自らに問う

 デボラが犯人の入れ墨を直接確認するのは、どう考えても不可能だ。他の人に確かめてもらうしかない。

 真っ先に思い浮かんだのは、赤毛の王妃ジャスミンだ。王都で一番親しい友人であり、平民出身のデボラになにかと力になってくれている。


(よくよく考えてみれば、わたしが彼女に手紙を出したのが、始まりだったのよね)


 結婚後初めての夫の長期不在の寂しさ、恐怖の同意語にまで膨れ上がった不安を書きなぐった手紙をジャスミンに送ったことで、マクシミリアンは社交シーズンを切り上げることになった。帰ってきたマクシミリアンは、わかりやすくどうしようもないことで悩んでしまい、再度ジャスミンに手紙を出したらアンナがやってきた。


「アンナは陛下の差し金だけど、それが問題なのよねぇ」


 ジャスミンに相談するということは、国王ジャックが介入してくる可能性が高い。今回のような内容なら、もはや確定だ。

 思わずデボラは、ため息をついた。


 夫マクシミリアンと兄弟のように育った従弟には、妻を溺愛したり、執念深いところなど、血筋のせいか似ているところはある。

 けれども、為政者としての姿勢が決定的に違う。

 初めてジャックと会ったときはまだ王子だったこともあって、どこか頼りなく感じていた。年下ということもあったけれども、ジャスミンに対する態度があまりにも情けなくみえた。マクシミリアンから「生まれながらの王というのは、ジャックのことをいうんだ」と聞かされていただけに、拍子抜けするほどだった。けれども、彼が即位してすぐにその意味がわかった。

 ジャックは、神なき国を神の国より豊かな国にすると折に触れて公言している。彼の政治は、すべてその目標のための手段だった。民の生活をより良くする政策も、民を思ってのことではなく、それが目標につながるから行っているに過ぎない。極端な話、民を迫害することが目標のためならやりかねないとすら、デボラは思っている。ジャックという男は、徹底して国のことしか考えていない。なるほど、たしかにそれは王として必要な素質だろうし、生まれながらの王だ。


 マクシミリアンは、リセールの民よりもリセールを愛している。生まれ育った王都アスターよりも愛してる。そうでなかったら、いらぬ苦労をしてまで住民税を抜本的に変えようとはしない。この前の会議で顔役たちに突き返された草案を作るときの彼に、デボラは何度目かの恋に落ちた。良い夫がいてくれるだけで、何も怖くない。

 マクシミリアンのように真正面から民に向き合い愛し、民のために尽くしてくれる。そんな大公を、リセールの民が愛さないわけがないのだ。

 だから、野心のために民を利用するようなまねをするジャックを、デボラは好きになれないし、信用できるはずがなかった。


(あの男に教会絡みの今回の話をしたら、絶対に厄介なことになるに決まってる)


 それこそ、あの教会通りを更地にしかねない。


「ていうか、あの男抜きにしてもジャスミンはないか」


 王妃として女性問題解決に積極的に取り組んでいるジャスミンに、過去の事件とはいえ輝耀城に強姦魔がいるなどと言えるわけがない。


「誰か、協力してくれそうな人いないかな」


 実は、ジャスミンと同時に思い浮かんだ顔があった。


「フィリップはなぁ」


 デボラとしては、フィリップは最終手段だ。彼なら、迅速に的確に動いてくれるだろう。すでに教会通りで調査に当たらせている人員を回せばいいだけのことだ。いや、相手が相手なだけにフィリップが直接確かめにアスターに突撃しかねない。


「絶対、そのまま即復讐するに決まってる」


 あれだけあからさまに犯人を憎んでいる上に、のうのうとまだ輝耀城に残っていると知ったら、絶対に復讐するだろう。


「そうなるくらいなら、マックスに刺青の男はあいつしか考えられないって話したほうが絶対マシ」


 どのみち証拠の品はどこにもないのだから、入れ墨を先に確かめる必要はそれほどない。ただ、夫との関係を考えると先に確かめておきたいだけだ。他に考えられないけれども、推理が間違っている可能性があるのだから。


「こんなことなら、もっと積極的にお茶会に参加しておくべきだったなぁ」


 夫に守られていたのだとよくわかる。


(今さらだけど、マックスだけじゃなかったよね)


