第十四話: 地獄への片道切符(返品不可)

※暴力的、流血、センシティブな要素あり、注意要



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 ──20年に一度しか咲かないという花の名前を、ケットは知らない。




 というより、本来は、野に咲く花に名前など無いのだ。


 存在する全ての花の名前なんぞ、必要だと判断した人間が名付けただけなのだから。



 ……で、だ。



 それを始めて見付けたのは、今よりも300年以上も昔。大森林の奥にて自宅を構えた、その年の事である。


 見付けられたのは、本当に偶然であった。


 何か特別な事をしようと思ったわけでもないし、予感を覚えたわけでもない。ましてや、そんな花が存在していることなど想像すらしていなかった。


 見つけるに至った理由とて、ないのだ。


 強いて挙げるならば、前日の雨によって大きな水たまりが幾つも出来ていて、その水溜りを避けるようにして歩いていて……たまたま視界に入った、といった感じだろうか。


 植物を自由自在に扱うケットにとって、目新しい花は、ただ目新しいだけで、そこまでの興味は抱かない。


 そりゃあ、綺麗な花だったら記憶はする。それ自体は、好きだから。


 けれども、次に見た時に必要とあれば思い出すぐらいで、普段はすっかり忘れ去っている。だって、他にも好きな花がいっぱいあるから。


 それでもなお、あえて覚えるとしたら、その植物(花もそうだが)が他にはない有用性を持っている時ぐらいだろう。


 なにせ、作ろうと思えば自分で作る事が出来るのだ。


 作るのに面倒だったり手順が多かったり、作れるけど体力が非常に削られるといった理由が無い限りは、ケットは何時でも必要分を用意する事が可能で。


 それ故に、人間がいちいち通りすがりの人の顔を覚えないように、ケットもまた、好きではあるけれども、いちいち野に咲く花を覚えるようなことはしなかった。



 ──だが、その花だけは違った。



 その花が綺麗だったから……あんまりにも綺麗だったから、頭に焼き付いてしまった。


 だから、その時のケットは……花が枯れるその時まで、ずっとその場より動かなかった。少しでも長く、その花を眺めたかったから。


 そうして、花が枯れた後……ケットはその場所に、別宅を建てた。


 理由は、只一つ。次にその花が咲くときに、ゆっくりと見られる場所を用意しておきたかったからだ。


『緑の超越者』を持つケットは、植物の事であれば何でも分かる。観察がてら、ケットはその花が約20年に一度、夜の内にだけ咲く花である事を知った。


 なので、それから20年毎に訪れる……その夜は、ケットにとっては特別なモノなのであった。





 ……。


 ……。


 …………そして、その日、その夜。



 何時もは独りで迎える特別な夜を、ケットは……己の十分の一も生きてはいない王女、ローゼリッテを伴って……薪小屋へと向かっていた。


 ローゼリッテの恰好は、遠目から見ればケットと同じ恰好に見える。どうしてそんな恰好かと言えば、昼間よりも夜間の方が単純に寒いからだ。


 ドライアドの性質を持つが故に、暑さにも寒さにもある程度の耐性があるケットとは違い、ローゼリッテは生身……それも、子供だ。


 万が一、風邪でも引いたら一大事。その結果、ケットとおそろいのような格好になったわけである。


 ……で、城の敷地内にある薪小屋は、城からも屋敷からも離れた端の方にある。そこまで、徒歩で向かう。


 どうしてそんな場所に薪小屋を……理由を聞いたわけではないが、だいたい予想は出来る。


 現代とは違い、このファンタジー世界において薪というのはまだ生乾きで運ばれてくる来る場合が多く、改めて乾燥させる必要がある。


