救出

   *


 マダム・ネルケは、クレナにとびきりの衣装を用意してくれていた。

 瞳と同じ、深紅のワンピース。襟にも裾にも金糸で繊細な刺繍が施されている。襟から胸元にかけてたっぷりのフリルがあしらわれている。くるぶしまで隠れる長い丈のスカートは、美しいドレープを生み出している。

 ステッキに横乗りして空を飛ぶ様はさながら魔女のようだと、クレナは密かに自嘲する。


(見えてきた)


 ビオレッタへ到着する頃には、陽が傾きかけていた。

 教会前の場には人々が集まっている。皆、ランタンを手にしている。

 誰かの目に留まることなくクレナは教会の屋根に降り立ち、様子をうかがうことにする。


(今日が雨祭りなんだ。間に合ってよかった)


 日にちを確認していなかったが、どうやら今日がアオイの誕生祭当日のようだ。

 黄昏の街に、たくさんの灯りがともりはじめる。人間の数だけ増えていく光は命の数と同じ。強くなったり、弱くなったり。決して消えない光。それは、幻想的な光景でもあった。

 しかし、クレナが見惚れたのは一瞬。


 ――醜悪な魔女め!


 怒声に、クレナは思わず身をこわばらせた。しかしそれがすぐに自分へ向けたものではないと気づく。


(セイラ……!)


 人だかりの中心には、木を四角に組み合わせ積み重ねた塔のようなものがあった。

 その頂で磔にされていたのは、セイラだった。クレナが閉じ込められたときと似た白いワンピースを着せられている。


「ちがう! あたしは魔女なんかじゃない!」

「黙れ!」

「お前が殺人鬼に命令して罪のない人間を殺していたんだろう!」

「罪を償え!」


 クレナはぎゅっと拳を握りしめる。


(わたしの身代わりにされている? だとしたら、なんてひどい。ありえない)


 そしてクレナは人の輪の外側に、ポムとヒューゴを見つけた。

 ふたりとも白いシャツに黒いパンツ姿なので、写真館の仕事中に飛び出してきたのかもしれない。

 会話は聞こえてこないものの、ヒューゴがポムを押さえようとしているように見える。クレナは屋根から離れ、そっとポムたちの後ろへ降り立つ。


「セイラは普通の人間だ。魔女だなんて何かの間違いだ。おれはアオイ様に訴えてくる」

「落ち着いてください。今行けば君の身だって危なくなります。別の方法を考えましょう」

「ポム。ヒューゴさん」


 クレナが話しかけると、ふたりは弾かれたように振り返った。


「クレナ!」

「クレナさん。急にいなくなったと思ったら……。無事で何よりです」


 ふたりとも心からクレナのことを心配しているようだった。


(セイラはポムたちに話をする前に捕らわれたということか……)


 クレナは瞳を閉じる。


『嘘つき』


 蘇るのはセイラの罵声だ。

 クレナは、セイラによって捕まった。助ける義務はないのかもしれない。


(だけど、


 瞳を開いて、クレナはふたりを見つめる。


「わたしがセイラさんを助ける」

「ど、どうやって」


 クレナの力強さに、ポムは戸惑いを浮かべた。


「わたしには魔法があるもの」


 そのとき、輪の中心でひときわ大きな怒声が上がった。


 ――なんだあの男は? 突然現れたぞ。

 ――号外で見たことがある。殺人鬼だ。

 ――殺人鬼が魔女を助けに来ただと!


