第2話 触手な彼氏と出会い編 その壱

 年の瀬も押し迫った寒い冬のある夜。

 俺は2年ほど付き合ってた彼氏に女と二股された挙句に、俺の方が浮気相手だと判明してあっさり捨てられた。

 声をかけて来たのは相手の方で、お互いゲイ同士でスッキリ後腐れなく……なんて思ってたのがずぶずぶとはまり込み、半同棲に近い状態で朝目覚めた時に彼の腕が無いとさみしいと思うくらいにはなってた。

 なのに。なのになのになのに。

 相手の男は「結婚するんだよね。別れよう」の一言で俺を切り捨てた。

 そこで初めて俺だけが恋愛感情に突っ走ってたんだって気が付いた。

 いや、彼氏だってそれなりにラブラブは楽しんでた。ただ、彼氏と俺のラブの価値観は完璧に違ってた。

 どんなにラブラブしてても彼氏にとってはセックスのオマケみたいなもんで、好きだの愛してるだのはローションみたいなもんだった。

 俺だけが好き。

 俺だけ。

 さっさと俺の部屋に置いてた荷物をまとめたりゴミ袋に突っ込んだりして撤去作業の終了した彼氏は、ご丁寧に俺のスマホから自分の連絡先まで消して、テーブルの上に鍵を置いて出て行った。

 これで、彼氏は元彼になった。バイバイありがとうサヨウナラ。

 ぽつんと置かれた鍵を見つめながら、俺は何度目か数えるのも嫌になった別れを噛みしめる。

 この胸の痛みは何度経験しても慣れやしない。

 ちょっといい加減な軽い男だったけど、優しくて……俺は本当に大好きだったんだ。

 でも、いつだって俺だけが夢中になってて、気がついたら置いて行かれてる。

 ゲイの恋愛には今しかない。

 今が続いて続いて続いて……それが途切れたら終わり。

 結婚するわけじゃない。子供産めるわけじゃない。未来に何の約束もなくて、今が続く限り頑張るだけ。

 別に結婚や出産を羨ましいとは思わないし、それが無くても恋愛してる女もたくさんいる。そうじゃなくてもちゃんと恋愛できてるゲイもいるわけで、俺がダメなんだってこともわかってる。

 それでも俺はこんな恋愛しかできない。

 好きな人が出来ても、相手が同性である俺に振り向いてくれる確率はものすごく低い。

 フラれるならまだしも、そのままであったコミュニティから嫌悪と嘲笑で追い出されることもままある。

 そうなると刹那的な出会いに偏りはじめて、気がついたら俺は駄目な恋愛パターンにはまってる。

 どうやら顔は少し良いと思われることが多いようで、BARで一人でいると俺はよく声をかけられる。少し話して気が合えばそのまま店を出てホテルへ直行、最初は割り切って今だけ一夜限りでと思いながら、一度身体を繋げてしまうと目覚めた時にはその温もりに絆されてずぶずぶ。気がつけば俺だけが夢中になっていて……夢中になり切ったころに今日みたいな日が訪れる。その繰り返し。

 今しかないなら今を思いっきり楽しんで、終わりが来た日にはそれをスッキリ割り切って行けばいいとは思う。

 だってこの先ずっと恋愛続けたって何もないんだ。

 いつか終わりが来るんだ。

 諦めなくちゃいけないものの一つなんだと自分に言い聞かせた。

 でも、それができない自分に嫌気がさす。

 恋愛に夢ばっか見てて、なのに現実について行けなくて、ずぶずぶのぐずぐずでどうしようもない恋ばっかり。


 こういう日は飲んだくれてやる!

 恋はしない! 誘われても行かない! もう一人でいい!