 薪の乾燥は日当たりと風通しの良い場所においても数カ月は必要で、だいたい1年~2年は乾燥させる。


 それだけの期間、ただ保管しておくだけの倉庫を屋敷のすぐ傍に置いてしまえば、景観を損ねてしまう……といった感じだろう。


 ……まあ、本音は景観よりも、下手に城や屋敷に近い場所に置いてしまうと、薪の中に居る大量の虫が屋敷の方に向かう可能性が出て来るので……話を戻そう。



「……凄いですわね、ケット様。敷地内であれば、私の知らぬ場所など存在しないと思っておりましたが……まるで、別世界に迷い込んでしまったかのよう……」

「景色が変わるだろう? たかが昼と夜、されど昼と夜だ」

「はい、どれもこれもが見知らぬ景色ばかりで……あの、手を繋いでもよろしいですか?」



 ──構わないよ。



 そう答えれば、何処となく心細そうにしていたローゼリッテは笑顔を浮かべると、ケットの手を取った。


 生まれた時より過ごしている安全な場所なのだから、心配する必要などない。けれども、王女にとっては初めての夜間外出で、護衛を伴わない外出だ。


 眼に映る全てが真新しく、感じる空気そのものが初めてで、それでいて、別物なのだろう。


 実際、ケットに案内されるがまま手を引かれている、ローゼリッテの手は……汗でべたべたに濡れていて、ともすれば、痛みを覚えるほどに力がこもっている。


 それでいて、冷たい。夜の寒さだけではない理由によって、その手は水に浸したかのように冷たくもあった。


 と、同時に、ケットの手を握った事で少しばかり不安は紛れたようだが、それでもおっかなびっくりといった様子で、腰が引けていた。



 ……が、それも。



 目的地となる薪小屋の裏手に到着した時点で……正確に言うなれば、ケットの魔法によって照らされた、そこに咲く大きな赤い花を見て……治まった。


 それは……幼き頃より王族としての教育を施されてきたローゼリッテにとっても、言葉には出来ないほどの美しさであった。


 花そのものは、大きい。ローゼリッテの両手では収まらず、背丈は目線の高さにまである。


 しかし、威圧感はない。派手とも穏やかとも取れる、赤いソレは……僅かに吹く夜風に揺られて、淡い香りを漂わせていた。



「……話の通り、とても大きなお花なのですね。それでいて、とてもお綺麗……額縁に飾りたいぐらいに……」

「綺麗だろう?」

「はい、とっても!」



 満面の笑みで頷いたローゼリッテは、再び花へと視線を向けて……ふと、思い浮かべた疑問に小首を傾げた。



「でも、どうして誰も気付かなかったのですか?」



 雑草の群れから、ぴょんと一本だけ飛び出したソレは、遠くからでも非常に目立つ。


 たとえ、薪小屋の裏手にあって、人目につかない場所だとしても……何せ、20年掛けて咲く花なのだ。


 昼間は咲いていなくとも、これだけが長く茎が天へと伸びていたら、誰かが気付いてもおかしくはないはず。



「気付かなくて当然さ。この花は、前日まで他の雑草と同じくらいの高さにしかならないからね」

「え? そうなのですか?」

「掘り返すと分かるけど、この花は根を地下深くまで張る。20年掛けて栄養をタップリ溜め続け、その日の夜を迎えた時……わずか数分で、今みたいな状態になるんだよ」

「そんなに短い間で?」

「だから、咲くまでの間を見るのは難しい。私でも、つぼみが花開く瞬間……それも、遠目でしか確認した事がないんだ」

「まあ、ケット様でも……でも、20年に一度しか見られない花……これだけでも、私にとっては……」



 ──うっとり、と。




 心より嬉しそうに微笑むローゼリッテの姿に、ケットもまた嬉しくなって笑みを浮かべた。


 まあ、仮面を装着しているので、外からは笑い声を出さない限りはほぼほぼ分からないけれども……ん? 



