おめでとう
*
光の射さない教会の聖堂は、礼拝の時間とは違う静寂で満たされている。
アオイはその祭壇に立っていた。
「誕生日おめでとう」
振り返った神の子は、薄く微笑みを浮かべている。
「わたしからのプレゼント、受け取ってくれた?」
「歴史劇のようで、実に見事でした。吟遊詩人にとって恰好の題目となるでしょうね」
「それはよかった」
皮肉を込めて、クレナは口角を上げてみせた。
ふぅ、とアオイが息を吐き出す。
「あの場で私のことを断罪でもするのかと思っていました。そのときは出て行くつもりでしたが、魔女と殺人鬼を消滅させるだけに留めるとは予想外でした」
雨色の瞳が、静かに揺らぐ。
「殺そうとしないのですか? 私のことを」
聖堂の外から、喝采が聞こえる。
クレナは肩を落として、視線を外に向けた。
「信じているものに裏切られるのは、辛いから」
(もしも、アオイが殺人鬼を操っていた黒幕だと知ったら。人々の信仰心は打ち砕かれ、宗教は意味をなさないものになるだろうから)
名を与えるのなら、絶望。クレナはそれを知っている。
「もちろん、あなたのことは心底憎い。マルスさんを粉々にした罪は重い。だけど、同じ痛みをより多くの人々に広げたくないのも、事実」
「なるほど。賢明な判断ですね。ですが」
アオイは静かに氷の剣を手にする。
「それでは君に用意された現実からは逃れられませんよ。誕生日のお祝いとして、魔女の一滴も置いていきませんか?」
クレナもステッキを構えた。
距離があるから交差しないものの、にわかに緊張が走る。
「……」
「……」
しかし、クレナはゆっくりとステッキを下ろした。
「ひとつだけ、思い出したの」
「何を?」
「ヘクセローゼの館に住んでいた頃のこと。わたしたちは、仲のいい兄妹だったはず。どうして道を違えなきゃいけなくなってしまったの?」
「……人間の所為ですよ」
戦争を終わらせたのは大魔女ヘクセローゼ。
ある国では彼女を英雄扱いした。
別の国では、彼女を忌み嫌った。
彼女は人間同士の醜い争いを終わらせた、ただそれだけだというのに。
「私には永遠に理解できないのです。何故、ひとりの人間が正義と呼ばれ、悪とも呼ばれなければならないのか」
「きっと。その理由を学んでいくのよ、わたしたち人間のなりそこないは」
突然、鐘が鳴り響いた。
続いて、華やかな演奏も外から響いてくる。
人々は本日の主役を待ち望んでいる。大魔女の出現によって、さらに熱は高まっているようだった。
「そろそろ出てあげた方がいいんじゃない? 今日の主役なんでしょう」
「しかたありませんね。式典が終わるまで、ここで待っていてもらえますか?」
「まさか。そこまで優しくするつもりはない」
クレナは首を横に振る。
「ここで君が逃げても、私は君を追いかけ続けます。魔女の一滴を手に入れるまで、私は諦めません」
「それなら、一生逃げ続けるだけ」
ふふっ、とアオイが笑う。氷の剣を消し去る。
「次の機会を楽しみにしています。私たちは人間と違って、老いることはありませんから」
アオイは祭壇からゆっくりと降りてきて、クレナの横を静かに通り過ぎ、扉の前で立ち止まる。
「深紅のワンピースも似合っていますね。誕生日おめでとう、我が妹クレナ」
一人残されたクレナは天井を見上げた。
陽は、すっかり沈んでしまった。
(思い出した)
アオイの内に存在する宝石の名は、『絶望に降る雨』。
ロイヤルブルーサファイア。
深く、透明で、底へと沈んでいく……青色。
レッドダイヤモンドと、ロイヤルブルーサファイア。
大魔女によって人間のかたちになった、ふたつの宝石。双子の魔法人形。
外では歓声と拍手が続いていて、当分止みそうにない。
対照的に静かな教会の中央で、クレナは両手を組み、瞳を閉じる。
何に祈っているのか、自分にも分からないまま。
*
裏路地の外付け階段を昇っていくとクレナは情報屋の扉を開けた。真っ先に気づいたのはポムだった。
「クレナ! よかった……」
葡萄色の瞳がわずかに潤んでいる。
セイラとヒューゴも奥に座っていた。セイラはワンピースから黒いシャツとショートパンツに着替えている。
(目立つ傷はなさそう。よかった)
クレナは密かに安堵する。
うなだれているように見えたが、セイラは立ち上がるとずかずかとクレナの目の前まで歩いてきた。
ぱしっ!
