第九話: 恋のケミストリー



 ……とはいえ、ここまで来て帰るのはさすがに可哀想だ。




 いや、帰りたい気持ちは満載である。王族に対して想うところなんぞほとんどないから、何の未練もなく帰る事は出来る。



 でも……ねえ。



 ちらり、と。


 両親(国王と王妃)に縋り付いて怯えている王女を見やり、ケットはため息を零した。


 そりゃあ、子供とはいえ王族なのだから、相応の心構えを幼いうちより教育されているはずだ。でも、同時に、いくら王族だからって、子供なのだ。


 そこらへんは、庶民も王族も貴族も関係ない。


 拘束されたグエン王子もそうだが、ヴァンも体格は良い。拘束している近衛騎士も当然ながら武装しているうえに、体格が良い。



 つまり、体格の良い男が4人、すったもんだと暴れかけたわけだ。



 まあ、実際には兄弟が掴み合いの殴り合いになりかけ、それを二人の騎士が止めただけなのだが……そんなのは、若い王女には関係ない。


 家族とはいえ、己よりも頭一つも二つも背が高く、肩幅も体重も何もかも大きな兄2人が怒鳴り合えば……そりゃあ、怖くて震えるのは当たり前だろう。


 少なくとも、ケットはそう思っているし、泣き叫ばずにいるだけ気丈な女の子だなとすら思った。



 ……と、同時に……ケットは、王女を哀れに思った。



 甘えて当然の年頃なのに、甘えられなくなるのは……かつて、己が父に対してそうだったからこそ、ケットは王女のことを哀れに思ったのだ。


 前世の記憶があっても、やはり、両親という甘えられる相手がいないのは、非常に辛く悲しい事だ。


 ましてや、前世の記憶がなく、死別ともなれば、その苦しみと悲しみは想像出来るものではない。


 当時の、肉体の幼さに引きずられてしまっていたケットも、寂しさを覚える事が多々あった。割り切るまでは、とても辛かった。



 だからこそ……その姿に、ケットの心が動いた。



 このまま、母親の命が病に奪われてしまうのを見過ごすのは……年上として、長き時を生きた己としては……どうなのだろうか。



(まあ、王女の事は別にしても、『フェルデーン』の賑わいを思えば、良い王様たちなのは事実だし……頑張るか)



 不快感を覚えたのは確かだが、我慢できない程ではない。


 ケットは、己の内より湧き出す不快感を、そっと呑み込む程度には大人であったので……さて、と気持ちを切り替えた。



「それで、病を患っているのは王妃でよろしいので?」

「──っ! 診てくださるのですか?」

「子供の癇癪にいちいち付き合っていたら何も話が進まんよ。やれるだけの事をやる、私の決断は、変わらずだ」



 喜ぶ王妃に、安堵するヴァンに王女。あと、何やら影が薄い国王と近衛騎士たち。


 対して、今にも人を殺さんばかりに睨みつけてくる王子様……グエン王子。



 ……いや、本当に、何でいきなりここまで嫌われているのだろうか? 



 そりゃあ、魔女とはいえ素性が分からぬ者を、病に伏せている母の傍に近寄らせたくないというのは分かる。


 だが……だからといって、いきなり殺しに掛かるか普通は? 



(やっぱり帰りてぇ……でも、やることはやろう)