 ふと、ケットの視線が……ローゼリッテより動き、少しばかり離れた所にひっそりと咲いている……『花』を見付けた。



 それは、お目当ての花と同じやつではあったが……サイズが、一回りも二回りも小さかった。


 おおよそ、ローゼリッテのお腹の辺りぐらいだろうか。花そのものの鮮やかさは同じだが、茎は細く、全体的に小さい。



(へえ……もう一つ、種が運ばれていたのか)



 20年間ひたすら栄養を溜め込むだけあって、同じ場所に種を多数植えても、花をつけるのはだいたい一つか二つ。


 同じ場所に植えると共食いのような形になって、一番優れたやつだけが花をつける……そんな性質があるらしい。


 ……さすがに、どうしてそのような性質になったのかまでは『緑の超越者』でも分からない。


 だが、理由は何にせよ、本来であれば森の奥深くにて咲くコレが、森の外……一つは小さいとはいえ、城の敷地内に二つも咲くのは……稀有な事であると、ケットは思った。



(……ふむ、そうだな)



 しばし思考を巡らせたケットは、その小さな花へと歩み寄り……魔法を使って、周囲の土ごと、ぽっこりと掘り出す。


 あとは、『緑の超越者』の能力と、培った魔法の技術を応用し……己の身体より生み出した枝葉を使い、ぐるぐるぐる、と。


 包帯のように長い葉を上手く宛がって隙間を埋めて、即席の植木鉢を作りあげ……そこにすっぽりと納めれば……完成である。


 そうして……やる事が無くなったケットは、ローゼリッテの気が済むまで、傍で待機し続けた。


 時期が時期なのも相まって、昼間でも肌寒い。当然ながら、日が暮れて夜にもなれば、思わず身震いする程に気温が下がる。


 なので、本来であればあまり長居をさせるべきではなのだろうが……たった一夜の事だ。



(……炎よ)



 ほわっ、と。


 こぶし大の小さな光の球体を、ローゼリッテの傍に出現させる。


 驚いたローゼリッテが振り返ったので、「大丈夫、燃えはしない」そう答えれば、安心した様子で再び花を見つめ始めた。


 ……ケットは魔女と呼ばれるぐらいなので、様々な魔法を習得している。しかし、その全てが強大かといえば、そんな事はない。



 言うなれば、相性というやつだ。



 水の魔法が苦手な者もいれば、土の魔法が苦手な者もいる。ケットは、その中でも……とにかく、火の魔法との相性が最悪であった。


 言うまでもなく、ドライアドの性質が原因である。


 植物を司る能力を持つケットにとって、ある意味では天敵である『炎』は、本来であれば100年掛けて修行しても習得出来ないほどに相性が悪い。


 しかし、逆に言えば、どれだけ魔力を込めようが、発現する事象の変化は最小限に収まってしまうということ。


 つまり、これを上手く利用すれば、だ。


 今回のように触れてもほんのり温かい程度の炎(熱くないので、モドキだが)を作り、対象を少しばかり温めるだけという……見方を変えれば器用な事が出来るわけであった。



 ……。


 ……。


 …………で、そのまま……如何ほどの時間が流れただろうか。



(……さすがに、就寝時間が限度だな)



 事前に王妃より渡されている懐中時計にて時刻を確認したケットは、パチンと時計盤の蓋を閉じた。


 外出を認めたとはいえ、就寝時刻になっても戻って来ないとなれば、向こうも心配し始めるだろう。



 ──そろそろ、戻った方が良い。



 いちおう、事前に就寝時刻がタイムリミット、そのように約束はしてある。


 ソレを過ぎたら強制的に戻らせると伝えているから、すぐに迎えの者を寄越す事はないだろうが……このままズルズルと時を伸ばせば、その限りではないだろう。



「そろそろ時間だ、戻るぞ」



 そう声を掛けながら、ケットは少しばかり身構える。


 場合によっては、名残惜しさのあまりローゼリッテが駄々をこねる可能性も考慮していた。


 そうなると、問答無用で連れ戻すしかない。


 幸いにもケットは王家に仕えているわけではないし、その際の許可は王妃より受けているから、特に抵抗感はないが……が、しかし。


 ローゼリッテは……僅かに名残惜しそうにしてはいたが、素直にケットの言う事を聞いた。


 むしろ、促されるがままとはいえ、抵抗らしい抵抗もなくケットの手を取ると、歩き出そうとする素振りすら見せた。



 ……野暮だったか。



 浅はかだった己の考えに若干の気恥ずかしさを覚えつつ、ケットは懐より……掌に収まるサイズの、水晶のように透明感のある宝石を取り出した。



 それは……王妃より預かった、『帰還用のマジックアイテム』である。



 いわゆる、王家に伝わる秘宝というやつだ。


 これを使うと、それこそ海を隔てた大陸の彼方にいたとしても、あらかじめ指定しておいた場所へ瞬時にワープする事が出来る。



 ……いちおう言っておくが、こんな場面で使うような道具ではない。



 本来は、有事の際……それこそ、完全に敵に囲まれた状態を脱出したり、不慮の事故に遭ってしまい脱出が困難な時だったり、そういう命の危機に瀕した時にのみ使用を許されたアイテムである。


 なにせ、この秘宝……発動するにはかなりの手間暇(金銭的な意味でも)が掛かるらしく、しかも、一度発動する度に1から手順をやり直す必要があるため、普段は宝物庫に保管されている逸品である。


 ……そんなものを、こんな事で持ち出すあたり、王妃も大概な親バ……止めよう、この話は。



「……ふむ」



 とりあえず、宝石を片手に、少しばかりケットは考える。


 その場を動こうとしない(秘宝を発動させようとしない)ケットに、ローゼリッテは小首を傾げた。


 使い方が分からない……いやいや、今までマジックアイテムに触れて来なかった者ならともかく、魔女が分からないはずが……と。


 使うのかと思っていたが、結局ケットは無言のままに宝石を懐に仕舞う。ついで、ケットは軽く息を吐いてから……ローゼリッテへと向いた。



「歩いて、帰ろうか」

「え?」



 驚いた王女の唇より、白い吐息がポッと吹き出た。



「せっかくの夜だ。歩いて来たのだから、歩いて帰ろう。帰るまでは、この夜は終わらないさ」

「…………っ」



 一瞬ばかり、ローゼリッテは呆けた様子ではあったが……頭の回転が早いようで、すぐに理解し、頬を興奮で紅潮させてゆくと。



「……どうする、寒いなら急いで帰るけど?」

「いえ、いえ、歩いて帰りましょう。ゆっくり、自分の足で……!」



 満面の笑みを浮かべると共に、ローゼリッテはケットの手を取った。


 行きの時と同じく、ローゼリッテの手は冷たくなっていた。


 だが、行きとは違い、緊張は見られない。手汗でべたべただった掌は乾いていて、ケットの温もりが伝わり、ほんのりと温かくなってゆく。



「熱くはないか?」

「いえ、まったく。とても、心地良い温かさでございます」



 合わせて『光の球体』を動かし、ローゼリッテを照らす。無理をしていないか確認してみるが、特に異常と思われる変化はない。



 ……さあ、夜も後わずか。



 誰に言うでもなく……おそらくは、ケットもローゼリッテも、同時に同じことを思いながら……ゆっくりと、その場を離れ──。






「──んぇ?」






 ──その、瞬間。ローゼリッテは当然のことながら、ケットもまた、何が起こったのか……理解が遅れた。


 最初に感じたのは、背中からの衝撃だった。


 あまりに突然過ぎて、変な声を零したケットは、その場にたたらを踏むようにして堪えた。


 叩かれたとか、そんな生易しい話ではない。


 まるで、人間が体当たりしてきたかのような……その瞬間、反射的にケットが思ったのは、ローゼリッテの事だった。


 ──照らしているとはいえ、足元は暗い。


 何かにつまづいて、己の背中にぶつかった……そう、思った。



(……あ、手が)



 だが、直後に違うとケットは理解した。


 何故なら、手を繋いでいて、横に居るから。


 そちら側から押されるのならばともかく、真後ろから押されるのは間違いなく違う。


 実際、己よりワンテンポ遅れて押された形になり、驚いた様子のローゼリッテの姿が視界に入り……ん? 