 でも、今日だけは一人が寂しすぎて無理だから、比較的出会い系でない店を選んで飲みに行こう。

 色恋じゃなくても、誰かと居たいのくらいいいよね……。

 そんな気持ちで久しぶりの繁華街へ繰り出そうとマンションを出た。

 こんなことやってるからダメなんだろ! と叱咤する声が自分の中で聞こえなかった訳でもないが、そんな声に従うのは無理だった。

 一人ぼっちのあの部屋に、こんな寒い日に居られるわけがない。

 今度こそ適当に遊んで、楽しい今だけを楽しみつくして、いつまでも続くなんて夢はやめて、刹那的でも楽しく生きるんだ。

 半ばヤケクソな気持ちで、閑静な住宅街の中を抜けて行く。

 空からはちらほらと雪。

 出がけに気づいてマフラーを手にしたんだけど、それが別れた男からのプレゼントだったのを思い出して咄嗟にごみ箱に捨ててしまった。

 スースーと寒い首筋を少しでも隠すようにダウンジャケットの襟元を合わせるけど、足早に歩いているせいか首元から温かさが逃げて行く気がする。

 寒いから早く温かいところまで出よう。そう思ってより足を速めた瞬間。

「ひぎゃっ!」

 首筋にものすごく冷たい何かがべちゃっと触った。

「うわっ! なんだ! 冷たい!」

「あ、ごめん!」

 慌ててその冷たい物を振り払おうとバタバタする俺に頭上から声がかかった。

「えっ!?」

 変なところからの声に驚いて顔をあげると、歩道の上を覆う街路樹の枝に男が寝そべっている。

「ちょ、あんたっ!」

「驚かせちゃったね、ごめん」

「いや、ごめんじゃなくて、大丈夫なのかよ……」

 他の枝の影になっていた男の身体が、暗がりに慣れてはっきり見えると俺は言葉を失った。

 どう見ても男の胸のど真ん中を太い枝が貫いている……ように見える。

「あんた、その枝……」

「ちょっとうっかりして……あ、大丈夫! 死んだりしないから! 血も出てないでしょ?」

「いや、血が出てなくても」

「動けないだけだから大丈夫だよ。今、友達も呼んだし」

「いやいやいやいやいや! ダメでしょ! そんなの友達来るまで待ってるとかヤバいじゃん!」

 枝の刺さった男の胸から確かに血は出ていないが、なにか冷たい液体がぽたぽたと滴り落ちて来て俺の顔を濡らしている。

 それが見えた俺は咄嗟に何だかわからないけど、この状態は男がヤバいんじゃないかと感じた。

 よく観れば顔色も悪いみたいだし、口調の割にはぐったりとして男は動かない。

 俺は靴を脱ぎ捨て裸足になると、男の刺さってる街路樹にしがみついた。

「キミ!?」

「とりあえず、降ろしてやるよ!」

 俺はそうれだけ言うとしがみついた幹に爪を立て、足をかけた。

 木登りなんて子供のころ以来だが、やって出来ないことはないだろう。

 男の刺さってる枝まで5メートルほどの高さがあるが、俺は必死に登りはじめた。

「キミ、危ないよ。やめなよ」

 自分の方がヤバいだろうに男は俺に心配そうに声をかけてくるが、俺はそんな声を無視して次の枝へと手を伸ばす。

「いッ! ツ……」

 冷え切ってた指先が樹皮をひっかく度に痛みが走る。幹にかけている足も同じく。しかも、足がかりになりそうなところが少ないため、力の加減によっては足が滑り、ささくれ立った樹皮に足が摩り下ろされる。

