待ち望んだ再会

   *


『ようこそ 臨海都市クラールハイトへ』


 終着駅に降り立ったふたりを出迎えたのは、頭上に掲げられた大きな看板だった。

 グラアウのものと同じくらいの広さの駅は、天井がガラス張りになっている。オレンジ色の光が燦々と構内へ降り注いでいた。

 マルスがクレナを見下ろす。


「とりあえず夕食を取って、今日は宿に泊まろう」


 慌ててクレナは両手を振った。


「あの、お腹いっぱいなので、大丈夫です」

「パンケーキとポットシチューだけで?」

「はい。パンケーキと、ポットシチューだけで」


 クレナはこくこくと頷いた。今日はこれ以上何かを口にするのは難しそうだった。


「そうか。じゃあ、先に宿へ案内するよ。二部屋取ってあるから、僕のことは気にしないでくれ」

「あの、お金は」

「言っただろう? 生活に困らないくらいは持っているんだ」


 マルスは楽しげに片目を瞑ってみせた。

 そして。

 駅の隣に建っている宿へ案内すると、マルスは陽の沈んだ街へと消えていった。


 クレナはまず部屋の灯りをつけた。天井から下がっている淡いオレンジ色のランプは、花のような形をしている。


「……ふぅ」


 荷物を静かにベッドの上、足元側に置く。

 ぽすっ、とその隣に腰かけた。ブーツを脱ぐと、足がじんわりと疲れているのを感じる。ずっと店から出たことがなかったのに、列車にも乗ったとはいえかなりの距離を移動したのだ。

 クレナはそっと、自分の心臓の位置に両手を当てた。

 顔を窓に向けると、己の顔がはっきりと映っている。クレナの紅い瞳は静かな輝きを湛えていた。

 立ち上がると、窓に映る自分自身へそっと手を伸ばす。


(わたしはどこにも行ってはいけない存在。それでも、今だけは)


 眠れそうにはなかった。

 意を決して、クレナは部屋を出た。マルスのいない単独行動。危ないことは解っている。

 しかし、足は勝手に動いていた。


(風が、なんだか違う。空気も)


 宿の受付へ鍵を預けて外へ出て、クレナはまず空を見上げた。

 紺色と藍色。二色が複雑に溶け合った夜が、頭上に広がっている。もしかしたら、その二色以上かもしれない。そこへ散りばめられた、ちかちかと瞬く星々。目を凝らすと光の色もまた、赤や青など多彩。

 ぽかんと口を開けて満天の星空を見上げていたら、すっ、と光が線を描いた。

 それをきっかけにしたように、どんどん光が空を走っていく……。


「流星群さ」


 この二日間で聞きなれた声がして屋根を見上げると、マルスが座っていた。外には出かけなかったようだ。

 クレナは黙って外に出た罪悪感から俯く。

 しかしマルスは咎めることもなく、手に持っている何かをぐいっと煽った。


「今晩のような光景は何十年に一度あるかないかと言われている。幸運だな、僕たちは」

「流星群……」

「こんな夜の星見酒は最高だ」


 手にしているのはどうやら酒らしい。

 ほんのりと赤く染まっているマルスの横顔は上機嫌に見えた。

 星は止むことを知らないかのように降り注ぐ。

 まるで、マルスの上にも光が降っているようだった。


   *


 翌朝の空は、目に染みるくらい鮮やかな青。

 昨晩は気づかなかったが、目と鼻の先には同じくらい青い海が広がっていた。風が何か違うと感じたのは、潮を含んでいるからだとマルスがクレナに説明した。


「ヘクセローゼに会った後、海辺を歩いてみるかい?」

「是非、お願いします」

「了解。さぁ、今日はよろしく頼むよ」


 今日のマルスは、最初に魔法具店を訪れたときと同じ服装をしていた。どうやらこれが彼の正装らしい。


「はい。とは言っても、わたしも施設へ訪問するのは初めてなので……」

「だから宿で地図を貰ったんだろう? 目的地までは地図を見ていけばいいのさ」


 マルスの手には臨海都市の地図があった。


「そうですね」

「それにしても陽ざしがきつい。海へ行ったらエールを流し込みたいな。あぁ、クレナ嬢にはとびきり美味しいバニラアイスクリームをご馳走するよ」

「マルスさんは、お酒好きですね」

「分かった?」


 知り合ってまだ三日。しかし、クレナはだいぶ打ち解けて会話できるようになっていた。

 たわいのない会話をしながら、ふたりは海とは反対側の丘へ歩いて行く。


「酒飲みなのに甘党ってよく言われるんだ」

「それは、珍しいのですか?」

「珍しいんじゃないかな。ヘクセローゼは酒豪って聞いたけど実際は?」

「……ウイスキーのコレクションが、店の奥にあります」

「コレクションか。さぞすごいんだろうな」


 緩やかにカーブを描く登り坂。きちんと整備されてはいないが踏み固められた部分が道になっている。その脇では雑草が潮風に揺れていた。

 同じように、マルスの髪もリボンも風に揺れる。

 歩いて行くにつれ、眼下に広がる海の割合が増えていく。光を受けてきらきらと輝いている海は、平地から見る光景とはまた違っていた。


「もしかして、あれ?」


 そんなクレナとは対照的に、というより当然ながら、マルスは丘の上を見ていた。

 半球状の白い建物。海、丘、空のなかで、建物だけが人工物だった。

 照りつける陽ざしに、立ち止まったこともあってうっすらと汗が滲む。


「あれ、ですね」

「ちなみに、あそこの人たちは、ヘクセローゼの正体を知っているのかい」


 クレナは首を横に振る。


「そうだよな。大魔女だと知られたら、大変だもんな」

「……はい」


 クレナは立ち止まり、マルスを見上げた。


「ん?」


 マルスは数歩進んでから立ち止まった。体ごと振り返り、首を傾げる。


「どうかした?」

「いえ、何でもありません」


(先に伝えておくべきだろうか)


