列車にて
*
「楽しい時間をありがとう、雷帝。生きていればまた出会うこともあるでしょう」
「そうですね、マダム・ネルケ」
ネルケは自身のものだという箱馬車に乗って去って行った。
馬を見るのも初めてのクレナは、少し離れたところからおっかなびっくりで眺めていた。
箱馬車が見えなくなったのを確かめて、ふぅ、とマルスが息を吐き出す。
「いい食べっぷりだったね」
「わたし、いちばん好きな食べ物がパンケーキになりました」
くつくつとマルスが笑う。
「きっと食事をする度に更新されていくよ」
そして、マルスは腕を空へ向けて背伸びをした。
「さて、行こうか」
「よろしくお願いします」
改札で駅員に切符を渡す。穴の開けられた切符を両手で受け取り、クレナはマルスに続いた。
(まるで、親鳥を追いかける雛みたい)
見るものすべてがクレナの瞳に初めて映るもの。
白熱灯のやわらかな光と静かな喧騒に包まれた一階の構内。
楽しそうに笑い合う人たち。
別れを惜しむように抱き合人たち。
たくさんの人間がひとつの駅で人生という名の物語を紡いでいるのだ。
それだけではない。土産物や弁当を販売している店もあり、近づくと声をかけられる。
(駅って、ひとつの街みたい)
街すらきちんと見たこともないが、クレナの素直な感想だった。
階段を昇り、複数あるホームを見下ろすように通路を歩いて行く。さっきまでクレナたちがいたサロンは奥の方に見えた。
クレナはきょろきょろと首を左右に振る。
「広い……」
「目がふたつじゃ足りなさそうだ。さて、クラールハイトへ向かうにはどこから乗ればいいだろう」
マルスが案内掲示板を見上げる。
「うん。三番線ホームか」
到着したタイミングで、ホームへ列車が滑り込んでくる。どんどんスピードを落として停車した列車を見て、クレナは目を丸くした。
「四角い……」
「ははは。いいねぇ。クレナ嬢といると、なにもかもが新鮮に見える」
今からあれに乗るんだよ、とマルスが列車を指差す。
*
テラコッタ色の列車は空いていた。
マルスが予約したという四人掛けのボックス席へ歩いて行く。網棚に荷物を置き、ふたりは向かい合って座った。座席はほぼ直角で、少し硬い。
じりりり、とベルが鳴ると窓の外の景色がゆっくりと動き出した。
「長旅になるが、ほぼ列車だ。体が痛くなりそうなら車内を散歩すればいいし、退屈になりそうだったら、外の景色を眺めて過ごすといい」
「はい」
クレナが頷いたときだった。
「あんたら、臨海都市へ行くのか?」
軽やかな少年の声がマルスの後ろから聞こえてきた。
「さっきの!」
反射的にクレナは大声を上げてしまい、慌てて両手で口を押さえた。
ひょこっと顔を出したのは、駅前でマルスに捕まったスリの少年。
ぼさぼさの茶髪。荒れた肌。一方で、葡萄色の瞳は生命力に溢れているかのようにぎらぎらと輝いている。
遠慮することもなく少年はマルスの隣へ座った。
「おれの名前はポム。ポム・ラルベリ」
マルスが両腕を組み背もたれに体を預けた。
「無賃乗車はだめだぞ」
するとそのセリフを待っていたかのように、ポムと名乗った少年はマルスを見上げてにやりと笑う。
「残念だったな。発車しちゃった今、列車から降ろそうとするのか? そんなことすれば、逆にあんたが人でなしになるぞ」
はぁ、とマルスはわざとらしく盛大な溜め息を吐き出した。
ちょうど通りがかった車掌を呼び止め、切符を一枚追加する。
両手で切符を受け取ったポムはそれを掲げて快哉を叫んだ。
「やったー!」
「で、何しに来たんだ?」
渋い顔のままマルスが問いかける。どうやらマルスにとっても想定外の出来事だったようだ。
「上手く生きていく方法があるって言うなら教えろよ。それが大人ってもんだろ」
「列車代を払わせるだけじゃ足りないってか? 子どもだからって何をしても許される訳ではないぞ」
「ばかにするなよ。おれが欲しいのは金じゃない、方法だ」
ぴりっと走った緊張に、クレナは思わず口を開く。
「ふたりとも。こんなところで言い争いはやめてください」
「ふぅ。そうだな」
マルスの眉尻が下がった。どうやら、観念したらしい。
「まずはあったかいものでも食うか」
車掌の次に通りがかったワゴンサービスへ、マルスは声をかける。座席の肘置きから簡易テーブルを出して、それぞれに置かれたのはポットシチューとスプーン。
陶器の白い器の上にぷっくりと盛り上がったパイが覆い被さっている。
「やった! 食べ物だ! しかもあったかい!」
