第18話 見知らぬ隣人 その捌

「どういった心境の変化?」

 あれだけ嫌がっていた化け物を身の内に取り込むと言い出した長谷川は思いのほかあっさりとしていた。

「腹の傷を見たら、現実味がわいたって感じかな……」

 シャツの上から長谷川は腹をさすった。

 そのシャツの下には広い範囲にわたってケロイドのような傷跡が残されている。

 失われたのは表皮だけでなく、どうやら一部筋肉まで失っているようで、動くたびに引き攣れるような軽い痛みがあるらしい。

「このデカい傷跡を見たら、本当なら死んでたんだってわかった」

 広範囲なだけでなく深い傷跡。現代医療ではまず助からなかっただろうと思われるそれは、別の要因があったからこそ助かった証。

「先生の組織が無くなって、昨日までと全然身体が違うんですよ。動くのも辛い、じっとしてるのもしんどい。多分、外出たりまだしてないですけど、以前のようなことはできないと思います。警備員の仕事もきついだろうな……」

「……」

「高遠さんたちが折角交渉してくれたのにすみません」

 彼が職を失わないようにと鋼が交渉してくれたのはほんの数日前の事。彼の人生はここ数日で劇的に変わってしまった。

 あれだけの怒りと恨みがすぐには無くならないだろうけど、自分の身体の変化とそれの事情を知った今、それを維持し続けるより必要なことができたのかもしれない。

「っと、……あとは高遠さんたちを見たからってのも大きいかもしれないです」

「俺たち?」

「俺は自分がゲイじゃないからとか思ってたんで、マジでびっくりしたんすけど……」

 長谷川は頬を赤らめて俯く。

「お二人、めっちゃ仲良いじゃないですか。俺、動けなかったときも声は聞こえてて、その……矢野原さんのところでとか、こ、ここ来てからとか……」

「えっ! ちょっとま……つか、それってっ……」

 俺はばふっと一気に赤面するのを感じる。

 昨日から鋼はずっと甘やかしモードで、俺もノリノリだったけど、えっと、それだけじゃなくてその……全部丸聞こえだったってことか!?

「すごい大事にされてましたよね……高遠さん……」

「は、はい……」

 俺はもう何と答えてよいやらわからなくなって、肯くだけで必死だった。

 死ねる! 恥ずかしくて軽く死ねる!

 でも、そんな俺を見て長谷川は今まで見たことも無いような穏やかな顔をする。

「人間と同じなんですよね」

「……うん」

 本当のところで同じものかはわからない。

 でも、彼らは俺たち人間にわかるように人間を模倣してでもその気持ちを伝えようとしてくれる。それが愛情なのか執着なのかもわからない。もしかしたらもっと違う何かなのかもしれない。それでも俺は鋼に求められて抱きしめられるのが好きだ。鋼は俺の望むものを与えてくれる。

「あれほど気持ち悪いと思ってた触手も、高遠さん全然平気で……」

「あー、あれは慣れもあるよ。最初はびっくりしたし、鋼は俺が平気なようにいろいろ気を使ってくれるから」

 俺は鋼が完全に外装を脱ぎ去って、触手だけの姿になった所を何度も見ている。

 しかし、最初からずるんと全部そうなったわけじゃない。鋼はいつも顔と腕は必ず残して俺に触れて来ていた。触れて違和感のないもの、見て安心が出来るところを残して、ずっと俺を気遣っていた。今でこそマッパの触手でも何でもないが、最初は俺に触れる時に腕で抱きしめてその上に恐る恐る触手を這わせてきていたのを今でも覚えている。

 見て理解できるのと、身体が生理的に受け付けるのはまた別だ。

 それを知る彼らはすごく慎重で、その慎重さもまた思いやりだと思える信頼がある。

 彼らは明らかに人間とは違う生命体で、共通点は知的思考や感情があることくらいかもしれない。

 その上、俺が知る限り、あまり好ましいと思われる容姿ではない。下世話なところではエロゲー風チンコ触手とか触手凌辱とか巷に情報が溢れていて、SF小説でも触手があることは異形の代表みたいに書かれている。それらは全てエネミーとしての存在だ。