 さらさらと静かな音を立ててマルスの髪がなびく。曇り空の瞳には疑問符が浮かんでいた。


「あの、マルスさんは。いつから髪を伸ばしているんですか」


(だめだ。言えなかった)


「世界大戦が終わってからかな」


 マルスが顎に手を遣る。それから、レモンイエローのリボンに触れた。


「右腕が入っていた箱にかけてあったリボンなんだ。これをどうやって身に着けるか考えた結果」


 、とマルスは付け加えて笑った。


「重たい……?」

「いや、気にしないでくれ」


 やがてふたりは頂上の目的地へ辿り着いた。格子状の柵はクレナの背丈くらいある。

 青々とした芝生の中央に半球は建っていた。白髪の老人が乗った車いすを職員らしき若者が押して歩いているのが見える。

 若者がクレナたちに気づき、軽く会釈をしてきた。つられるようにクレナも頭を下げる。


「こんにちは。ローゼさんに会いに来ました!」


 クレナが声を張ると、マルスは目を丸くしてクレナを見た。


   *


 別の若者が建物から出てきて、クレナとマルスを中へと招き入れてくれた。

 応接間に案内された後、氷の入ったオレンジジュースが出される。


「涼しいですね」

「あぁ。空調が効いている。快適だ」


 からん、とグラスのなかで氷が音を立てた。


「それにしても、あんな大声を出せるとは思わなかった」

「めったに出しません」


 ぼそぼそとクレナは答えた。ぶっ、とマルスが吹き出す。


「だろうな」

「お待たせしました」


 職員に連れられて、少し腰の曲がった白髪の女性が車いすに乗って現れた。レース編みのブランケットを両肩にかけ、淡いイエローのワンピースを着ている。


「……!」


 空気がわずかに震えた。微動だにしないものの、マルスが動揺しているのは明らかだった。


「散歩もしていただいてかまいませんが、熱中症にならないように短時間でお願いします」

「はい。ありがとうございます」


 職員が去って行くのを見届けて、クレナは車いすに正面から近づき、しゃがみ込んだ。


「ごめんなさい。言いつけを破って、外に出てしまいました」


 ヘクセローゼ――ローゼはクレナを見て、皺だらけの顔でふわりと微笑む。まるで後ろに花が咲くような、穏やかな表情だった、


「どなたかしら?」


 えっ、とマルスの声が漏れる。

 クレナは立ち上がってマルスに向き直った。


「原因不明の病です。彼女は、見た目が突然老いてしまい……そしてもう何も覚えていないんです。何も」

「……嘘だ」


 マルスの曇り空の瞳が、揺らぐ。


「すみません。先に言うべきか、迷ったんですが」

「あら、あなた。立派な魔法具の腕をお持ちなのね!」


 会話を遮るように、ゆっくりと背を伸ばしたローゼが皺だらけの両手を合わせた。


「私はね、魔法具が大好きなの。よかったらこちらに来て、見せてちょうだい」

「……はい」


 マルスは、それでも立ち上がった。

 眉尻を下げたままローゼに近づき、騎士のように片膝をつく。シャツをまくって露わになった右腕は、眩い輝きを放っていた。


「まぁ、すてき。触ってもいいかしら?」


 無言でマルスが頷くと、ローゼは両手で魔法腕に触れた。


「立派な腕ね。お名前を伺っても?」

「【ゲルパー・ドナーカイザー】といいます」

「すてき。どなたが作ったのかしら」


 クレナもまた黙ったままマルスを見つめる。

 マルスの唇が、震えた。


「……史上最高の、魔法具師です。僕はその人によって、救われました」


 その言葉には、たしかな歴史と重みがあった。


「惚れた相手に弱みを見せるなんて、かつてのあなたならばまだまだだと笑い飛ばしたでしょうね」


 マルスの瞳から雫が零れるのを、クレナは見てしまった。


「マルスさん……」


(マルスさんは、ヘクセローゼのことを)


 クレナは唇を噛み、拳を握りしめた。


(好き、なんだ)


 ようやく気づいたのだ。

 リボンの意味も、重たい、という言葉の意味も。


(ここまで連れてきたことは正しかったんだろうか)


 クレナは、静かに唇をかみしめる。


「クレナ嬢。庭へ出ようか」

「えっ」


 しかしマルスはもう泣いてはいなかった。車いすの後ろに回って、ハンドルに手をかける。


「このハンドルを握って進めばいいのかな」

「あら、親切な方。お庭へ連れてってくれるの?」


 後ろから身を乗り出し、マルスが右側からローゼへ話しかける。


「えぇ。あなたの望む場所なら、どこへでもお連れするつもりでしたから」


 ローゼは気づかない。マルスが泣きながら笑っていることを。

 クレナが先を行き、玄関の扉を開ける。慎重に車いすを押し、マルスもローゼと外へ出た。

 照りつける陽ざし。

 海から吹いてくる風。

 同じ青でも水平線で区切られた眺めは、あっけらかんとして美しいものだった。


「親切な方、ありがとう。私はね、ここから見る景色が大好きなの。大好き」


 大好き、という言葉には熱がこもっていた。

 ローゼはまるで純粋無垢な少女のようだった。

 マルスが今にも消えそうな声で呟く。


「……まいったな」


 しばらくの間、三人は無言で景色を眺めていた。

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