すりの少年
*
駅に近づくにつれ、今度は別の騒がしさが耳に届くようになった。そのなかに混じるのは、甲高い悲鳴。明らかに、異質。
クレナとマルスは、自然と顔を見合わせた。
「人の集まるところってのは、おのずと賑やかになるもんだが。さて」
「誰か! 誰か! あたくしの鞄を取り返してちょうだい! あの少年が! あたくしの鞄を!」
駅舎の入り口で、ひとりの女性が地面に座り込んで金切り声を上げていた。
「邪魔だっ」
通行人にぶつかった少年が吐き捨てるようにどなる。両手には明らかに盗品とおぼしき鞄を抱えていた。彼はそのままクレナたちが歩いてきた方向へ走り去った。
すると、マルスは女性に近づき、片膝をついた。
「マダム。私が引き受けましょう」
そして立ち上がり、クレナに向かって片目を瞑る。
「すぐ戻ってくるから、クレナ嬢はマダムの傍にいて」
返事を待たずにマルスは少年の方を向いた。踏み込みは一瞬、目にもとまらぬ速さ。残像すら見えなかった。
(速い……! 流石、退役したとはいえ、軍人……)
クレナは呆然と立ち尽くしかけたが、首を左右に振って、我に返る。
ちらりと横を見ると、女性は不安げな表情で広場を見つめていた。
裕福そうな身なりをしている。巻かれて流れる金髪。手入れの行き届いている肌、指。深緑のドレスには上品な光沢がある。
さらには胸元、耳、指。たくさんのジュエリーを身に着けていた。
不意に、見上げてきた女性と視線が合う。不安そうに揺らぐ茜色の瞳、たゆたう感情。
(どうしよう。どんな風に声をかけたらいいか、分からない。困る)
言葉に詰まり、視線を合わすこともできない。クレナは無理やり気まずさを飲み込もうと試みる。
(マルスさんなら、上手に会話を弾ませられるんだろうけれど……)
そして、そんなクレナの不安はすぐに終わった。
「取り返してきたよ」
「マルスさん。おかえりなさい」
「くそーっ! 離せーっ!」
戻ってきたマルスの左手には鞄。右手には、犯人の少年が抱えられていた。着ているものは薄っぺらく、汚れて、穴が開いていた。
ぱっとマルスが右手を離すと、少年は地面にごろんと転げ落ちた。
「いてーっ! なんだよ、お前!」
ごん!
文字通りマルスの鉄拳をくらった少年は両手で頭頂部を抑えた。葡萄色の瞳が見事な涙目になっている。
少年と目線を合わせるように、マルスはしゃがみこんで顔を近づけた。
「いいか、ガキ。これはお前に扱える代物じゃない」
マルスが鞄を開けると、たっぷりとジュエリーが詰まっていた。
あまりのまばゆさに、思わずクレナも息を呑む。
「売りさばいたってすぐに足がついて、ひどい目に遭わされるのがオチだ。分かったら、もう二度とこんなことは辞めるんだな」
「くそっ! 覚えてろよ!」
少年は謝るどころかすくっと立ち上がり、吠えるように吐き捨てて去って行った。
今度は見守るように眺めた後。マルスは鞄を閉じるとすっと立ち上がった。ぱんぱんっと服についた埃を払う。
クレナはおずおずと尋ねる。
「……いいんですか?」
ふぅ、とマルスは息を吐き出した。顔は少年が消えた方向を向いたまま、応える。
「いいんだよ、これくらいは。痛い目に遭って勉強はするべきだけど、悪い輩に掴まってまで学ぶことじゃない。生き方ってやつは」
それからマルスはくるりと女性に向き直った。左手を差し伸べると、応じるようにして女性は手を取り立ち上がった。流れるように美しい仕草だった。
「お待たせいたしました、マダム」
「ありがとう。あなた、強いのね」
手の触れたまま、女性は優雅に微笑んだ。
「大事なものを取り返してくれたお礼をしてもいいかしら? お嬢さんも一緒に」
*
駅舎の二階にある上客用のサロン。その個室に案内されたクレナたちは、革張りのソファに腰かけていた。
ペールグリーンの壁には巨大な油彩画。魔法具店のものとは比にならない豪奢なシャンデリア。目の前のローテーブルはガラス製で、天板には鮮やかな押し花が封じられている。
いい香りとしか表現できない香りが満ちている室内。きょろきょろと辺りを見渡すクレナに、マルスは隣から声をかけた。
「落ち着かないのかい?」
「マルスさんこそ、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか」
小声で会話を交わすふたり。
「ふふ」
テーブルを挟んで向かいに座る女性は、扇で口元を隠して微笑んだ。纏う空気には、先ほどまでの不安さがまったく感じられない。
「話には聞いたことがあるわ。右腕が魔法腕の男。レモンイエローのリボンで長髪を束ねているのが目印とね。戦場の『雷帝』」
「マダムのような、裏社会に関わりのなさそうな方にまで名が届いているとは光栄ですね」
マルスが恭しさを返す。
(雷帝……? 世界大戦で英雄になった、と言っていたけれど。そのことだろうか)
クレナはマルスを見る。先ほど盗みをはたらいた少年を捕まえたときの素早さを思い返せば、二つ名が雷帝だというのは素直に頷けた。
「あら。人は見かけによらない、って言葉を知らないの? そういえば自己紹介がまだでしたわね。あたくしはネルケ・アーホルン。貿易商の傍ら、大魔女ヘクセローゼのジュエリーを蒐集しているの」
(ヘクセローゼの?)
