第二章 アウルの寵児

リセール公曰く、ピュオルは恐ろしい島である

 エリック・スプリングは、容疑者の一人だと知って、もちろん驚いた。けれども、意外ではなかった。あの日のアリバイを証明できなかったのだから、しかたない。

 そんなことよりも、あのウィリアム・ヴァルトンが容疑者だったことのほうが、信じられなかった。明晰王は、いったい何を考えていたのか。

 ウィリアムが事件の重要な手がかりを掴んでいるのではと、マクシミリアンたちの推測を聞いて、腑に落ちた。と同時に、肝が冷えた。


(あの日、ウィリアム様に見られていたのか)


 動揺しているとバレるわけにいかないとエリックが焦ったときには、リセール公はリセールを発ったところまで話を進めていた。


 密かにピュオルに向かった経緯を聞いた国王ジャックは、不快感をあらわにした。


「いくら妻が望んだこととはいえ、リセールを離れるべきではなかったな」

「おっしゃる通りです、陛下。この点については、弁明の余地はないとわきまえております」


 重度の親バカであり、重度の愛妻家であるジャックには、身重の妻を置き去りにするなど考えられないだろう。マクシミリアンも、彼が同じ立場だったとしても、決して首を縦に振らなかったと確信している。


「危険を冒してまで、大河を下り海を渡る必要があったとは、とうてい思えん」

「ええ。必要があったか、なかったのかと問われれば、なかったと答えざる得ません。ですが、無駄足ではなかったのです。ピュオルに行ったからこそ、わたくしはひと月あまりで父母の仇を知ることができたのですから」


 それはつまり、ピュオルに行かなくとも遅かれ早かれ犯人を突き止めることができたということだ。


(無駄足ではなかった。チャールズとリチャード、それにチェチェに教えられたことは多い)


 アウルの寵児アウルンコーガー

 この国では、無価値な称号。

 けれども、それは彼が誇れるだけの価値がある。


「無断出国については、後で処罰を言い渡すとしよう。リセール公、先ほどチャールズ元王子、リチャード元王子を連れ帰ったと言ったな。まことか?」


 非情の双子王子に関して、気にしていたのはジャックだけではなかった。

 総督の座を譲り、悠々自適に若隠居しているとはいえ、いまだにピュオルの権力は彼らが握っている。実質的な総督と言っても過言ではない。

 毎年新年節に届く親書と贈り物だけが、彼らと王家の繋がりだった。


「まことです。わたくし自身、彼らを連れ帰るつもりは毛頭なかったのです。実の兄弟であらせられた先王陛下の呼びかけすら応じなかったお二人ですから」


 そもそも、無事にピュオルにたどり着ける可能性がどれほどのものだったか。


(俺は、本当に運に恵まれている)


 アウルたちのことは、いまだによくわからない。おそらく完全に理解できるような存在ではない。


「運がよかったというのでしょう。ピュオルにたった一人でたどり着いた。今思えば、無謀なまねをしたとぞっとします。金輪際、もう二度と行きたくはありません。ピュオルは恐ろしい島ですから」

「たった一人で? 他にも二人連れてリセールを発ったと言ったではないか!!」


 無謀すぎると声を荒らげたエリックに、マクシミリアンはまたっくだと苦笑する。


「ええ、わたくし一人です。後で知ったのですが、リマンの港からピュオルに向かう船は大変少なく、ヤスヴァリード教の神の加護も届かないとかで、大陸の船乗りたちにとってリスクが大きすぎる航路だったらしいです。ピュオルからの船はというと、こちらは年に数えるほどしかリマンの港に入港しない」


 リスクが大きければ大きいほど、利益は大きい。

 ピュオルの上質な塩を大量に積んだ船は、山積みの金塊に相当すると言われているほどだ。


「リセールを発つ前に、あらかじめリマンに滞在する期限を決めてたのです。三月の十五日が、その期限でした。リマンに着いた九日の日を含めてもたったの七日しかありませんでした。七日の間に、ピュオルに向かう船が出る確率がそもそも低かったのです。以上のことを、わたくしに同行してくれた二人は知っていました。だからこそ、わたくしに着いてきてくれたのです。どうせ、リマンまで行って戻ってくることになるだろうと」


 ところが、一二日にピュオルに向かう船がリマンに停泊していた。

 マクシミリアンにとって幸運なことだったけれども、同行した二人にとっては予想外の不運だった。


「リマンの事情に詳しい二人に、わたくしは船を探し乗船の交渉を任せるつもりでした。彼らが、船が見つかったこと、乗船するに当たって支払う金額が意外にも低かったことなどを、わたくしに黙っていようと相談しているのを、偶然聞いてしまったのです」

「まさか、その船に一人で交渉しに行ったと?」


 エリックの問いに、彼は大きくうなずく。


「そのとおりです。これは、わたくしに対する裏切りだと思ったのです」

「だが、主君の無謀な行いを止めるのも、立派な務め。裏切りと呼ぶのは、あまりにも短慮ではないか」

「ええ、まったくです。陛下、リセールを離れた間のことは、愚行と呼ぶほかないのです」


 妻のデボラも知っていたのだと、裏切られたと、頭に血が上っていたのもあるだろう。誤解だったと後で知ることになるけれども、その時は彼女の必死とも言えるほど真摯な説得が偽りだったのかと、腸が煮えくり返るほどだった。


「思いがけない話を聞いたその足で、わたくしは件の船に交渉に向かい、乗船することになったのです。宿にいる二人に置き手紙を残し、一二日、ピュオル行きの船に一人で乗りました」


 初めての海は、最悪だった。もう二度と航海などしたくない。大河を下るのとは、わけが違った。


「ピュオル行きは、必要があったかと問われればなかったと答えるよりほかない愚行でしたが、わたくしは行ってよかったと思っております」

「もう二度と行きたくない。恐ろしい島だと言ったではないか」

「陛下、恐ろしい島でも、チャールズとリチャードには大変お世話になり、彼らから学ぶことはあったのです」


 そうして、リセール公は恐ろしくも興味深いピュオルの話を始めた。

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