マクシミリアン 〜鳴らない鈴の音色は〜

笛吹ヒサコ

序章

不穏な噂

 リセール公マクシミリアン・ヴァルトンが謀反を企てている。


 その噂は、野火のように王国中に広まった。


 初めは「いやいや、あのリセールの伊達男が謀反など……」と、耳を疑い、笑い飛ばす者が多かった。

 若き国王ジャックの従兄にして、王都アスターに次ぐ大都市リセールを治める伊達男。

 花の都の国王ジャック。水の都のリセール公マクシミリアン。

 神なき国ヴァルト王国の双璧をなす王族。

 民から愛され敬われる二人は、ジャックが王となる前から支え合う良好な関係だったはずだ。


「いいや、それは違う」と、訳知り顔でかつて二人は王座を争い対立していたと語り始める者が現れ始めた。


「なにしろ、先王コーネリアス様はお妃様をお迎えにならなかった。コーネリアス様ご自身のお体を思えば、賢明なご判断だ。だから、これは秘密でもなんでもないのだが、ジャック陛下の母はどこの馬の骨ともしれない女だ」

「どこの馬の骨ともしれないとはなによ。アンナ様は素晴らしい方よ。あの病弱なコーネリアス様が愛さずにいられないほど、長年献身的にお世話をしたの。彼女がどんなに素晴らしい人かは、みんな知ってるはずよ」

「ああ、ああ、知っとるとも。あんたの言うとおり、アンナ・カレイドは素晴らしい女だ」


 思わぬ反論をする女を宥める羽目になった男は、なにもジャックの母を馬鹿にしたかったわけではない。むしろ、口うるさい妻に見習ってほしいと常々思っているほどだ。この国の男なら誰もが一度は、最愛の人に献身を捧げたアンナが理想の女と口にする。それに対して女たちは、尽くしたいと思えるほどの甲斐性が男にあればと愚痴をこぼすまでが、いわゆるお約束というやつだった。

 先王コーネリアスと、彼の生涯を支えた侍女アンナは、まさに理想の愛の形だった。そしてアンナ・カレイドは、コーネリアス亡き今も、いや最愛の人亡き後の今こそ、世の女たちが憧れてやまない輝ける理想の女だ。


 それはさておき、余計なことを言ってしまった男は、うんざりとした様子で「そうではない」と繰り返し手を横に振って、話を戻した。


「そうではない、そうではないのだ。わしが言いたかったのは、コーネリアス様が一生涯独身であったため、ジャック陛下は庶子だったということだ。いくら、コーネリアス様がお認めになったお子であっても、母親はそれ相応の身分ではない。その点は、誰も異論はあるまい。それに比べ、マクシミリアン様のご尊父クリストファー様は、あのようなことがなければ王になられたはずの立派なお方だ。コーネリアス様ではなく、な。御母堂のパトリシア様は、北の名門のお生まれ。お二人はちゃあんと釣り合いの取れた縁組だった。事実、ジャック様がお生まれになったあとも、コーネリアス様はマクシミリアン様を世継ぎにと認められていたではないか」


 そう言われてみればそうだったと、年長の者たちは首を縦に振る。そうして別の誰かがこう続けるのだ。


「ああ、そうだ思い出した。思い出したぞ。真っ当な血筋のマクシミリアン様こそ正統な世継ぎだとかで対立していた頃が、あったな。たしかにあった」

「そうとも、あの聡明なコーネリアス様を簒奪者と罵る狂王の佞臣どもが、マクシミリアン様こそが正統な世継ぎだと、ずいぶんな悪事を働いてジャック様を陥れようとしたな」

「たしか、王妃様の従姉も巻き込まれたとか」

「ああ。おかげでようやくあの忌々しい教会の悪党どもと、恐ろしい魔女のクスリを一掃できたってやつだろ」

「でも、王妃様の従姉様は、この国にいられなくなったんでしょう。可哀想に」

「可哀想? 従姉様は熱心に教会に通っていたから暗殺未遂に巻き込まれたんでしょう。もともとヤスヴァリード教の信者だったんだから、帝国に亡命したのは、むしろ……ねぇ」