 ──次に感じたのは、強烈な胸の痛み。



 ともすれば、それは焼けた鉄を直接押し当てられたかのような、あるいは氷を直接体内に入れられたかのような……強烈な感覚。



 これは……っ!? 



 視線を下げて、ようやくケットは気付いた。


 ローブを内部より押し上げるようにして飛び出している、一本の棒。それは光球より発せられる光を帯びて、真っ赤に濡れて──っ! 


 そこまで思考が働いた時点で──ケットは、反射的に背後へ枝葉を伸ばした。


 その枝葉は、ただの枝葉ではない。ケットの性質と能力とを組み合わせて生み出す、鋼鉄と同程度の強度を誇る特殊な刃である。


 葉っぱの一枚いちまいが、切れ味鋭い刃であり、伸びた枝は槍だ。まともに当たれば致命傷は間違いなしの、必殺技であった。



(──っ!? 手応え無し!?)



 だが、しかし──必殺技も、当たらなければ意味は無い。


 枝葉を伸ばし始めた段階で、ケットを貫いていた刃……剣は抜かれていて、ケットの反撃は盛大に空ぶっていた。


 と、同時に、ケットは……己よりも何よりも、ローゼリッテを守る為に、転倒したその身体を引っ張り起こそうと──したが、遅かった。




 ──痛みと熱気と寒気が、同時に首筋を通り過ぎ──直後、ケットの身体は宙を舞った。視界の端で、仮面が飛んで行くのが見えた。




 ……。


 ……。


 …………いや、違う。舞ったのではないし、飛んだのでもない。切り落とされた己の首が、その勢いに押されて跳ねたのだ。



「──ケットさ」



 異変に気付いたローゼリッテが、ようやく身体を起こして振り返ろうと──するよりも前に、ケットは秘宝を発動させていた。



 ──一瞬。そう、一瞬だ。



 残された肉体が反射的に投げた秘宝が、文字通り、瞬きするよりも前に、ローゼリッテをこの場より遠ざけた。


 魔法が──無事に発動したのだ。


 それを理解すると同時に、二転三転していたケットの視界が……ごつん、と衝撃が走ると共に、コロリと転がって……止まった。



(……首を、落とされた)