 とりあえず、悔しそうな顔の、グエン……いや、グエンなんて大そうな名前は不相応だし、いきなり殺しに掛かるやつの名前なんぞ覚える必要はない。



 ……そうだ、『ぐぬぬ王子』だ。



 ケット命名、なんか常に歯を食いしばってそうだから……と呼んでやろう……そう決めたケットは、とりあえず、ぐぬぬ王子は放っておいて、だ。


 ベッドの傍に置いてある椅子にゆっくり腰を下ろすと……改めて、王妃の具合を見ようと──。



「おい、汚い手で触るな!」



 ──したのだが、またもや邪魔が入った。




 言うまでもなく、ぐぬぬ王子である。


 これには堪らず……ケットたちだけでなく、拘束している近衛騎士からも、いくらか冷たい眼差しを向けられた。



「うっ……せ、せめて仮面とローブを外すのが礼儀だろう! 魔法で声なんぞいくらでも誤魔化せる! 男か女かも分からぬ者に、母は任せられない!」



 けれども、苦し紛れに言い放ったその言葉には……まあ、少しばかり説得力はあった。


 そう言われてしまえば……と、ヴァンたちも否定はしなかった。ケットだって、そりゃあそうだよなとは思った。


 実際、ケットはこの仕事を引き受けてから今まで、一度として彼らの前で仮面を外してはいない。


 というか、『フェルデーン』に居る時を含めて、ケットは顔を見せた事はない。見せないように、ケット自身が注意しているからだ。


 なので、古くからケットを知る者でも、ケットに関して分かっているのは、だ。


 薬に長けた魔女であり、寿命を延ばしており、若さも保っていて……あとは、もしかしたら強いかもしれない……という程度の事だけだ。


 だから、呼んだ側の、それでも不信感を拭いきれない気持ちを、ケット自身が理解できた。


 仮に自分が逆の立場なら、心の何処かで警戒していたと思うから。たとえ、事前に調べたとしても。


 ヴァンたちもそうだが、診断を受ける王妃が不安そうに視線をさ迷わせたのを見て……まあ、見た目は怪しさ満点だから不安だよねとケットも内心にて頷いた。



(ふむ、どうしたものか……)



 とはいえ、いくら王族相手とはいえ顔は見せたくない。


 というより、権力者ほど恋に狂った時がヤバいから、余計に見せたくない。



 しかし、ここで顔を見せない選択肢は取れるのだろうか。



 経緯こそ酷いモノだが、ぐぬぬ王子は曲がりなりにも母親を心配するあまり……と、思えなくはない。


 だから、国王とて警告で済ませたのだ。


 おそらく、拒否し続けると、これを理由にぐぬぬ王子は診断を中止させようとしてくるだろう。


 頼みの綱である国王も、『治療の時ぐらいは……』といった感じで否定はしないだろう。


 これも、妻を心配しているからこそだから、あまり無下にも出来ない。


 まあ、個人情報とかいう考えが根付いた現代ならともかく、このファンタジー世界では、顔を見せない=後ろ暗い事があると周囲に示しているようなものだ。


 むしろ、ここまで徹底的に顔を隠すケットが、この世界の常識で考えれば異常なのである。



 ……。



 ……。



 …………で、たっぷり悩む事……5分ほど。



(……仕方がない。いざとなれば、ほとぼりが冷めるまで『大森林』の中に引き籠るとしよう)



