弟たち
チャールズは軽快な足取りで納屋に出ると、鉄板の蓋をし床板を戻していった。手早く戻された床板は、剥がされたとすぐにはわからないだろう。もっとも、違和感なく元通りというわけにいかず、その周辺だけホコリが積もっていことから、真っ先に調べられるだろう。
さてどうしたものかと思案する素振りを見せたのもつかの間、チャールズは黒装束についたホコリを払うと戸に手をかける。細かいことは気にしないことにしたらしい。
わずかに戸を開けて外の様子をうかがう。
邸宅周辺の人は出払っているようで、片割れが起こしている騒ぎが離れたところから聞こえる。
「厨房にいたぞ!!」
「ぁ゙あ゙? 備蓄庫じゃねぇのかよ?!」
「知るか!」
「おい、そっちじゃねぇ!! こっちだ」
「こっちって、どっちだ?!」
おいおいと、チャールズは苦笑した。
(引っ掻き回しすぎだろ)
出遅れた。これでは、チャールズが看守をおちょくる余地がないではないか。必要以上に騒ぎを大きくすれば、囚人によからぬ影響を与えるのは確実だ。それだけは避けたい。
美味しいところを持っていかれたチャールズは、さほど悔しがることはしなかった。
いつも浮かべている軽薄な笑みが消して、神妙な面持ちで隠形の術を自らにかける。素早く納屋から出た彼は、リチャードが戸の際に置いていった錠前で施錠し走り去る。
こうして、『空洞の針』の秘密は暴かれることなく、再び長い長い時を暗闇だけが支配することになった。
「プランB?」
フィリップは眉間にシワを寄せて、チャールズに尋ね返した。
前日の監獄潜入作戦会議の去り際、双子が訪ねたいと言われた。その時点で、予想はしていた。とはいえ、商会の執務室にやってくるなり、さも当然のように言われるのは面白くない。
次兄の隠そうともしない露骨な嫌そうな顔など、執務机に両手を置いたチャールズは微塵も意に介さなかった。
「俺らの経験上、ああいう計画はまず計画通りにいかない。アクシデントはつきものだろ。それなりに場数を踏んできた俺とリチャードだけなら、即興でいくらでも対処できるさ。けど、今回はそうじゃないだろ」
リセール公がいる。だから別の脱出ルートを用意しろと、飄々と言ってのけた。フィリップは、軽いめまいを覚えた。どうせ聞きやしないとこめかみをもみながら、鼻を鳴らした。
「フン。なら、監獄に行かなければいい」
「いやいや、そんなあっさり撤回してくれるなよ」
そもそも、双子が言い出したことだ。海の向こうで習得した不可思議な術を使えば可能だと。だからこそ、マクシミリアンと手がかりを握っているかもしれない囚人を引き合わせる計画を立てたのだ。実のところ、フィリップは囚人にそれほど期待していない。手がかりがつかめる可能性がゼロではないから、協力しただけだ。それが、万全でないのなら白紙に戻すだけのこと。
(こいつらは本当に小賢しい)
おそらく、計画の手配を終えたこのタイミングを狙ってリチャードは言ってきたのだ。
間違いなく、マクシミリアンに前日の計画以上のことを明かす気はさらさらない。
執務机に両手を置くチャールズと、背後の窓から町並みを眺めているリチャード。この双子は、いくつになっても問題児だ。
『非情の双子王子』などという悪名のせいで、救国の六王子の中で武力にだけ長けていると世間から認識されがちだ。とんでもない誤りだ。頭脳では末弟のコーネリアスがずば抜けて明晰だったけれども、双子は決して傍若無人な脳筋ではない。そうでなかったら、どうして海の果ての未開地を統治などできるはずがない。少年期の度重なる問題行動も、彼らなりの理由があった。その理由は、フィリップにとって理解しがたいものではなかったし不憫にすら思う。だからこそ、いまだに度々面倒事に巻き込まれているのだ。
(そもそも、なんでこいつらはここにいるんだ?)