「セイラ!」
ポムの制止も虚しく、セイラはクレナの右頬をはたいた。
「この偽善者!」
声も、拳も、震えていた。
「どうして助けたの。あたしは、あんたを罠にはめたっていうのに」
「やめるんだ、セイラ!」
ポムがセイラの腕を掴む。
ぼたぼたと、セイラの瞳から大粒の涙が零れた。
クレナは右頬に触れる。
(……じんじん、する。頬がじゃなくて、胸の奥が)
「わからない」
クレナは、静かにセイラの若草色の瞳を見つめる。
(もしあのひとだったら、きっとそうしたと思ったから)
言葉は飲み込んだ。それは、クレナだけが知っていればいい感情だから。
ぺたん、とセイラは床にへたり込んだ。
ポムがセイラの腕をゆっくりと離す。セイラは両手で顔を覆った。泣いているようだった。
「……幸せになりたいなんて、願ったこと、ないの」
ぼそぼそとした、誰かに聞かせるのではない独白。
クレナはしゃがみこみ、セイラと同じ目線になる。
「うん」
「ただ、報われたい。好きだって思った分が、返ってきてほしい。ただそれだけ」
「うん」
「あんたにしたこと、謝らないから」
「……うん」
しゃがんだまま、クレナはポムを見上げた。
「マルスさんは?」
「……会えたよ」
(過去形、ということは)
ある程度予想はしていたものの、もうこの街にはいないのだろう。
クレナは瞳を閉じる。
「マルスさんから、全部聞いた。アオイ様のしていたことも。しようとしたことも」
ポムの傍らで、ヒューゴが頷いた。ヒューゴとセイラも物語の裏側を知ってしまったようだった。
「引き留めなかったの?」
ふるふる、とポムは力なく首を横に振った。
「……そう」
クレナは呟いて立ち上がる。
「これからどうするつもり?」
ちらり、とセイラを見る。薄暗がりではあったが、セイラは悪しき魔女として民の記憶に残ってしまっただろう。
「写真館はたたむしかないだろうな。これからのことは、これから考えるよ。ありがたいことにおれたちには、情報屋もあるから」
それまで黙っていたヒューゴも、口を開いた。
「私たちは、レーゲン教が裏でしてきたことを暴いていきます。時間はかかるでしょうが」
隣でポムが、セイラと同じように両手で顔を覆った。
しばらくそのままでいたものの、手を離して、天井を見上げる。
「しんどいな。まるで出口が見えない。……苦しくても生きていかなきゃいけないって、こういうことか」
「ポム……」
「あのひとみたいになりたかった。誰かの人生を、一瞬で救いたかったんだ。全然できてない。まだまだだな、おれは」
ヒューゴが、ポムの肩に左手を乗せた。
「私にとってポムは救いですよ。君は、君の道を行けばいい」
きょとん、とポムが瞳を見開く。
それから、ふにゃ、と笑みを浮かべた。
「……そっか」
「そうですよ。私は、そんな君についていきます」
ぱんっ、とポムが両手で今度は頬を叩いた。
「よしっ」
そして大きく両腕を広げる。
「とりあえず、なんか食うか!」
「え」
クレナは口をぽかんと開けたが、ヒューゴは楽しそうに頷いた。
「うんうん。それでこそポムですよ」
「食べるって言っても、黒パンしかないわよ」
ようやく立ち上がったセイラが毒づく。
「コーヒーとミルクもあるさ」
ポムが部屋の隅のキッチンに立ち、お湯を沸かしはじめた。
「皆、いつもの調子が戻ってきましたね。私はパンを切り分けましょう」
「貰い物のジャムがあったような気がしてきたわ」
セイラは戸棚を確認し始める。
そんな三人を、クレナは黙って見つめる。
(……強い、な)
住む場所をひとつ失ったというのに。彼らこそ、絶望の真っ只中にいる筈なのに。
「ほら。あんたの分よ」
「えっ。あ、ありがとうございます」
セイラが差し出してきた丸い木のプレートには、スライスされた黒パン三枚に木苺のジャムが添えられていた。
「カフェオレもどうぞ」
ヒューゴがカフェオレを手渡してくる。
「ありがとうございます、ヒューゴさん」
デスクに乱雑に積み上がった書類の束をよけて、三人が席に座る。クレナも空いている席に真似して座った。
ぼそぼそとして酸味のある黒パンに、ちょっとずつ木苺のジャムをつけて食べる。酸っぱさよりも甘さが勝った。
カフェオレの温かさは指先もじんわりと温めてくれた。
薄暗い部屋の中で、四人は黒パンを静かに食べ、カフェオレを飲んだ。
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