生きて、また

「ヘクセローゼの魔法具を持っている人間しか店に辿り着けないというなら、その人間を使えばいいということ」

「アオイ……!」


 現れたのは、アオイと黒ずくめの集団。


「人間は発火しやすい素材でできていますから、爆弾にするくらい造作もないことです」

「なんてことを……」


 クレナは奥歯を噛みしめる。


「ようやく辿り着くことができました。今日こそ魔女の一滴を渡してもらいます」

「それ以外に言葉のバリエーションがないのか? 神童というのは案外語彙力がないんだな」


 クレナから身を離して、マルスが立ち上がる。こきこき、と指を鳴らす。


「マルスさん」

「大丈夫。僕は強いから、安心して守られなさい」


 微笑み、片目を瞑るマルス。


「潰しなさい」


 アオイの命令をきっかけに、黒ずくめの集団がマルスへ襲い掛かる。


「弱いな」


 ひらりと身を躱しながら、攻撃を流しながら、その勢いを返すようにマルスは黒ずくめをひとりふたりとなぎ倒していく。


「クレナ嬢、覚えておくといい。相手の勢いを使ってダメージを与えるのが、いちばん効率のいい方法だよ」


 鮮やかにまるで踊るかのように、マルスは余裕を見せる。

 稲妻が走るかのように激しく、美しかった。


(すごい……。これが、雷帝)


 クレナはただただ、見惚れていた。

 そこへアオイが近づいてきて、座ったままのクレナを見下ろす。


「クレナ」


 クレナは立ち上がって、しっかりと両足に力を込めた。


(呼吸を、整える。意識する。輪郭を)


 黙ったままのクレナに向かって、アオイは甘い微笑みを浮かべた。


「人間とは愚かな生き物だと思いませんか?」


 両腕を大きく広げて、まるで演説するかのように続ける。


「彼らは価値判断が揺らぎやすい。この人には甘く、あの人には厳しく。そんなのおかしいと思ませんか。だから私が、判断基準をすべて決めてあげるのです」

「……は?」

「私たちには、人間を選別する義務がある。愚かか、そうでないか。愚かな者には死を。愚かでない者には、服従を。そのために、魔女の一滴は欠かしてならない力なのです」

「ただの魔法人形が、創造主を裁けるとでも思っているの? 随分と傲慢なのね」


 くすくす、とアオイが笑みを零す。


「しばらく会わないうちに、言うようになりましたね」


 ふたりの間にマルスが割り込む。


「反抗期は成長の証だろう」


 黒ずくめは全員、地面に臥していた。


「頭のおかしい兄貴へ、クレナ嬢を渡す訳にはいかないな」

「勘違いしないでいただきたいものです。私が欲しいのは魔女の一滴。容れ物には、興味ありません」

「容れ物? 笑わせる。クレナ嬢は、人間だよ」

「ふふふ……ははは! 人間? 面白いことをのたまいますね」


 ぱちん、とアオイが指を鳴らす。倒れていた黒ずくめたちがむくりと起き上がった。

 そのまま、じりじりとふたりに向けて詰め寄ってくる。


「くそっ、きりがないな。逃げるぞ」


 マルスはクレナを引き寄せ抱きしめた。魔法具の右腕に、力がこもる。


「逃げても無駄です。私はどこまでも追いかけます」

「しつこい兄貴は、嫌われるぞ」


 笑いながらも、マルスはクレナの耳元で囁いた。


「……クレナ嬢。腕の魔力で、一気に飛ぶぞ」


 腕の魔力を使うということは、クレナが魔女の一滴の力を使うということと同じ。つまり機能そのものを失うということだ。

 クレナは声を震わせる。


「そ、そんなことをしたら、しばらく腕そのものが使い物になりません」

「百も承知。拠点を失った今、これ以上この場所にいるのは危険だ」


 ふたりの会話にアオイが被せてくる。


「おや、内緒話ですか? 私も混ぜてください」

「断る。【ゲルパー・ドナーカイザー】!」


 魔法の行使には、媒介の名を呼ばなければならない。

 マルスの右腕が光と熱を帯びる。クレナに見えているのは手のみだったが、その甲に紋様が浮かび上がった。

 唱えるのは力を呼び起こすための呪文。


「【フンダーツェ・マギー】」


 そして、翼のように具現化された魔力が宙に広がるとふたりを包み込む。


「しっかりと掴まっていてくれ。……飛ぶぞ!」


 とすっ。


「……?」


 ふたりが宙に浮くことはなかった。

 その代わりに、氷の剣が貫いていた。マルスの胸の、中央を。

 ぽた、ぽたと。透明な切っ先から、朱いものが、滴り落ちる。

ゆっくりとマルスが顔を下に向けて、自らの状況を確認する。


「かはっ」


 マルスが血を吐き、よろめきながらも踏みとどまろうとする。クレナは両手でマルスの体を受け止めようとして、支えられずそのまま膝をついた。


「マルスさん! マルスさん!」


 はらり、と。

 レモンイエローのリボンが解けて、砂色の髪の毛が揺れる。


「おや、即死しないとは、ほんとうに強靭な肉体ですね」


 マルスの向こうで氷の剣の主――アオイが笑っている。

 クレナは気づく。

 アオイの右腕そのものが剣となって、容赦なくマルスを刺したのだ。


(これが、アオイの魔法)