国を出てから、一度だって寄り付こうとしなかったくせに。
もし退屈しのぎの興味本位で関わっているのなら、いい迷惑だ。
「撤回に決まっているだろう。マックスを危険にさらすわけにはいかない」
「は? 何いってんだよ、ウィル兄!」
心外だと大きな声を出すチャールズに、フィリップは軽く目を瞠る。
「ウィル兄、俺らがクリス兄の息子を危ない目に合わせるわけないだろ。……あー俺の言い方が悪かったよ。もしなにか起きたら、俺らが囮でも盾でもなってあいつを無事に帰す。そうなると、『空洞の針』とは別の脱出経路が必要になるかもしれないだろ」
「そうまでしたところで、囚人からなんの情報も得られない可能性のほうが高い」
「俺らも、囚人なんか当てにしてないさ。けど、あいつはその囚人になんか言いたいことがあるんだろ。それだって、大事なことだろ」
「フン。大事なことだとしても、危険を顧みずにやるべきことではないと、マックスが一番よくわかってるはずだ。わたしが撤回すると言えば、納得するだろう」
いくら血のつながった甥とはいえ、会ってまだ半月だ。自らを犠牲にする(もちろんただ犠牲になるような双子ではない)義理が一体どこにあるというのか。さっぱりわからない。なぜか、わからないことにひどく苛立つ。
「お前たちは、いったい何がしたいんだ? 今さら、何をしにきた? フン、クリスの息子のためにとか言わないよな?」
「…………」
当てつけのような問いに、まさかチャールズが口を閉じるとは。それも、珍しく困ったような気まずそうな傷ついたような顔で。
そのまさかだったと知った衝撃で、フィリップはしばし愕然とし言葉を失う。しばしの張り詰めた沈黙の後、彼は執務机に拳を叩きつけた。
「ふざけるな。あれは、お前たちのためにやったことだったんだぞ。結果がどうであれ、クリスは……、それをお前たちはさっさと国を捨てて……恩知らずのお前たちがクリスの息子のためとか、冗談が過ぎるぞ!!」
「……ふざけていないし、冗談のつもりもない」
怒りに声を荒げたフィリップの背後から、それまで黙っていたリチャードが答えた。振り返らなくても、前にいるチャールズと同じ顔をしていると声でわかる。
「……今さらすぎる」
唸るように吐き捨てた次兄に、チャールズは肩を落とした。恩知らずと罵られてもしかたないことをした自覚はある。これまでも度々行動を非難されてきた。すっかり慣れて、ヘラヘラ笑って言い訳を飲み込んできたけれども、今回はできなかった。
「あのさ、クリス兄が死ななかったら帰って来るつもりだったんだぜ」
「…………」
珍しくしおらしい態度を見せた弟に、フィリップは黙って先を促した。
(こいつらは、本当に面倒くさい)
チャールズとリチャードは、昔から肝心なことを言わない。なまじ賢く空気を読むから、感情にまかせて言えばよかったものまで理性が諦めて飲み込んでしまう。罰を受ける時、長兄が改心するよう諭す時、あれだけ不満と怒りに満ちたもの言いたげな目をしていたくせに。問題児なら問題児らしく、さっさと感情にまかせてぶちまければいいものを。変なところで物わかりがいいから、厄介だ。結局、最悪のタイミングで長兄にぶちまけることになってしまった。
勢いに任せて恩知らずと言ってしまった。実際、彼らの行動だけを考えればその通りなので、撤回するつもりはない。それなのに、後味が悪い。
(ああそうか。あの時、クリスもこんな気分だったんだな)
言わせてしまった罪悪感。なぜ察せなかったのかという後悔。
双子には調子を狂わされてばかりだ。
「本当に、今さらすぎるよな」
チャールズは大きなため息をついて肩を落とした。
「けど、しかたいだろ。あのままこの国に留まってたら、クリス兄はいつまでも俺らの世話を焼いてただろ」
「……」
その通りだ。あんな結果になったのなら、なおさらクリストファーは双子のために尽くしただろう。双子が望まなくとも、だ。
悪いのはイカれた父だというのに、人がいい長兄はいらぬ責任を負おうとした。
「俺らなんかのために、クリス兄はよくしてくれた。結果があんなでも、俺らは……嬉しかった。俺らには、充分すぎた。ウィル兄もわかるだろ。あれ以上は、お互いのためにならなかった。国を出て功績を上げてクリス兄が俺らのこと認めさせてから、帰って来るつもりだった。馬鹿だよな。クリス兄が死なない保証もなかったのにな」
