黒い太陽
「珍しい? どういう意味だ、チャック」
「そのままの意味に決まってるだろ。月虹城で流行ってた入れ墨は、たいていはなにかしらの植物のモチーフが入ってる。俺らでも、茨を入れたほどだぞ」
「なぜ植物のモチーフなんですか?」
「知るか、マックス。まぁ、おおよそ想像はつくがな」
チャールズが言うには、入れ墨を入れていてもそこらへんのゴロツキとは違うとアピールしたかったのだろうとのことだ。だから、国が誇る月虹城の彩陽庭園の植物のモチーフが流行ったのだろうと。
弟たちの入れ墨を快く思っていないフィリップには、聞くに堪えない話だった。それでなくても、彼にとって入れ墨は大切な人たちをこれ以上ないほど傷つけ奪った憎き犯人の象徴でもあるのだから、得意げに話されても不愉快なだけだ。
「フン、それで、見覚えは?」
「ないな。こんな珍しい入れ墨、リチャードでなくても見たら覚えてるさ」
ほとんど期待したわけではないけれども、フィリップの目にかすかな落胆の色が浮かぶ。けれども、そんな次兄をそっちのけで双子は珍しい入れ墨について、議論を進めていくではないか。
「少なくとも三五年前、か。これを入れた彫師を探すのは難しいだろうな」
「だよな。彫師を探すくらいなら、仲介人のほうが当てになるんじゃないか」
「仲介人も当てにならないだろう。そもそも、仲介人を使ったかどうか怪しい」
「いや、俺は仲介人を使ったと思うね。少なくともこいつは、三五年前の連続強姦事件から二八年前の王太子夫妻暗殺事件まで七年は月虹城で働いてたんだぜ。仲介料ケチるような馬鹿だったら、とっくに月虹城にいられなくなってたはずだ」
「確かにそうだな」
「だろ。そうに決まってる」
「それで、どうやってこいつの仲介人を探すんだ?」
「それはあれだ。俺らが世話になった……ああ、無理か。俺らより先に月虹城出てたな、あいつ」
「おい、なんの話をしている?」
双子にしかわからない話にしびれを切らしたフィリップが、険のある声でさえぎる。
「なんのって、そりゃあこの入れ墨の男をどうやって探そうって話に決まってるだろ」
さらりと答えるチャールズに、フィリップは怒鳴り散らしたいのをぐっとこらえるしかなかった。
とまれ、双子だけの会話が中断したのを機に、マクシミリアンは尋ねることができた。
「それで、彫師とか、仲介者というのは?」
「そのままの意味だが。月虹城じゃあ隠されてる入れ墨も、入れ墨を彫った奴か、彫師を紹介した奴なら見ているだろ」
双子にしてみれば当たり前なことしか喋っていない。けれどもあいにくこの場にいるのは、善人と呼ばれる真面目な次兄、短所にもなるほど育ちがいい甥に、下町育ちとはいえ真っ当な人生を歩んできた身重の妻、息子同然の少女は端から数に入れないにしても、入れ墨を入れたゴロツキとは無縁の善良な王国の民ばかりだった。
(面倒くさいな)
頭をかきながら、もっと詳しい月虹城の入れ墨事情を説明する必要があると、チャールズは察した。
(こんなことなるなら、とっととピュオルに帰っておけばよかったな)
雛菊館で起きた事件と無関係だった双子だったけれども、三五年前の暴動鎮圧の年は彼らにとっても苦い思い出しかないのだ。彼らが入れ墨を入れたのは暴動鎮圧で長兄に同行することになる直前だったし、なにより――苦いため息をついて善良な人たちには無縁な花の都の影の一端を話し始めた。
「そもそも、月虹城内で入れ墨なんか入れられるわけがないだろ。月虹城じゃ、ちょっとしたおしゃれ感覚だったが、市井じゃ入れ墨を入れる奴はゴロツキと決まってる」
「だから、仲介者がいるのね」
「そういうことだ、賢い奥方。あんな治安の悪いところに単独で行く馬鹿はいない」
