第17話 見知らぬ隣人 その漆

「お二人、仲良いですよね」

 キッチンで二人並んで朝食の片づけをしている俺たちを見て、長谷川はぽつりと言った。

 翌日、目を覚ました長谷川はまるで憑き物が落ちたように落ち着いた様子だった。

 昨夜は寝室に鍵をかけて閉じ込めていたが、目が覚めてからはそんなことも必要なさそうで、鋼が俺と朝食の支度をしているキッチンへと連れてきた。

 少しぼうっとはしていたが、傷も痛まないようで、出された朝食も普通に食べていた。

 今は座って食後のコーヒーを飲んでいる。

 そして、時々腹のあたりをシャツの上からさすっている。

「傷、痛むのか?」

「いいえ。痛みは殆どないです」

「具合が悪くなったらすぐに言ってくれ、傷の加減を見る限り急激に組織を失っているのは確かだから。必要なら傷跡を保護する外装を用意することもできる」

 鋼がそう言うと、長谷川は素直にありがとうございますと頭を下げた。

 昨日までの記憶が無いわけでもないらしい。

 でも、今朝目が覚めて、いつも見る腹が酷い傷跡にはなっているものの、人間の身体に戻っているのを見て何か抜け落ちたような気持ちになったのだと言う。

 彼の中にはもう鋼たちと同種のものは微塵も残されていない。

 それは俺や鋼にもわかったが、長谷川にもわかっていたようだ。

 化け物から念願の人間の身体に戻れて安心したのだろうか。

「鋼が怖い?」

 俺はじっと俺たちを見ている長谷川に聞いてみた。

 鋼は長谷川が居ようがお構いなしで甘やかしモードに入っているので、触手で抱きついてこそ来ないもののぺったりと横についていて、ことある毎に俺の身体に触れたり俺に微笑みかけたりしている。

 俺はそんな鋼を完全に受け入れていて、触れて来れば寄りかかり、微笑みかけて来ればキスしたりしている。宇宙人だとか人間だとか全く関係なく、どこに出しても恥ずかしいくらいバカップル丸出しで二人は普通にイチャイチャしていた。

 そんな様子を長谷川は最初驚いたような顔で見ていて、時間が経つにつれ少し寂しそうに見ては自分の腹をさするようになったのだ。

「こうして見ていると普通の人間ですよね」

 長谷川はカップをテーブルに置いて、姿勢を正すと少し畏まった様子で言った。

「化け物とか散々言ってすみませんでした」

「実際人間じゃないのは本当だから気にしてない」

 俺と一緒に長谷川の向かいに座ると鋼が言った。

「でも、結を傷つけようとしたのは許していない」

「……すみません」

「俺にとって結は大事な恋人だ。そういう人を傷つけられたら俺たちも人間と同じように許せない」

「……」

「鋼は俺のことを大事にしてくれるから。だから俺は鋼が人間じゃなくてもいい」

 長谷川がハッとした顔をして俺を見る。

「俺が危険なことをすれば彼は必死に止めるし、俺が怪我をすれば鋼は必死に助けようとしてくれる。それは見かけがどうとか言う事よりもっと重要で、俺にとっては二人の間をつなぐ大切な物なんだ」

 矢野原の兄が、事故で大怪我を負った長谷川を見た時、彼を助けるということは躊躇わなかっただろう。

 大事な人を守りたいという気持ちは、俺たち人間にも鋼たち宇宙人にもある。

 そういう小さな共通点が積み重なって、本来なら分かち合う存在をつくり互いに融合して行く。

 最初から恋に落ちた俺たちだけれど、それだけじゃなくて、いろんなものを積み重ねて互いをどんどん愛おしく思っている。気持ちはどんどん積み重なって行くものだ。

「何も知らなかったら、確かに鋼たちの事はびっくりしたよ。俺もまさか人間じゃないなんて思いもしなかった」

「なのに、受け入れた?」

「……俺はちょっと変わってるんだと思う。本来なら少しずつ時間をかけて知り合うのが理想なんだろうけど、俺は鋼の一生懸命なところと少し強引なところと、俺をものすごく思ってくれてるところに絆されちゃったんだよね」

「絆された……」

「鋼たちはさ、俺たちが一目惚れで恋に落ちるように、視覚情報以外のもので一目惚れするんだよ。俺もなんかそんな感じだった。もしかしたら遠い祖先で彼らの組織が少し混じってたのかもな」

