ヒューゴの助言

 マクシミリアンは、本当にどうしたらいいのかわからなかった。

 もちろん、入墨の男には腸が煮えくり返る。誰か特定できれば話は違うのかもしれないけれども、犯人に対して具体的にどうしたいのかまったく考えつかない。これには、マクシミリアン本人が一番驚いていた。

 復讐と聞いて、真っ先に思い浮かんだのはフィリップの素顔だった。何度でも大河に沈めてやると言ったあの顔。


(俺は、あんな顔はできない)


 覚えていないからか、やはりどこか他人事のように考えていたのかもしれない。自身の両親のことだというのに。

 フィリップとの温度差を自覚してしまうと、自分が情けなくなった。

 途方に暮れて黙り込んでしまった彼に、ヒューゴは申し訳なくなる。


「あの、マクシミリアン様……」

「ん?」

「決断を急ぐ必要がないのでしたら、お考えになってもよろしいかと。入れ墨の男を特定してから考えても、遅くないでしょう。むしろ、慎重に時間をかけて考えたほうが良いと思います」

「……それもそうか」


 ゆるく首を振って苦笑したマクシミリアンに、ヒューゴは居住まいを正した。


「マクシミリアン様に、僕のような者が助言のようなことを言うのはどうかと思いますが……」

「助言なら、いくらでも大歓迎だ」


 言ってみろと身を乗り出すマクシミリアンに、居住まいを正したままヒューゴは続ける。


「マクシミリアン様がどのような決断をするにしても、犯人には犯した罪を後悔させるべきだと思います」

「後悔?」

「はい、やらなければよかったと後悔させるのです」

「それはつまり、相応の罰を与えろということか」

「違います」


 ヒューゴは首を横に振って、視線を床に落とした。


「世の中には、罪を罪とも思わない輩がいるんです。残念なことに。月虹城の女を手籠めにしたと武勇伝のように得意げに吹聴するくらいですから、入れ墨の男も十中八九この類の人間でしょう」


 国内の監獄の中でも、重罪人を収監しているドローア監獄ともなれば、ヒューゴがどういう人と関わってきたのか、察するに余りある。


「マクシミリアン様は相応の罰と言いましたが、そういう輩はまず相応とは受け止めない。むしろ、不当だと逆恨みするだけで後悔などまったくしない。むしろ、もっとやっておけばよかったとすら……考えても見てくださいマクシミリアン様、復讐するにしても、何一つ自分の罪を省みることないまま一生を終えるなんて、許せますか?」

「それだけは、絶対に許せないな」


 吐き捨てるように即答したマクシミリアンだったけれども、同時に非常に難しいことのように思えた。


「だが、お前も言った通り、罪を罪とも思わない輩だぞ。素直に罪を認めるとは思えない」

「僕もそう思います。ですから、急がずにマクシミリアン様が納得する方法を選んでください」

「ああ、死ぬほど後悔させる方法を考えるよ」


 それがどんな方法なのか、今はさっぱり思いつかない。けれども、マクシミリアンは知恵を貸してくれる人に恵まれている。目の前のヒューゴも、もちろんその一人だ。


(フィリップたちや三五年前の被害者たちのことをもあるし、俺一人で決めていいはずがない)


 それなら、なおのこと慎重に決断しなければならない。時間はある。今は、入れ墨の男を特定するのが最優先だ。


「それはそれとして、ヒューゴ、輝耀城で犯人を見かけた日について、なにか覚えていることはないか?」

「残念ながら、これといったことはなにも」

「そうか。……いや、お前が気に病むことじゃない。領主館にお前がいたころの日誌がまだ残っているからな。もうほとんど犯人を特定したようなものだ」

「そういえば、マクシミリアン様は細かく記録なさってましたね」


 安堵の息をついて、ヒューゴは肩の力を抜いた。


「マクシミリアン様なら、一番良い決断をなされると信じてます」

「買いかぶるなよ。だが、最善は尽くすつもりだ」


 思いがけずヒューゴから、有力な手がかりを得ることができた。わだかまりもないことを確認できたし、目的はすべて達成した。けれども、肝心のリチャードがまだ来ない。


(手こずってるのか)


 いや、そもそも脱出経路を確保するのにどれだけ時間がかかるのか、マクシミリアンは把握していなかった。あの双子なら、片割れだけでも余裕でやってくるだろうと決めつけていたことに気づき、そんな自分に呆れてしまった。自分一人では無理な脱出経路の確保を、なぜ簡単にできると決めつけたのか。

 あとどれほど時間があるかわからないけれども、せっかくなので黙って待つという選択肢はなかった。


「聞いたぞ、ヒューゴ。お前、投獄されてすぐに無茶したらしいな」

「ええ、まぁ、あの時は本当にどうかしてました」


 白衣を与えられる経緯を知られていると知ったヒューゴは、きまり悪そうに頭をかいた。


「そうだろうな。お前のことだ。どうせ失うものはないもないと、お前自身を追い詰めていたんだろう」

「……そうでなかったら、看守に楯突くなんて命知らずなことできません」


 今では、とてもできない。

 収監されて間もない頃、肺を患い衰弱している囚人を過酷な労役を課そうとした看守を批難したことがある。もちろん、ただではすまなかった。それども、医者として看過できなかった。その一件だけでなく、たびたび彼は看守に楯突いてきた。そうしているうちに、なぜか監獄長に気に入られてしまい、再び白衣を与えられたのだった。


「正直言って、囚人の僕を信用し過ぎて心配になります」

「ハハハッ、しかたないだろう、ヒューゴ、お前は信用に値する医者だからな」

「ハァ……僕には荷が勝ちすぎます」


 うんざりとため息をつきつつも、ヒューゴが自ら白衣を捨てることはないと、マクシミリアンははっきり確信していた。

 ヒューゴのおかげで囚人のみならず看守まで含めた監獄全体の健康状態が改善されている。ドローア監獄を手本にしようとする監獄まで現れるほどだ。いかに囚人の命が軽視されてきたかということでもある。けれども、過酷な労役を進めるにはそれなりに健康状態のよい囚人が必要なわけで、彼自身が思っている以上に彼のしていることは素晴らしいことだった。


(自己肯定感が低いところは、一生治りそうもないな)


 喉が渇いただろうと、ヒューゴはマクシミリアンとチェチェに水を渡した。嬉しそうに顔を輝かせる彼女が眩しすぎたのか一瞬たじろいたあとで、ヒューゴは切り出した。


「そういえば、マクシミリアン様はもう書かないのですか?」

「何をだ?」

「何をって、小説に決まってるじゃないですか。リリー・ブレンディ先生」

「っ!!」


 マクシミリアンは思いっきりむせてしまった。


「マクマクぅ」

「大丈夫ですか?」

「全然、大丈夫じゃない!!」


 汚いと唇を尖らせるチェチェと、腰を浮かせたヒューゴに、マクシミリアンは思わず大きな声が出てしまった。


「……ヒューゴ、お前もか」

「えーっと、その……」


 額に手を当てて恨めしそうに睨んでくるマクシミリアンに、ヒューゴは戸惑っていた。


「マクシミリアン様が人気の百合小説家だということは、みんな知ってたじゃないですか」

「みんなって誰だよ」

「もちろん、領主館丘の上の者はみんな…………あ、マクシミリアン様、まさかとは思いますけど気づかれてないと思ったましたか?」

「ああ、そうだよ!! クソっ」


 いよいよ頭を抱えたマクシミリアンに、ヒューゴも頭を抱えたくなった。

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