第6話 海の底の金塊

図書館にかよい韓国語と中国語を覚えるのは至福の日々だった。教授から1万円を借りることができたので、生活のためのアルバイトをすることもなく、ただただ勉学だけに向き合える日々だった。


まずはハングルから取り掛かった。表音文字であるハングルを記憶したら、あとは日本語と類似点がとても多いことに気づいた。困ったのは発音で、こればかりは本を記憶するだけでは身につかない。そこでイルマに相談すると「日本語が話せる学者や学生と話すんじゃなくて、ハングルしか話せない人と話すんだろ?だったら大学よりもこっちだ」と外国人バーに連れていかれた。


そこでは人種でいくつかに分かれており、僕たちは韓国人のグループにまぎれこんだ。みんなとても酒を飲む。イルマも僕も飲んだ。僕がハングルを勉強しているというと「너는 좋은 녀석이다(おまえはいいやつだ)」と気に入られた。そしてわりかし年の近そうなレイくんという男性についていき、新大久保の韓国人だけの酒場に入った。


そこはキムチの漬物石につかわれるような顔をしたオムニが1人でやっている静かな酒場で、小さいテーブルに適当に料理が並べられる。何も注文しなくても、レイ君が「적당히(てきとうに)」と言っただけでオムニが小皿に料理を運んでくる。それが焼酎にびびっとフィットするようなつまみなので驚く。「좋은 가게입니다(いい店だ)」と僕が言うと「だろ?」とレイ君が笑う。


結局レイ君とはそこで朝まで飲んだ。レイ君は多少日本語を理解しているが、気を使ってくれたのかほとんど日本語はしゃべらなかった。途中で隣のテーブルのおじさんたちと日本文化の異常性について議論になったが、ハングルのこうゆうところは言語的な特性なんだと理解した。怒鳴りあうなら朝鮮語がいい。自己主張なら英語がいいし、空気を読むなら日本語がベストだ。それから朝日が昇り、通りに人が増えてくると「폐점(閉店)」とオムニが言った。それが合図となり、皆会計を済ませて外に出る。けだるい空気、くたくたになった体、それでいて神経は研ぎ澄まされている。肺に朝の空気を入れると、これからまだなにかできそうな気になるが、レイ君もさすがに眠そうだった。「俺たちはチングだ」とアドレスを好感して別れた。


中国語も同じようにして学習した。イルマには「何するか知らんが、面白そうなら俺にもかませろよ」と言われた。あんずはあいからわずのセクシーフェロモンを放射していて「わたしもー」と笑う。その笑顔をエネルギーに、3日間ほど中国人ネットワークに潜った。中国語「しか」話せない人を探す冒険だった。「でっかいビジネスのための基礎を作っているんだ」というと話を聞いてくれた。みんな消耗しきっているが、ビジネスは大好きだ。3日目に介護の勉強をしている桃(タオ)ちゃんというかわいい女の子と知り合い、深夜のコンビニバイトもしているから3時間しかないという睡眠時間を削ってまで話を聞いてくれた。それにレイ君が面白がってやってきて、結局タオちゃんとどこかに消えた。新宿の雑居ビルから出ると教授から連絡があった。


「覚えたか?」

「はい」

「じゃ、こい」


教授の段ボールハウスに行くと封筒を渡された。重慶行のチケットと、ぜったいに見てはいけない手紙、それに当座の現金10万円、これをもって重慶のダウンタウンにあるとある酒屋に行って「ひろぽんはどこにいる?」と言えばいい。


「海賊船もそこにあるんですか?」

「重慶は内陸だ、船はないしあっても長江だ、俺たちの目的はキタだよ」

「キタ?」

「とにかくあとはひろぽんについていけ、あいつが逃げたら殺していい」

「わかりました」


実際逃げられたら僕も逃げよう、そう心に決めて重慶に飛んだ。


重慶市に降り立つとその温かさに驚いた。こんなに内陸部なのに東京よりも温暖だ。空港もラスボスの迷宮のように巨大で、なんとか汽車に乗り込んだら、窓際の席が1つだけ空いていてそこに飛び込む。隣はエリートビジネスマン風のアジア人で「ニイハオ」というと「日本人?」と聞かれた。