話を区切るかのように、黄金のワゴンに乗って紅茶とパンケーキが運ばれてきた。
「まずはいただきましょうか。可愛らしいお嬢さん、あなたの名前は?」
「……クレナといいます」
(魔法具店を継いでいる、ということは……言わない方がいい?)
ちらりとクレナはマルスへ視線を向けた。
何も言わないことを見ると、クレナの考えは間違っていないのかもしれない。
クレナにも紅茶とパンケーキがサーブされる。
紅茶の香りは瑞々しくも華やか。パンケーキは三段重ねで、ホイップクリームやフルーツが零れんばかりに盛られている。
見たことのない豪華さに、クレナは目を見開いた。
ネルケとクレナの視線が合う。促すように、ネルケは微笑んだ。
クレナは、ごくりと唾を飲み込んだ。それから恐る恐るフォークとナイフを手に取る。
「どうぞ召し上がれ」
「い、いただき……ます」
ふわっとしたパンケーキをひと口サイズに切り分け、ホイップクリームと共に口へ運ぶ。
(こんなにふわふわのパンケーキ、初めて食べた)
ぺたんこで硬いものか、生焼けのものしか食べたことのないクレナにとっては驚きだった。続けてフルーツも口にする。香りが鼻を抜け、甘さが口いっぱいに広がる。
黙々と半分食べ進めたところで、ようやくクレナは感想を述べた。
「すごく美味しいです」
「それはよかったわ。パンケーキなら、ここが一等だと思っているから」
ふと気づきクレナが横を向くと、マルスが笑いをかみ殺していた。
自分の食べっぷりが原因だと気づいたクレナは慌ててフォークとナイフを置く。
(マダム・ネルケはヘクセローゼのジュエリーを蒐集していると言った。ヘクセローゼのジュエリーには魔法具と同じように魔力が込められている。それを知っているのかどうかは分からないけれど)
知っているとしたら、よからぬことを考えている可能性も否めない。
だからクレナは、己が関係者であると伝えなかったのだ。
「ところで、マダム。ヘクセローゼのジュエリーを蒐集していると仰いましたが、かばんの中身も?」
一方でマルスは疑問を投げかけた。
優雅な仕草で紅茶を飲みながらネルケが答える。
「まさか。貴重ですもの、持ち歩いたりはしないわ」
「それは残念。一度、コレクションを見てみたいものです」
「あら」
ふと、ネルケは名案を思いついたかのように両手を叩いた。
「そうだわ。せっかくのご縁ですもの。魔法博物館のチケットを差し上げましょう」
ハンドバッグから取り出されたのは二枚の透明なチケットだった。
「魔法博物館といえば……『魔女の一滴』ですか?」
チケットを受け取るとマルスが尋ねた。
「えぇ。特別招待券よ。お礼に受け取ってちょうだい」
クレナも当然ながらよく知っている。
魔女の一滴。
大魔女ヘクセローゼが肌身離さず身に着けていた、レッドダイヤモンド。無色が基本のダイヤモンドではあるが、そのなかで最も貴重なのが赤みを帯びたものなのだ。
「お嬢さんの瞳のように、透き通った紅色をしているわ。見ていると、まるで吸い込まれそうになる。いいえ。寧ろ、吸い込まれたいと感じてしまう魔性の輝き……」
ネルケはうっとりと言葉を並べた。
「魔女の一滴は大魔女ヘクセローゼの象徴」
突然話を振られたクレナは表情をこわばらせる。
(気づかれた? まさか)
「今は主を失い、強固な封印が施されているという話ですね」
「ヘクセローゼ製の腕をお持ちの雷帝なら共鳴し合うかもしれないわね」
ふっ、とマルスが右手をネルケへ向けた。
「私の腕も、貴女のコレクションに加わりますか?」
「残念だけどそれはないわ。あたくしが求めているのは、ジュエリーだけだから」
ウィットを持たないクレナは会話に加わらないことを決めた。
代わりに、全力でパンケーキを食べる。
隣ではマルスとネルケが魔法具について語り合っていた。
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