第一話: ケツデカ誕生秘話
……。
……。
…………そうして、彼は無事に女の子(妖怪)として生まれ変わった。
記憶保持のおかげか、彼女は生まれたその時より自我を保っていた。赤ちゃんなので体力が無く、常に眠気に襲われていたが……まあ、そこはいい。
彼は……いや、彼女は、まず己が女に成っていることに驚いた。
てっきり男に成ると思っていたのに、女に成っていたから最初は面食らったが……よくよく考えれば、ナニカは一言も次が男に成るとは言っていなかった。
確立としては、50%だ。
男か女か、例外的にどちらでもない場合があるだろうが、おおよそ二分の一の確率の反対を引いただけのこと。
悔いたところで現実が変わるわけもなく、また、嘆いたところで性転換が起こるわけもない。
あるがままを受け入れるしかない……起きているか眠っているのか分からない30回目の目覚めの中で、彼女はひとまず己を納得させた。
……もちろん、納得したからといって、すぐに慣れるかといえば、そんなわけがない。
己がまだ赤ん坊であるが故に、感覚が未熟である。手足が思うように動かせず、筋力が足りない故に寝返りも出来ない。
それだけでも感覚が狂うというのに、男と女、相反する肉体的な感覚の違いに、彼女(つまり、元男)は余計に混乱して馴染めなかった。
つまりは、性器だ。元が同じとはいえ、感覚がまるで違う。
見た目もそうだが、何と言えばいいのか……痛いとか違和感とか、そういうのではなく……どうにも、寸法は同じでもメーカーが違うといった、言葉では言い表せられない違いがあった。
……まあ、それも50回目の目覚めを過ぎた頃には気にならなくなっていた。
いったいどうしてか……理由はいくつかあるが、そこまで複雑なモノではない。
(……赤ちゃんですが、家庭崩壊の火種でヤバいです。1人だけ火のついた導火線が見えているような気持ちで、胃に穴が空きそうです)
簡潔に理由をまとめるならば、だ。
まず、一つ目。
母親が、旦那に隠れて浮気しまくっていた。
自我だけはしっかり保っていた彼女(元・男)は、それを内心青い顔をすることしか出来なかった。
正直、気付いた時には嫌悪感よりも先に血の気が引いた。
だって、父親は傍目にもすぐに分かるぐらいに、妻を溺愛していたからだ。
──万が一露見したが最後、確実に血が流れる!
それを瞬時に悟ったからこそ、彼女は嫌でも青ざめてしまった。
けれども、そんな彼女の絶望を他所に、肝心の母と見知らぬ男はハッスル&ハッスル。
向こうからすれば赤ちゃんなので分からないと思っているのだろうが、ところがどっこい、彼女は頭だけ成人済み。
視界がぼやけているせいではっきりと確認は出来なかったが、聞こえてくる息遣いや会話、明らかに普段とは違う独特な臭いによって、すぐに彼女は母が何をしているのかを悟った。
──こいつ、浮気相手1人だけじゃねーぞ……と。
おかげで、冗談抜きで若ハゲになるかと思った。
いや、赤ちゃんなのでまだ生えていない可能性もあるけど、感覚的には……って、そうじゃない。
そして、二つ目は……この世界。
いわゆるファンタジー世界というか、エルフとか魔法とか普通に居るし有る世界だった。妖怪と聞いて和風系かなと思ったが、どうやら違うようだ。
そして、お約束ながらモンスターだとかそういう危険生物までウヨウヨいる。悲しい事に、そういう意味で命がヤバい世界だった。
転生先の言語に合わせたというアレの副産物のおかげか、彼女は初めからこの世界の言葉を理解出来ていた。
故に、盗み聞く形で周囲の言葉を拾ってはいたのだが……それがまた、ヤバいのだ。
だって、ドラゴンだとかそういうのまで普通に居る。
しかも、ドラゴンくっそ強い。強過ぎて城一つ当たり前のように陥落してしまうぐらいにヤバい。
他にも、ヤバいモンスターがけっこういる。
滅多に町や村に出て来る事はないけど、出て来たらパニックになるようなヤバいやつがけっこういるわけだ。
……これだけで、如何にこの世界がヤバいか伺い知れるだろう。
だが、本当にヤバいのはそこではない。
少なくとも、彼女にとって本当にヤバいのは……それから更に時が進み、おそらく……もう何回目か分からなくなったが、とにかくある時に気付いた、三つ目。
──有り体に言えば、父親が浮気に勘付き始めていた。
キッカケが何なのかは知らないが、感覚に敏感な幼児だからこそ分かる。
父親……隠してはいるが、疑うだけでなく相当に精神が病み始めているぞ、と。
まあ、そりゃあそうだろう。