 それでも何とか男の横たわっている太い枝に手がかかりそうなところまで来た。

「もうすこ……し……」

 枝に手がかかり、グッと引き寄せるようにその枝に映ろうとした、その時。

「ッ!!」

 枝を掴んだと思った手がずるっとすべり、中途半端に体重を移動していた俺の身体はバランスを崩した。

「キミっ!」

 男の声が聞こえたのと、ズシッと何かに身体がぶつかったのはほぼ同時だった。

「大丈夫!?」

「え……?」

 木から落ちたにしては衝撃は少ない。でもあの枝より下に引っ掛かるようなものは何もなかったはず。

 ゆっくりと目を開くと俺は男の刺さってる枝のすぐそばに居た。

 男と同じように枝に乗っかっているのか、何かに支えられて下には落ちないが、逆に脚やら腕やらに細かな枝が絡みついて身動きが取れない。

「え? ええ?」

「この高さでも頭から落ちたら危ないよ」

 目の前では俺よりさらにヤバいはずの男がにこっと笑っている。

「なんで……」

 身動きが取れないなりに様子を見ようとしたが、さらに何かが絡まってきて、完全に男の顔以外見ることができない。。

「ごめんね、あんまり見せたくないんだ。友達が来るまでキミも我慢してくれる?」

 男は優しく宥めるようにそう言うと、手で俺の頬を撫でた。

 こんな寒い夜なのにその男の手は暖かくて、なんだかこんな異常事態でも何とかなる様な気になってしまう。

「本当に、大丈夫なのかよ? あんた……枝、刺さってるじゃないか……」

「大丈夫。ちょっと特殊な体質だから」

 そんなわけないだろ。体質で胸を枝が貫通しても大丈夫とかありえないだろ。とか、いろいろ頭を巡ったが、男に頬を撫でられるままに口をつぐんだ。

「死なないよな……?」

「大丈夫だよ」

 男の手は離れることなく俺の頬を撫で続けてくれる。

 二重遭難もいいとこだったがそれに文句も言わない。

 少しハーフっぽい彫の深い顔は優しく目が弧を描いていて、俺に安心するようにと言い聞かせてくれている様だ。

 それになんだか不思議なことに身動きが取れないことが逆に何だか安心する。

 誰かがしっかりと抱きしめて支えていくれるような奇妙な安心感に包まれて、俺はずっと男の顔を見ていた。


「鋼ぇ、無事ィ?」

 下から少し呑気な声が聞こえたのはそれから間もなくの事だった。

「ああ、悪い。ちょっと身動き取れないんだ」

 その声に応えるように、男は頬を撫でていた手を下に向けてひらひらと振ると言った。

「OK! じゃ、ちょっと目をつぶっててもらっていいかな?」

 下に来た男がそう言うと、木の上に居る鋼と呼ばれた男はひらひらしてた手ですっと俺の目を覆った。

「ちょっとだけ我慢してね」

 鋼の声が聞こえた瞬間、ゆさっと枝が大きく揺れる。

「う、わわわっ!」

 軽い浮遊感を感じて落下を覚悟したが、枝は揺れただけで何の衝撃もない。

 ただ、俺の目を覆っていた鋼の手が離れるのと同時に、全身に感じていた束縛感が消えた。

「大丈夫、もう終わったよ」

 助けに来たらしい男の声が聞こえて、俺は目を開いた。

「え?」

 いつの間にか俺は元いた歩道に座り込んでいた。

 尻の下には大量に枝が落ちていたが、それ以外何もない。

「大丈夫? お尻冷えちゃうよ?」

 助けに来た男が俺に向かって手を差し伸べる。

 夜目にも明るい栗色の髪のすごくきれいな顔をした男だった。

「すみません、あの……」

「ん?」

 その手につかまって立ちあがると、俺はきょろきょろとあたりを見回した。

「あの、一緒に居たあの人は……?」

 街路樹の上で枝に刺さって居た男の姿が見当たらない。

「あ、んー、別の友達が今連れてったよ。大丈夫大丈夫」

 茶髪の男はそういうとこれ以上の会話を拒否するようににこっと笑って、「じゃあ、僕ももう行くね!」と手を振って立ち去ろうとした。

「待って!」

 俺は咄嗟に茶髪の男の肩を掴んで引きとめた。

「あ、あのっお見舞い! お見舞いに行きたいっ!」

 自分でもいきなりな話だし、何でそんなことを思ったのか言っちゃったのかわからない。

 でも、なんだかこのまま縁が切れちゃうのが嫌だと咄嗟に思った。

「……」

 茶髪の男は訝しげに俺の顔を眺めて、しばし思案した。

「鋼とどういう関係?」

