写真撮影
*
その数時間後。
クレナは、写真館の片隅で椅子に座らされていた。
目の前には、白いシャツと黒いパンツの上から黒いエプロンをつけたセイラが立っている。どうやらそれは、写真館の制服のようだった。
接客業である筈のセイラは、眉間に皺を寄せてぶつぶつと呟いていた。
「どうしてアタシがあんたなんかに化粧をしなきゃいけないの」
「ポムの依頼ですから。目が覚めたらクレナさんの写真を撮ってあげてほしい、ってね」
ヒューゴもまた白いシャツと黒いパンツ姿。エプロンはつけていないが、サスペンダーをつけている。
「あいつ、再会したからって浮かれすぎじゃない?」
「……え、えぇと」
「あんたは大人しくしてなさい」
セイラがぎろりとクレナを睨んでくる。その両手にはメイク道具の筆とパレットがある。
「あたしの化粧術は巷じゃ神業って言われてるんだから、もっと喜びなさいよ」
「は、はい」
クレナは両膝の上に手を置いて縮こまった。
(どうしてこんなことに、はわたしの台詞……)
あっという間にクレナはメイクを施され、ヒューゴの言うままに写真を撮ることになってしまった。
箱型の写真機。その奥から、ヒューゴが顔を覗かせる。
「表情がかたいですね」
「ごめんなさい。写真なんて、撮られたことがないので」
「気負わなくてもいいんですよ。リラックスしてください」
「む、難しいです」
「では、言葉を変えましょう。今まで生きてきたなかで、いちばん楽しかったことを思い浮かべてみてください」
え、とクレナは言葉を零した。
(楽しかったこと……)
不意に浮かぶのは、マルスとの束の間の同居生活。ただの日常だ。ささやかな幸せなどと称してしまうには陳腐すぎる。
それでも、思い出せば顔は綻ぶ。痛みと共に。
ヒューゴが頷いた。
「うん、いいですね。そのままそのまま」
なんとか数枚撮ってもらったところで、勢いよく写真館の扉が開いた。
「クレナ! 目が覚めたのか!」
「おかえりなさい、ポム」
ヒューゴが右手を上げた。一方でセイラは不服そうに頬を膨らます。
座ったままのクレナを見下ろして、ポムが両腕を組む。顎に手を遣ると何度も頷いた。
「すっごくきれいだ。うん。すっごくきれい」
「……」
緊張してかたまっていたクレナだったが、ポムの恰好に気づいて目を丸くする。
「スーツ?」
「おれだってスーツの一着や二着くらい着るさ」
ポムはネクタイを緩めながら舌を出す。着ているのはベージュストライプのスーツだった。髪の毛もセットしているようで固まっていて、額が露わになっている。
「いつまで経っても着られている感は否めませんがね」
「うるさいぞ、ヒューゴ」
ぱんっ、とポムが両手を叩いて三人の注目を集める。
「ようやく全員揃ったな。皆、聞いてくれ。大事な話があるんだ」
「大事な話ぃ?」
セイラが声を上げるも、ポムはクレナへ体を向けた。
「クレナ。考えたんだけど、一緒にこの家で暮らさないか?」
「はぁ?」
声を荒げたのはクレナではなくセイラだった。
「セイラだって言ってただろう、男二人との生活はむさくるしいって」
「それはそうだけど、そういうことじゃないでしょう」
「クレナの殺したい相手って殺人鬼なんだろ」
急に三人の視線がクレナに集中する。
にわかに走る緊張に、クレナは居住まいを正した。
「そ、それは」
「止めろとは言わないけれど、ひとりでは危険すぎる。だったらこの街で生活しながらチャンスを伺えばいいんだ。おれたちも仲間になる。どうだろう?」
しばしの沈黙。
ふぅ、とヒューゴが息を吐き出した。
「ポムらしい意見ですね」
「ヒューゴもセイラも、かつてのおれと同じだった。おれが誘ってこの家で暮らしはじめたんだ」
「ふん。それが何だって言うのよ」
セイラはセイラで不機嫌さを隠そうともしない。
クレナは俯く。どう答えればポムを諦めさせられるのか、考える。
(わたしの標的が殺人鬼だけだと思っている今なら……)
「知られてしまったからには、皆さんを危険に巻き込みたくないという気持ちも分かってもらえると思う。ポム。わたしはここでは暮らせない」
「答えはすぐに出さなくていいんだ」
「暮らせないって言ってるじゃないの」
反論したのはセイラだった。乱暴にテーブルを叩いて立ち上がる。
「セイラ」
「あたしは反対よ。理由はその子も言ってる通り。ただでさえ裏稼業は危険だって言うのに、これ以上危険度を上げてどうするの。正義の味方にでもなったつもり?」