父親の方もイケメンに分類される顔立ちだが、母親が凄い。
お前よくもまあこんな宝玉を釣り上げたなと喝采してしまうぐらいの美貌だ。
おまけにぼやけた視界越しでも分かるぐらいにスタイルが良く料理も上手らしく、(浮気しているけど)表面上は旦那大好きアピールしまくり……ああ、うん。
そりゃあ、溺愛するわなと彼女は1人納得する。
そして、そんな妻が浮気しているかもとか考え出したら、誰だって精神が病み始める。魅力を知っているからこそ、他所の男が放ってはおかないことを理解しているから……なのだろう。
これで、母親の尻が軽くなかったら万々歳だったのだけれども……現実は非情だ。
おかげで、彼女は眠気が来る度に『次に目覚めた時、部屋の中血まみれになってはいないだろうか』と恐怖に震え、一秒でも早く大きくなって逃げ出すために、必死におっぱいを吸いまくった。
途中、母親からは吸う力が強くて痛いという愚痴が零されたが、構う事はない。
浮気さえしていなければ、彼女とてここまで必死になったりはしないからだ。というか、これ記憶保持していなかったらヤバかったのでは……とすら、彼女は考えていた。
最終的に母親の方から『吸い過ぎて痛い』という事でギブアップ。
以降はヤギの乳に変わったが、それも構わず彼女は吸いまくりの飲みまくり、出来る限り頑張った。
赤子だというのに、この焦燥感は生育に悪い事この上ない。
でも、このまま有耶無耶に終わってくれるならば彼女としては最良だが、残念ながらその可能性は極めて低い。
だって……聞いちゃったもの。母親からすれば、旦那は金づるで、血も本当は繋がっていない別の男の子供だ……って。
……。
……。
…………もうね、本当、もうね……これ以上焦らせるのは止めてくれと彼女は思った。
(頼む、お願いだから……お願いだから、1人で出歩けるぐらいにまでは持ち堪えて! さすがに赤ちゃんのまま放り出されたら死ぬ! 絶対に死ぬ!)
親ガチャとかいう前世の言葉。
アレは実際にそういう環境で育たないと実感出来ない言葉である事を、彼女は赤ちゃんのうちに思い知る事となった。
……。
……。
…………そうして精神的にも肉体的にも綱渡りのような日々を送る事……早10年。
無事に10歳を迎えた彼女は……その日の夜中の内に、こっそり家を抜け出し……そのまま、町からも逃げ出す事にした。
……それまでの間、本当に色々な事があったのだ。
語り始めたら長くなるので細部は割愛するが、彼女にとって、一日足りとて安息を感じた事の無い10年であった。
何せ、9年目の時……つまりは去年の話だが……ついに、バレちゃったのだ。
長年の浮気尻軽性活の大半が、父親に。
わざと泣き声を上げたり父親の気を引いたりして何とか露見しないように頑張っていたが、さすがに四六時中見張っているわけではないし、脱出する為の準備をする必要がある。
露見は、そんな隙間を突く形で起こったのだが……正直、殺し合いの血みどろ惨劇まで行かなくて良かった……というのが、彼女の本音であった。
そして、当然ながら……仲は完全に冷え切ってしまっていた。
そのまま一家離散するのかと思ったが……そうはならなかった。
何故ならば、母親が……いや、もう母親ではない。
女は、泣き喚いて抵抗したからだ。
いや、お前が原因だろうと彼女は思ったが、何てことはない。
ただ、浮気相手にも捨てられ、遊び相手にも袖にされた結果、今まで見下していた夫……元夫に慌てて縋りついただけである。
まあ、そうなるのも無理はない。浮気相手からすれば、結婚しているのに他所の男を連れ込む女なんて、所詮は遊びだ。
この女の年齢がまだ十代、二十台前半ならともかく、三十代後半にもなれば……よほど惚れてなければ、面倒に思って捨てるのも……まあ、当然だろう。
そして、これまた当然ながら……2番目、3番目の遊び相手からすれば、誰が好き好んでこんな女と所帯を持つと思うのか……といった感じで。
世間体もあって、あっという間に彼らは居なくなってしまった。
そうなれば……残されたのは、素行によって人知れず女たちの輪から弾き出されてしまいながらも、元夫の庇護下で遊び歩いていた女が1人。
数多の男たちを虜にしていた美貌も、今は昔。
騒動から悪評も広まってしまったから、なおさら……生きる為には、元夫に縋りつく他なかった。
もちろん、元夫は全く目を向けなかった。だが、それでも……複雑な思いがあったのは、言うまでもない。
一度は愛して心底惚れぬいた女だ。
