第一部 籠のなかの鳥

ふたりの旅立ち

   *


 翌日。

 強引に話をまとめたマルス・トゥオーノは、宣言通り店先へクレナを迎えに来た。

 白いハット、紺色のシャツに白いトラウザーパンツ。栗色の革靴の紐はかたく結ばれている。

 左手にはジュラルミンケース。銀色の右手を軽く挙げて、にかっと微笑んだ。


「おはよう、クレナ嬢。昨日は気が進まなそうに見えたけれど、準備万端だな」

「……今回限りです」


 クレナは視線を横に逸らした。


(そう、今回だけ。ヘクセローゼの元へ案内するだけだから)


 店に立つときと同じ真っ黒なワンピースを着ているものの、クローゼットに眠っていた大きな鞄へ考えられる限り必要なものを詰め込んでいた。

 クレナは店の扉に鍵をかけ、店休日と書かれた札をドアハンドルに引っかける。

 背後からマルスの声が降ってくる。


「ところで、誘っておいて今さらなんだけど。臨時休業しても大丈夫なのかい?」

「問題ありません。この店は、祖母の導きがないと存在さえ認識できないようになっていますから」


 クレナは振り返ってマルスに向き合う。


(ヘクセローゼがどうしてロケットペンダントを渡したかは分からない。だけど、中には笑顔の写真が入っていた。この男は『わたし』にとって害がないと判断されたということでもある)


 クレナがそれを説明するつもりはない。

しかしマルスは彼なりに納得したようだった。


「そうなのか。流石、ヘクセローゼの魔法具店だ」

「世界大戦も終わりました。平和な世に、武器は必要ありません」


 マルスは、そうだなと呟いて頷いた。


「しかし、ヘクセローゼが介護施設にいるとは驚きだ。まだそんな歳じゃないだろう? 寧ろ、死んでもボケないと思っていたのに。……あ、すまない」

「いえ、事実ですから」


 ヘクセローゼの二つ名は『大魔女』。

 一方で、先の世界大戦において終結の立役者である彼女の正体は謎が多い。

 そんな大魔女の居場所を訊かれた、クレナによる回答。


 ――クラールハイトの老人ホーム。そこに、祖母はいます。


 そのときマルスの顔面では、人間の出来うるすべての驚きが表現されているようだった。


(こんな短時間で大の大人の表情がここまで目まぐるしく変化するものなのか、こちらがびっくりする。ただ、強力な魔法腕を使いこなしているということはかなりの手練れだろうし、一度くらいは外に出てみたっていいよね。何といったって)


 初対面の大男を前に、クレナはテーブルの下で拳を握りしめた。


(目的がヘクセローゼに会いに行くこと、だもの)


 これが、クレナの出した結論であり、……今に至る。


 徒歩で向かうにはかなりの日数を要する。そこでマルスが選んだのは魔法列車に乗ることだった。

ということで、ふたりは駅までの道を歩いていた。

 窓から見るのと同じ曇り空。風はなく、穏やか。

工業都市グラアウ。辺境に位置しているからか、世界大戦で疲弊しなかった数少ない都市のひとつだ。王国一の曇天率を誇るこの地の通称は、曇り町。

 石畳の敷き詰められた道は緩やかな登り坂になっていて、両脇は煉瓦造りの建物が連なっている。

一階で店舗の開店準備をする人。

二階の窓から洗濯物を干すために体を乗り出す人。

一日の生活は静かに始まっているようだった。

道すがら、クレナはマルスに尋ねる。


「軍人をしていたと仰っていましたが、世界大戦に参加されていたのですか」

「ああ。王国軍で先駆けを務めていた。途中で右腕を失くしてね。そこまでの功績が評価されたおかげで、ヘクセローゼ製の腕を与えられた」


 クレナは顔の向きごと視線をマルスの右腕へ移した。


「ヘクセローゼは大魔女として名高いが、すばらしい魔法具師でもある。おかげで僕は、最終的に英雄となったよ。大戦終結後は指導役を何年か務めていた」


 だから直接お礼を伝えたいんだ、とマルスは付け加える。


「魔法というのは便利なものだ。大きな金属の塊を動かすこともできるし、人間の腕の代わりにもなる」


 マルスは右手を開いたり握ったり繰り返す。


「未知のものに対する恐怖を抱く人々は少なくない。だからこそ世界大戦は勃発したけれど、僕は、魔法によって救われることの方が多いと思う」

「ええ、そうですね。わたしも同意します」


 クレナは同意して、そこからはとりとめのない会話が続いた。

 登り坂はやがて、広場の入り口に繋がった。石畳と煉瓦の殺風景さから一転して、花壇には花が咲き誇り、林のように木々が並んでいる。

曇り空には人々の笑いさざめく声が響いていた。

広場の奥の方には、白くて丸い屋根の建物。

 すっとマルスがその屋根を右手で指さす。


「この奥が駅だ。念のために訊くけど、魔法列車に乗ったことは?」


 いいえ、とクレナは首を横に振った。


「列車は、王国の東西南北を繋ぐ移動手段だ。魔力を源にして、敷かれた線路の上を客車が一日に何往復もする。人間や馬と違って疲弊することがないし、一定の速度を保ち、規則的に運行することができる列車のおかげで人々の往来は活発になった」