 一つ、大きなため息を零したケットは……振り返って、国王たちを見回し……近衛騎士たちへと視線を止めた。



「騎士の二人は部屋を出てくれないか?」

「貴様、やはりよからぬ事を──」

「見られる人数は最小限にしたい。拒否するならば、私が出て行く」



 鼻息荒いぐぬぬ王子の戯言を遮って、ケットはそう言葉を続けた。



「それすらも拒否するならば、私も己が惜しい……全力で抗わせてもらう」

「なっ!?」

「選べ、私はどちらでもいい。貴方たちが我を通すのであれば、私もそれで踏ん切りがつく……さあ、選べ」



 そう、選択を促せば……目に見えて、ぐぬぬ王子の顔色が紅潮してゆく。落差が酷過ぎて、まるで人間信号機だ。



「……そこの近衛騎士は、秘密を守るためならば己の命を捨てる覚悟を持った者たちだ。余の言葉でも、信用ならぬのか?」



 見かねたのか、影が薄かった国王がそう提案してきた──が、ケットは一蹴した。



「立場で信用出来る人間ばかりなら、今頃私もこんな窮屈な仮面を脱ぎ捨てて自由に生きているよ」

「……そうか」



 一つ、国王はため息を零すと……無言のままに、近衛騎士たちに手を振った。


 途端、近衛騎士たちは無言のままにぐぬぬ王子の拘束を解くと、足早に部屋を出て行った。後に残されたのは王族と、ケットだけであった。



「これで、よいか?」

「ああ……最後に一つ、私の素顔については一切の他言無用だ……いいね?」

「分かった。余の名に誓って、一切を漏らさぬよう厳命する」

「……よろしい」



 そうして、口約束とはいえ誓うという言葉にひとまず納得したケットは……スルリとローブを外して頭を出すと、そっと……仮面を外した。






 ──その瞬間、この場に居る誰もが言葉を失くし……ついで、ケットが顔を隠し続けている理由を理解した。






 それは、正しく美の極致。美しいモノを見慣れている王族ですら、眼前の魔女こそが頂点なのだと断言してしまうほどの……圧倒的な美貌であった。



「なるほど、それが仮面の理由か」

「…………」



 国王の問い掛けに、ケットは答えなかった。無言のままにローブも外して、ベッドの足元の辺りに置く。


 露わになった、何とも形容しがたい魅惑的な身体のライン……数多の男を狂わせたデカケツの登場に、「まあ……!」王女がポツリと溜息を零した。


 何と言えば良いのか……それは、同性の目から見ても、思わず『羨ましい』と思ってしまうほどに、綺麗な形をしている。


 スカート越しなのに、分かってしまう。何とも、魅惑的だ。


 立っているだけで、少し動くだけで、座るだけで……その柔らかさと弾力を、この場に居る誰もが瞬時に想像させた。



「それじゃあ、診察を始める。先に行っておくが、私は薬師……医者じゃない。治れば御の字程度に思っていてくれ」



 そう、ケットが王妃に話し掛ければ。



「……まるで、人々を惑わす妖精のような美しさね」



 王妃は、そう誰に言うでもなく呟くと……おもむろに、ケットの指示に従って、衣服のボタンを外し始めた。








 ……それは、ケットを除いた誰もが、ケットが何をしているのかを正確には理解出来なかった。


 と、いうのも、だ。


 ケットの診断方法は、この世界においては世辞で誤魔化してもなお、『異端』と称するしかないぐらいには異様なやり方だったからだ。


 どうしてそうなるかと言えば、ケットの知識は……この世界においての正道を学んでいないがゆえの邪道であるから。


 つまりは、必要と思ったならば、この世界の医学において禁止(あるいは、好ましくない)とされている方法を躊躇なく使うからだ。



 そして、もう一つ。それは、おそらくはケットだけが持つ……前世の記憶の影響。



 培った経験則とは別に、前世にて見聞きした様々な医療系のサブカルチャーより仕入れた断片的な知識のおかげで、結果的にケットは何とかやっていけているわけである。


 サブカルチャーとて、馬鹿にしてはいけない。何がどう身を助けるかは分からない……薬師として働き始めて、幾度となくケットが痛感した事であった。



 そう……リュックより取り出した、御手製の聴診器。



 この世界にも似たようなモノはあるらしい、うろ覚えな記憶を頼りに作った模造品。これを使って、体内の『音』を聞くわけだが……ケットは、これを躊躇なく全身に押し当てる。


 この『音』は、様々な事をケットに教えてくれる。だから、それを知る為に徹底的に全身くまなく調べる。


 乳房だろうが何だろうが、お構いなしだ。


 もちろん、ただ聞くわけではない。魔法を併用することで、健康の者が発する『音』とは異なる『音』が出ている部分を、探るわけである。



「王妃、食事はもう取ったか? 何を食べたのだ?」

「早朝に、スープを一杯だけ」

「具は何だ?」

「いえ、スープのみです。ここ数日、食欲が出なくて……」

「では、食事を取ったのはどれぐらい前になる?」



 診察を続けながら、ケットは質問を続ける。


 王妃は、軽く視線をさ迷わせた後……約3時間ぐらい前だと答えた。



(それならば、もう飲んでも大丈夫だな……)



