第十五話: 緑の超越者

※暴力的な表現・グロテスクな表現・センシティブな表現有り、注意要



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 ──最初に異変に気付いたのは、皮肉にもグエンであった。




 それは、抱えた宝物が目を開いたからではない。ましてや、物言わぬ躯となった身体でもない。


 グエンの周囲、大地より芽吹いた『花々』が始まりであった。


 あまりに、突然の事であった。


 いきなり、地面より枝葉が飛び出した。辛うじて残されている光球の明かりによって照らし出された範囲全てが、植物によって覆われてゆく。



「な、なんだ!?」



 幸せの絶頂にいたグエンも、さすがに警戒心を露わにする。しかし、そんなグエンを嘲笑うかのように、何一つ動きを止めない。


 そうして、ものの十数秒後には、剥き出しの地面が全く見えなくなるぐらいに大地は植物で覆われ……ついで。



 ──ふわり、と。



 それらより、にゅうっと伸びた枝葉の先端……蕾が飛び出すと同時に花開かれ……そこより放たれた、強烈な甘い臭い。



「くっ、こ、れ──」



 それが、花の臭いである事に気付いた時にはもう……グエンの意識は落ちて、崩れ落ちるようにその場に尻餅をついて……寝息を立て始めた。


 抵抗する暇など、全く無い。相当に深い眠りなのか、力無く開かれた口からは涎が零れていた。



 ……その中で。



 グエンの腕よりポロリと零れ落ちたケットの頭部が、ころんと植物の上を転がる。


 虚ろな眼差しが、夜空を見上げる。汚れた頭部を隠すかのように、広がり続ける植物が……するすると、その頭を己の中へと呑み込んでいった。


 頭部が負われた、身体も同様。誰にも知られることなく、誰にも気付かれることなく、植物に覆い隠された身体もまた、まるで飲み込まれるかのように……植物の中へと消えて行った。



 ……で、だ。



 音も無く、蛇のように身をくねらせながら這い回る枝葉の一つが、するりするりとグエンの身体に絡み付き……先端が、耳に張り付いた──直後。



 ──ビクン、と。



 グエンの総身が、一度だけケイレンした。


 閉じられた瞳は、開かれない。耳より伸びる枝が、まるで体液を吸い取って……いや、まるで、ではない。この植物は、吸い取っているのだ。



 吸い取っているのは、グエンの全て。



 グエンがこれまで見聞きしてきた記憶の全てを、当人すら思い出せなくなっている情報の全てを、大脳に溜め込まれた……グエンという自我を構成する全てを、根こそぎ吸い取っているのだ。