キクチさんは重慶にある日本の家電メーカーの支社に勤務している人で「へぇ、官僚志望なのに起業するんだ」と驚いていた。「そうなのです、それだけは絶対にやらなければいけません」と僕のモチベーション、あんず、教授からのミッション(覚せい剤のことは隠した)を話した。「キミおもしろいね、時間が空いたらいい店紹介してあげるから飲もう」とアドレス交換をすることができた。


車窓からはニューヨークのマンハッタンのような巨大なビル群が見える。重慶は人口3千万を超えるメガシティで、土地も広く、気候も温かい。長江があるので輸送にも適しており、キクチさんいわく「ここが世界経済のもう一つの中心だ」とのことだ。ターミナルに降り立ち、キクチさんと別れると、その瞬間から迷子が始まった。


ダウンタウン行きのバス乗り場を探すが、誰に聞いてもタクシーのりばを案内されてしまう。そんなに金があるわけではないので断る。「バスだ!」「ふーん」「バスなのだ!!」「あっち」「それはダウンタウンか?」「さあ」「ダウンタウンでなければいけない!!」「しらん」インフォメーションのやりとり。社会主義にはサービスの概念がない。


で、どうしたか。


結局歩くことにした。直線距離で8キロほど。歩けない距離ではない。ただそれは重慶市の立体構造を無視しての話だ。突然歩道がなくなり、建物の中に入らなければならなくなる。女性用コスメブランドの倉庫になぜか入ってしまい、そこから真っ白な店内に出てくると「ギョッ!」とした女性店員に注意される。出口はどこなのだ?と聞くと「あっち」と指をさす方向に歩く。そしてまた迷子になる。


川沿いなら迷子にならないだろうと、小さな川に沿って歩く。バスケットコートぐらいの公園があり、そこのベンチに座った。のどが渇いた。だが自販機はなく、水もない。露店で飲み物を買おうと思ったらお茶しかなかった。仕方ないので温かいお茶を飲む。独特の香味がして気分が落ち着いた。天気は曇りで、熱くも寒くもない。気が付いたらそこで寝ていた。


「おい!」とお茶屋のおやじが起こしてくれた。もう空は茜色になっていて「風邪ひくぞ!」と笑っていた。シェーシェ。そうして再び歩き始める。


ヘッドライトをつけた車の流れを横目に歩く。でかいレストランから歓談の嬌声と食べ物のにおい。いくつものビルとその隙間にいる人たち。建物と言う建物から言葉と光が漏れてくる。腹減った。足の感覚がしびれて、靴がしなやかさを失っているのを感じた頃、おそらく指定された酒場のある町まで来た。が、ひろぽんの店を見つけるのは不可能に思えた。なにせサービスという概念のない国で、店と言う店に看板があるわけでもなく、電飾があるわけでもないし、あってもでかでかとしたでかいレストランぐらいしかない。小さな店の看板なんて異国人に発見できるわけではない。それに疲れ切っているんだ。何か食べ物を・・・と小さな路地にポツンと屋台があるのを発見する。


それは「ちまき」屋だった。おどろいたことに店員は小さな女の子。10歳ぐらい?と聞いたら「12歳だよ!」とおこられた。かわいい。「ちまきをくれる?それとそこで寝転がっていいかな?」と聞いたらいいよと言われたので硬いベンチに横たわる。さすがにビルの寒気がきつい。コンクリの冷たさが容赦なく伝わってくる。だがもう歩けない。ちまきはすてきに美味しかった。


気が付いたら夜が明けていた。ちまき屋の少女はすでにいない。だがあたたかな毛布が掛けられていた。少数民族の衣装なのだろうか?黄色とか赤とか原色の毛糸で編まれた毛布だった。