「帝国に亡命したといえば、六王子のギルバート様。あのお方も、今頃どうしているのやら」


 噂話で盛り上がればよくあることで、どんどん話がそれていく。

 これは面白くない。よくないぞと、話を始めた訳知り顔の男が咳払いを一つ。


「ゴホン。そういうわけで、陛下とマクシミリアン様が対立していたのは事実だ。ほんの五年前までのことだがな」


 そう、ほんの五年前。ジャックが王位についてから、もう五年。

 長いか短いかは人それぞれだけれども、この五年ですっかり忘れ去られてしまうほど、国王ジャックとリセール公マクシミリアンは良好な関係を保ってきた。建国以来、王都アスターに次ぐ大都市リセールの主が、国王に反発し、対立したことは何度もある。それこそ、内戦を起こしそうになったこともあったくらいだ。王国崩壊の危機として、歴史に刻まれている。

 ジャック王の治世が始まって五年、平和だった。

 ついさっきまでワイワイガヤガヤ賑やかだった場が、しんと静まり返る。

 この噂が事実だとすれば、平和な日々は終わりを告げてしまうのではないか。不安がじわりじわりと皆の心に広がっていく。

 沈黙に耐えかねた誰かが、嘘くさいまでに明るい声で言う。


「けどよぉ、そもそも不穏分子を炙り出すために、お二人が協力して対立したふりをしていたって、俺ァ聞いたけどな」


 たしかに、そんな話も五年前にあった。

「そうだった、そう」と、自分を安心させるようにうなずきあう。


「やっぱり、リセール公が謀反なんてありえない!!」


 はやり、謀反などありえないと笑い飛ばす者が多かったのだ。あのマクシミリアンが謀反など、信じられない。あるいは、信じたくないだけだったのかもしれない。




 ところが、数日と経たないうちに――


「聞いてくれ!! リセールにいる俺のダチの親戚の知り合いが言ってたらしいんだが……」


 リセールと聞いて、誰もがここしばらく世間を騒がせているリセール公の噂に関することではないかと、耳を傾け早く早くと話を促す。


「先月の初め頃、リセール公は体調を崩されたとかで、半月ほど人前に姿を現さなかった。だが、そいつは真っ赤な嘘で、実は西海の島国ピュオルにこっそり行っていたらしいぞ!!」

「ピュオルって、まさかあの……」

「そうだそう、あの国には六王子の双子チャールズとリチャードがいる」


 これはまた、とんでもない話だ。

 グウィン大河を下り、はるか西の海にあるという四つの島からなる国ピュオル。

 海を知らないヴァルトの民にとって、まさに未開の地。

 『非情の双子王子』の異名で知られるチャールズとリチャードが、何を考えてかおもむくことがなければ、多くの民はそういう国があることすら知らなかっただろう。

 ピュオルに行ったということは、叔父にあたるチャールズとリチャードに会いに行ったということに違いない。他に、マクシミリアンが行く理由は考えられない。


「まさか、チャールズ様とリチャード様に謀反の……」

「だとしたらとんでもないことだぞ! なにしろピュオルには、恐ろしい蛮族がいるって言うじゃないか」

「蛮族って、言葉も通じず野蛮で人殺しばかりしてるケダモノのような奴らだろ」

「俺ァが聞いてるのは、人殺しどころか人を喰うって話だ」

「じゃあ、もし『非情の双子王子』が人食い蛮族を引き連れて……」


 最悪の事態が、皆の脳裏をよぎる。嫌でも、想像できてしまった。

 それでも、大河を遡る船団に乗った蛮族を率いるリセール公の空想図はどこか滑稽なものだった。あの人好きのする笑みを絶やさない洒落者には、化け物じみた血塗られた軍団はあまりにも似合わなすぎる。


「でも、噂でしょう? あんたの言うなんて、本当にいるのかねぇ」

「そうだな、あのマクシミリアン様が謀反なんて、滅多なこと言うもんじゃねぇよ」


 やはり、人々は噂だと笑い飛ばすのだった。

 けれども、その頃にはどんなに馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしても、(もしも噂が本当だったら……)という不安はしつこく心のどこかに居座り続けていた。