 それは、間違いなくおぞましい光景であった。


 だが、助ける者はこの場にはいない。



 それは自業自得であり、己が招いた欲望の結果……そして、グエンの鼻より血が一つ二つと流れて……少しの間を置いた後。


 ぱきん、と。


 乾いた音と共に、グエンの頭蓋骨を内部より割って飛び出したのは……耳より侵入した枝葉の先端であった。


 それらはまるで、食べ終えた空の器を見せびらかす子供のように……大きな花を一つ、咲かせた。体液を吸われて乾いた眼球が、ぽろりと零れ落ちた。



 ……けれども、植物の……いや、花々の動きはそこでは止まらなかった。



 上から水を垂らしたかのように花々の円は拡大を進め、その背丈も少しずつ伸びてゆく。


 まるで、空間を食らってゆくかのように。


 合わせて、花々より放たれる臭いもまた、時を経る毎に強く濃厚になってゆく。それは、不快感こそ覚えなくとも、数百メートルの距離があっても香るほどの、強烈な臭い。


 それが、夜風に紛れて彼方へと運ばれて行く。城の敷地内だけではない。誰しもが気付かぬうちに王都、王都の外へと広がり、臭いに気付いた時にはもう、誰もが眠らせていた。


 城に戻った王女も、凶行を知った王妃たちも、近衛騎士たちも、誰もが……何の抵抗も出来ないまま、王都に住まう全ての人間は、眠らされた。



 ……その『香り』を、防ぐ手段はこの世界にはない。


 何故なら、この香りは意志を持っているのだ。



 自らの意思で、より遠くに、より広範囲に広がってゆく。文字通り、空気が通れるほどの隙間さえあれば、そこへ自ら入り込んでゆく。


 ケットの前世にはあった機密性の高い建物ならともかく、そんな概念すらないこのファンタジー世界においては……防ぎようのない災厄そのものであった。





 ……。


 ……。


 …………そうして、10分ほど経つ頃にはもう……城の敷地内、地面が見える場所全てが、植物に覆われていた。



 王都は……かつてないほどに、静寂に包まれていた。



 この世界では夜は誰もが眠りにつく時間だが、それを考えても、あまりに静かであった。世界全てが眠りについたかのようで……けれども、変化はそこで終わらなかった。


 城の敷地内……景観の為に植えられていた花畑より、ひと際巨大な影が大地を内側より砕いて、空高く一気に飛び出した。



 それは──信じ難い程に巨大な植物の根であり、枝葉であった。



 大きくて、太くて、長くて……月の明かりに照らされたそれは、まるで竜を思わせるかのように、鎌首をゆっくりと持ち上げた。


 ……仮に、その姿を目にした者が、ソレの正体を知っていたら……絶望のあまり、腰を抜かしていただろう。



 何故なら、その植物の正体は……『デッドエンド・フラワー』。



 御伽噺や古い伝承にしか存在していない、終末をもたらす怪物。地表に飛び出した花々しょくしゅしか存在を確認出来ず、その本体を見た者はいないとされる……大地の王。


 ひとたび姿を見せれば大地が割れ、町は物理的に両断され、国が亡ぶとされる……名前こそ知られているが、誰もがその姿を見た事がない……災厄であった。


 本来であれば、そんな存在が姿を見せれば周囲全てがパニックに陥るのだが……誰もが、眠ってしまっている。


 腹を切られようが、首を落とされようが、反応一つ返せないほどの深い眠り。怪物の触手より放たれた眠りの香りによって、誰もが……怪物の出現にすら気付いていなかった。



 ──っと。



 ゆらり、ゆらりと、その身を揺らしていた怪物が如き巨大な枝葉の先端より……これまたひと際大きな子房しぼうが一つ、飛び出した。


 あまりに、大きなそれは見る間に巨大化を続け……合わせて、その子房を彩るかのように、分厚く大きな花びらが四方八方へと広がり……そして。



 ──限界まで膨らんだ子房より、飛び出したのは……であった。



 それは……言葉では言い表せられないほどに、美しかった。


 この世の美を一か所に集めたかのような、圧倒的な美の結晶。


 下半身が無い事など、その巨体による威圧感など、何の問題にもならない。乳房の膨らみも、腰のくびれも、全てが、何一つ損なわれていない。


 年頃の男がソレを目にしてしまえば、反射的に射精をしてしまうほどの……暴力性すら孕んでいる、絶対的な美が、そこに体現していた。



 ……。


 ……。


 …………だが、しかし。



 仮に、これまた仮に、その光景を目にした者がいたら。そして、その者が、とある人物の素顔を見た者であったならば……誰もが、思わず口走っていただろう。




 ──ケット、と。




 そう、であった。


 上半身だけだが、そのまま巨大化すれば、正しくケットであり……でも、それはケットであって、ケットではなかった。


 ケットなのは、見た目だけ。ケットではあるけれども、違う。そこに居るのは、ではない。ではない。


 そこに居るのは、怪物である。


 悠久の時の中で、ケットが無意識に己より分離させた……であり、


 そして、……であった。



『──、──、──』



 静寂の中に、ケットの言葉が広がる。


 人の耳では、聞き取れない。それは、大気を震わせ、大地を撫でて、彼方の……そう、小さき己を殺した者たちが住まう地へと向かう。


 ケットはもう、把握していた。


 グエンの脳内より取り込んだ情報によって、これが誰の手によって紡がれた凶行であるのかを、ケットは知っていた。


 あとは、それの捕捉をするだけだ。



 ケットの耳は、この大地に生える植物。


 ケットの腕は、この大地に生える植物。



 そこに大地さえあれば、ケットはそこより己の触手を伸ばして……全てを拾い上げることが可能である。



 ……5分ほど。



 はるか彼方の先、此度の犯行の全てを……企てに関与した者を3人ぐらい捕まえ、情報の全てを取り込んだケットは……動き始める。


 丸く閉じる花弁の中へと入ったケットは、飛び出した時とは逆の手順で地中の奥深くへと潜ってゆく。


 合わせて、大地を埋め尽くしていた植物も一斉に地面へと潜ってゆく。しかも、ただ潜っていくばかりではない。



 まるで、映像の逆再生。



 盛り上がった土は、元の状態に。飛び散った花畑も、元の状態に。


 誰もが気付かぬうちに滅茶苦茶になっていた敷地内の全てが、誰もが気付かぬうちに元に戻され……全てが、変わりなく。


 そうして、誰もが寝息を立てる静寂の中で……唯一、起こった変化といえば。


 転がっていたケットの首と、身体。そして、絶命したグエンの身体が……痕跡一つ残さず、この地より姿を消していた。


 ただ、それだけであった。


 そして、同時にそれは……地獄の始まりでもあった。はるか彼方の先にて、地獄が始まる……少しばかり前の事であった。








 ──はるか彼方の先、その国と城の名前は……まあ、知る必要はないだろう。




 その日、その夜、その時……真っ先に異変に気付いたのは、王都を囲う外壁の出入り口。正門と定められている、その場所を守る……門番の1人であった。



 ……暗闇の向こうで、何かが動いた。



 門番は最初、ソレを目の錯覚か何かだと思った。理由は、幾つかある。


 まず、正門前には身を隠すような場所が何一つない事。


 意図的に王都周辺の木々を伐採して、見晴らしを良くしたせいだ。


 これが長期的に見て良いか悪いかは別として、対人間あるいは対モンスターを想定した、奇襲対策の為である。


 おかげで、これまで何度か群れより離れたモンスターや、他国からのちょっかいを受けた際に、いち早く気付くことが出来た……という実績があった。


 次に、時刻が夜であった事。はっきり言うと、暗くて遠目では確認出来なかったからだ。


 要は、思い込みによる油断である。


 というのも、進軍するには今の時期は悪い。王都周辺に雪こそ降ってはいないが、街道の幾つかでは雪が降っている。


 それに、各国の情勢は今のところは落ち着いているし、各国の今代の君主は、冷静に物事を考える者ばかり。


 攻めるしかない状況、攻めるべき状況でもないのに、莫大なリスクを無視して攻め込むような暗君ではない。


 だから、門番は、暗闇の向こうで動いたのは目の錯覚で、同時に、居たとしてもそれはモンスターだろうと結論付けた。


 その際、門番は……同僚には相談しなかった。


 理由は、この時同じ任務に就いていた同僚の内の1人が、下手に相談すると『確認しておこう』と言い出す生真面目な男であったからだ。


 けして悪いやつではないし普段は冗談も口にする男なのだが、仕事に関しては中々に融通の利かないところがある。


 門番の彼は、そうなるのが嫌だった。だって、面倒臭いから。


 規則では近づいて来ない限りは放って置くことになっているのに、この同僚は、おそらく己の目で確認しようとするだろう。


 それが嫌だったので、その門番は……あえて、気付かなかった事にした。


 ……。


 ……。


 …………とはいえ、その判断は……けして、間違ってはいなかった……のかもしれない。


 何故なら……仮に、門番の彼がやる気を出して同僚に相談し、上司に報告を行った後で確認しに向かったとしても……結果は変わらなかったから。



「……ん? おい、アレはなんだ?」



 まあ、はっきり言うと、だ。



「なんだ……白い……女か? いや、こんな場所に女が──ぉぅ──」



 暗闇の向こうより……大本より分裂した、人間サイズの『ドライアド・ケット』が姿を見せた時点で、彼らの運命は決定された。