「鋼って、さっきの人の名前ですか?」

「……知り合いでもないのに、お見舞いにくるの?」

「その……」

 言葉に詰まる俺を見て嘆息した茶髪の男は、ふと何かに気が付いたようにくんっと鼻を鳴らした。

 そして、俺の頭に顔を寄せるとすんすんと匂いを嗅いでいる。

「え? あ、ちょっ…なんですか!?」

「ん~」

 顔を離した男は俺の困惑した顔を見てにやっと笑う。

「お見舞いなんかに来なくても、鋼にあえると思うから大丈夫じゃない?」

「は?」

 茶髪の男はそれだけ言うと、今度こそ本当に行ってしまった。

 大丈夫と言われても、名前も知らない通りすがりがもう一度出会う可能性なんてゼロに等しいだろう。

 枝に刺さってた男も茶髪の男もあれだけのイケメンなら、どこかで会っていればきっと忘れない。通りすがりでも記憶に残るだろう。でも、この辺りで見かけたことはなかったし、記憶にもない。

 すごく残念だけど、なんかよくわからないこの出来事に遭遇した所為か、気がつけば胸の痛みが薄らいでいる。

「現金なもんだな……」

 このドタバタで気持ちが薄れたのか、新しい人に出会ったから痛みが薄れたのか……。

 しかし、この出会いは次へは続かない。

 そう思うと、軽くなったと思った胸がまた少し痛んだ。


 ところが、この胸の痛みは何だか変な方向へ進み始めていた。


「やぁ、また会ったね!」

 満面の笑顔で声をかけた来たのは、先日の茶髪の男こと矢野原やのはらだった。

「そうですね」

 俺も笑顔で返したが、この挨拶はこれで本日4回目、しかもあの日から連続一週間。

 流石にちょっと偶然では片付けられないと思うけど、でもただ道端ですれ違うだけなので何とも言えない。いや、明らかにストーカーチックなんだけど、まだ実害がないので文句が言えないが正しいか。十分、腹の中では警戒してるし、今だってもし俺に猫の尻尾があったらぶっとく膨らませてるくらい警戒中だ。

「あれ? そのエプロンってこの先のカフェのユニフォームだよね?」

 しまった! なんかチェックされてる!

「あー、ああー、そうですね。今日は急な手伝いで駆り出されちゃって」

「そうなの? 僕もすごく気になってたお店だから、結くんがいるなら今度行ってみようかなって思ったのに」

「あ、あはははは、今日だけなんですよ~」

 嘘はついてない。俺の本業は別にあって、実は親のやってるカフェを手伝わされているんだけど、毎日いるわけじゃない。

「じゃあ、今日だけなら後で行くね。また後で」

 にっこり。イケメンスマイル。

 こんなストーカー兄ちゃんなのに矢野原はモデル顔負けのイケメンスマイルを振りまいて俺が何か言う前に姿を消してしまう。

 くっそ、無駄にイケメンめ! 心の中では毒づくがそれを決して顔には出さない。

 いつもなら気に入らない奴は冷たく追っ払うくらいのことはするんだけど、俺はどうしても矢野原と縁が切れないでいる理由があった。

 矢野原はあの木の上で会った男につながる唯一の縁だったから。

 その割にはいまだに彼のフルネームも聞きだせず、あの人に会いたい一心でストーカーにもけなげに耐えちゃってるこの状況!

 それに、どうして俺はあの人にそんなに会いたいのかもよくわかってない。

 確かにちょっと好みの顔ではあった。

 矢野原みたいなロシア美人系なイケメンより、俺は断然黒髪エスニックな鋼の方が好みだ。

 イケメンと言うには好みがわかれるかなと言う感じだが、鋼の黒髪に少し粗削りな感じの男らしい顔はカッコ良かったし、少し厚めな唇も好みだった。それよりなにより、あの時、俺の頬をずっと撫でてくれていた手の感触と温もりが忘れられない。

 優しくて、落ち着く温もりだった。

 だから、色恋とかそういう好きじゃなくて、純粋に近づきたかった。

 セックスなんかなくても、隣に居るだけで何だか幸せになれるよなそんな気持ち。

 ぼんやりとそんなことを思い出しながらそっと鋼の撫でていた方の頬に触れると、胸の痛みも寂しさも和らぐ気がするんだ。

「会いたい……」

 イケメンストーカーに耐えてでも、俺はもう一度彼に会いたかった。



―― 続

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