第12話 全盛期

見当識障害、時間や時期を認識できず、自分の年齢も今の年号や西暦も理解できなくなる症状、主に認知症の進行した高齢者にみられる。


「あなたがユニークなのは、60年代の安保の時代までさかのぼっていることなのよね、普通、時間の見当識障害を発症した人は自分の全盛期を今だと認識するの、例えば会社の社長をやっていた人ならバリバリ働いていた時、母親をやってきた人なら子供が成長して巣立った時とかね、でもあなたはあなたが経験していない時代を今だと感じている、半世紀以上前の、あなたが生まれる前の、日本がまだこれからってときの・・・つまり日本の全盛期ね」


「俺はお前の馬鹿げた記憶力が原因だと思うぞ、その時代の書物とかいろいろ勉強して、すべてを記憶して、まるでその時代にそこにいたように勘違いしたんだろ、三島由紀夫がやってきて討論しているのも映画になっているし、三島講堂で演説をぶち立てたり、ヘルメットとゲバ棒もって当時の学生たちは熱かったんだろな、そのあたりの情報が記憶となってお前の中で生きている」


「チング、俺は誰だって何かの障害をもっていると思っている、例えば俺は女が好きすぎて何度も破滅したし、お前のように何かをじっくり学ぶってのが苦手だ、だけど欠点ってのは人が他人を必要とするための大事なピースだ、俺たちは助け合える」


「ワタシ、あなたのビジネスは成功すると思う、あなたはとても賢くて行動的、誰に対しても平等で、悪い人に対して恐れていない、タオは喜んで中国の仕事をやるよ」


みんなが水から酒に飲み物を変えて、それぞれの言葉で僕をなぐさめてくれる。僕だけが酒を飲む気になれない。


今は、いつだ。


イルマがスマホを見せて説明する。「ほれ、2022年って書いてあるだろ、ってかスマホがあるのに、よく今が1970年代だと認識しているな」


「そこらへんは脳がうまく言い訳しているものなの『なんだかわからないけど便利なものがあるんだな』って」


「でも書類を書くときとか大変だったんじゃないか、銀行の口座も作れないネ」


「書類の・・いま何年って書くところって・・・そういえば書いたことがない」


「ああー、右上のあそこって、民間の書類だったら受付の人が書いてくれたりするよな、そうでなくても『何年何月です』って教えてくれるから、そのまま書けばいいもんな」


「キミの親はキミの症状について知っていると思う、なにも言われてこなかったの?」


「僕の親は・・・母親は生まれたときに死んで、大学の教授だった父親に育てられてきて、でもお父さんは忙しくてあまり家にいなくて・・僕は父の書斎でずっと生きてきた」


「カゴの鳥か・・一度会って殴っといたほうがいいぜ」


「そんなことはできない、大学まで進学させてくれてとても感謝している」


「カンケーねえよ、お前はアカデミックなネグレクトの被害者だ、それに数千万の借金をこれから背負うんだから一度会いに行け」


「借金って・・・投資をしてもらうだけだろ」


「名前が違うだけだ、投資家のほうが回収にクレバーなこともある」


なるほど、と僕は思った。そのまま酔う気にはならず、その日はそれぞれの役割を確認して解散となった。


あんず:僕の症状の経過観察

イルマ:投資家の募集

タオちゃん:中国に帰国しナマコ輸入会社設立の準備

レイくん:僕のサポートとして毎日一緒にいる


僕はそれから全国の漁協を回り、名刺を配り、担当者と接見した。僕の計画はわりと好意的に受け入れられた。漁協としても乾燥ナマコのルートの確立には手を焼いていて、いくつかの仲介業者を挟まなければならず、自然と原価は安く叩かれていたのだった。自分たちの管理する海産物が黄金の価値を持つのに、それを高く売れないのは悩みの種で、しかも密漁にも目を光らせなければならない。ブランド化するならよろこんでサンプルを提供させてもらうと約束してもらう。(まあ、こんな若造ができるはずもないだろうが・・・)という表情がありありと見て取れた。


唯一、本腰を入れてくれそうな漁協があった。あの最北端の町の漁協だった。担当者は僕のことを覚えてくれて「本当にすまなかった」と警察に通報したことを謝っていた。「よろこんで協力させてもらう」とも。


こうして乾燥ナマコのサンプルを手に入れることができ、僕たちは次のステップにすすんだ。商品をもって中国本土に渡り、タオちゃんと合流してナマコの営業に走り出したのだ。タオちゃんは親戚を頼って、香港に小さなオフィスとコンテナを借りてくれていた。


「こんなに小さくていいの?」と心配していたが全く問題ない。香港はあくまで最初の第一歩だ。これから内陸部のメガシティを落としていくだ。それに乾燥ナマコは軽い、空輸向きの商品だ。すでにいくつかの漁協からサンプルを送ってもらっており、僕たちはそれを手に高級レストランを回った。