 鋼たちはそれをよく知っている。人間たちの中に混ざって暮らす彼らは自分達の安全のためにもそのことを熟知している。

 でも、それだけじゃない。

 同じように考え、感じ、思う存在を「愛しい」と思う感性があり、彼らから見たら異形である俺たちと共にありたいと思っている。その為に妥協点を常に探っている。

 拒まれたくない、でも、自分を受け入れてほしい。

 その欲求は鋼から常に感じているし、俺もそれには応えたいと思っている。

 同じように俺も鋼が大事だから。

「恋人同士……なんですね」

「あー……うん。大事な恋人だ」

 鋼が人間だったらと考えないわけじゃないが、いつだってたらればにはあまり意味がない。

「これからもずっと一緒に居たいよ」

「……分かります」

 その時、肯いた長谷川の脳裏に誰の姿が浮かんでいたんだろう。

 矢野原の兄が長谷川を大事に思っていたことは事実のようだが、長谷川は相手のことをどう思っているのか。

 一緒に居たいというのは罪悪感からなのか。

 それとも……。

 考えても仕方ない事だけど、せめて苦しい思いをし続けた人たちがいつか笑って話ができるようになればいいとだけは思った。



 そして、月日はあっという間に流れた。

 とは言うものの、俺と鋼は相変わらずで矢野原には能天気バカップルと呼ばれている。

 矢野原は子供の外装を相当気合い入れて磨いていたが、仕事の絡みであっという間に大人の外装に戻ってしまった。どうやら今まで惜しげなくばら撒いていた組織をすべて回収したらしい。融合を望まず支配のために組織を与えていたために回収などというチートが可能だったようだ。「これを機に、お前も落ち着いて相手を探せよ」と親戚のおばさんみたいなことを言う鋼を、融合して脳に細胞が回るとそんなバカ面晒したバカップルになるなんて御免だ! と一蹴していた。

 長谷川は大学に戻った。戻ったとは言っても再度ちゃんと受験して、今は矢野原が非常勤を務める大学に通っている。事故があって退学する前は優秀な学生だったらしく、院への進学もターゲットにしていると聞く。

「彼に会うのは久しぶりだね」

「矢野原はやたらと家に来るのにね」

 鋼と俺は矢野原と長谷川の住む家に向かいながら、少し昔を思い出していた。

 半同棲状態だった俺と鋼は少し大きめなマンションへ引っ越して一緒に暮らしている。

 俺は相変わらず本業一本では食べられないのでカフェのバイトと鋼に少し助けてもらってしまっている情けなさだけど。

 鋼は相変わらずで、俺を甘やかせてくれて、時々脱ぎっぱなしの人間の皮と服の件で喧嘩したりとかしながらそれなりに仲良く暮らしている。

 彼は一緒に居ればいる程、愛情が募るタイプのようで、確かに俺と居ると情けないくらい甘々なのだけど、俺はそれもうれしいからバカップルって言われても褒められてるのか? くらいにしか感じていないので、正真正銘バカップルなんだろうと思う。

「彼は理系だから実験だのなんだのも忙しいようだし、アルバイトも随分詰めてるようだね」

 学費は出すと言った矢野原の提案を断り、長谷川は働きながら大学に通っている。

 そして、その合間を縫ってずっと矢野原の兄に寄り添っていた。

「最近は少しバイトを減らしたって聞いたよ。どうやら目が覚めるみたいじゃん、お兄さん」

 最初、水晶玉のように丸いだけだった矢野原の兄は、少しずつ分裂して毛糸玉のように触手が絡み合う球のようになって行った。

 何度か矢野原の家を訪ねて、お見舞いというかその様子を見せてもらったのだけど、まるで受精卵が分裂して生物を形作って行く様を目の前に見せられているような不思議だけど少し感動的な姿だった。

(でも、本当に鋼たちは触手が本性なんだなぁ……)

 人でもなく、獣でも爬虫類でも魚類でもなく、彼らはゆったりと細長い蛇のような生き物になって行く。

 万能にも近い高い機能と人を思う知性を持ち合わせた異形。

 誰にも知られないようにしているから異形だけど、相当古くから地球に存在して人に混じり生きてきた生物。

 まだ彼らを受け入れるには難しいと思うこともあるけど、それでもいつかこんな風に隣に居ても違和感の無いようになれる存在になれたらいいなと思う。

 それは俺のエゴかもしれないけど、それでも俺は鋼を胸を張って紹介できる恋人だと思っているから。

 鋼の手と手を繋いで(いい歳こいて恋人繋ぎかよ! という突っ込みは無視して)鋼の外装の顔を見つめる。

 天気のいい日に、恋人とにこにこしながらのんびり歩いている。

 こんな穏やかな時間がいつまでも続けばいい。

 そんなことを他愛無い話をしながら考えているうちに、気がつけば矢野原の家は目の前だった。

 矢野原は何と都内に庭のある一戸建てを建ててそこに兄と長谷川と住んでいる。

 何かあった時、隣家が密接していたり集合住宅ではフォローできないからという理由らしいが、非常勤の大学講師ってそんなに儲かるのか?