 診察を終えて見当をつけたケットは……リュックより取り出した薬草(乾燥済み)を3種類取り出すと、同じく取り出した薬研やげんにて、磨り潰す。



 ……お前そんな重い物まで持って来たのかと呆れられそうだが、これにもいちおう理由がある。



 それは、このファンタジー世界、薬研一つとっても規定が定まっておらず、非常に使い辛い(ケットにとっては)物があったりするのだ。


 単純に重かったり大きかったりするだけならマシだが……中には、見栄えを優先させた結果、ちゃんと磨り潰せない欠陥品も普通に売られていたりもする。


 そのうえ、薬研としては不適切な材質で作られている物もある。一番笑ったのは、一往復する度にローラーが削れて銀粉が混ざってしまう……というやつだ。


 ケットにとっては信じ難い話だが、色々な成分を混ぜ合わせた方がより効果が出るという迷信によって、一度も洗浄していない薬研が高値で貸し出される事もある。


 それを知っていたケットは、それ故に、重いなあと思いつつも自分が使用している薬研を持って来たわけであった。



「……これは?」



 尋ねられたので、磨り潰している薬草の名前を挙げる。


 途端、王妃のみならず、傍で様子を見ていたほぼ全員(王女は、よく分かってなさそうだった)が驚きの声をあげた。



 まあ、驚くのも無理はない。



 何故ならケットが挙げた三つの薬草は、どれも手に入れようと思えば金貨数十枚は掛かる。しかも、時期を逃せば手に入らない貴重な薬草であったからだ。


 その薬草を全て均一に磨り潰し、用意して貰った小さなヤカンにて十分に煮出した後……それを、カップに入れて王妃に差し出した。



「……刺激的な臭いですね」



 飲める温度に冷ましたので、すぐに飲める。


 しかし、立ち昇る独特の臭いと、僅かに湯気立つ、王妃は言葉こそ選びはしたが、苦笑いは隠せずにポツリと零した。



「薬水なんて、そんなものだよ。美味ければ、とっくの昔に採りつくされているだろうさ」

「それも、そうですね……ところで、これはどのような効果が?」

「診たところ、王妃様はどうも臓腑に病を抱えている。この薬草はどれも臓腑の病によく効くとされているモノだ……これで改善できなければ、もう私が出来ることは何もないよ」

「いえ、ありがたくいただきます」



 ──やっぱり、苦いですね。



 そう零しながらも、王妃はヤカンの薬水(おおよそカップ3杯分)を全て飲み干すと、大きくため息を吐いた。



(苦いどころか、大人でも我慢出来ず吐き出すぐらいに酷い味なのだけれども……これなら、治りそうだね)