「……いいんですか?」
「もちろん。熱いから、火傷に気をつけるんだよ」
「いただきます」
クレナはスプーンを手に取った。
器は熱くて触れそうにないので、テーブルに置いたままパイへとスプーンを突き刺す。
さくっ。音と共にパイが崩れて器に落ち、そこからクリームシチューの香りが立ち昇った。シチューをすくうと、とろりと垂れおちながらもスプーンの上には大きなにんじんとえびが乗っていた。
少しだけ息を吹きかけて冷ましてから、クレナは口へと運ぶ。
「はふ」
濃厚なシチューの香りが熱と共に鼻から抜けていく。
口のなかでほぐれるにんじん、噛むごとに旨みが溢れるえび。
他にも、ほくほくのじゃがいも。とろとろの玉ねぎ。くたくたのブロッコリー。
すくってもすくっても、具材は尽きない。
(あれだけパンケーキを食べた後なのに、どんどん食べてしまう)
さくさくのパイは口直しにちょうどいい上、シチューでふにゃっとした欠片もまた味わい深い。
クレナとポムが無言でポットシチューを食べる様子を見て、くくく、とマルスは笑いをかみ殺した。
「まるで小動物が二匹」
「なんだとっ」
それこそ小動物が噛みつくようにポムが反応する。
あっという間にポムはポットシチューを完食していた。それを見てマルスは懐から一通の手紙を取り出す。
「さて、ポムとやら。方法が知りたいと言ったな? これをやろう」
ポムは奪うように手紙を受け取り、宛名を見て眉をひそめた。
「なんだよ、これ。おれ、文字なんか読めねぇよ」
「読めないなら覚えればいい。それは仕事の紹介状だ。生きていく方法を知りたいなら、しんどくても生きていかなきゃいけないってことをまずは知るんだ」
「意味分かんねぇ」
「最初から分かったら、誰も苦労はしない」
「ふぅん。分かんないけど、分かった」
列車がゆっくりと速度を落とし、ゆるやかに停止した。駅に到着したというアナウンスが車内に響く。
がらっ、とポムが窓を上に開けた。躊躇いもせず、ホームへ飛び降りる。
「ポム!」
クレナは驚きのあまり声を上げ、窓から身を乗り出した。
ホームに降り立ったポムは満面の笑みでクレナを見上げていた。右手で手紙を持って、ぶんぶんと振り回す。
「シチュー、美味かった。じゃあな!」
そのまま、勢いよく走り去って行く。
「嵐……」
「だな」
ふぅ、とマルスが息を吐く。
ベルが鳴り再び列車は動き出した。車窓から見える景色はどんどん移り変わっていく。
一面の畑。農作業をする人々。小川。
見惚れるかのように、クレナは景色を眺める。
(一生どこにも行けないと思っていたのに)
鼻の奥が熱い。胸のあたりが、苦しい。
(なんだか変。悲しくないのに、涙が出そう)
そんなクレナを黙って見守っていたマルスが、優しく声をかける。
「トンネルに入るから、窓を閉めようか」
マルスは右腕を伸ばして窓を閉める。
景色が一気に暗くなった。時々、白熱灯の灯りがちかちか通り過ぎていく。
窓にふたりの姿が映り込む。銀色の右腕を持つ青年と、黒髪の少女。
外への興味だけでついてきたが、ふしぎな組み合わせだとクレナは改めて感じた。
窓に映るマルスが、クレナを見る。
「抜けたら、海が見えるよ」
「海?」
……ぶわぁっ。
真っ暗だった視界は一変。あまりの眩しさにクレナは瞳を細めた。
青い空の下、それ以上に青く輝く景色が広がっていた。
「大きな水たまり……?」
「あれが、海だよ。舐めるとしょっぱい。懐かしいな、僕の故郷も海に臨んでいたんだ。泳いだり、生き物を採ったり。とても楽しかった」
「泳ぐのですか? 水たまりを?」
「場所によっては足がつかないくらい深いんだ。もちろん、そんな遠くまで行くことはほとんどないけれど」
クレナにはまったく想像がつかなかった。それでも、興味の対象が増えたのは確かだった。
「楽しそうです」
「瞳が輝いている。列車旅行を楽しんでもらえて、何よりだ」
窓の外をずっと見ていたクレナだったが、体ごとマルスに向けた。
「世界には端っこが存在しないのだと知りました。いつか、もっといろんな景色を見てみたいです」
「籠の鳥かと思っていたけど、しっかりとした翼がありそうだな」
ぽん。マルスがクレナの頭を撫でた。
突然のことに、クレナの顔は真っ赤に染まる。
「それなら覚えておくといい。この世界は、笑ったもん勝ちなんだ」
にかっ、とマルスが白い歯を見せて笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます