剝き出しの敵意

   *


 その夜。クレナは、写真館の屋根の上に座っていた。


(いろんな意味でペースが乱されすぎた。一度、整理しよう)


 呼吸を整えつつ、考える。

 宗教都市ビオレッタへ来たのは、魔法博物館でマルスに再会するため。

 情報を得ていく途中で、殺人鬼の噂を耳にした。それがどう考えてもマルスだったため、アオイによって傀儡にされていると考え――その予想は当たっていた訳だが。

 理由は分からない。しかし、マルスが罪を重ねているのは事実。


(アオイに今度こそ魔女の一滴を諦めさせる)


 目的はふたつに増えた。


(もう逃げたりしない)


 右手首のリボンが揺れる。

 三年間を鍛錬に費やした。隠れて、力を蓄えてきた。

 アオイとの決着をつけるため。途中からは、マルスを殺すため。


「クレナ!」


 思考を遮るように、地上から誰かがクレナを呼んだ。


「ポム」

「まさか屋根の上にいるとは思わなかった。そっちに行ってもいいかい」


 クレナが頷く前に、ポムは二階の窓から屋根に上がってきた。


「さ、寒くないか」


 ポムが両手で二の腕を抱え、体を丸める。


「隣、いい?」

「どうぞ」


 クレナの隣に、ポムが三角座りする。


「真っ暗だな」

「そうだね」

「……」

「……」

「あのさ、ヒューゴもセイラも、おれが誘ったって話はしたっけ」


 クレナが頷くと、ポムは言葉を続けた。

 ぽつぽつと、過去を振り返る。


「ふたりに出会ったとき、おれはマルスさんのおかげで雇ってもらえた新聞社の仕事に、ちょっとずつ慣れてきたくらいのときだった。会社へスクープ写真を売りつけにきてたのがヒューゴで、なんとなく気が合って一緒に暮らしはじめることになったんだ」

「うん」

「で、セイラは昔のおれと一緒。盗みをしてぶん殴られて殺されかけてるときに、おれが助けた。ほっとけなかったんだ」


 クレナは、うん、と重ねた。

 言葉に迷った末に、夜空を見上げる。


「……お互い、いろいろあったんだね」


 星は流れない。かつてマルスと共に見た流星群は、あの日一度きり。

 ポムが、クレナへ顔を向けた。


「殺人鬼と対峙したとき使っていたのは、魔法?」

「うん。……【マイン・ローテス・ヘルツ】」


 クレナは右手に力を込める。何もなかった空間に、ステッキが浮かび上がった。

背丈と同じ長さのステッキが現れる。白金の頂には王冠。瞳と同じ色の宝石が輝いている。夜空の星々よりも深く、鮮やかな光。


「すごいな。おれ、魔法ってはじめて見た」


 ポムが羨まし気に溜め息をついた。


   *


 クレナは賑やかなマルシェの通りを歩いていた。やらねばならないことはあるものの、食事と宿のお礼にと買い物係を申し出たのだ。ヒューゴは申し訳ないと言いつつも買い物リストを託してくれた。


「はいよ。お嬢ちゃん、お遣いかい? 偉いね」


 指定された店で野菜を買って、持たされたカゴに詰める。


「あとはお肉を買って……」


 ――もうすぐ雨祭りだな。

 ――今年は特別な奇跡が見られるらしいぞ。


 不意に、耳が『雨祭り』という単語を拾う。隣の屋台の店主と常連客らしき男性の会話だ。


 ――ここだけの話。なんでも、殺人鬼を捕らえて、民の前で処刑するんだそうだ。

 ――それはほんとうか! これで安心して夜の町を歩けるな。

 ――関係なく飲み歩いているくせに。

 ――まぁ、若い女じゃないからな。

 ――間違いない。はっはっは!


 ぴたり、とクレナの動きが止まる。

 人々は確かに言った。殺人鬼を処刑するのが、雨祭りのメインイベントだと。

それを、奇跡だと。


(自作自演? 一体どういうこと?)


 殺人鬼、つまりマルスを操っているのはアオイなのだ。

 わざわざ見せしめに処刑をする必要はない。


(いや、これまでの行動がすべて処刑に正当性を得るためだったとしたら?)


 思いつくなかで最悪の可能性に、唇を噛む。


(そしてマルスさんを餌としてわたしを呼び出そうとしているのだとしたら)


「……許せない。絶対に」

「クレナ!」


 女性の声に呼ばれ、クレナは我に返った。

 肩越しに振り返ると、立っていたのはセイラだった。


「どうしたんですか」

「重たいだろうから手伝いに来たのよ。ほら、貸しなさい」


 冷たい目つきは変わらないまま、セイラが手を差し出してくる。

 断っても怒られそうだったのでクレナは言われるがまま重たいカゴを渡した。


「ところであんた、ポムを見なかった?」

「いいえ」


 クレナが首を横に振ると、セイラは頬を膨らませた。


「殺人鬼の手がかりを見つけたって、ものすごい形相で飛び出して行ったのよ。無事だとは思うんだけど……」


 さーっ、とクレナの背中を冷たいものが駆け抜けていく。


「無事かどうかは分かりません。なにか、殺人鬼について手がかりはありませんか?」

「うーん。マルシェの裏手の空き地がどうとか言ってた気がする」

「分かりました。わたしはポムを見つけてから帰ります!」

「ちょっと?」


 セイラの制止を振り切って、クレナは走り出した。

 マルシェの突き当たりから横道に逸れて、空き地に辿り着く。最初に助けてもらったときに辿り着いた場所と同じ景色だ。


(ポムより先に着いた? だとしたら好都合だ)


 魔法を具現化させるため、クレナは意識を右手に集中する。マルスがここに現れるのだとしたら、絶好の機会なのだ。


「【マイン・ローテス・ヘルツ】」


 ステッキの輪郭が淡く浮かび上がったとき。

 ごすっ。


「……え?」


 鈍い音と、遅れてやってくる痛み。

 両膝をついて、そのまま前のめりに倒れる。ステッキが霧散するように消える。

 ごろりと地面に野菜が転がってクレナの顔の前で止まった。さっき、クレナが買った野菜。凶器が、カゴだと気づく。

 それは、つまり。


「嘘つき」


 冷たく、敵意に満ちた声が降ってくる。

 クレナはなんとか目線を上に向けた。

 立っていたのはセイラ。その背後には見たことのある黒ずくめが何人か。


(罠だった、ということ?)


「殺人鬼を操っているのはあんただって、アオイ様は仰ったわ。ポムもヒューゴも騙されているって教えてくださった」


 クレナは唇を動かそうとするが、音が出ない。


「あたしからポムを奪おうとする奴は全員いなくなればいい。あたしたちのささやかな幸せを壊す奴は、みんなみんな、敵」


 憎しみのこもった声に、笑いが混じる。


「あんたが次目を覚ますのは、処刑台の上よ。バイバイ」


 黒ずくめが覆い被さってきて、クレナの意識は途絶えた。

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