愛しながらも憎み、憎みながらも愛さずにはいられない……そんな中で、元夫は……何時しか心を完全に病んでしまい、愛したはずの女に暴力を振るうようになった。
……誰も、その女を助けはしなかった。
誰もが、自業自得だと思っていたからだ。
せめて、10歳若かったら声を掛ける男が現れただろうが……それでも、1人放り出されたら今よりもはるかに悲惨な未来を分かっていた女は、耐えるしかなかった。
……が、しかし。
今まで好き勝手にやってきた女が、そのまま耐えられるかといえば、そんなわけもなく。
その女は、ストレスのはけ口を……彼女、すなわち脱出のタイミングを見計らっていた、当時9歳の彼女へと向けた。
……最初は、彼女を使って元夫との寄りを戻そうとしたが、すぐに止めた。何故なら、彼女は……父親から半ば放置され続けていたからだ。
これもまあ、無理もない。
何せ、全く似ていないのだ。
父親の方にも、母親の方にも。
『美しさ補正+++』のおかげで美人という要素は同じだが、言い換えれば……他所の男の面影が表に強く出ている……ように、見えてしまうということだ。
それでも暴力は振るわれなかったし、愛情を向ける事はなくとも食事を用意し、保護者を務めていてくれたので、彼女としては……本当にありがたいばかりであった。
……で、話を戻すが、その女が次に取った行動は……彼女の悪評を広め、時には暴力を振るおうとする……いわゆる、やつあたりであった。
まあ、言わなくても分かるが、誰も本気にはしなかった。
むしろ、ヤレばヤルほどに周りの目は白くなり、向けられる眼差しは冷たいモノになっていった。
そうすると、ますます女は現実を受け入れられずに発狂し、彼女にやつあたりを行おうとした。
しかし、そこはスキル持ちの転生者。
四六時中続いていた眠気が晴れるに従って、彼女はとにかく己に備わった能力のコントロールと開発に精力を注いだ。
おかげで、彼女は一度として捕まることはなかった。
加えて、境遇に同情した近所のお爺さん(昔は、学者を目指していたらしい)の書斎にて、様々な書物を読ませてもらい、知識と技術を習得していった。
……後は、もう少し身体が大きくなれば。
そう思い、日に日に発狂の度合いが増してゆく女(元母)を遠目にしていた……のだが、ある日、そんな悠長な事を言っていられなくなった。
──いよいよ、父親の精神の異常が表にまで出始めたのだ。
それまで、何とか開花し始めた能力を駆使して悪化を押し留めていたが……やはり、精神悪化の元凶が傍に居る限り、焼け石に水でしかなかった。
……そりゃあ、おかしくもなるだろう。
愛憎入り混じる感情を整理出来ないまま、裏切り騙し、老いて醜くなった、かつては愛していたはずの女がすり寄って来るのだ。
振り払いたいと思っていても、心の何処かで未練が覗く。
かといって、自分がやった事を棚に上げて、都合の良い事しか言わない、今の妻の姿を受け入れられない。
想えば想う程に、美しかった……おそらくは、そう、おそらくは穢れることなく仲睦まじかったあの頃の、美しかった妻の姿が脳裏を過るわけだ。
そんなの、気が狂って当たり前で……そして、その結果、父親の身に何が起こったのかと言えば……だ。
──彼女を、御年10歳前後の彼女を、性的な目で見る様になったのだ。
これは……うん、正直、そう見られている事を察した時、彼女が抱いた感情は恐怖と……それ以上の、憐れみであった。
何故なら……彼女から見て、父親が『美しさ補正+++』の影響を受けているのが明らかだったからだ。
実際、彼女の持つ美しさ補正の影響は甚大であった。
5歳か6歳の頃は可愛らしい子という感じで、事情を知る者たちに目を掛けられていたが……8歳、9歳に成った頃から、変化が現れ始めた。
……有り体に言えば、美し過ぎたのだ。男女問わず、新たに性癖を根付かせてしまうほどに……もはや、呪いの域であった。
それは、言葉では説明が出来ない……本能的な美しさなのかもしれない。
なので、一時期は少しでも影響が出ないようにと、無表情&無反応を普段は貫いていた……わけなのだが。
結局、その程度ではほとんど効果はなく、『物憂げに佇む幼き美少女』と思われてしまい、立っているだけで周りに人が集まってしまった。
……程度の違いこそあったが、彼女にとって、老若男女の区別は全くなかった。
男は優しい人のフリで近づいて来て、女は身だしなみがどうとかで触って来た。
老人はあの手この手で彼女を引き留めようとして、同年代にいたっては露骨に身体に触ってくる子すらいた。
……まだ、周りに人が集まるだけの方がマシだった。
