第1章 ―魔法も使えない“無能”な長男― 第7話~9話

第7話

第3節 ―「誰のお陰で、今の自分があると思っている!?」―【前編】を読んで


 どうして幼少期から始まるのだろうか?

 と初めの頃は疑問に思っていた。

 そして弟とあまり年が離れていないから、弟の誕生の頃(主人公の幼少期)から始まるためなのだと思っていたのである。


 ところが! 

 ここへ来て、主人公の幼少期から物語が始まるのは”このため”なのだろうか? と思ったのである。(ネタバレになるので詳しくは述べないが)

 虐待とは何か? についても考えさせられる作品。


 この物語では、

・人間の本質

・虐待に関して偏ったイメージを持っているのではないか?

 この二点について深く考えさせられるのだ。

 偏った考え方をしていると、驚かされることが非常に多い。

 何を酷いと思うのかは、人それぞれ違うとは思う。しかし屈辱的な行為もまた、暴力であり、虐待なのではないかと感じたのである。

 痛い思いをさせる=酷いではない。


 何もわからない幼子がこんな目に合い、その後どう逆転するのか?

 非常に興味深いと感じました。



第8話

第3節 ―「誰のお陰で、今の自分があると思っている!?」―【中編】を読んで

 

 物語はフィクションであり、当然のことながら読者の体験ではない。

 だからこそ、感情移入させるには作者の手腕が問われ、うまくいったときには喜びを感じる。それが創作(小説など)の醍醐味の一つだと思う。

 それを踏まえ、かなり臨場感のある物語だと感じた。

 臨場感を持たせている場面は戦闘などが多く、こういった場面で感じるのは稀だと思う。それはきっと、この父の思惑がすんなりと受け入れられるわけではなく、反対派も確実に存在するからだと思う。

 それが読者の気持ちを代弁しているように感じるからこそ、臨場感があったりハラハラドキドキしてしまうのだと感じた。

 この場面では、よく行った! という場面から一転絶望へと進んでいく。

 もちろん絶望が深ければ深いほどに、逆転劇は爽快感を齎すもの。

 

 父は狂ってしまったように思えるが、”彼は元からこうなのだ”。それが本質と言うことだろう。

 と言うことは、主人公を恨んでいる要素もあるのだろうか? と思った。



第9話

第3節 ―「誰のお陰で、今の自分があると思っている!?」―【後編】を読んで


 こういう方向性の物語は、主人公だけがどん底というのをよく見かけるが、むしろ敵は父だけのように感じる物語だなと思った。

 しかしながら、その父の権力と力に逆らえる者はおらず絶体絶命の危機だと感じる。

 だが実際、暴君とはこういうものなのだろうと思う。

 本質を見抜かれてはいるものの、力を持つ他者へはいい顔をする。弱い者を虐げ、強い者を味方につけることで、自分の思い通りにするのだろう。

 気になるのは、弟がどちら側へ着くかである。

 父に洗脳され、主人公と相対するのかも知れないし、主人公側へ着き共に戦うのかもしれない。だが、現時点で魔法を使えるのは弟だけ。(ここまで読む限りでは)

 戦いになるとしても、どんな風になるのか想像がつかない。

 果たしてどんな展開が待ち受けているのだろうか?

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