僕たちの戦い方はシンプルだった。まず、価格競争はしない、正規のルートで水揚げされた商品なのだから高いのは当然だ。むしろ、それまでのレートに15~20%の上乗せをして提示した。「ホンモノだから高いのだ、マフィアが絡んでいないから当然だ」という主張をここに込めた。その裏には「あなたたちは高級公務員や海外のエグゼクティブを相手にしているのに、いまだマフィアとの取引を続けるのか?」という強迫も込めていた。こうして最初の関門は突破することができるようになっていった。


本当に難関だったのは次のステップだった。レストランの担当者が僕たちのナマコをテストする。料理をするために生まれてきたような特級厨師たちの舌が最強の敵だった。


「乾燥が甘い」

「もっと寒いところの海で育ったものでなければダメだ」

「輸送の過程でキズがついてしまっている」

「サイズが大きすぎる」

「サイズが小さすぎる」

「口に入れた瞬間、フローレンスな広がりがなければだめだ」


僕たちはそのダメ出しを受けるたびに日本の漁協に連絡し、ベストなサンプルを送ってもらった。一番熱心に取り組んでくれたのはやっぱり最北端漁協で、結局最北端のナマコは最安のナマコの3倍もの値段をつけることになった。


会社は赤字を生み続け、年度内の黒字転換は絶望的になった。「真っ赤なプール」とレイ君は言った。取引ができたのは結局香港の3店舗だけで、まだ始まったばかりだ。「真っ赤な血のプールに、3滴の墨を落とした感じ」というのが僕たちの会社の現状だ。


「まだ始まったばかりね」とレイ君が言ったように、僕がバーで僕のプランを発表してから3か月しかたっていない。日本で漁協と取引するための会社も設立しなければならないし、やるべきことはいくらでもある。学生起業というメリットを生かすためにも、大学に在籍し続けることも必要だ。


そんな忙しい毎日を過ごしていながら、絶対に外せない用事もあった。あんずとのカウンセリングだ。あんずとカフェで待ち合わせをして、30分ぐらい話す。とても充実している時間だ。僕の過去、僕の人生、僕の価値観、僕の認知している現在、僕は常にスマホを持ち歩くようになり、その画面にはいつも現在の年度月日が表示されるようになっている。


「そろそろ、お父さんに会うタイミングかもしれないね」

とあんずが言った。そういえば、密漁で逮捕されたときに電話したっきり話していない。僕はあんずの前でお父さんに電話した。幸運にも父は電話に出た。明日、大学で会うことになった。


大学構内の大きなイチョウの木の前に、小さな白髪の男性が立っている。僕の父だ。


「やあ、ひさしぶり」と彼は言った。

「おひさしぶりです」と僕も言った。


「ナマコの時はご迷惑をおかけしてすいません」

「いや、いいんだ」


僕たちはイチョウの前のベンチに座って話す。


「いま、ナマコの会社を立ち上げているんです」

「聞いたよ、イルマ君って言ったかな?」

「あいつにはかなわないな」

「彼も『あいつにはかなわない』と言っていたよ」


ハハ・・と笑って、会話が尽きた。


「君の症状には気づいていた」と父が沈黙を破る。

「だけど、精神に障害があるわけではない、今の時代に生きていないってだけで、生活に困ることもないし、大学にはそれぐらいの変人はいっぱいいる、いや、だからって許してもらおうってわけではないんだ、ほんとうにすまない、もっと、キミと一緒に生きていくべきだった」


父親の懺悔になんて答えればいいかわからなかった。


「キミの母親、僕の妻だった女性はとても強くて、明るくて、太陽みたいな人だった、僕の生きる目的すべてといってもいい、彼女となら幸せな家庭をつくれると思っていた、君と引き換えに彼女は死んでしまった、こんな話をするのは初めてだったね」


会いたかった、とだけ答えた


「僕も会いたい、たまに家に帰るときは、彼女との思い出の品をながめたり、一緒に見た映画を見たり、一緒に行った旅行の写真を見ている、もうほとんどこれに入っているけどね」


とスマホを出した


「共有フォルダにしておこうか」


うん、と僕もスマホを取り出し、父からのメールで母親との思い出をクラウドで共有することにする。


「じゃ、これで」


と父は立ち上がった、僕も立ち上がり、僕たちは握手をした


「もう、ヤクザとはつきあわないようにね」


「なるべくそうします」


と僕たちは別れた。


僕はそのままイチョウの木の前で、母親の写真を眺めていた。しあわせそうに笑っている写真ばかりだった。父も笑っている、父親のこんな顔を見たことがない。「きっと全盛期だったのかもな」父の全盛期を僕は知った。そして初めて家族がそろっている感覚になった。共有フォルダで、僕たちはつながっている。そのつながりを壊すように電話が鳴った。


「教授」


とスマホは表示していた。


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