本当に、何度誘拐されかけたことか……少なくとも、彼女は20回を超えた辺りで数えるのを止めた。
『妖怪(ドライアド)』と『緑の超越者』による逃げ技&目くらましが無ければ、今頃彼女は生きてすらいなかったかもしれない……で、だ。
(……これ以上、あの人の心を壊すわけにはいかない)
心を壊していたとしても、彼女の父親はまだ、外道に堕ちたわけではない。まだ、あの腐れ○○○と同じになったわけではない。
それが、己が出来る最初で最後の親孝行だと彼女は思った。
だから、彼女はその日……全てを置いて、二度と戻らない事を誓った。
名前も、思い出も、何もかも。
全てを故郷に置いて、彼女は……新たな名を己につけた。
その名を、『ケット・スディカ』。
こうして、この日、この時、彼女は生まれ故郷を離れ……夜の闇の中へ、独りで生きる道へと進んだのであった。
……。
……。
…………だが、しかし。
境遇には恵まれなかったが、スキルなり何なり貰えたおかげで何とかやれそうで良かったと、最初の内は思っていたけれども。
……全体的に見れば大ハズレなのかもしれないと考え直すようになるまで、そう長い時間は掛からなかった。
というのも、彼女……いや、ケットが持つ『美しさ補正+++』だが……彼女自身の身体が成長するに合わせて、その影響力が目に見えて強大になっていったのだ。
本人に自覚が有ろうが無かろうが、ケットはそこに居るだけで周囲の注目を集めてしまう。
目線一つ向けるだけで、気付いた相手が近づいて来て、仕草一つだけで勘違いした相手が近づいて来る。
うっかり顔を見られようものなら、下手するとそのままストーカーになってしまう。気分はまるで、○○○○ホイホイだ。
もちろん……全員がそうなるわけではない。
しかし、あまりに男を恋の病に落としてしまう事が多過ぎる。そして、その度にその男の恋人とか仲の良い相手から攻撃されること、されること。
何故に、名前はおろか顔すら知らない相手に惚れられた結果、その男の恋人から一方的に恨まれなければならないのか。
『妖怪(ドライアド)』と『緑の超越者』による合わせ技、ほぼ自覚症状0の鎮静作用がある香りを周囲に放っていなければ、まともに町の中も歩けない。
幸いにも、補正の影響力は頭打ちだったらしく、ある時より強まる気配は途絶えた……が、残念なことに、補正の呪いはそこで終わらなかった。
──そう、ケットも気付く(というか、思い出した)のに遅れてしまったのだが……ある時より、ピタリと老化が止まったのだ。
そういえば、そうだった。
美しさ補正には、不老派生という+αが付いていた。そういうのも付いていると、ナニカから説明されていたのをすっかり忘れていた。
とはいえ、最初のうちはそこまで気にしていなかった。
どうせ人の中に紛れては暮らせないし、なら若々しいままで過ごせる方が、生きる上では良い事では……と、思ったからだ。
……が、それも30年、50年、70年と時が進むにつれて……己が如何に甘い考えでいたのかを強く思い知らされた。
──若々しいなんて、そんな生易しい話ではなかったのだ。
文字通りの、不老。すなわち、何事もなければ永劫に生きなければならない。寿命という制限時間から解放された存在となっていたのだ。
それは、ケットにとって……けして、祝福にはならなかった。
故に、ケットは以前よりも書物を読み、モンスターとの戦いを経て、生き延びる術を新たに身に付けた。その中には、魔法と呼ばれる力もあった。
元々、書物などで魔法の存在を知ってはいた。
前世にて嗜んだサブカルチャーのおかげか、あるいは、この身体には素養があったのかは不明だが、独学で少しばかり魔法を使えていたから、覚えること事態は苦ではなかった。
なによりも、時間がある。
不老しない彼女には、タイムリミットが無い。故に、飛び抜けた才能こそなかったが、それを月日で埋めることでカバーした。
……死ぬつもりなど、欠片もなかった。
寿命という、避けては通れぬモノがあるならば諦めも付いたのだろうが、死を恐れたケットは……そのまま、人類の歴史から隠れ潜むように生き続けた。
……。
……。
…………そうして、月日は流れ続け……早600年。
「……仕事……行きたくねぇ……」
この日、この時、ケットは何時ものように……人々の営みより遠く離れた森の奥深くにて設置した拠点(自宅)にて、目を覚ますのであった。
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