しばらくぼーっとしているとゴミ収集車がやってきて、町が動き出しているのを感じた。隣のブロックからビルはなくなり、木造建築の世界となっている。ゴミ収集車はそちらには興味ないようで、Uターンしてビル群にもどっていった。


目指す店は近かった。汚い看板だったが「海鼠飯店」と書かれた文字を発見する。その木造の建築物は増築に増築を重ねたお化け物件らしく、海鼠飯店のほかにも漢方やらエステやら麻雀店やらがいろいろひしめきあっているようだった。海鼠飯店の店のドアを開ける、が、やはり閉まっていた。


「なんか用?」と後ろから声をかけられおどろく。振り返るとナマコのような顔をしたオババが立っていて「ひろぽんに会いに来たんです」と言うと「麻雀やってるよ」と麻雀店の看板を指さす。ありがとうと伝え麻雀店に入る。


世界のどの雀荘がそうであるように、この雀荘にも白い煙が漂っていた。嫌煙家はきっと雀士になれない。煙幕のように張られた煙の奥に1座、卓が開かれていた。受付はおらず、その卓に歩いていくと1人の男が「わるいな、今、仲間打ちなんだ、次から入るか?」「仲間?俺たちが?」「ケツの毛までむしるお前が仲間?」「冗談だろ?お前に仲間はいないぞ」と笑う。僕は「ひろぽん」と言うと、笑われてた男がこちらを向く。目がらんらんと光っている。日本人だ。


「教授の使いです」

「そっかー、じゃあもうちょっと待っててやー」

「おい、日本語で通しやってるだろ」

「日本語しゃべるな、小日本」

「うぷぷーくやしかったら日本語覚えな馬鹿チュンめ」


聞いててヒヤヒヤする。ひろぽんがここまで煽れるのも、その根底にしっかりとしたコミュニケーションを築いてきたからだろうが、ネットのだったら大炎上しそうな言葉だ。


「お茶のんで待っててなー」

とポットを指さす。ポットの上を押すと、いつ入れたのかわからないようなお茶がぐぽぽーと出てきて香りが立つ。このお茶もうまい。しばらく煙の中でお茶を飲んで待っていた。ベンチはそれなりにふかふかで、昨日の寝床よりはマシだった。


また寝てしまったらしく「ほな、起きるかー」とひろぽんに起こされた。雀荘を出て、海鼠飯店に向かう。鍵を開けて中に入る。小さな居酒屋だった。「で?」とヒロポンがカウンターに入りこちらを向く。僕はカウンターにすわり、教授からの手紙と金を差し出す。


手紙をひろぽんが読み「君は教授と知り合って長いの?」と言う。「いえ、1か月ぐらいです」「敬語いらんよー、じゃあ極道でもないんか?」「はい、大学生です」「そう書いてあるわー、かわいそうになあ」「え、そうですか?」「あの爺さん、極道やで」「ああ、そうですか」「けーご、まあ、なんとなくわかってると思うけど、小さな組の看板しょってたみたいやね」「へぇ」「だから、あんなんと真面目につきあっとうたらどんどんバカになるで」「でも、やらなきゃならんのですよ」「そう書いてあるわー、女かー」「女なんですよ」「じゃあ、しゃあないわな、やることやらんとなー」「はい、これからどうしたらいい?」「俺と一緒に北朝鮮国境の町まで行って、海賊船に物資を積み込むかー」「やっぱそうなるよね」「ばれたら公安につかまって、日本に帰ってもマークされるかもなー」「やっぱ犯罪だよねー」「ばりばりの犯罪や」「極悪犯になってしまうよね」「初犯でも懲役くらうかもなー」「しかたないか」「え、やるん?」「え、やるしかないでしょ」「はは、おもろいな、キミ、じゃあ出発するか」


さっきまで麻雀してたのに、大丈夫?と心配になったが「大丈夫や、キミもおるもん」とひろぽんは笑う。「車取ってくるでや、ちょっとここでまっててー」「あ、ところでこの毛布を返したいんだけど」