 何故なら……『ケット』は、魔女のケットと異なり、フェロモンを全開にしていたからだ。



 つまり、普段は様々な方法を用いて抑え込んでいる『美しさ補正+++』を、ありのままに開放した状態なのである。


 加えて、『ケット』は裸であった。顔はおろか、身体もほとんど隠してはいない。


 辛うじて、最低限隠せるサイズの大きな花びらで秘所を守ってはいたが……非常に薄く、光の加減で中身が透けて見えた。


 というより、透けている。肌寒いというのに、湯気立つほどに汗が全身を濡らし、何とも魅惑的な光沢が現れていた。



「あっ……あっ……」



 その姿を目にした瞬間、その場に居た者たち全員が無意識のうちに射精していた。しかし、誰もがそれでは終わらなかった。


 本能を超越した、もはや生物の根幹を揺さぶる魅惑の裸体……これを味わう事なく終わるぐらいなら、死ぬ方がマシだ。


 そんな、美と性の結晶が……暗闇の向こうより、一歩ずつ近づいてくる。



 ああ、しかも、1人ではない。



 同じ顔をして、同じ身体をして、同じ魅力を持った『ケット』が……何人も歩いてくる。


 それは、彼らにとって天国かと錯覚するほどに興奮を誘う光景であった。


 仮に、この場に同僚が1人もおらず、彼らが独りであったならば……誰一人の例外もなく、ズボンを下ろして襲い掛かっていただろう。


 いや、今もそれは同じだ。


 辛うじて、ギリギリ残った理性の糸によって、彼らは野獣に戻らずに済んでいた──が、それも。



『……1人だけ』



 ぽつり、と。



『この場で、生き残った1人だけ……みんなで相手をしてあげる』



 そう、『ドライアド・ケット』たちが呟き、合わせて……彼女たちは一斉に彼らに向かって背を向け、この世のモノとは思えないぐらいに魅惑的なお尻を突き出すと。


 ふりふりん、ふりふりん、と。


 いやらしく、左右に振った。しかも、彼女たちは思い思いに己の、あるいは分裂した誰かのお尻を撫で、揉んで、開いて……覚醒効果のある香りを放った。




「うぉああああ!!!」


「死ねええええ!!」


「がぁああああああ!!」




 その瞬間、彼らはもう……人外の圧倒的な美が生み出す誘惑に理性を呑まれた、完全なる獣に成り果ててしまった。



 ──眼前の美の結晶とヤレるのであれば、同僚の命など取るに足らん! 



 それが、彼らに残された唯一の思考。『ケット』の総身より放たれる覚醒作用のある香りによって、彼らはもう人ではなくなった。


 言うなれば、麻薬である。


 それを、彼らは知らず知らずのうちに吸い込んでしまっていた。それによって、彼らは狂戦士となった。


 手足を落とされようが痛みなく、腸を引きずりだされようが痛みなく、全身のリミッターを外して戦い続ける。


 それは、あまりにおぞましい光景であった。


 手足を落とされれば噛みついて殺そうとし、頭を砕いても肉体が反射的に殺そうと剣を突き出し、全身の筋繊維がちぎれようが構わず飛びかかってゆく。


 正しく、狂戦士。己が何をしているのかすら分からなくなっている、バーサーカー……ああ、そして。



『……邪魔』



 ギリギリ生き残りはしたが、辛うじて絶命を免れていた男の頭を踏み潰した『ケット』たちは……正門を開いて、王都の中に入って行く。






 ……。


 ……。


 …………地獄だ。



 地獄が、開かれようとしている。



 異変に気付いた内部の衛兵たちが、『ケット』を排除しようとするが……もう、遅い。


 既に、内部では地中よりひっそりと飛び出した花々の『香り』によって、凄まじい勢いで人々は我を忘れていた。



 誰もが本能的に動いていた。


 誰もが本能的に食らっていた。



 ある男は鎧を脱ぎ捨て、全身血まみれで女性宅に押し入り。


 ある女は『ケット』に愛される為に我が子を肉の盾にして。


 ある子供は、泣いているフリをしながら、周囲を罠に掛けて。



 誰もが、『ケット』に愛される為に殺し合った。


 誰もが、『ケット』を求めて誰かを殺した。



 『美しさ補正+++』の能力を全開にした『ケット』を前に、平静を保てる者はおらず、老人すら連れ添った伴侶に刃を向けた。


 辛うじて理性を保てた者も、『ケット』の総身と、花々より放たれる覚醒成分入りの香りによって、理性を失い。


 犠牲者は時間を経る事に倍々に増えてゆき、その度に響いた悲鳴と怒声は……徐々に、数を減らしてゆき。




 ものの、一時間と掛からないうちに……生き残っているのは、城に残された……数百名だけとなっていた。






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