 泥だらけになった顔も、気にならない。


 転がった時のみも、全く感じてない。


 ただ、命が凄まじい勢いで傷口から流れてゆくのが分かる。


 そんな中で……己を襲った襲撃者の手が、己の頬を掴んで……掲げた。ケットは、そこで初めて知った。


 そう、露わになった視界の中で、辛うじて残された光球の明かりに照らし出されたのは。



「会いたかったよ、ケット」



 ここにはいないはずの、グエン王子であった。






 ……。


 ……。


 …………久方ぶりに見るグエン王子の顔は、以前に比べて明らかに……病的な変貌を遂げていた。


 頬はコケていて、目の下には夜の色。身嗜みこそ辛うじて整えているが、それ以外は……とてもではないが、人目に出られる形相ではなかった。



「ああ、会いたかったよ……俺のケット。俺だけの、愛しいケット……!」



 そんな、病人同然の顔をしているグエンは……有無を言わさず、ケットの唇を塞いだ。いや、それどころか、力無く開かれた唇を押し広げ、舌を押し込みすらし始めた。


 ……もはや、嫌悪感すら覚えない。異物が、口内を舐めまわしているのを感じるだけ。


 人外であるからなのか、ケットはまだ意識を保っているし、己が生きていることを自覚している。


 しかし、己が間もなく絶命するのも理解していた。


 グエンの後ろで、首を失った身体が力無く倒れ……どくどくと、断面より血を噴き出しているのが、見えたから。



「気が狂いそうだった……俺が居ない間に、お前が他の誰かのモノになるのを考えただけで……ああ、でも、これで俺のモノだ、俺だけの……ケット、俺だけのケット……!」



 そして、同時にもう一つ……ケットは理解した。


 それは、倒れ伏した己の身体の傍に落ちている……宝石のような球体。血を浴びたことで遠目にも分かるそれは……紛れもなく、王家が所有する秘宝であった。



 ああ、つまり。


 そう、つまり。



 グエンは、この秘宝を使って瞬時に移動してきたのだ。


 それならば、納得出来る。ケットの警戒網を掻い潜り、瞬時に背後に着いて、一太刀入れられた理由が。



 そして、こいつは。


 そうだ、こいつは。



 よりにもよって、ローゼリッテを移動先に指定していたのだ。



 何時頃から、この方法を思いついたのかは定かではない。だが、思いついた時点で、方法の一つとしてストックしていたのだろう。


 そして、何らかの手段を用いて、ケットとローゼリッテの二人が夜間に外出することを知って、それを利用したのだ。



 ──信じ難い、あまりに惨い事だ。



 ケットを害する為だけではない。この男は、妹の目の前で、兄が姉のような友人を殺そうとした……いや、殺したのだ。


 幸いにも、首を落とされたケットの姿を見る前にワープさせられたが……目撃していたら、一生引きずる強烈なトラウマになっていただろう。


 しかも、それだけではない。


 この男は、母親の病を治した恩人を、弟の窮地を助けた恩人を、孤独な妹に寄り添った恩人を、己の欲望の為に手に掛けたのだ。


 正しく、鬼畜外道の所業であった。



(知らせなければ……だが、もう私は……)



 だが、問題はそこではない……そう、ケットは思った。


 もはや、この男の事なんぞ、どうでもいい。


 問題なのは、協力者の存在だ。


 グエンに情報を与えた存在だ。



 おそらくそれは……以前、ヴァンをハメた……他国の者たちではないか……そう、ケットは思った。



 だからこそ、問題なのだ。


 だって、グエンは国王やヴァンたちの監視があったはず。


 つまり、協力者はそんな監視を掻い潜り、グエンに情報を与える事が出来たということ。



 すなわち……既に、協力者は王国の中枢にまで入り込んでいる、あるいは、入り込める状態にあるということに他ならない。



 と、なれば……国王とヴァンが危険だ。


 いや、それどころか、既に賊が城の内部に入っているかもしれない。そうなれば、城に逃げたローゼリッテもまた……ああ、でも。



(視界が霞む……思考が定まらない……)



 助けてやりたいが、もう己に出来る事は何もない。


 しぶとさには密かな自信があったけれども、首を落とされてしまえば終わりだ。


 さすがのドライアドも、こうなっては……ああ、でも、でも、でも。



(このまま……終わるのか……?)



 それでは、死ぬに死にきれない。


 せめて……そう、せめて……協力者どもを仕留めてやりたい。


 そうしなければ、死ぬに死にきれない。せめて、ローゼリッテだけでも助けてやりたい。


 やられっぱなしで終わりたくない……このまま終わるなど、真っ平御免だ。



 ……でも、もう無理だ。



 気付けば、ケットの視界は暗闇に閉ざされている。先ほどまで聞こえていた煩わしい羽音も、聞こえなくなっている。


 痛みも無く、熱さも無く、寒気も無い。


 ただただ、強烈な眠気と……死へと近付いてゆく、己の魂の鼓動のみがはっきりと強くなってゆく。



(ろーぜ……り……て……)



 そうして、最後に友人の名前を思い浮かべる事も出来ないまま……ケットの意識は、完全に闇の中へと沈んで行った。







 ……。



 ……。



 …………その時、その瞬間、誰もが……異変に気付かなかった。



 地中深くにて、あらゆる場所へと根を伸ばしている……とある巨大花の、広大かつ膨大な根が。



 ──びくん、と。



 ひと際強く、ケイレンしたことに……誰も、気付けなかったし、気付かなかった。




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