ちまき屋の彼女に毛布を返して感謝を伝えたいというと、ひろぽんは隣の部屋の扉を開けてさっきのおばばを起こした。「500元」とヒロポンに言われ渡す。だいたい1万円ぐらいだ。「半分はおばばにわたるけどいいやろ?」「文句ない、感謝も伝えといて」「大丈夫や、彼女たちとはもちつもたれつだからな」


ぼろぼろのヒュンダイクーペに乗り込んで、その異臭に慣れてきたころにいろいろ話す。ちまき屋はやっぱり少数民族の家族がやっていて、あの辺りは基本的に出店するには公安の許可が必要なんだけどもちろんとってなくて、許可を取るには地道なネゴシエーションとわいろが必要で「バレたら公安に連れてかれて、えらいめにあうんや」とのことだった。だからひろぽんたちがいつでも駆けつけることができるように目を光らせていて、もし公安が来ても「ま、人のつながりでなんとかする」とのことだった。


幾度もの関門をこえ、重慶市を後にする頃にはひろぽんとは友達のようになっていた。ひろぽんは日本生まれの日系人で「やんちゃ」していたころに教授と知り合い、いろいろあって日本にいられなくなったので世界中をバックパックを背負って旅をした。北京のあたりで野垂れ死にそうになっていたころ、その日の食い扶持を稼ぐために日雇いの仕事をしていたら北朝鮮からいろんな物資を運ぶ貿易船(と言う名の漁船)の積み下ろしを手伝ううちに「あれっ?て気づいたら船が出航していて、ついたところが北朝鮮よ、ウケるやろ?」となったのが事の始まりで、あやしい段ボールを積み下ろしする仕事をしていた。


「ま、足切り要因やな、今のキミと一緒や」

「よくやめれたね」

「そりゃ教授よ、爺さんに頼んでスジ通してもらってやめた」

「でも重慶で同じようなことしてるでしょ」

「まあ、しゃーないわ、チャイニーズマフィアよりは教授のほうが若干まし」


僕たちは3日間、いろんな話をした。いろんな食べ物を一緒に食べ、バカみたいな話で死ぬほど笑った。看板に中国語とハングルが混ざり合うころ、僕たちを乗せたヒュンダイがプスンと最後の息を吐いた。「ま、ここまで来たら大丈夫や」と車を捨て、その小さな町でホテルを取った。夜になると町に繰り出し、暗い路地を歩いて飲食店を回った。「風邪薬がほしいんやけど」とハングルで聞き込みをするだけだった。2日目からは別行動をして、3日目に海賊船の船長を発見できた。「キャプテンクックとの交渉はまかせてや」とひろぽんは1人で出て行った。そしてそれがひろぽんを見た最後の姿となった。


ケータイが鳴っている。出ると教授だった。「いますぐその街を離れろ、北京から飛行機で帰ってこい」といきなり言われた。「ケータイは空港のどこかに捨てろ」「ひろぽんはいいんですか?」「いい、やつは今朝、生首で発見された」「生首!?」「いいから帰ってこい、今日中に動かないと手遅れになる」


一方的に電話を切られ、僕は動き出した。本能が、体を動かしている。この町にいてはやばい。生首になったひろぽんを想像して、その恐怖に手が震える。死が、この町にはある。電光石火で動かなければ、その死につかまってしまうだろう。僕は走った。ホテルをチェックアウトして、外に出て、走る。とにかく脱出をいそがなければならない。バス停があり、ちょうどバスがやってきたのでそれに飛び乗る。行先は不明だ。隣に座った行商のおばさんに次につく街のことを聞いた。ここよりは大きい町らしい。そこで下りる。それからまた走る。小さなバイク屋を発見したので、一番安いバイクを売ってもらう。大きい通りがある方角を聞く。キックをおろすとトトトンとエンジンがかかった。言われた方角に走る。太陽との関係性をみて、北京の方角に向かって走り出す。検問があるたびに「今日中に飛行機に乗らないといけないんだ」と言い金を握らせる。北京についたころには再び無一文になった。空港にバイクを乗り捨て、靴底から最後のお金を取り出してチケットを購入した。飛行機は明日の初便だったので、24時間開いている休憩所で寝た。