「治安の悪いところ? そもそもお前たちはどこで……」
「教会通りの酒場」
今さらすぎるフィリップの問いをさえぎるように、リチャードがそっけなく答える。
弟たちの背中に入れ墨があることを知っていても、フィリップはどういう経緯で入れたかまでは知らなかった。経緯よりも、弟たちの背中に入れ墨があることが問題だったし、双子とは二つしか歳が離れていない。いくら面倒見がよいと言われる彼でも、問題ばかり起こす双子を心底軽蔑していた時期があったとしてもおかしくないだろう。
(まさか、教会通りだったとは)
もちろん、双子が月虹城を無断で抜け出して王都のどこかで入れ墨を入れたのはわかっていた。けれども、よりによって花の都で一番治安の悪い教会通りに赴いていたとは。
教会通りという名称の通りは実在していないし、特定の通りの別称ですらない。治安が悪い教会周辺一帯を指している。
神なき国になぜ教会があるのか。それはひとえに諸外国との円滑な有効関係を保つだめだ。なにしろヴァルト王国を除いた大陸西部の国々は、神の国の皇帝を神として崇めるヤスヴァリード教を国教としているのだ。建国後、神を否定する愚かな国など帝国に代わって成敗してくれると隣国から攻め込まれていたせいで、ときの国王が休戦の証として王都に教会を建てる決断を下したことは、必然とも言えたのだ。その結果、排他的な教会が
「言っておくが、俺たちは入れ墨を入れに行っただけだぜ。悪い友だちも作らなかったし」
「フン。どうだかな」
まったく信用していないけれども、今さら追求する気もなかった。すんだことと割り切れないようでは、密かに交流を続けられるわけがない。
「それで、その悪い友だちというのは?」
「そりゃあ、教会通りのゴロツキとか犯罪者とかそういう輩に決まってるだろ、マックス」
リチャードが言うには、月虹城のお客さんは金づるとして狙われやすいらしい。ギャンブル、酒、女などなど、ちょっと悪ぶりたいだけの真っ当な若者にとって、教会通りは刺激が強く誘惑も危険も多すぎた。だからこそ、信頼できる仲介人が荒稼ぎしていたのだ。
「んで、入れ墨入れたついでにその酒場でいろいろ面白い話は聞いたりしたわけよ」
それで入れ墨を入れただけとはよく言ったなと、マクシミリアンはついフィリップの顔色をうかがってしまう。案の定、フィリップのこめかみに青筋が浮き出ていた。
「金をむしり取られるなんざまだいいほうで、その借金とか弱みを握られて脅されて盗みに人殺しをさせられたりした奴とか、魔女のクスリに手を出して教会通りを離れられなくなった廃人とかいたらしいぜ。そうそう、悪い友だちとうまくやっているヤバい輩も少ないがいたらしいぞ。強盗の手引きとか、悪い友だちもドン引きするような自慢話をする奴とかな……あ、おい、リチャード、もしかして……」
「もしかしたかもな」
「まじかぁ」
天を仰いで嘆息すると、チャールズは口を閉じた。代わりにリチャードが口を開いただけで、フィリップの眉間のシワがさらに増える。
無駄によく喋るチャールズと無口なリチャード。この役割が逆転することが、たまにある。それがどういうことか、フィリップはよく知っていた。
「月虹城の女を手籠めにしていると自慢していた奴がいたらしい」
「それって……」
「あまりにも馬鹿げた話で、教会通りの輩も大したホラ吹きだと笑っていたからな。わたしもチャールズも気にもとめなかった。言っておくが、知っているのはそれだけだ。そいつの顔も名前も知らん」
「……フン。お前たちの素行の悪さに救わる日が来るとはな」
「まだ救いになるかどうかわからんぞ、ウィル兄さん。酔っ払いの与太話には違いないからな。当時ならまだしも、時間が経ちすぎている」