「聞いたか? リセール公が先月の初めに怪我で半月ほど……」

「ああ、仮病だったって噂だろ。そんでもって、西海のピュオルに行ってたってやつ。常識的に考えて、信じる方がどうかしてるよなぁ」

「ピュオル? いや、僕が聞いたのは、仮病まではあってるけど、密かにドローア監獄の囚人に会っていたってやつだよ」

「なんだって、ドローア監獄?」

「あのドローア監獄か。あの極悪人ばかり収監されてるヤバいところだろ」

「その極悪人の中には、前に対立していたときにあぶり出した不穏分子もいる。つまり……」

「もしかして……」


 いるかいないか確かめるすべがないピュオルの人喰い蛮族よりも、ドローア監獄の囚人のほうがよほど恐ろしい。


「いやいや、ただの噂だろう?」

「だが、火のない所に煙は立たぬと昔から言うだろうが」

「けどよ、俺は、俺は……」


 ほんの数日前までは、マクシミリアンの謀反の噂を真に受けるほうが少なかった。だというのに、今ではすっかり笑い飛ばすほうが少数派になってしまった。


「俺は、仮に噂が事実なら、国王陛下が黙っちゃいないと思うんだ。おかしいじゃないか、俺たちみたいなただの国民がこんなに騒いでいるんだぜ。国王陛下が何も知らないなんて……やっぱりおかしいじゃないか」

「国王陛下には国王陛下のお考えがあるんじゃないのか。僕ら下々の者にはわからない深ぁーいお考えがさぁ」

「そりゃあるに決まっているでしょ。それに、陛下はアタシらが知ってることなんて、みーんな知ってるに決まってるでしょ。だから、アタシもおかしいと思うけど、同じくらい何かお考えがあって静観してるって思うのよ」

「つまり、どっちなんだよ。アンタは噂が本当だと思っているのか?」

「わからない。アタシらにわかるわけがないじゃない。……わからないから、不安なの。みんなもそうなんじゃないの」


 これには、押し黙るしかない。

 そう、結局のところ、噂の真偽がわからない。だから、連日人が集まれば場所を問わず、こうして似たりよったりの噂話が繰り返されているのだ。

 万が一、噂通りマクシミリアンが謀反を起こせば、おおむね平穏な生活にどんな悪影響があるのか。想像もつかない。五年前までの王位争いの件もすっかり忘れていたほど、平穏な日々が普遍だと思い込んでいたのだから、想像できなくて余計に不安だ。

 もはや知らぬ者などいないほどの騒ぎになっているのに、国王がなんの動きを見せないのが、さらに不安を煽る。

 自分たちがああでもないこうでもないと騒いだところで、何一つ解決しないことはわかっている。けれども、不安を紛らわせるためにも、暇さえあれば人が集まるところにおもむき、目新しい話はないかと騒いでいる。


「ようやく夫人がご懐妊されたってめでたい話があったのは、ついこの間のことじゃないか。それなのに、リセール公はなんだって……」




 真偽を確かめようがない民が連日噂で騒いでいると、ようやく我らが国王が動いた。


「陛下が、リセールに兵をやったってことは、やっぱり……」

「馬鹿野郎!! ちゃんと布告を読んでないのか。陛下が派兵したのは、リセール公に釈明させるためだ」

「それってようは、本当に謀反を起こそうとしたってことだろ。じゃなきゃ、じゃなきゃ、わざわざリセールから王都に呼び出すなんておかしいじゃないか」


 国王ジャックが、リセールに兵をやりリセール公マクシミリアンを王都に連行し、謀反の噂の真偽を釈明するよう命じたのは、噂ではなくまぎれもない事実だった。

 花の都アスターと水の都リセールに限らず、公式の布告文が国中の街路に張り出されているから、疑いようがない。


「まぁまぁ、リセール公の釈明を公表するらしいじゃないか」


 布告文には、他にも対応が遅れたことで民の不安を増長させたことを国王は心苦しく思っていること、リセール公の釈明によっては、厳しい罰もじさないと、しっかりと記されていた。


 マクシミリアンの釈明がおこなわれる前日。

 花の都アスターの大通りを、馬に乗った兵士たちが駆け抜けて行った。一台の馬車をぐるりと取り囲んで隊列を組んでいる。

 各地の領主たちや、外国の要人たちを護衛しているように見えなくもない。

 けれども、息をひそめて見守る人々には、罪人を護送しているようにしか見えなかった。誰から教えられたわけではないけれども、馬車に乗っているのは、リセール公マクシミリアンだと理解していた。


 ここは、神なきヴァルト王国。

 祈る神がいない民は、ただひたすらマクシミリアンを信じるしかない。

 リセールの伊達男は、国王を国民を裏切ったりしないと。

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