魔法博物館

   *


 賑やかな夕食の後、ようやく本題を切り出された。


「で、クレナ嬢の欲しい情報って、何?」


 言い淀むクレナに、ポムは首を傾げる。


「ん?」

「クレナ嬢、って言いづらいと思うから。クレナでいい」


 あぁ、とポムは気づいたように頷いた。

 クレナは両膝の上で拳を握りしめて、顔を上げると、向かいに座るポムを改めて見つめた。


「殺したい相手がいるの」


 しん、と静まり返るダイニングルーム。


「大事な人間の尊厳を奪った。絶対に許さない」


 ヒューゴとセイラが顔を見合わせる。


「……」


 沈黙を破ったのはポムだった。


「応援するよ、とは言えないけどさ。まぁ、いろいろあるよな、うん」


 ポムは何かを納得させるかのように何度も首を縦に振る。


「いろいろ訊きたいことがあるのに、それで済まそうとするところがポムらしいですね」

「ヒューゴ! どうして分かるんだよ」

「分かりやすいんですよ。さて、クレナさん。あなたの求める情報については、明日詳しく伺いましょう。今日は疲れているでしょうし、よかったら先にシャワーを使ってください。その間に客室を整えておきますね」

「それは、おれの台詞!」


 クレナは賑やかなやり取りに、そっと瞼を閉じる。


(……温かすぎる)


 望む情報は得られないかもしれない。場合によっては敵とみなされるかもしれない。クレナのなかにはそんな予感があった。


(とりあえず今は客人として大人しくしておこう)


 結論を固めて、頷く。


「クレナ?」


 顔を覗き込まれて、クレナはようやく瞳を開いた。


「ありがとう。お言葉に甘えさせていただくね」


   *


 全員が寝静まったのを確認してクレナは写真館を後にした。そして、やって来たのは高い柵に囲まれた魔法博物館の前。

 夜風がクレナの頬を撫でていく。


「ここが、魔法博物館」


 柵の両端は視界に入らないほど広い建物だ。話によると、すべての展示物を観終わるには十日ほどの時間を要するという。


(三年前に行ってたら、かなりの長旅になっていたんだろうな)


 それはそれで、楽しかっただろうけれどとクレナは思う。

 整えられた芝生が広がる前庭。その中央では緩やかに噴水が水を放ちつづけている。奥の建物は月明かりに照らされて、乳白色の光を帯びていた。壁面自体が芸術作品となっているようで、球体や円柱を組み合わせたなかに、神話を模した彫刻が施されている。

 幻想的な美しさとはまさにこのこと。人々はこの場所へ魔法の産物を味わいに来るのだ。


 静寂、静謐。


 まるで世界にクレナひとりしか存在していないかのような一瞬の後、風がやんだ。

 背後に誰かが現れた気配。ゆっくりと肩越しに振り返る。

 十分な距離を取ったまま立っていたのは、黒衣を纏った大男だった。


(号外新聞の写真と、同じ)


 クレナは体ごと大男へ向けた。

 ふしゅー、ふしゅー、という荒々しい呼吸が黒衣から漏れている。


「お久しぶりです、マルスさん。呼吸が下手になりましたね」


 マルス、と呼ばれても大男は反応しない。

 クレナは右腕をすっと前に伸ばす。


「【マイン・ローテス・ヘルツ】」


 右手が紅く煌めいて、背丈と同じ長さのステッキが現れる。色は白金。頂には王冠。

 中央で輝くのは、レッドダイヤモンド。


 ――具現化させた、魔女の一滴の力。


 クレナが創り出した、クレナだけの魔法具だ。

 くるくると回転させながら、クレナはステッキを構えた。ふわりと右手首のリボンが揺れる。

 静かに呼吸を整え、声を張る。


「そんな姿になっても三年前の約束を覚えていてくださったなんて光栄です。わたしもすごく会いたかったです」


 大男は何も反応しない。クレナも、反応が返ってくることは期待していなかった。


「引導を渡しに来ました」


 大男が、人間のものとは思えない咆哮を上げながら突進してきた。

 先に跳んだのはクレナ。

 空中でステッキを回しながらその先を大男へ向ける。点るように先端が光ってまるで銃弾のように光が発射される。黒衣が焼け、左腕が露わになる。人間のままの左腕だ。


「くっ」


 クレナはさらに高く跳ねる。


 約束を果たすため、この街へ向かっていたときだった。宗教都市の平穏を脅かす殺人鬼のことを知ったのは。


(最初から、嫌な予感がしていた)