 国王夫妻にも守られていた。

 これ以上、平民気分ではいられない。リセール公の妻の努めを果たさなければと、決意を新たにした。そのときだ。


「いた!! わたしったら、すぐに思いつかなかったのよ」


 ざっと資料を脇に寄せて、引き出しから取り出した便箋にペンを走らせる。


 グレッグ・スプリング。宰相でデボラの後見人。明晰王が全幅の信頼を寄せた腹心の部下。

 年を言い訳に息子のエリックに仕事を押し付けるようになったとは言え、その影響力はジャックでも無視できない存在だ。花嫁修業に、スププリング家には大変お世話になった。嫁いだあとは、程よい距離感で見守ってくれている。マクシミリアンのことも何かと気にかけてくれている。

 清廉潔白を理想とするグレッグは、身内だろうと罪人をかばうようなことはしない。法に則って、公明正大に裁かれることを望むだろう。かつ、ジャックのように自分の目的のために利用することは決してない。

 老獪な彼なら、穏便に犯人の入れ墨を確認してくれるはずだ。


「返事がいつになるかわからないけど、それはしかたないか」


 書き終えた手紙を宰相に届けるように言いつけてデボラは、ようやくひと息ついた。


(片づけはあとでいいか)


 半隠居とはいえ、グレッグも忙しい人だ。いくら後見人とはいえ、平民上がりの遠く離れたリセールの女の手紙をすぐに目を通してくれるかどうか。

 数ヶ月待つのは覚悟しなければならないだろう。

 自分が生まれる前の事件が数ヶ月で解決できるのなら、待つしかない。とはいえ、早ければ早いほどいい。この因縁にきっちりケリを付けてから、出産に臨むのが一番いい。彼女にも、夫にとっても。


 そういえばと、ふと気がついた。


「そういえば、マックスは犯人をどうするつもりなのかしら」




 ――ィン


「ダイジョブない」


 チェチェの琥珀色の澄んだ瞳には、なにか不思議な力があるのかもしれない。見つめられるうちに、すうっと頭が冷えてくる。


「そうだな、大丈夫じゃなかったな」


 手で顔を覆ってマクシミリアンはうなだれる。頭に血が上ってどうかしかけたと、自覚した。


「ん。マクマク、ダイジョブ」


 目を潤ませて心配してくれたはずの彼女は、けろりとしてヒューゴの隣に戻った。薄情とも思えるほどの素早い変わりように、マクシミリアンは呆気にとられるほどだった。


(というか、さっきよりヒューゴに近くないか。またじっと見つめてるし、これじゃまるで……いやないな)


 ヒューゴは四二歳。チェチェの正確な年齢は聞いていない。けれども、明らかに親子ほど年が離れている。チェチェの視線が熱っぽいのは気のせいに決まっている。

 最初こそ戸惑っていた当のヒューゴは、彼女の距離感にすっかり慣れきって気にならなくなった。これは彼が鈍感というわけではなく、出で立ちや話し方から変わった子どもだと早々に結論づけたからだ。

 すっかり毒気の抜けたマクシミリアンに、ヒューゴは神妙な面持ちで尋ねる。


「それで、マクシミリアン様はどうするんですか?」

「どうするって、何をだ?」

「申し訳ございません。言葉が足りませんでした。犯人をどうするのか、気になったので……気に障ったら……」

「いや、そんなことはない」


 謝罪を遮ったマクシミリアンは、ヒューゴの問いの意図をつかみかねてひどく当惑してつぶやく。


「犯人をどうしたいか」

「ええ、やはり復讐しますか?」

「……復讐」


 なぜか、復讐の二文字が遠く聞こえた。


「それとも、法で裁きますか?」

「……法で裁く」


 さすがに、ヒューゴが言わんとすることを理解している。それでもなお、当惑していた。


「あの、他にも選択肢はあると思いますが、まさかマクシミリアン様は犯人が誰か知って何もしない気ですか。違いますよね」

「それは、違わない。だが……」


 両親を殺した犯人はのうのうと生きているだけでなく、あろうことか息子の信頼を得ている。許せるはずがない。我を忘れそうになるほどの怒りをぶつけなければ、正気を保てる自信がない。けれども、いざそのすべを問われると当惑するばかりで答えられなかった。


「俺は、犯人をどうしたいんだ?」


 そもそも、両親のことが知りたくて始めたことだ。なぜ殺されなければならなかったのか。その理由に、誰もが善良だと褒め称える両親の知らない一面があるのではと、嫌な考えたりもしていた。

 なぜ殺されたのかは、フィリップが教えてくれた。そこに、両親の落ち度はなかった。

 許せないと思った。必ず犯人を暴くと固く決意した。そして、ここに来た。

 すっかり犯人探しが目的になっていた彼は、途方に暮れて自らに問う。


「俺は、本当にどうしたいんだ?」

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