 鋼はそういう俺の腰を長谷川に見せつけるようにぐっと抱き寄せた。

「結を多少強引に手に入れたのは自覚してる。だから誰よりも大事にしたいし、幸せにしたい。俺の定義でじゃなくて、結が思う幸せを叶えてやりたい」

 俺は腰を抱く鋼の手にそっと自分の手を重ね、長谷川を見て思っていたことを言ってみた。

「矢野原のお兄さんもそう思ってたんじゃないかな」

「先生……が?」

「大切だったから助けた。その時はもうどうしようもなかったんだと思う」

 多分、そんなことは長谷川だってわかってたんだろう。思いを寄せてくれていたのは気が付いていただろうし、組織を分け与えられたことで命を繋いだことも。

 でも、あの時見えた傷は酷くグロテスクなものだった。自分の身体がいきなりあんなふうになってすぐに受け止めるのは難しい。しかもそれが心を許していた相手からされたことだとしたら。

「アンタが矢野原のお兄さんを責めた気持ちはわかる。あの傷は簡単に受け入れられるようなものじゃないし、あれが自分にあったらと思うと正気でいるのは辛いと思う」

「でも、あんたはそれが好きな人からされたことなら許せるって言うのか?」

「……許せないよ。でも、それは相手が鋼だからだよ。きっとすごく当り散らしてパニックになると思う」

「それじゃ……」

「俺は鋼が好きだし、鋼が俺を大事にしてくれると分かっているから、きっとそれに甘えて八つ当たりすると思う」

 長谷川は大きく目を見開いた。

「甘え……」

「俺は鋼が俺を受け止めてくれるってわかってるからきっとひどいことも言っちゃうと思う。もしこれがどこの誰とも知らない相手だったら多分何も言えない。見ず知らずの化けものに食って掛かる勇気なんか俺にはないよ」

 長谷川は俺の言葉に目に見えてがっくりと肩を落とした。

 彼だって多分わかっていた。それが自分を思う相手だったから言いたいことを言ってしまった。

 そして、相手が居なくなってしまった時に、その甘えていた相手を失った時に初めて絶望したんだろう。

 残されたのは醜い傷とこれ以上ない喪失感。

 胸に穴が開いたようなその隙間を、怒りが埋めても不思議ではない。

 残された彼が生きていくには怒りが必要だったのかもしれない。

「もし、矢野原のお兄さんに会えたら、どうするの?」

 俺の問いに長谷川が答えることはできなかった。


「うわ。予想外の展開!」

 その日の午後、俺のマンションへやってきた矢野原を見るなり吹きだしてしまった。

「懐かしい格好だな」

 鋼は見たことがあったのか吹き出しこそしなかったが、からかう様ににやにやと笑っている。

「仕方ないだろう。大分組織を失ったんだ。それに人間と混じってた兄さんの組織との拒絶反応が酷くてかなり消失した。しばらくはこの外装で過ごすしかない」

 身長150センチ位の中学生くらいの姿の矢野原はそういうと眉を顰めて大人びた仕草で俺を睨みつけた。

 これは矢野原が子供の頃に着ていた外装なのだという。彼らは生まれてから外見の変化は殆どないが、まだ分離して間もない頃などは子供の様に小さな外装を身に着けて子供に混じって人間社会を学んでゆくのだという。

 今回矢野原は体細胞の多くを消失させてしまったので、大人の外装の中身を維持するが難しくなったために子供の外装に戻したらしい。鋼たちの質量はかなり変幻自在だと思っていたが、コアになる部分が多く失われるとそれなりにダメージも大きいのだという。