 マルスは戦場の英雄。雷帝を、アオイが簡単に殺すはずがなかったのだ。殺人鬼の正体がマルスだと、クレナはすぐに気づいた。

 ただし、気づくのと認めるのは、別の話だ。


 高い柵に乗り、クレナは大男を見下ろす。


「わたしを庇ってくれたあの日。アオイに、何かひどいことをされたのですよね。そして今や傀儡となって、罪を重ねている。すべてわたしのせいです。……ごめんなさい」


 つぅ、とクレナの頬を涙が伝った。


「これ以上あなたを殺人鬼のまま生かしておくことはできません。死んでください」


 伝わってくる鈍い音と衝撃。大男が柵を殴り、破壊したのだ。

 クレナは回転しながら大男の頭上を狙う。

 視線が、合う。

 笑っていない曇り空の瞳……。


 ――そのとき、予想しない方向からの衝撃が起きた。


「逃げろぉぉぉ!」


 勢いだけ激しい爆発、つまり、煙幕だった。

 驚いたクレナが地面に着地したのも束の間、ふわりと足が宙に浮く。クレナはポムに抱きかかえられていた。


「びっくりした! 部屋にいなかったから慌てて探しに来たけど、大正解」

「お、降ろして」

「駄目だ。あれ、殺人鬼だろう? あのままだと殺されちゃうぞ」


 隣を走るセイラが呆れたように溜め息を吐き出した。


「はぁ? 殺したい相手がいるってのたまう人間に向かっていう台詞ぅ?」


 セイラの手には筒状の何か。どうやら煙幕を投げたのは彼女のようだった。

 路地裏から低い声が響く。


「ポム! こっちです!」


 ヒューゴだ。滑るようにポムとセイラは細い道へ駆け込む。その先は、草すら生えていないがらんとした空き地だった。


「ふぅ。ここまで来ればひとまず安心だ」


 ポムから降ろされて地面に立ったクレナは、ぐっと唇を噛んだ。


「どうして助けたの」

「聞いてなかったのか? あのままだと殺されてたぞ。っていうか、クレナの殺したい相手って……殺人鬼だったのか?」


 クレナは、ポムを見上げた。

 ポムが心からクレナを心配しているのは、表情で伝わってきた。


「……クレナ?」


 声も、ひどく優しく響く。

 クレナは、ようやく静かに頷いた。


(あれがマルスさんだって、ポムには。絶対に言えない)


 ぱんっ、とヒューゴが両手を叩いた。


「とりあえず帰りましょうか。話は、明日ゆっくりと聞くことにしましょう。クレナさんの殺したい相手が殺人鬼だというなら、残念ながら……昨日の今日でいなくなったりはしませんからね」

「それもそうだな」


 ポムが髪をかきむしる。


「ちょっと?」


 セイラが大声を上げるのと同時に、クレナは地面に両膝をついていた。視界が回る。声が出ない。明らかな異変だった。


(何、これ。力が、入らな……い……)


 そのまま闇に引きずり込まれるようにして、意識を失った。


   *


 夢を見ている、とクレナは思った。

 目の前にマルスが立っていたから。笑って、いたから。


『どうぞ』


 マルスが花束を差し出してくる。

 メインは、花びらが幾重にも重なり丸みを帯びたラナンキュラス。他にも、薔薇やアネモネ、カスミソウ。


『……いい香りですね』

『ようやく笑ったか』


 そこで目が覚めた。


(どんな香りだったか、もう覚えていない)


 クレナは布団のなかに寝かされていた。わずかに熱っぽく、けだるさがある。

 のろのろと上体を起こした。

 カーテンの隙間から光が射しこんできている。手で光を遮ろうと試みるも、眩しさはたいして変わらない。


(あれ?)


 すると、パジャマのようなやわらかな服に着替えていることに気づく。

 クレナは見覚えのない天井、壁、窓に瞬きを繰り返した。ベージュでまとめられた、無駄のないシンプルな空間だ。

 まわらない思考をなんとか働かせ、ポムの家の客室だと気づく。

 あらためて部屋を見渡すと、ジャケットはハンガーにかけられていたし、服は丁寧に折りたたまれてキャビネットの上に置かれていた。レモンイエローのリボンはその上にそっと載っている。


(セイラさんがやってくれたんだろうか。というかセイラさん以外がやるとは思えないけれど。いや、もしかしたらヒューゴさんが淡々と)


 ぺたんこ靴がベッド横に置かれていたので、クレナはそれを履いて廊下へ出た。


「目が覚めましたか」


 ちょうど、ぽてぽてとヒューゴが歩いてくるところだった。


「おはようございます、クレナさん」

「おはよう、ございます。あの、いろいろと、すみません」

「いえいえ」


 ヒューゴの穏やかな雰囲気のおかげで、クレナはほっと胸を撫でおろす。


「わたしは、どれだけ眠っていたのでしょうか」

「今日で三日目になるところでした。熱も出ていましたが、その様子なら大丈夫そうですね。消化によさそうな食べ物を用意しましょう。客間に運びますね」


 のんびりとした口調でありながらも、その言葉には拒否権がなかった。

 クレナは大人しく部屋へと戻る。

 ベッドに腰かけたつもりが、力が抜けてそのまま倒れ込んでしまった。

 天井を見つめながら考える。


(気を失ってそのまま眠ってしまうなんて初めてだ)


 そうさせたのは、マルスとの再会だろう。

 彼の瞳はクレナを映したけれど、クレナを見てはいなかった。

 じわ、と瞳に熱いものが滲むのが分かり、クレナは両手で顔を覆う。


(何も変わっていなかった。それなのに、何もかも変わってしまっていた)


 ――笑わない雷帝は、雷帝じゃない。


(だからこそ、わたしの手で殺さなければ。この手で。マルスさんを)


 こんこん、こんこん。

 思考を遮ったのはノック音だった。


「入りますよ」


 クレナは乱暴に顔を拭って起き上がった。


「はい」


 ヒューゴの手には木のトレイと湯気の昇るスープボウルが見えた。テーブルにトレイごと置くと、クレナに近づくことはせず扉の前に立つ。


「今日はくれぐれも安静に。活動は、明日から」

「はい。ありがとうございます」


 にこり、と微笑んでヒューゴは部屋から出て行った。

 クレナは食事を取らなくても活動できる魔法人形であるが、それを知る者はここにはいない。

 一旦は言われたように安静にしておくべきだと判断し、大人しくテーブルのスープボウルを手に取る。

 中身はミルク粥のようで、温かさがじんわりと手のひらに伝わってくる。

 ゆっくりと、口に運んだ。

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