一部を飲み込みさえすれば、誰でも鋼の特別になれるんだ。

 その現実が過去に恋人がいることよりなにより堪えた。

「結だけだよ」

 鋼は触手ではなく両腕で俺を抱きしめながら言った。

「俺の正体を知ってるのも、俺を受け入れてくれたのも結だけだ」

「じゃあ、なんでそんな変なプレイ仕込まれてんだよ! 触手でエッチしてるから、そんなこと聞かされてんだろ!」

 もう恥も外聞もなく涙目でぶつけた。

 言葉にしたら肝心の事は何も言えてなくて、ただのエロプレイに嫉妬してるみたいなっちゃったけど、それでも鋼は俺が言いたいことがわかったみたいだった。

「本当だ。俺は結にしか自分を与えてないし、正体も話してない。確かに俺も過去に付き合った人はいる。でも、最初から正体を話すことはできないから、いつか話そうと思って隠して付き合っているうちにいつも終わってしまった……」

「……」

「正体を明かしてまで、どうしても信じてもらいたいと思ったのは結だけだよ」

 腕で抱きしめられてる上から幾重にもゆるく触手が回り込んでくる。薄青い柔らかな触手が、ゆっくりと俺を怖がらせ無いようにと気遣いながら、それでも逃がすまい離すまいと抱きしめるように。

「結は最初から違ってた。正直に言うと、木の上に居る時に結に見つかった時は面倒なことになったなって思ったんだ。外皮は破けて着て逃げられないし、かといってあそこに皮だけを残して逃げたら大騒ぎになる。あの外皮からは人間のDNAも検出できるからね。迂闊に残せば事件になってしまうから」

「俺が声をかけなければ、矢野原が迎えに来て事なきを得るはずだったんだね」

 俺がしたことは余計なことだったんだ。

 それは矢野原にもさんざん言われた。俺が助けようと思わなければ、あのまま鋼は矢野原に安全に助けられたし、矢野原も俺を危惧して追いかける必要もなかった。

「うん。でも、結は俺を心配して裸足で怪我しながら助けようとしてくれた。最後に手を滑らせた時も、ずっと俺を見てた……」

 触手の先が頭を撫でている。まるで指先で揉むように柔らかく触れられている。

「俺たちはこうやって接触することで相手が考えてることが読めるんだ。木の上で結の頬に触れた時、結は俺のことしか考えてなかった」

「あんな腹のど真ん中に枝が刺さってたら誰だって心配するよ」

「あの道を通った人は何人もいたけど、木に登ってまで来てくれたのは結だけだった」

「そんなにいい匂いだった?」

 いつだったか匂いに一目ぼれしたと言われたことがある。

 触手ばっかりの鋼たちだが人間と同じ五感がある。むしろそれは人間より遥かに発達しているのだけど、特に嗅覚に重きを置いているところがあって、個体の識別のほとんどを嗅覚に頼っているところがある。

「今まで出会ったことが無いくらいいい匂いだった」

 それは彼らの最上級の求愛。

 人間的にはかなりレベルの高い美形を誇る矢野原すら決定打は匂いだと言っていた。

「俺を受け入れてくれて、俺のものになった結はもっといい匂いがする。離れているのが辛いくらい……」

「んっ……」

 するっと触手がシャツの中に忍び込んできた。

 すべすべした肌触りの触手が、鋼に抱きしめられて少し汗ばんだ肌を探るように撫でる。

「好きだよ、結」

 鋼は言葉も惜しまない。

 接触で意思疎通が可能な彼が、俺は人間だからとあえて言葉を多く使う。

 俺はその言葉を返す代わりにギュッと強く鋼を抱きかえした。

 抱いた腕の中で感じるのは人間のようにしっかりと身の詰まった身体ではなく、無数に蠢く触手。形無い物を束ねて抱きしめる不安定さはあるが、それ以上に鋼から延びる触手が俺に絡まりついてくる。

 溶け合うことができるなら、そのまま溶け合ってしまいそうなくらい密な接触。

『かわいい……』

 すっかり人の姿を失った鋼の声が頭の中に直接響くように聞こえる。

 人間のように饒舌な言葉が無くても十分に伝わる意味が込められていて、その先の予感に肌を震わせた。

 その瞬間に俺の中に膨れ上がったのは罪悪感にも似た悲しい気持ち。

 たったそれだけの仕草で先を想像してしまう慣れた身体と頭がものすごく悲しくなった。

 俺だけだという証に初めてを強請ったのに、俺は……。

 快感に濡れていた目から涙がこぼれ落ちる。

 生理的な涙にも見えるだろうそれの細かな違いに鋼はすぐに気が付いた。

 もしかしたら頭の中を読まれてたのかもしれない。

 快感はずっと続いているのに急に冷めたのを感じ取ったのか、鋼は俺の身体を拘束していた触手を少し緩めた。

 仰け反っていた身体が戻され、触手に抱きかかえられるように座る姿勢になると再び声が響く。

『結の初めてをもらってもいい?』

「えっ?」

 口の中からも触手は引き抜かれ、今は涙がぽろぽろ零れるばかりの頬を宥めるように撫でている。

「初めてって……」

 目尻を拭われて、もう泣くなと言われたように感じる。

『大丈夫。俺は人間じゃないから、今までの恋人よりもっとうんと愛してあげるよ』

 そういうと鋼はもう一度唇に触手を這わせて、キスするように開くことを強請る。

 俺が躊躇いながら唇を開くとさっきより細い触手が数本絡まり合って口の中へと入りこむ。

「!」

 口の中に触手が入ってその先が舌の上を撫でると蜜を垂らされたように甘さが広がる。

『甘い?』

 俺は口の中に触手を頬張ったまま肯く。

 触手はその返事に満足したようにふるっと震えるとさらに口の中に蜜を吐き出す。

『飲んで』

 それはハチミツのようにとろりと口の中に広がる甘露で、俺は喉を鳴らして与えられる蜜を飲み込んだ。

(ヤバ…これ、たまんない)

 強請る言葉は声にならなかったが、鋼はくすっと笑うように全身の触手を揺った。

『愛してる。結』

 次の瞬間。

 一瞬にして膨れ上がった触手が俺の喉の奥を思い切り圧迫して、一気に引き抜かれた。

「あっ、ああああっ…あああ……」

 まさしく体の中から芯を一気に引き抜かれたような感じ。

 目がちかちかして、しびれてた脳の奥に一気に快感が突き抜けた。


 まさか喉の奥なんてと思ったが、それは間違いなく快感だった。

 何かを吐くのとは全く別で、喉の奥の柔らかな粘膜を心地よい強さで刺激されながらずるっとこすりあげられたのだ。

 痛みや苦しみは全くなかった。少し息は詰まったがその苦しさが快感を増した。

 昂ぶり切った体の中を、それこそ腹よりさらに奥まで入りこまれて侵された快感だった。

 そして、息が詰まるような快感の後には、ものすごい脱力感が襲ってきた。

「あ……あぁ……」

 はっはっと息を吐きながら、くったりと俺を支えてる触手に凭れていると抱きしめるようにきゅっと触手が巻き付く。

「……鋼?」

『……気持ちよかった?』

「良かった……すごく……」

 俺は自分に巻き付く触手に手を重ね、ぎゅっと抱きしめ返した。

 まさか喉の奥があんなに感じるとは思わなかった。

 たぶん、あの飲むとボンヤリする甘い蜜にも何かあるんだろうが、それだけじゃない何かを開発されてしまった気がする。

『吐き気さえ押さえてしまえば敏感な場所だからね。きっと気持ちいいと思った』

「なんだよ、きっとって……」

 知らなかったのにやったのかよと笑って言うと、鋼が初めてだったからねと返してきた。

「え……」

『たぶん気持ちいだろうなぁと思ったけど、俺も初めて』

 初めて。

 初めてをもらっていい?

 鋼の言葉が蘇る。

『それとも結はこんな奥まで許した人がいるのか?』

 俺は言葉に詰まって何も言えないまま首を横に振った。

 こんなの初めてに決まってるじゃん。

 あんた以外に誰が許すんだよ。

 鋼だけだよ。

 俺はさらに力を入れて触手にしがみつく。

「鋼……だけだよ……」

『良かった。一緒だな』

 鋼の声が甘く響く。

 俺の体に巻き付く触手には人間の名残は微塵もない。

 いつも恋してた好みの顔も、逞しい胸もない。

 気持ちいい肌触りの太細様々な触手がうねりながら俺に巻き付いているだけだ。

 それでも俺はこのうねうねした地球外生物が大好きだ。

 俺の名を呼んで、絡みついて、俺を愛して、俺の奥まで入り込んでくるこの触手がたまらなく愛しい。

「鋼……」

 俺はもう一度彼の名を呼ぶ。

 応えるようにさらに巻き付いてくる触手の抱擁と一緒に鋼に愛されちゃってるのを実感する。

 あー、もう元には戻れないなーなんて思いながらも、鋼を受け入れて変わったのも満更でもない。

 恋して馬鹿になるのも悪くないなと、鋼に抱きしめられる心地よさにうっとりとしながら俺は目を閉じた。



―― 続

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