 いつの間にか、黒衣を纏った大男が磔の前に立っていた。


「……!」


 クレナは拳を固く握りしめる。


(現れると思っていました。貴方は、この状況を見過ごすなんてできない筈だから)


 緩慢な仕草で男がフードを外す。薄暗い空のなか、曇り空の瞳が光った。ランタンよりも明るく感じたのは、クレナだけかもしれない。

 マルスはネルケの魔法でビオレッタまで辿り着いたのだろう。ヘクセローゼは明言しなかったが、クレナには確信があった。


「まさか、そんな。マルスさん……?」


 一方で、動揺して膝から崩れ落ちたのはポムだった。


「クレナ……。知っていたのか……?」


 マルスから視線を逸らさないまま、ポムは震えていた。

 クレナは、唇を噛む。


「ごめんなさい」

「……どうして言ってくれなかったんだよ」

「最初は巻き込みたくないと考えたから、だった。信じてもらえないとも思ったし、自分自身、信じたくないのもあった」

 

 ヘクセローゼが記憶を失っていたことも。

 マルスが、殺人鬼となっていたことも。


 ないはずの、心が痛む。


(そうか。これが、『絶望』)


 クレナはようやく思い至る。

 見つけなければいけなかったのは。

 魔法を使うために得なければならないものは。絶望だったのだ。


「やだ……来ないで! 死にたくない!」


 セイラの絶叫によって、ふたりの会話は遮られた。


「クレナ。おれにできることは、あるか?」


 問いかけてきたポムは、もう震えていなかった。

 クレナはポムを見上げる。


「信じていてほしい。わたしのことを。マルスさんの、ことを」

「わかった」


 頷いて、クレナはステッキに体重を預ける。

 ふわりと宙に浮きあがり、今度はわざと目立つように、一気に高く飛び上がった。


 ――なんだ、あれは!


 クレナに気づいた人々が指差してくる。マルスもまた、顔を上げて空中のクレナを見た。

 闖入者として、クレナは処刑場に降り立った。

 クレナとマルス、ふたりの視線が交差する。マルスが、わずかに首を縦に振った。少なくとも、クレナにはそう映った。

 クレナの内側にヘクセローゼの言葉が浮かぶ。


『あなたの望みを、叶えてあげましょう』


(わたしの、望みは)


「わたしの名前は、ヘクセローゼ!」


「この地へは、審判を下しに来ました」


 クレナの発言に群衆がどよめく。

 大魔女ヘクセローゼの名前を知らない者はいない。

 殺人鬼の前に突如現れた存在が口にした名前は、周囲に衝撃をもたらした。


「あなたたちが悪しき者であれば、炎があなたたちを消滅させます。もしもあなたたちが善き者であれば、炎はたちまち消えるでしょう。そのときはヘクセローゼの名において、あなたたちを解放します」

「……」


 無言でマルスはしゃがみこみ、セイラの両足を縛り付けていた太い紐を右腕で引きちぎった。それから立ち上がり、両手首の太い紐も引きちぎる。セイラは前のめりになって倒れて、マルスが受け止めた。


「……え……?」


 顔を上げた若草色の瞳には戸惑いが浮かんでいた。言葉を許さず、マルスはセイラを抱きかかえて再びクレナと対峙する。


「ちょ、ちょっと。正気なの?」


 真っ青になったセイラの唇が震える。

 クレナは表情を変えることなく、ステッキの先をマルスたちへ向けた。

 一瞬、瞳を閉じる。クレナが魔法を使うのに、詠唱は必要ない。

 それでも、人間と同じように音に乗せる。

 開かれた紅い瞳は、炎よりも濃く、美しい。


「【タオゼント・マギー】」


 ぶぉおっ!

 間髪入れずマルスとセイラを、炎が包み込んだ。それは紅くもあり、蒼くもある透明な炎。変化する色はまさしく魔法の産物。


「炎よ、今こそ審判の時!」


 蕾のように繭のように一気にふたりを覆い、眩さは一瞬で収束する。

 ……初めから存在していなかったかのように、ふたりの姿は跡形もなく消えてしまった。


 どっ、と歓声が上がった。強い拍手も聞こえてくる。


 ――すごい!

 ――大魔女ヘクセローゼは実在したんだ!

 ――ヘクセローゼはアオイ様の味方なんだ!


 眼下の群衆を、わざとゆっくりクレナは見渡した。


「宗教都市ビオレッタの脅威は消滅しました。大魔女ヘクセローゼの名において、この地に、永遠の祝福を贈りましょう」


 空中で旋回する。

 称賛と熱気を残して、クレナは飛び去った。

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