 確かに、薬も医者も薬師も、病を治すうえでは欠かせないパーツではある。しかし、そこに見過ごしがちな要素が一つある。


 それは、病気に打ち勝つ気力であり、負けてたまるかという反骨精神であり、病を治そうという強い意志。


 どれだけ高価で希少な薬だとしても、当人の気力が負けてしまえば、その効力は半減する。


 医療が発達した前世の現代ですら、気力の有る者の方が、はるかに回復が早い。未発達なこの世界では、さらにそういった部分が重要なのであった。



「とりあえず、今日はこれだけだ。明日からは、それを30日ほど……朝と晩、腹に何も入っていない時に毎日飲んでもらう」

「毎日、ですか?」

「嫌なのか?」

「いえ、それは構わないのですが……もう少し早く治せられないのですか?」



 少しばかり嫌そうに顔をしかめた王妃の本音に、「酷く苦痛だろうが、頑張るしかないよ」ケットは苦笑しつつも指示を変えなかった。



「王妃の身体は、自覚しているよりも弱まっている。いきなり強い薬を使っても身体がそれに耐えられないから、まずは悪化を抑えるのが先だ」

「──薬に、強い弱いがあるのか?」



 思わずといった調子で間に入って来た国王に、「そりゃあ、あるよ」ケットはハッキリと頷いた。



「深く根付いた木々の根を掘り起こすのに大勢の人力が必要なように、深く根付いた病を治す為にはそれだけの力がいる。薬とて、似たようなものだ」

「ふむ……病もまた、一歩ずつ治すしかないというわけだな」

「そうだ。病の治療は、言うなれば獣道を通って山を登るようなものだ。上がったり下ったりしながら、少しずつ山頂を目指すモノと考えた方がいい」

「……よし、分かった。では、治療が終わるまではこちらに滞在してもらう。それで、よいな?」

「もちろん、そのつもりだ。その日の状態を見ながら調整する必要があるからな」



 ケットが頷けば、「ああ、良かった……」王妃も安心したのか軽く微笑みながら、そっとベッドに身体を預けた。



(──しばらく、私の手はいらんな)



 飲んでもらった薬には、鎮痛作用も含まれている。病による苦痛が幾らか軽減すれば、自然と眠気が襲い……2,3時間ほど眠るだろう。


 食事は、その後に。その際、肉などの固形物は、よく噛んで少しずつ呑み込むように……あとは、他にも色々と。


 とりあえず、現時点で伝えた方が良いことをいくつか伝えてから……さて、と、席を立つ。



「王都に、静かで綺麗で風呂に入れて、あとは私の事を周囲に漏れることなく、一日中部屋にこもっていられる宿を用意してくれ」

「それなら、この屋敷に泊まってくれたら……」

「それがなあ、ヴァン。私は人前に出るのも嫌いだが、堅苦しいのも嫌いでね。ここが悪いわけじゃないが、どうにも窮屈で我慢ならんのだ」



 思っている事を素直に伝えれば、ヴァンは目に見えて苦笑し……ならばと、貴族や大商人御用達の、『星屑の宿』という名の宿を教えてくれた。



「せめて、俺の名で紹介状を用意しよう。そうすれば、煩わしい思いをせずに済む……あの、父上?」



 ヴァンの呆れた眼差しが、物欲しそうな顔をしている国王へと向けられた。



「……気持ちは分かるが、父上の名で用意してしまったら、それこそ上から下へ大騒動になるでしょう?」

「いや、しかし……余も、少しぐらい何かしてやりたいのだが……」

「国王直筆の紹介状なんて、貴族ですらそう易々と得られない物を持っていたらどうなるか……分からない父上ではないでしょう」



 そう言われてしまえば、国王は何も言い返せず……シュン、と肩を落とすしか出来なかった。



 ……が、そこに。



「──それならば、ローゼリッテに書いてもらいましょう」



 まさかの、まだ起きていた王妃によるインターセプト。



「えっ?」



 予想外の方向よりもたらされた提案に、ヴァン以外も目を瞬かせた。



「ローゼリッテならば、遠方の友人が訪ねてきたという言い訳も出来ます。顔を隠すのも、お忍びで……で、通せなくはないでしょう」



 ──出来ますね、ローゼリッテ? 



 そう促せば、それまで何処か蚊帳の外に居た王女……ローゼリッテは、ふんと鼻息荒く、それでいて元気よく頷いた。


 その後ろで、同じく肩を落としてシュンとしているヴァンの姿が……まあ、いいや。



(どうにも、疲れた。今日はゆっくり風呂に浸かって、身体を休めよう……)



 そう結論を出した途端、ふわっとケットは欠伸を零す。


 そういえば、移動中はロクに気が休まらなかった事を今更ながらに思い出し……休むことを固く決意。 



「……それで、ローゼリッテ王女の紹介状は何時頃出来るのかな?」



 ついで、ケットが尋ねれば、王妃が軽く手を叩く。一拍遅れて部屋に入って来たのはセバスチャンだった。



「──少々、お時間を取ります。15、20分程でしょうか」

「え、そんなに掛かるの?」

「特殊な用紙を使いますし、王族より出された証である印を押す必要がありますので……ご容赦願います」

「……はあ、まあ、仕方がないか。疲れているから、なるべく早くで頼むよ」

「それでは、出来上がり次第、馬車の方へお持ち致しますが、それでよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ、それで。とにかく、今日はもう休みたい」



