神さまの子ども

   *


「ありがとう。クレナ嬢のおかげで気持ちの整理がついた」


 施設を出て開口一番、マルスは深く頭を下げた。


「いえ。……こちらこそ、黙っていてすみません」

「大丈夫。僕がクレナ嬢の立場でもそうしたと思う」


 マルスはもう泣いてはいなかった。腕を上に伸ばし、大きく深呼吸する。


「ここからビオレッタの魔法博物館は近い。博物館見学後は、無事に店まで送り届けるから安心してくれ」


(その話ですが。わたしをマルスさんの旅に同行させてもらえませんか。ずっとという訳ではなく……)


 クレナは言葉を飲み込む。


(分不相応な望みだ。籠の鳥は、籠へ戻らなければいけない)


「お願い、します」


 そのとき、マルスの纏う空気が一瞬にしてひりついたものに変わった。右腕をクレナの前に伸ばして、遠くへ視線を送る。


「僕から離れないように」


 それを合図にしたかのように、ふたりは集団に取り囲まれた。

 ざざざっ!

 暑い日だというのに全身を黒で覆った者たち、全部で、十人。


「ようやく外に出てきましたね。この日を待っていましたよ」


 そして透き通った声がクレナを呼んだ。

 現れたのは立ち襟の祭服に身を包んだ少年、アオイ。

 グラアウの広場で見かけたときと同じ祭服を身に纏っている。クラールハイトで見ると、一層眩しく感じられるようだった。


「神の子……?」


 マルスが驚きを漏らす。

 アオイはクレナたちの前で立ち止まると、微笑みを浮かべた。


「初めまして、雷帝。僕のことをご存じとは、光栄の至りです」

「その言葉、そっくりそのまま返そうか」


 アオイはマルスのことを雷帝と呼んだ。つまり、戦場の英雄だと知っているのだ。


「神の子、アオイ。クレナのことを、待っていたとはどういうことだ?」


 するとアオイは、雨色の瞳を大きく見開き、瞬きをした。


「驚きました。クレナ、君は雷帝へ何も言っていなかったのですか?」


 クレナが俯き黙り込んだので、アオイは、わざとらしく肩をすくめてみせた。



 クレナの沈黙を肯定と受け取り、今度は、マルスが驚く番だった。


「なんだ。知り合いどころか、血縁とは」

「……黙っていて、すみません」


(やっぱり、外に出るんじゃなかった。いくらマルスさんが強いとはいえ、アオイから逃げられるとは思えない)


 クレナは唇を噛む。そして、ようやく顔を上げる。

 それを待っていたかのように、アオイは大きく両腕を広げた。


「妹よ。私がここに来た理由は分かるでしょう? 魔女の一滴を渡してもらいます」

「……は?」


 マルスが怪訝な表情になる。


「何を言っているんだ? 魔女の一滴は、魔法博物館にあるんだろう?」

「なんと!」


 わざとらしく大声を上げたのはアオイ。


「驚きましたね。何も知らず、クレナを外へ連れ出すことができたとは」

「依頼人の事情は必要以上に聞かないことにしているんでね。そして、クレナの反応を見るに……君は、彼女にとってよくない存在だな?」


 ぶわぁっ。

 マルスの覇気が、辺り一帯を包み込む。

 クレナは隣に立つマルスを見た。


(空気の重たさが変わった。息苦しく感じる。これが……雷帝……!)


 先ほどまでの穏やかな雰囲気は一変し、険しいものになっている。


「【ゲルパー・ドナーカイザー】」


 マルスの右手が光の粒子を集めていく。


「なるほど」


 黒ずくめたちが後ずさる。動じていないのは、アオイだけだった。

 アオイが両腕を組み、口元に右手を遣る。


「個人的な興味があなたに対して生じました。今日のところはこれで帰ることにしましょう」

「待てっ!」


 マルスの叫びも虚しく、ぱちんとアオイが指を鳴らした瞬間。彼らの姿は跡形もなく消えていた。


「くそっ」


 取り残された、クレナとマルス。


「……」


 空気が元に戻る。マルスが息を吐き出して、両手を腰に当てた。


「クレナ。話せる範囲でいいから説明してくれないか? 僕には依頼人を守る義務がある」

「……わたしは、人間ではありません」

「そうか。って、え?」


 クレナは、両手を心臓に当てる。


「わたしの心臓は、魔女の一滴。存在そのものが魔法具であり、ヘクセローゼの最高傑作です」


(だから、隠されていた)