双子がなぜ海を渡ったのか。瞬く間に総督にまで上り詰めたのか。未開の島を大陸西部の諸国と公益を結ぶまでに発展させたのか。――他にも、双子がなぜそこまでする必要があったのか、フィリップはずっと理解できなかった。双子たちの言動が理解できないのは、いつものことだった。気軽に会える距離ではないことも手伝って、理解しようと務めることすらなくなっていた。
それらすべての根底にあるものが、長兄への恩返しだったとは。そして、長兄亡き後行場を失った恩を今息子に返そうとしていたとは。
もはや、フィリップは言葉が見つからない。
(本当に、今さらすぎるな)
けれども、今だらからこそとも思うのだ。
今だからこそ、腹を立てることなく双子の言い分を聞くことができた。双子が国を出る前に聞いていたら、絶対に出国を許さなかっただろうと。
(だから、言わなかったんだろうが)
まったくこの双子は本当に――
フィリップは双子の言い分を飲み込んで、大きく息をついた。
「適当に撹乱してから、『空洞の針』を使えばいいだろう」
唐突になんの話だ。
一拍置いて、先ほど監獄行きの計画を撤回しようとしていた次兄が折れたのだと気づいた。
(ウィル兄は、本当に
じわじわと笑みを深めるチャールズに、フィリップは「フン」と鼻を鳴らした。
「いやいや、『空洞の針』は駄目だ」
囮になる事態は、潜入がバレたということ。普段使われていない納屋も、捜索の対象となるに違いない。捜索の中で、『空洞の針』が知られてしまうような事態は避けなければと、チャールズは至極もっともなことをのたまうではないか。
「そうでなくとも『空洞の針』を隠す工作は必須だが、計画通りにいかなかった場合、より注意をそらす必要がある」
もっとも潜入がバレることなく脱出するのが一番だがと、窓の外を眺めながらリチャードは続けた。
他に秘密の脱出経路はないのかと尋ねるチャールズに、フィリップはせせら笑う。
「そんなものあるわけない。監獄だぞ。そもそも、初めから抜け道がある砦を監獄に転用すること自体どうかしてるだろうが」
「それはそうだ」
では、発覚の可能性が高くなる危険を冒して『空洞の針』を使うしかないのか。
(鉄板までは問題ないが)
外した床板を内側から元に戻すのは、どう考えても不可能だ。ならば、いっそのこと納屋を破壊するか。ピュオルの火薬の扱いに長けた部族から教わった爆弾で爆破してしまえば、入口を塞げるし、再建するにも『空洞の針』の存在を知る監獄長が最小限の人員だけを選ぶだろう。
問題は、爆弾が大陸では普及していない技術だということくらい。それだって、いづれは大陸に伝わるのだから、たいしたことではないだろう。むしろ、祖国で使用することで、研究などが進めば貢献することになるのでは。材料は次兄に手配してもらって――
チャールズの思考がどんどん物騒になっていく。
物騒な結論を口にする前に、フィリップが物騒な思考に水を差す。
「脱出経路がまったくないわけではない」
「いや、さっきないって言ったばかりだろ」
「秘密の脱出経路がないと言っただけだ」
「……」
真面目で堅物だった次兄は、いったいいつからこんなくだらない冗談を言うようになったのか。
弟の胡乱な目つきを鼻で笑って、指を二本立てる。脱出経路は、まだ二つもあるらしい。
しかし一本指を折ったフィリップが最初に提示した案は、脱出経路と呼べないものだったけれども。
「城壁を越えて崖を下ればいいだろ」
「いやいや、そんな簡単に言ってくれるなよ、ウィル兄」
「できないことないだろう。昔、城壁よじ登って散々家出していたのは、一体どこのどうつらだ?」
「いつの話いてんだよ。俺らが今年でいくつになったと思ってんだよ」
「五二だったな。とても五二には見えんがな。安心しろ。命綱でも何でも必要な物は用意してやる」
勘弁してくれと白目剥くチャールズだったけれども、できないとは言わなかった。いや、言えなかった。
家出されるたびに、後始末に巻き込まれていたフィリップにしてみれば、このくらい意趣返しのうちにも入らない。それでも、多少はスッキリした痛快な気分で、二本目の指を立てた。
「城壁を越えるのが嫌なら、跳ね橋を下ろすしかないな」
「その手があったか!! どこだ? どこに行って城門を開けて跳ね橋を下ろせばいい?」
なぜ来た道を戻るという選択肢が思いつかなかったのだろうか。
どうやら、装置がある場所を占拠するほうが、双子にとって壁を越えるよりも楽な仕事らしい。
目を輝かせるチャールズに、今度はフィリップが胡乱な目を向けた。
「お前たちが跳ね橋を下ろすのは、プランZだ」
侵入者が監獄を解放するなど、言語道断。ただでさえ、潜入がバレた時点で囚人を刺激するのは免れないというのに。