 ため息と共に了承すれば、セバスチャンはローゼリッテを伴って部屋を出て行った。



 ……。


 ……。


 …………さて、行くか。



「それじゃあ、ヴァン、案内してくれ」



 ケットはさっさと放り出していたローブを纏う──と、仮面がからんと落ちた。手を伸ばすよりも前に、ヴァンが拾った。



「この仮面は手作りなのか?」



 ジッと、ヴァンの視線が仮面へと注がれる。



「そうだよ、なんだ気に入ったのか?」

「……ちょっとかっこいい。金は払うから、一枚作ってくれないか?」

「気が向いたら、な」



 それで満足したのか、ヴァンはさっさと仮面を──渡そうとしたが、その直前。




 ──何時の間に近付いて来ていたのか、ぐぬぬ王子が仮面を掠め取った。




 これにはケットのみならず、ヴァンも驚きに目を瞬かせた。見やれば、ぐぬぬ王子は……真剣な眼差しを仮面とケットへ交互に向けていた。



 ……。



 ……。



 …………まさか、こいつも欲しいのだろうか。



 なら、そう言えと思う。でも、ぐぬぬ王子はそれ以上の反応を示さない。


 そのまま、何を言うでもなく黙ったままのぐぬぬ王子の姿に苛立ちを覚えたケットは、さっさと返せと率直に告げた。



「……お前は」



 すると。



「お前は、そのままの方が美しい。ここに居れば、仮面をかぶり続ける煩わしい生活からは解放されるぞ」



 唐突にそんな事を口走ったかと思えば、いきなり窓へと歩き出出して……止める間もなく、その手に持った仮面を──空の彼方へぶん投げた。



 ……。



 ……。



 …………はい??? 




 その瞬間、ケットは状況を理解出来なかった。


 いや、ケットだけではない。ぐぬぬ王子の弟に当たるヴァンも、国王も王妃も、同じだった。


 目の前で起こった状況を上手く理解出来ないまま……放物線を描いて草むらの中へ落ちた仮面と、ぐぬぬ王子を……見つめていた。



 ……。


 ……。


 …………?????? 



 人間、本当に予想外の出来事に遭遇すると、怒りや嫌悪よりも先に困惑が出て来るものなのかもしれない。


 少なくとも、ケットは困惑しっぱなしであった。


 状況だけを考えれば、怒りに身体が震え出すレベルである。しかし、頭が理解を拒むせいで、どうにも怒りが湧いてこない……と。



「──ケットっ!」



 ぎゅう、と。


 前触れもなく、強引に手を取られた。取った相手はぐぬぬ王子で、その目は今にも涙が零れそうなほどに潤んで……あ、これは。



「お前を傷付けた責任は取る。俺が責任を持って、お前を守ってやる……だから、ここでは仮面なんか外して自由に──」



 そこまで口走った辺りで、ケットは眼前のぐぬぬ王子に向かって──ドライアドの性質より生み出した、鎮静効果のある香りを放った。


 それは、今にも暴走しそうなほどに高ぶった発情期のモンスターですら、瞬時におとなしくさせる程だ。


 おかげで、ぐぬぬ王子は崩れ落ちるようにその場に尻餅をついて、そのままおとなしくなってしまった。



 ……。


 ……。


 …………あ~、うん、まあ、これは。



「……頼むから、次からはコイツをおとなしくさせておいてくれよ」




 ──よりにもよって、コイツが色恋に狂ったのかよ。




 周囲より向けられる、何とも言えない視線の中で……ケットは、これからの王都暮らしに暗雲が広がり始めているのを……感じ取っていた。




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