(だから、外に出てはいけなかった)


 俯いたクレナの頭上に、マルスの驚きが降る。


「そういう、ことだったのか……」

「黙っていることばかりで、すみません」

「いや、当然のことだと思う。敵か味方か判別つかない相手に、その正体はなかなか明かせないだろう」


 少しだけマルスが言い淀む。それから、ゆっくりとクレナへ視線を向けた。


「魔法博物館にある魔女の一滴は?」

「レプリカです。……わたしは見たことがありませんが」


 クレナは手のひらを宙に翳した。そこには、何の光もない。生まれることもない。


「魔女の一滴の魔力はわたしの生命力そのものです。ですから、わたしは魔法を使うこともできません。これが真実です」


 ふたりの間を沈黙の風が抜けていく。

 やがて、マルスはわずかに溜め息をついた。


「ヘクセローゼの最高傑作の正体、か。打ち明けられてもなお、君が人間じゃないとは思えない。アオイもそうなのか?」


 クレナは小さく頷く。


「理想郷を創る、というのが彼の主張です。そのためには魔女の一滴の力が必要なんだそうです。わたしではなく、魔女の一滴そのものが」

「理想郷、ねぇ。とにもかくにも奴らが本気で襲い掛かってきたらまずい。まずは、今後の体制を整えるために店へ戻ろうか」

「それは、つまり」

「契約はしばらく継続だ」


 クレナが顔を上げたとき、マルスは、青空を背景にして笑っていた。


   *


 クレナがヘクセローゼの魔法具店に戻ってきて、数日が経った。

 当初は店の近くに宿を取ろうとしたマルスだったが、クレナの提案で、店の空き部屋を間借りすることになった。

 つまり、束の間の同居生活。

 そしてマルスはその行動力でちょっとした便利屋稼業をはじめたようで、今日も朝から出かけていた。


 クレナがマルスに仕事内容を訊いたとき、返ってきたのはこんな答え。


「いなくなった飼い猫を探したり、大きな木にひっかかってしまった風船を取ったりしてきたんだ」

「もっと血なまぐさいものかと思っていました」


 クレナは、素直に感想を述べた。

 マルスがくつくつと笑う。


「戦争は終わったんだ。これぐらいがちょうどいいのさ」


 薄暗い店内。クレナは棚をやわらかな布で丁寧に拭いていく。


(またアオイが襲ってくるかもしれない。というか、確実に)


 店の存在自体は『隠されている』ため、直接的な被害を受けることはない。

 また、マルスの強さを知って一旦は引いたアオイである。マルスを狙うこともないだろう。


(わたしも、魔法が使えなくても……せめて自分の身を自分で守れるくらいにはならないと)


 クレナが決意を固めたとき、店の扉が開いた。


「ただいま」


 入ってきたのは仕事を終えて帰ってきたマルスだった。手を止めて、クレナはマルスへ駆け寄る。


「マルスさん。おかえりなさい」

「うん。今日も何もなかったかい? 変な奴は来てないかい?」

「はい」


 過保護な物言いに、クレナは困ったように笑みを零す。


「そもそもヘクセローゼの導きがなければここには来られない仕組みになっていますから」

「そうか。そうだったな」


 マルスはわざとらしく両手を組んだ。


「大魔女のお導きに感謝を」

「なんですか、それ」

「ロケットペンダントのおかげで、クレナにも会えたし、ヘクセローゼにも再会できたから」


 ぎゅっ、とクレナは拳を握りしめた。


「あの、マルスさん」

「どうした? 改まって」

「最低限でかまいません。護身術を教えてもらえませんか?」

「えっ」


 マルスが目を丸くする。


「だめ、でしょうか」

「いや。驚いた。クレナ嬢からやりたいことを聞いたのは初めてのような気がして。それが、護身術とは」


 ぽん。マルスはクレナの両肩に手を置いた。

 マルスがクレナに触れたのは初めてで、驚いたクレナは身を震わせる。

 魔法腕の右手と、人間のままの左手。硬さも、温度も、違う。


「仰せのままに。君の願いは、何でも叶えよう」

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