三五年というのは、治安の悪い教会通りならばなおのこと当時を知る者を探すのは難しいに決まっている。
(早速手詰まりか)
簡単に犯人がわかったら、明晰王もさじを投げなかっただろう。コーネリアスが知り得なかったのは、殺されなければならなかった理由だけだ。それだけで、犯人がわからないようでは明晰王の諡はない。
教会通りの取り締まりを強化している従弟のジャックの力を借りればあるいはと考えがよぎったけれども、マクシミリアンはすぐに打ち消した。密かに西海の非情の双子王子を連れ帰り、死んだはずの叔父から隠蔽された真実を明かされたなどと、いくら実の兄弟のような間柄でも馬鹿正直に話せるわけがない。
(それに、ジャスミンが黙っていない)
燃える赤薔薇の異名を持つ王妃ならば、隠蔽された真実を声高に悪しきものだと糾弾するに決まっている。そんなことになれば、隠蔽という苦渋の決断をしてまで父と叔父が守ろうとした母の名誉が汚される。
実際に教会通りに足を踏み入れたことのある双子ですらいい案が浮かばないなら、これはもう――、
「大公、書くものはあるか」
「え、ああ」
マクシミリアンが席を立ち紙とペンを持って戻ると、フィリップは記憶力のいいほうのリチャードに突きつけた。
「リチャード、彫師、仲介人、それから月虹城で入れ墨を入れていた奴らに限らず、教会通りに関係する奴らの名前を全部書きだせ」
「ウィル兄さん、仲介人ですら月虹城に残っていないんだ。他の奴らも……」
「いいから書け」
リチャードが渋々ペンを手に取ると、フィリップは鼻を鳴らした。
「わたしは、調査の専門家も雇っている」
「調査?」
「普段は商売敵や取引先の内偵調査と市場調査だ。フン。金のためなら犯罪以外のことはたいていやる連中だからな、特別報酬を出せば人探しくらい喜んで引き受ける」
「…………」
なぜわざわざ、犯罪以外などとと言ったのか。誰も文字通り受け取れなかった。たったの二十年あまりで、王国有数の大商人に成り上がった男だ。善人らしからぬことも当然してきただろうことは想像に難くない。
(あの噂、本当だったんだな)
リチャードが黙々とペンを走らせる音だけが響く。
グッドマン商会に目をつけられたら、ただではすまない。貴族だろうが庶民だろうが、必ず破滅させられる。マクシミリアンの知り合いにで花の都を逃げるように去った高官がいた。グッドマン商会の会長に弱みを握れたからという話を耳にしたけれども、眉唾だと聞き流していた。けれども、今ならわかる。フィリップはやると。
「ウィル兄の部下がどれだけ優秀か知らないが、三五年だぞ。犯人にたどり着けるかどうか」
「そうだ、チャック。三五年だ。どんなに可能性が低くても、ようやく掴んだ糸口を離すわけにはいかない」
わかりきったことを言わせるなと言わんばかりの次兄の強い口調に、チャールズは小さく嘆息した。
(クリス兄も罪深い人だ)
次兄が未だに過去に固執する原因となっている長兄を殴れるものなら殴ってやりたくなった。いったい、どれだけ人の人生を狂わせれば気がすむのかと罵れれば、どんなに胸がすくだろうか。
リチャードが書き終わるのを待って、デボラはフィリップに尋ねた。
「それで、そちらは?」
「ああ、これは……」
デボラが指さした手のひら大の木箱を、思い出したかのようにフィリップは開ける。王太子の手記とともに連続強姦事件の手がかりだと言っていた木箱に入っていたのは、飾り気のない香水瓶だった。
「…………」
まだ匂いを確かめていないにもかかわらず、マクシミリアンたち四人はそれが例の趣味の悪い香水だと悟ってしまった。
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