 背筋が粟立つと同時に、クレナの底から言いようのない怒りがこみ上げてくる。


「本当に人間というのは不便ですね。詠唱しないと、魔法が使えないのですから」

「……アオイ!」


 クレナは薄く笑っている兄を睨みつける。


「大丈夫だ、クレナ嬢」


 はらり。

 マルスは宙を舞うリボンを掴み、クレナの手に収めた。温かな左手と、冷たい右手でクレナの両手を包み込む。

 口の端からも血が流れていた。

 それでも失われないのは、曇り空の瞳の、光。


「これくらいで死ぬほど僕はヤワじゃない」

「ですが……ですが」

「君は僕の雇い主だ。居場所が誰にも知られないように、このリボンへ僕のすべてを込めておくよ。君は僕が守り続ける。ヘクセローゼの、最高傑作」


 リボンに、魔力が注がれていく。ゆるやかに熱を帯びていく。

 クレナは首を横に振り続けた。

 しかし、マルスは決意を翻さない。肩で息をしながらも、どこか余裕があるように振る舞ってみせる。


「生きて、三年後。魔法博物館の前で会おう」


 にかっ、と。

 マルスが白い歯を見せて笑う。

 曇り空と同じ色の瞳で。その瞳に、クレナを映して。


「【フンダーツェ・マギー】」

「マルスさん。マルスさんっ……!」




 クレナの悲鳴はかき消され――




(呼吸を)


(呼吸を、輪郭を、意識)


 薄れゆく意識のなかで、クレナはなんとか踏みとどまろうとする。

 闇、だ。

 静寂のなか燃えている魔女の一滴。そこまでは何回も繰り返してきた呼吸と認識と理解。

 だけど、何かが違う。

 クレナの目の前にあるのは炎ではなく、拳大の紅い宝石だった。それは炎よりも眩い輝きを放っている。


(これは、もしかして『魔女の一滴』の真の形?)


『あなたはようやく気づいた、自身の力に』


 語りかけてくるのは、宝石だった。そしてその声を、クレナは知っている。


「……ヘクセローゼ……」


 己の創造主にして、大魔女。

 今やそれすら忘れている人間の、最後の力だというのだろうか。


『手に取りなさい、クレナ。あなたはこれから、あなた自身の××を見つけなければならない。あなた自身の、願いのために』


 躊躇いはなかった。

 クレナは、右腕をまっすぐ前へと伸ばす。指先がレッドダイヤモンドに触れる。


『名前をつけて。あなただけの魔法に』


 その問いに、自然と唇は言葉を紡いでいた。


「【マイン・ローテス・ヘルツ】」




 ――気づくと、見たことのない景色のなかに座り込んでいた。




 ただひとつ知っていた。この景色の、名前を。


「……海」


 ざざ……ん。

 クレナは、波打ち際に座り込んでいた。

 ゆっくりと空を見上げると、鮮やかな青。大きくて白い雲が浮かんでいる。

 ざざ……ん……。

 絶え間なく波がクレナに打ち寄せて、砕けていた。

 目を細めると、頬を涙が伝った。

 クレナにとって初めての涙。

 溢れた涙はどんどん海に混じっていく。鼻をすすると、口に涙が入ってきた。少ししょっぱくて、クレナは顔をしかめてようやく気づく。


「わたし、泣いてる……?」


 言葉にした途端、心臓を貫かれたマルスの姿が蘇った。涙は堰を切ったようにとめどなく流れていく。しばらく泣き続けてなんとか立ち上がると、びしょびしょのままクレナは砂浜へと上がった。

 裸足に、砂と熱が絡んでまとわりつく。バランスを崩しながらも、何とか砂浜を抜ける。振り返って水平線を臨むと、潮風が濡れた頬を乾かしていった。


(海って、遠くから見ると青いのに、中に入ると透明なんだ)


 涙だけではなく髪も服も乾ききったところで、クレナは海辺を後にする。

 アオイによる追手が現れないとも限らない。自分の置かれている状況をなるべく早く確認しなければならなかった。

 ぶわっ、とひときわ強い風が吹く。

 海へ切り立つ崖に、一体の彫像が見えた。


「マルス、さん?」


 装いは違うものの、凛々しい横顔はこの数日間で見慣れたものだった。

 戦場の雷帝。

 大魔女ヘクセローゼと同じで、世界大戦の英雄と称されたのかもしれない。


(もしかして、ここはマルスさんの故郷なんだろうか)


 多くを聞くことはなかったけれど。

 帰りたかったのかもしれない、場所。そこへ連れてきてくれたとは、なんと皮肉なことだろう。


『生きて、三年後。魔法博物館の前で会おう』


 唇を嚙みしめる。拳を、強く握る。

 最後の言葉を、表情を、思い出す。何度も思い出して記憶に留める。

 クレナに迷いはない。

 手のなかには、レモンイエローのリボン。約束だけがクレナを生かすと、知っているから。


「ここから先は、わたしが、物語を紡ぐ」










 

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