「言いすぎですよ」
ヒューゴを無言で睨みつけて、セイラは荒々しく写真館から出て行った。扉が強く開け閉めされる音が衝撃と共に響いてくる。
ふぅ、とヒューゴが息を吐き出した。
「クレナさん、気を悪くしないでくださいね。彼女は感情表現が得意ではないのです」
「いえ、その通りだと思いますから」
クレナは静かに立ち上がった。
「外に行ってきます」
困惑したままのポムと視線が合う。
「夜には一度戻るから。それまでに、セイラさんと仲直りしてね」
*
(情報が得られなさそうな今、自分の足で稼ぐしかない)
クレナは盛大な溜め息を吐き出した。
(ほんとうに知りたかったのは)
向かったのは、宗教都市ビオレッタの中心であるレーゲン教の教会。円柱状の建物の上に、半球状の屋根が乗っている。
(知りたかったのは、アオイのこと)
アオイは、かつてのように広場に現れたりしないのだ。今やレーゲン教の中心人物であり、近いうちに、最年少で市長になるという噂も流れている。
ぞろぞろと信者たちが教会から出てくる。ちょうど定例の祈りが終わったところなのだろう。
彼らとすれ違うようにクレナは中へ入って行く。
靴を脱ぎ、絨毯の敷かれた聖堂へ足を踏み入れた。
何本もの柱には美しい彫刻が施されている。おそらく、レーゲン教の神話の登場人物たち。
熱心な信者たちは椅子に腰かけてこうべを深く垂れていた。
奥には祭壇、そしてグランドピアノが一台。
クレナは天井を見上げる。天井から壁まで続いているのはステンドグラス。彩度や明度の異なる青色が幾何学的に組み合わさっていて、荘厳な光を生み出している。
まるでアオイの瞳の色のような、深い光だ。
(眩しい)
唇を噛み、それでもクレナはステンドグラスを見つめつづけた。
「……」
ようやく踵を返して教会の外に出ると、仁王立ちでクレナを待っている人間がいた。
「セイラさん」
「ようやく見つけた」
セイラは不機嫌さを隠そうともせず、両腕を組んでいる。おそらく、半ば無理やりポムに説得されたのだろう。
まさか教会まで探しに来るとは思っていなかったので、クレナは頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしてすみません。明日には出て行きますから」
「ふん」
クレナは心のなかでだけ溜め息をつく。
(……やりづらい)
そもそも同世代の女性と話す機会がこれまで一度もなかったのだ。前提としてクレナは人間ではないが、それでも、どうしていいか分からないことに変わりはない。
セイラが歩きはじめる。クレナが動かないことに気づき、肩越しに振り返った。
「あんたがいないとポムの馬鹿が暗くなるのよ」
帰るわよ、とセイラは小さく付け加えた。
だんだんと空が彩度を落としていくと、日中にはなかった屋台が増えてきた。
食べ物ではなく、ランタンを販売している。しかも一軒や二軒ではない。よく見れば、それぞれが微妙に個性を出している。
無言で気まずさを感じていたのもあって、クレナは先を行くセイラへ声をかけた。
「これは、何の店ですか?」
「雨祭りのランタンよ」
「雨祭り……?」
セイラが立ち止まり、くるりと振り返った。
「アオイ様の誕生日のお祭り。あんた、そんなことも知らないの?」
「は、はい」
若干たじろいでクレナが応えると、セイラは屋台のひとつを指差した。
「選びなさいよ」
「え?」
「買ってあげるって言ってんの」
睨まれて、クレナは恐る恐る屋台に近づく。
紺色や藍色のランタンには繊細な彫り飾りが施されている。どれも少しずつ違って、ひとつとして同じものはなさそうだった。
「こ、これで」
クレナが選んだのはラナンキュラスが彫られたランタン。
「これください」
むすっとしたままセイラが会計を済ませ、ずいっとクレナにランタンを押しつけてきた。クレナは両手でランタンを受け取る。
「あ、ありがとう、ございます」
「雨祭りまでは許してあげる」
(それは、あの家にいることを、という意味?)
尋ねても不機嫌が返ってくるだけということは把握したので、クレナは黙っておくことにした。
灯りのないランタンを掲げる。
(アオイの誕生日なんて考えたこともなかった)
それはヘクセローゼによって創られた日のことを指すのだろうか。
少なくとも、クレナは自らの誕生日を意識したことはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます