残酷な真実

 マクシミリアンの顔を見れば、答えを聞くまでもない。


(まさか、こんなことが……)


 そうでなければよかったのに。ヒューゴは唇を噛んだ。


 まさかヒューゴが入れ墨を知っているとは夢にも思わなかった。媚薬ではなく魔女のクスリだっただけでも、衝撃的で受け入れがたかったのに、それをはるかに上回る衝撃にマクシミリアンはただただ呆然とするばかり。


「お前、どうして……」


 どうにか絞り出した声は、ひどくかすれて震えている。


「誰だ? 誰なんだ?!」

「落ち着いてください、マクシミリアン様。僕の知ってることは全部お話ししますから」


 と言ったものの、どう切り出したらいいものか。


(どう言ったところで、マクシミリアン様には辛いだろうし……)


 机に紙を伏せて、座り直す。


「マクシミリアン様は覚えていないでしょうが、僕は医者のくせに人の顔を覚えるのが苦手で……」

「覚えている」


 医者のくせにと、自嘲気味にこぼしていたのを、マクシミリアンははっきりと覚えていた。そのときは、そういう人は珍しくないし、医者だからって人の顔をいちいち覚えているわけではないだろうと、励ましたのも覚えている。

 むしろ、気にしすぎだと思っている。逆に、マクシミリアンのように一度会った人の顔を覚えている人のほうが珍しいのだから。

 動揺していたマクシミリアンも、さすがに彼が言わんとしてることがわかった。


「ようは、入れ墨の男の顔を覚えていないということか」

「申し訳ございません」

「いや、お前が謝ることではない」


 これで、刺青の男が五年前でも教会に出入りしていたことがはっきりした。感謝こそすれ、謝罪してもらういわれはない。期待しないようにと言い聞かせていたけれども、やはり落胆してしまう。


「教会通りでも、知られた男だったはずです。なにしろ、月虹城で女たちを食い物にしたと武勇伝のように言いふらしてましたから。もっとも、そんな話を信じる者は、僕も含めてほとんどいませんでしたが」


 男の入れ墨を目にしたのは、教会内でのいざこざで汚れた服を脱いだときだ。教会の裏側では、食べ物などを投げつけられるのは、よくあることだった。普段なら、入れ墨の男のこともすぐに忘れていただろう。入れ墨の場所とモチーフが珍しくても、入れ墨自体は珍しくないのだから。

 実際、ほとんど忘れかけていたとヒューゴは辛そうに言う。


「後日、輝耀城で再会しなければ……」

「輝耀城で?」

「……ええ」


 輝耀城とは、もう一つの王城のことだ。国王と王族の住まう月虹城に対して、国王がその役目を果たす場所が輝耀城だ。


(月虹城に出入りしてたなら、輝耀城にも出入りしててもおかしくないが……)


 ヒューゴが輝耀城に出入りできたのは、マクシミリアンの侍医だった数年だけだ。

 三五年。その大半を君臨していたコーネリアスが即位した折の大規模な人員整理を乗り切り、月虹城のみならず輝耀城まで出入りしている。


(叔父上の資料と照らし合わせれば、かなり絞られるな)


 これは、かなり重要な手がかりだ。早々に期待してはならないと落胆した自分の叱咤してやりたい。諦めないと決意を新たにしたばかりなのに、まったく情けない。


「輝耀城にいたのがわかっただけでも……」

「マクシミリアン様、最後まで聞いて下さい」


 駄目で元々だったところに、思いがけず重要の情報を得られた。満足げなマクシミリアンに水をさすのは、本当に心苦しい。


「再会といっても、僕はその男と直接話したこともなかったですし、向こうは僕にまったく気づいてませんでした。マクシミリアン様もわかっていらっしゃるとは思いますが、僕が輝耀城に行くときはマクシミリアン様の侍医としてです。必ずマクシミリアン様に付き従う形でした」

「……」


 つまり、マクシミリアンもその場にいたということだ。当たり前なことだけれども、当たり前すぎたため、ヒューゴに言われて初めて気がついた。


「刺青の男は、マクシミリアン様ととても親しい方です」

「……………………は?」


 何を言っているんだと眉を跳ね上げたマクシミリアンに、ヒューゴは怯みながらもはっきりと続ける。


「だから、忘れられなかったんです。顔などは覚えてませんが、あんな下劣なことを吹聴して回る男が、マクシミリアン様と親しいのが衝撃的すぎて……」

「お前の勘違いだろ」


 水の都のマクシミリアンは、花の都でも人望が厚い。

 当時はリセール公の肩書よりも、庶子の王太子と対立できる唯一の王子とみなされていた。なので、ゆくゆくはと取り入ろうとする者も大勢いた。多くの者と楽しげに談笑して適当にあしらっていた数は、今よりもずっと多い。ヒューゴでなくとも、顔を覚えていない者も大勢いるだろう。

 ヒューゴがマクシミリアンに付き従って輝耀城を訪れたのは数えるほどだ。それでも、マクシミリアンの人脈の広さを身を持って知るには充分だっただろう。リセール公の侍医とはいえ医者が、その人脈を把握できるはずがない。そもそも、把握しようなんて微塵も考えなかったのだけれども。それでも、そんな彼が刺青の男とマクシミリアンが親しいと断言したのには、理由があった。


「マクシミリアン様でも、親しくなければハグなどしないでしょう」

「……………………」


 なるほど、それはたしかにヒューゴには衝撃的な光景だっただろう。

 王族に近しい人物が、教会に出入りしていたのだから。反体制派の同志かとも思ったけれども、直感でそうではないとわかった。月虹城で女を手籠めにしたと吹聴していると、マクシミリアンに言うべきではないかと迷ったりもした。主君が、男の裏の顔を知らないのは明らかだった。知っていたらあんなに嬉しそうに再会を喜んだりしないだろうし、許さないだろう。けれども、ヒューゴは何もしなかった。面倒なことになるのはわかりきっていたし、なにより当時は自分の復讐で余裕などなかった。

 あまりのことに両手で顔を覆ったマクシミリアンの肩が震えている。


「じゃあなにか、俺の友人に俺の両親を殺したやつがいると?」

「……はい、残念ながら」

「そうか。そうか、俺は……ハッ、ハハッ、ハハハハハハ……」


 乾いた笑い声はだんだん大きくなっていく。


「マクシミリアン様!!」

「マクマク!!」


 正気を失ったのではと焦るヒューゴと、なぜか必死なチェチェの声は、ちゃんとマクシミリアンに届いたようで、深々と息を吐いて両手を下ろした彼の目は薄っすらと血走っていた。


「大丈夫だ、チェチェ」


 声は落ち着いていたけれども、ゾッとするほどの怒りがあった。


「大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように繰り返したのは、後にも先にもないほどの激しい怒りをどうしたらいいのか途方に暮れてたからかもしれない。


「……ぜんぜんダイジョブない」


 チェチェは潤んだ目で首を横に振る。




 その頃、リセールの領主館丘の上で夫たちの帰りを待っているデボラは、何度目かの深々とため息をついた。彼女の前の机には、明晰王の遺品の大量の資料、フィリップから譲ってもらったクリストファー王太子の手記、それから彼女が書き散らしたメモ書きなどなどが目一杯広げられていた。


「ありえぇせん」


 もういっそのこと机に額を打ちつけたいくらいだ。


「ほんっと、ありえぇせんわぁ」


 あり得ないと嘆き頭を抱えつつも、それが答えだとはっきりと確信している。


(やっぱり、刺青の男はこいつしかかんがえられぇせん)


 夫たちの留守の間に、フィリップの追加された情報とあわせて明晰王の資料を整理するだけのつもりだった。だったのに、驚くほどあっさりと犯人がわかってしまった。忽然と消えた犯人に、謎の足跡――難事件とされる所以の説明がつくのは一人しかいないのら、それが答えだ。たとえ、それが夫にとって酷なものだとしても。

 卑劣などといった言葉では到底たりない男の今を考えると、腸が煮えくり返った。けれども、すぐにそんなクズよりも、お腹に両手を当てながら夫のことを思う。


「マックス、あなたって本当に不憫な人」


 過去形にしなければ。夫ですら顔も覚えていない親の最悪の因縁は、この新しい命が生まれる前に断ち切らなければならない。


「さて、犯人はわかったけど、最大の問題は証拠の品がないことよね」


 相手が相手なだけに、入れ墨だけでも確認してからでないと夫に教えられない。


「どうしたらいいかしら」


 夫のために、これから生まれてくる我が子のために、最善を尽くさなければ。下手を打つわけにいかない。

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