「まさに大きな金属の塊、ですね」

「その通り」


 マルスは片目を瞑ってみせた。


「広場を突っ切って行くのが最短なんだ。行こうか」


 ふたりが広場へ足を踏み入れると、ひときわ大きな拍手が聞こえてきた。


「おや? 何だろう?」


 彼の疑問はすぐに解決した。噴水の前に人だかりができていたのだ。

人の輪の中央には金髪の少年が立っていた。祭服を纏い、慈愛に満ちたやわらかな微笑を浮かべている。


「ふむ。雨のような瞳の持ち主。もしかして、神の子、アオイかな」

「……神の子?」


 クレナは瞬きを繰り返した。


「とある新興宗教の神童だよ。レーゲン教、だったかな。噂には聞いていたが、初めて見た。拠点はビオレッタだった筈だから、今は遊説中だろうか」


 マルスは口を尖らせ、右手を顎にやる。それから視線をクレナに下ろした。曇り空の瞳にクレナの顔がくっきりと映る。

 艶のある黒い髪、滑らかな白い肌、紅の瞳はアーモンドのような形。睫毛は長く、天に向かっている。


「どうかしましたか」

「なんだろう。似ていないのは承知で、どことなく君に似ていないかい」

「似ていないのに似ているとは、矛盾ですね」

「そうなんだけど。雰囲気、かな? 年頃も近そうだ。クレナ嬢は、今年でいくつになる?」

「十五です」


 ――アオイ様の奇跡だ!

 ――すごい。どんどん痛みが和らいでいくぞ。

 ――見えなかった目が、見えるようになった。なんてことでしょう。

 ――すばらしい奇跡だ!


 クレナの回答へ被さるようにして、熱を帯びた歓声が上がる。

 両腕を大きく広げた神童の頭上からは、さながら光の雨と呼ぶのに相応しい金色の粒が音もなく静かに降り注いでいた。それは人々の輪郭を淡く輝かせ、作用しているようだった。咽び泣く人、抱き合って喜ぶ人々。中には跪く人もいた。


「奇跡、ねぇ」


 マルスが肩をすくめてみせた。


「分かると思うけど、あれは強力な治癒魔法だ。媒介もなく魔法を使えるなんて、相当の手練れだろうな。世界大戦中に彼が生まれていたらかなり活躍しただろう。助かった人も多いかもしれない」


 クレナは、何も言わなかった。

 光の雨が収束すると、アオイは群衆へ語りかけているようだった。

内容まではふたりの立っている場所まで届かない。

 マルスは、彼の話の内容には興味を持たないようだった。顎に右手をやって、言葉を続ける。


「普通の人間は魔力を持たない。だからこそ、魔力を持っているだけでだけで崇拝の対象になる。戦争が終わって心の拠り所を欲する人々も多い。最近、新興宗教が賑わいを見せているのはそういうことだろうな。……あ、ちょっと待っててくれないか。すぐに戻る」

「え?」


 何かに気づいたように、マルスは人けの少ない屋台まで歩いて行った。

 店主とやり取りをして戻ってきた彼の右手には、あかい花を中心にまとめられた花束があった。真っ直ぐクレナへと差し出してくる。


「どうぞ」


 両手でクレナは花束を受け取ると、鼻を近づけた。


「……いい香りですね」

「ようやく笑った」

「え?」


 クレナが花束から顔を上げると、マルスと視線が合った。


「ヘクセローゼに会ったのは一度きりだったけれど、よく笑う人だった。その孫娘にしては大人しすぎるから、緊張しているのかと」

「緊張しているのは確かです。しかし、ご期待に沿えず申し訳ありませんが、表情が乏しいのは昔からです。祖母にもよく言われていました」


 クレナは花束へ視線を落とした。

 メインは、花びらが幾重にも重なり丸みを帯びたラナンキュラス。他にも、薔薇やアネモネ、カスミソウがバランスよく配置されていた。


(もしかして、わたしの瞳の色に合わせて選んでくれたんだろうか)


 これから街を離れるというのに花束をプレゼントするとは、と思いつつ、クレナは花が見えるようにして鞄に差し込んだ。


「お。晴れてきたな。グラアウでは珍しいんだっけ?」


 のんびりとした声につられてクレナは顔を上げた。灰色の隙間からは光。少しずつ、空に青が広がる。

クレナは色を吸い込むようにじっと見つめる。

その度に、明るくて濃い青色が己のなかに染み込んでいくようだった。瞳から入った青は、緩やかに指の先まで、隅々まで伝わっていく。


「……空って、こんなに明るいものなんですね」

「そうだよ」


 マルスも空を見上げたまま、呟いた。


「目を凝らせば星の色だって判るし、耳を澄ませば風の歌だって聴こえる」

「マルスさんは、詩人ですね」

「退役したら、便利屋か小説家になろうと思っていたからね」

「退役したらやりたかったこと。もしかして、話を聞く度にひとつずつ増えていったりしますか?」

「さて、どうだろう」


 マルスはからからと笑った。

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