 と、思っていたら鋼曰く、矢野原は昔からモデルのバイトをしていて、大きなショーに出たりしているそうで、結構高額なそのギャラを使う様な性格でもないからコツコツと貯めていたんだろうという。

 なんかコツコツ貯金してる矢野原というのがイメージと違ってびっくりしたが、彼もまたイレギュラーなことをするわけでもなく人間社会の枠の中で暮らしている1人なのだ。

 そんな矢野原の家は塀こそ高いものの、中に入ると和風の庭があり、飛び石を踏んで玄関へ行くのはちょっとノスタルジックな感じで俺は好きだった。

「こんにちは。矢野原。来たよ」

 インターフォンを押すとドアの施錠が解除される音がして矢野原が顔を出した。

「どうぞ。散らかってるけど」

 そういう矢野原の言葉通り、何度来ても家の中は圧倒される。矢野原の家は凄まじい数の本があって廊下まであふれ出たそれが其処彼処に詰れて壁という壁を覆っている。

「相変わらずだな」

「長谷川の分もあるからね。僕一人のせいじゃないよ」

 本のタイトルを見ても洋書が多くて俺にはさっぱりわからない。

(鋼もそうなんだけど、宇宙人ってインテリ層だよな……)

 弁護士に大学講師、鋼の両親も夫婦で弁護士だった。

 人間の奥さんとラブラブで息子はさっさと一人立ちさせたという鋼のお父さんは

、どこか鋼に似ていて初めて会った気がしないくらい俺に優しく接してくれた。

 息子の恋人が男だなんてと思うもしてないというか……そんな事より俺の本業の方が気になったらしい。

 その件で大変盛り上がって、ご両親への挨拶はすんだわけだが、その晩父親ばかりにかまけていたと鋼が盛大に拗ねてご機嫌をとるのが大変だったのを思い出した。

「なに笑ってるの?」

 何か感づいたらしい鋼が俺の方に顔を寄せて聞く。

「内緒。思い出し笑いだよ」

 俺はそれをさらっとかわして、ちょっぴり不満そうなやきもち焼きの恋人を置いて矢野原の待っている部屋に入った。


「あ……」

 ベッドの上に腕くらいの太さの触手が丸く絡み合った球がある。

 その隣には長谷川が座っていて、そっとその球体に触れている。

 球体はもう水晶玉のように透明ではなく、真珠のような不思議な光沢を持った白い色をしていた。そして、それを長谷川が撫でるたびに、ゆっくりと脈動する様に動く。

「もう殆ど再生したみたいだな」

 俺の後ろから見ている鋼が俺に説明してくれた。

「子供が生まれた時に分離した直後はあんな感じなんだ」

「鋼も?」

「色は少し違うけどな。あんな感じだったと思うよ」

「おー……」

 なんか感動した。

 生まれたばっかりの赤ちゃんを見てるようなそんな気持ちだ。

 生きてる! 動いてる! すごい!

「目覚める」

 球体を撫でている長谷川が不意に言った。

 組織の一部を身の内に取り込んで融合が進んだ長谷川には自分の半身のように変化が感じ取れるらしく、数日前から今日の変化は予測していた。

 それで俺たちも様子を見に来たんだが、どうやら丁度間に合ったようだ。

 目覚めると言った後、ドクンと大きく一回脈動した後、まるで花が咲くように触手が解けて行く。

 ゆっくりふわりと外側から徐々に解け、内側の塊も緩んでゆく。そして、解ける端から真珠色の触手は長谷川の手へと絡みついて行く。

 まるで縋りつくように巻きついて行く触手を長谷川は黙って見ている。

 触手は全て解け、長谷川の両手は触手に巻き取られ肘のあたりまで見えなくなっている。

「最初に声をかけるのはお前だ」

 変化する様子をずっと見ていた矢野原が、長谷川に言う。

 長谷川は矢野原を見て軽く肯いてから、そっと屈みこみ自分の腕に巻きつく触手に唇を寄せた。

「……お帰りなさい、先生」

 小さな声だったがはっきりと聞こえる声で「先生」と呼んだ瞬間、長谷川にだけ何かを囁くようにふるっと震える。

 それを聞いた長谷川はグッと抱き込むように触手に巻かれた腕を抱き寄せ、触手は風に煽られたカーテンのようにふわりと伸び上がると長谷川の背に肩に抱きつくように巻きついた。

「一件落着……かな」

「そうだね」

 矢野原の呟きに俺は肯く。

 そして、気がつけば鋼の触手が俺の肩を抱くように巻き付き、背にぴったりと鋼が寄り添っていた。


 色々あったし、色々間違えもしたけど、今、この瞬間は良かったと思える。

 多分これからもいろんなことがあって、色々やらかすこともあるだろうけど、今自分の側に居るこの存在を信じていれば何とかなる。

 そう思える恋人を得た俺は、今、最高に幸せなんだと思う。

 これからも、この恋人を幸せにして、バカップル上等で行きたい。

 触手な彼氏と俺の日常はこれからも。ずっと。



―― 終

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触手な彼氏と俺の生活。 貴津 @skinpop

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