「だいたい、跳ね橋を渡り切る前に上げられてみろ。目も当てられんぞ」
「それはそうだ。じゃあ、どうやって下ろすんだ」
「監獄側に下ろさせる」
マクシミリアンを逃がすために囮になった双子が、騒ぎを大きくすれば、監獄の外で監視をしている部隊に応援を要請する合図を送るとのことだ。過去にも、囚人の暴動などで応援を呼んだ事例がある。
応援と入れ違いに脱出する。これも、隠形の術があればこその脱出方法だ。
「揺動か。わたしたちの独壇場だな」
「ディック、わかっているだろうが……」
「わかっている。ほどほどに、だろ。殺さない。怪我人も最小限」
「怪我の具合も最小限だ」
背後のリチャードの代わりに、チャールズが肩をすくめて了解した。
フィリップはなんだかんだと言いつつ予備の脱出計画を二つも用意したけれども、それもこれも血の繋がった兄弟だからだ。赤の他人にここまでするほど、フィリップは聖人ではない。フィリップは気づいていないけれども、双子は双子で兄弟だからフィリップを頼れるのだ。
「フン。勘違いするなよ。お前たちのための計画じゃない」
「わかってる。泣きんぼうを泣かせるようなことはしないって」
「わかっているなら、それでいい」
フィリップもまた、大切な甥を身を全面的に任せられるほど双子の弟たちを信頼していた。そうでなかったら、迷うことなく計画を撤回していただろう。
予備計画がまとまったところで、リセールの活気溢れる町並みを見下ろしながら、リチャードがつぶやいた。
「平和だな。昔と空気が違う」
双子が王子だった頃は、国中は淀んだ重苦しい空気が蔓延していた。狂王もその空気に心を病んだのだと、今なら双子にもわかる。
あの頃は、若すぎてわかっていないことが多すぎた。
「フン。なら、
他にいくらでもやりようあったにせよ、過去の結果が現在だ。
兄夫婦の死を初めとした多くの後悔を抱えてきたフィリップにとって、この平和で穏やかな光景が救いだった。
誰よりもこの光景にふさわしい長兄が、どこにもいない。弟たちにとって、これほどやるせないことはない。だからこそ、泣いてばかりだった赤子が立派に成長してくれることが、救いであり希望となった。
チャールズは最短で城門横の詰め所でリチャードと合流を果たした。
運悪くリチャードにぶちのめされた看守たちが転がっている中、双子は厨房からくすねてきたソーセージで小腹を満たしていた。
外に応援を呼ぶかどうかは、実のところかなりの賭けだった。城門が開かなかったら、城壁を越えるだけなのだけれども、双子も若くない。かつてのように進んで無茶したくない。
「城門が開くかどうか、賭けないか?」
「わたしたちで賭けが成立したことが一度だってあったか?」
「ないな」
ケラケラ笑うチャールズだったけれども、すぐに小さくため息をついた。
「泣きんぼうが、泣き出す前に合流してやりたいんだがな。あいつ、死にそうな顔してたぞ」
「チェチェにもう少し大陸語を教え込んでおくべきだったな」
双子もフィリップも、マクシミリアンにあえて予備計画を教えなかった。
教えれば、確実にヒューゴに会うのを我慢するのがわかりきっていた。そうでなくとも計画に消極的だった彼にチェチェを背負わせることで、その気にさせたくらいだ。
今ごろ、チェチェがうまいこと舟に乗せて脱出しているだろう。大人しく脱出してくれればいいけれども、あの様子では期待できない。死と隣り合わせのギリギリの場数を踏んできたか、双子たちが考えていたよりもマクシミリアンはわかっていなかったのか、誤算といえば誤算だ。
「クリス兄だって、あんな顔したことなかったってのに」
「それだけ、マックスの人生が平穏だったってことだろ」
「確かに」
なおさら、早く合流して安心させてやらなければ。
そろそろ、城壁を越える案を実行に移すべきだろうか。
かぶりついたチーズを乗せた堅焼きパンを咀嚼していたチャールズは、不意に食べかけのパンを投げ捨てて立ち上がった。リチャードも同様に鋭い視線を、扉に向けている。
いつの間にか、あれだけ騒がしかった監獄が静まり返っていた。
静かすぎるくせに、空気がヒリヒリとざわめいている。
王国にいた頃は無縁だったこの感覚。
口の中の物を吐き捨てた双子は、いつでも弯刀を抜けるようにしながら静かに扉に近づき、言葉も視線も交わすことなく同時に扉を蹴り破った。
「っ!!」
百戦錬磨の双子でも声にならないほどの驚愕の光景が、そこに広がっていた。
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