その24時間後には東京駅の教授の段ボールハウスにいた。「まあ、ごくろう」と教授は言った。僕は心身ともにやつれ果てていて、自分がいまどこにいるのかもわからなかった。「それおみやげか、似合ってるな」とちまきやの毛布をほめてくれた。「だが、仕事は未遂だ、もう1つやってもらうぞ」と教授は言う。「最北端に飛べ、海の底の金塊を拾ってこい」「金塊?」「ナマコだ」


ろくな睡眠もとれないまま、旭川空港に到着した。そこには筋肉質なおじさんがいて「こっちだ」と名も名乗らずにハイエースに乗せられた。「あと10人ほど集まる」と聞かされる「ナマコをとるんですか?」「そうだ」「僕は何をすれば」「新人はまず見張りからなんだが、今回はちょっとアクシデントがあって潜ってもらう」「スキューバですか?」「そうだ、やったことあるか?」「ありません」「まあ、まだ時間はあるから練習すればいい、簡単だ、息をすればいい」


カネダとなのったおじさんは途中でスキューバのボンベを大量に購入した。ハイエースはボンベでほぼ埋め尽くされる。髪を染めた若者も2人ほど拾った。彼らとはほとんど会話もなく、車はたんたんと北海道の最北端に向かった。


稚内市のアパートで僕はカネダさんにスキューバの使い方を教わった。「これがBC,で、ここを押すと空気が入って浮く、逆にここをこうすると空気が抜けて沈む、あとは息をすればいい」「ナマコはどうやって?」「ただ手づかみするだけだ」「なんでナマコなんですか?」「中国では乾燥ナマコは大変な珍味、というか漢方でな、同じ量の金と価値が等しいと言われているんだとよ」


1週間ほど、そのアパートで共同生活をした。徐々に人がやってきて、最終的に9人になった。目つきの鋭い男がリーダーでスギタと名乗った。スギタは「よし、じゃあ、今夜行くぞ」と号令をかけた。


僕たちは3台のハイエースに乗り込み稚内市からさらに北に向かって走り出した。時刻は19時でとっくに日が落ちており、月明かりもなく海は真っ黒な炭のようだった。とある海岸にのりこみ、ドアを開けると夏だというのに寒かった。


僕とカネダさんともう1人がドライスーツを着込んでいるあいだ、リーダーが指示をしてゴムボートに空気を入れ、見張りを立たせた。BCを着て、レギュレーターのチェックをする。シュゴーという音とともに空気がでてくる。「あんまり興奮するなよ、空気がもったいない」とカネダさんがいう。


4人がボートに乗り込み、夜の海をゆっくりと走り出す。べたなぎで波はほとんどないが、地形が複雑でいきなり岩がでてきたりする。「ぶつかることもあるから、落ちるなよ」とカネダさんが言う。エンジンのレバーを握るカネダさんの経験と勘だけが頼りだ。


岩の迷路を進み、深い場所までやってきた。陸地はもうほとんど見えなくて、たまに通る車のヘッドライトがかすかにわかるぐらいだ。視界はほとんど黒、漆黒の闇の中に僕たちは浮かんでいた。


「よし、潜るぞ」とカネダさんがいう。BCに空気を入れ、カネダさんが背中から海に入る。ジャボン!と思ったよりも静かだ。続いて僕と、もう一人が海に入る。ボートの上には1人が残っている。


真っ黒な空と真っ黒なボートが目に入り、BCが僕をぷかぷかと浮かべていた。レギュレーターから空気は出ているし、水中眼鏡にも水は入ってきていないことを確認する。そして深呼吸してBCの空気を抜いた。息を長く吐くと、ゆっくりと自分の体が沈んでいった。海の中も真っ暗だった。