「これって、鋼もこのくらいの頃があったってこと!?」

「鋼はこんなに可愛くなかったよ。いっつも傷だらけの泥だらけだった」

 何だか鋼の子供の頃が目に浮かぶ。やんちゃな男の子だったんだろうなぁと思うとその頃が見てみたかったなと思う。

 そして、子供版矢野原は小さくて子供でも矢野原だった。

「久しぶりに出したから何だか爪の色が悪くなってる気がする。しばらくこれで過ごすなら新しい外装をオーダーしたいな。最近は目が大きい子供ってそんなに流行らないし」

 鏡を見て、淡く光る様なふわふわの髪をちょいっとつまみながら言う。

 大人になった矢野原はロシアの妖精系美人だったが、子供の矢野原はマジで妖精か人形のようだった。

 白く透けるような肌、淡いバラ色の唇、大きな瞳は柔らかく潤んで、華奢な体は思わず抱きしめたくなるよな儚さだ。

 俺、絶対外見に騙されないで生きて行こう。

 そういう意味では、俺は外見に騙されないで鋼を好きになったんだよなと思うと、少しうれしくなる。

 矢野原も悪いやつじゃないが、こいつのアレさは今回の件で思い知った。

 いや、今回だけじゃなく前回でも思い知ってるんだけど……もう繰り返さないようにしたいな。

 リビングに矢野原を通すとソファに座っていた長谷川が慌てて立ち上がった。

「あ、俺っ! え……?」

 そして子供になっている矢野原を見てぽかんとする。

「兄さんに体の大半を持ってかれたんだ。感謝してもらいたいね」

 矢野原は呆けたままの長谷川の前に立つと、くいっと胸を逸らして言った。こういう偉そうな仕草は大人の矢野原と何も変わらない。

「僕は、こいつらのおかげでこんな状態で済んだけど、兄さんはまだ戻るには時間がかかる。もしかしたら戻らないかもしれない。戻ったら連絡するか……」

 矢野原の言葉を遮るようにして長谷川は「お願いがあります」と急に姿勢を正して頭を下げた。

「先生のお世話を俺にさせてください!」

「!?」

 突然の申し出に矢野原は目を丸くする。

 こんな顔まで美人ってのは本当に怖いなと俺はこっそり思う。

「先生がせめて目が覚めるまで、俺ができることは何でもします。だから、お願いします」

「兄さんを殺そうとしたあんたに預けろって言うの?」

 矢野原は長谷川を一瞥して冷たく言い捨てた。

「無茶を言ってるのは承知です。でも、せめて側に居させてください。あなたの監視の元でもいいから先生の側に居させてください」

 どういった心情の変化かと訝しげな顔をしてみているが、矢野原の気持ちは変わらなそうだ。

「今何の変化があってそんなことを言っているのかはわからないが、今何を言われてもあんたを信用するに値するものが何もない。急にまた気でも変わって兄さんに害をなそうとしないとも限らない人間をどうして側に置けると思うんだ」

 矢野原の言葉は厳しい。でもそれはもっともなことで、矢野原は誰よりも兄を大事にしていたからこそ、自分の手にかけたし、自分の命に代えても助けようとした。

 ただ、長谷川も色々と変化が見えるのも確かだ。自分の攻撃の原因が何処にあったのか、落ち着いて見られるようになったのは大きな変化だったと思う。

 そして、そんな長谷川に助け舟を出したのは鋼だった。

「お前の兄を助けたいなら、彼には居てもらった方が都合がいいんじゃないのか?」

「鋼っ……」

「彼は融合してた相手だ。彼の中に組織は無くても、組織によって変化した彼自身は再生に必要だ」

「あ、そうか。養素の問題か」

 鋼たちは自分と分かち合ったものの変化した細胞を吸収して地球で存在して行く上で必要な物を摂取している。そして、それは決して自分たちの中で作り出すことはできない。

「そんなの、適当な人間からっ」

「それより、自分の細胞に合わせて融合した相手のものが最適なのは矢野原だってわかっているだろう?」

 分かち合う理由の一つ。与えた組織に合わせて融合変化した人間からの摂取の方が安定する。

「しかしっ……」

「冷静になれ、矢野原。お兄さんの再生は非常に難しいだろう。確率もわからない。少しでも可能性が高い方法にかけないでどうするんだ」

 鋼の顔は真剣だった。

 俺はすっかり矢野原の兄は時間が経てば寝て起きるみたいに起きてくると思ったんだが、どうやらそんなに簡単な話ではないらしい。

 確かに、一回殆ど死んでしまったような状態から、残されたパーツを繋ぎ合わせて生き返らせようとするようなものだ。

 鋼たちが特殊な生命体だとしても、そんなに簡単な話だと思うのは楽天過ぎた。

「矢野原……」

 矢野原は厳しい顔で黙り込んでいる。

 自身も大きなダメージを負って不完全な状態で兄の再生に挑むのは負担が大きいだろう。例え同族のみんなが協力してくれたとしても彼らには彼らの生活もあり、多分一番身近な鋼だって四六時中側に付き添えるわけでもない。

 どれだけ時間が過ぎただろう。

 息をのむのも辛いくらい重い沈黙ののちに矢野原は口を開いた。

「……条件がある」

 長谷川はその言葉に顔を上げる。

 不安と希望の入り混じった顔。

 矢野原はその顔を見て、冷たい表情のまま言った。

「兄を受け入れろ。お前が自ら望んでその身に兄を受け入れるなら、お前は兄の身内になる。それならば僕には異論はない」

 一度分離したものをもう一度受け入れろと矢野原は言った。

 今度は自らの手で納得してその身の内に。

 あれだけ嫌っていたものを再び。

 しかし、長谷川は躊躇わなかった。

「わかりました。受け入れます」

 はっきりとそう言い切ったのだ。



―― 続

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