カネダさんがライトをつける。僕たちもそれにならってライトをつけた。海底まで10mぐらい、ゆっくりと僕たちは沈んでいった。変な話だけど、とても自由を感じた。前後左右に加え上下まで移動ができる。まっくらで何も見えないけど、とても自由だ。


海の底は砂地で、探す手間もなくナマコたちの世界だった。軍手でつかむとぐにゅりとつぶれる、生き物の弾力として不安なほどだ。


カゴにほいほいと入れ、いっぱいになったら紐をひっぱる。するとカゴが上がり、新しいかごが下りてくる。僕たちはその作業を繰り返した。


やがて、新しいカゴが下りてこなくなった。もってきたカゴすべて使ったのだ。僕たちはライトを消して浮上した。ゴムボートの上はナマコでつまったカゴが満載になっており、1人づつ手を借りてボートの上に這い上がった。重力の重さを全身に感じた。海の中では感じなかった疲労がどっとやってきたのだ。


自分の体を休める間もなく、カネダさんは無線を入れた。なんて人だと驚く。年齢は僕たちよりも倍は上だろうに、息を乱すことなくスギタに帰還の一報をいれている。


再び岩の迷宮を通ろうとするころ、岸のほうから赤いライトが見えた。次に無線が入る。


「帰ってくるな!マッポの手入れだ!!!」


その無線と同時にカネダさんはボートをターンさせる。沖へ沖へ。陸地が再び見えなくなり、真っ黒な海に戻る。


「よし、カゴをおろせ」

とカネダさんがいい、僕たちは何も言わず苦労して取ったナマコのカゴを海に捨てる。すべて捨て終えて「これからどうします?」と1人が言った。


「たぶん、岸にいた連中は全員つかまっただろう、捕まっていなくても今回のグループは一斉摘発を受けるだろうな、どうする?おとなしくつかまるか?」

「いやっす」

「かんべんしてください」

「逃げられないんですか?」

「身元がバレている連中は無理だろうな、組から紹介受けたやつはまずアウトだ、俺も前科があるからまずだめだ」

「俺はショップの友達の手伝いで来ただけですよ」

「俺も兄貴から頼まれてやっただけっす」

「僕は教授から命令されて」

「うーん、じゃあ、なんとか逃げてみるか」


それからカネダさんはエンジンをかけ、ゆっくりと進む。でかい音は立てられない。岸は警察が見張っているだろうから、なるべく遠くに行かなければならない。どこまで行けばいいのか、どこで上陸すれば見つからないのか、正解が全く分からなかった。カネダさんの経験と勘だけが頼りだった。


車が下りてこられない絶壁があり、カネダさんはそこにボートを上陸させた。

「わかりにくいけど、あそこからなんとか道路まで這い上がれるから」

とカネダさんは言った。

僕たちはその道を何とか見つけることができた、だけどカネダさんは動かない。

「カネダさんは?どうするんですか?」

と聞いたら

「俺はいいよ、どうせ帰っても捕まるから」

と笑った。

「・・・そうですか、ありがとうございました」

と僕は感謝せずにはいられなかった。

「おう、なるべく捕まるなよ、兄ちゃんはなんとかまともな道に戻れると思うから、頑張ってでかい会社を創ってくれよ」

ぺこりと頭を下げる

「じゃあ、達者でな」

というカネダさんを後にして、僕たちは崖を上った。


白いガードレールの足をつかみ、ゆっくりとあたりを見回す。パトカーはない。僕たち3人は国道に這い上がった。

「じゃ、ここで解散しよう」

と一緒に潜った男が言う。異論はなかった。

一人は東へ、一人は西へ、そして僕は南の山の中へ散っていく。


そして歩き疲れたところで寝た。ただの草むらだった。ドライスーツのおかげで寒くはなかったが、最悪の朝だった。


ドライスーツを脱ぎ捨て、ひたすら歩く。腹が減っていた。ここはどこだろう?体に巻いていたちまき屋の毛布だけが温かかった。

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