第十三話: ささやかな思い出と共に……



 ──性教育作戦(魔女の知恵)は、思っていたよりも色々な方面に効果を出した。




 おそらく、淑女たちが知る由もない事だが、(元男としての視点)これまで表立って男の生理を語る者がいなかった物珍しさがあったのだろう。


 なにせ、このファンタジー世界において、『性の話』というのは大なり小なり隠されて然るべきモノとして取り扱われている場合が多い。


 いちおう、SEXの失敗談というか、性欲に関連する馬鹿話は娯楽(下品とされてはいるが)という風潮も、無くは無い。


 しかし、それはあくまでも失敗談であり、冷静に考えたら一年に一回、有るか無いかというぐらいに珍しい話ばかりだし、内容もだいたいが荒唐無稽だ。



 何せ、世間に疎いケットが知っているマシな話ですら。


 『股間にワインを塗れば、立ちが良くなる……と思って試したが、火が点くような痛みで悶絶した』という程度だ。


 当然ながら、根拠は何も無い。



 オチだって、マヌケなやつだと笑うだけで、この話の教訓は、『股間にワインを塗るのは止めましょう』というだけだ。


 前世の現代からすれば、そんなやつ居るのかよと呆れられるところだろうが、この世界では……けっこう真面目に教えられる事である。



 ──女の胎に出せば孕む。それさえ分かっていれば、とりあえずは大丈夫。



 それが、平均的な常識で……それぐらい、この世界の『性』に対する医学的……精神へもたらす認識、その視点が欠けているのだ。


 実際、子を成すことが宿命とされている貴族の淑女たちですら、与えられる知識は経験則からの真偽不明な情報ばかり。


 おまけに、授業が終わって世間話がてら話を聞いたケットが、内心にて幾度となく呆れたぐらいに統一性がない。


 酷いモノになると、『股を見せれば相手がその気になる』、『その気にならない場合は病気の可能性も』……という常識だけしか教えられていない者すらいた。


 ある意味、最も高度な性教育を施される女ですら、こんな調子なのだ。


 擦ればそのうち出るし、裸を見せれば立つといった程度の扱いがデフォルトな男たちの性教育ともなれば……想像するまでもないだろう。


 だからなのか……最初は、集まっている淑女たちよりお礼の品として贈り物をされることが多かったが、4日目、5日目と時を経るにつれて、彼女たちを通じて旦那からもお礼の手紙を送られるようになった。


 内容としては、『私の苦しみを理解してくれてありがとう』というものが多く……さもありなん、とケットは手紙を読みながら思った。




 ……やはり、旦那側も悩んでいたのだろう。説明し辛いことだから、言えずに我慢していたのかもしれない。




 結果的に、お互いの間に生じていた誤解と偏見が取れたことで、拗れた関係を修復出来た家が多かったらしく、必然的に……ケットの味方をする者が増えた。


 これに関しては、まあ、ケットが王家に取り入ろうとする様子が欠片も無く、むしろ一刻も早く治療を終えて離れたがっているのが傍目に分かる事が大きな要因なのかもしれない。


 旦那側からすれば、恩人であるとはいえ、自分たちの領分に入ってくる事はないと分かれば警戒する必要が無くなるからだ。


 そうなれば、彼らにとってケットは『王妃の治療の為だけに居る魔女』であり、『知恵を授けて夫婦仲を改善してくれた』だけの恩人でしかなくなる。


 と、なれば、妻の目もあるし、恩を仇で返す者と周囲に思われない為にも、彼らもまた妻に倣って積極的に、あるいは遠回しに……ケットを手助けし始めた。



 ──具体的には、グエン王子の足止めである。



 いくら王位継承権第一位のグエンとはいえ、王族としての職務を蔑ろには出来ない。


 今までは、国王が存命のためにそれほど多くの職務はなく、自由に動き回れていた……が、しかし。




 ──兄と弟、どちらが国王の座に就くかは分かりませんが、顔合わせをしておくに越したことはございません。




 そう、懇意の貴族たちより促されてしまえば、たかが王子であるグエンに断ることなど出来るわけがない。というか、国王と王妃がそれを許さない。


 ここで、次男であるヴァンが嫌がれば話は違っていたが、ヴァンは『恋の病』を患ってはいない。不慣れな様子ではあったが、それでも職務には乗り気であった。



 ……そうなると、グエンも屋敷を離れ、王都の、あるいは王都の外へ動いて顔合わせに出るしかない。



 ここで以前のような無茶苦茶を仕出かせば、さすがに国王も目の色を変える。


 己の権力も王位継承権を持っているからこそで、それを剥奪されてしまえば、その権力は国王と血が繋がっている……という程度しかなくなってしまう。


 あくまでも、その血に価値があるだけで、当人の意思は無価値になってしまうのだ。


 それを考えるだけの理性が、まだグエンには有るようで……授業を始めて2,3日ぐらいは屋敷の周りをうろついていた(近衛騎士より)らしいが、それも顔合わせが始まるに合わせて無くなった。


 そうなれば、グエンを利用して動いていた軍部とて、多くの貴族を敵に回してまで動けば最後、隙を突いた他国の侵略に押されて国が滅びかねないという事を考えるだけの冷静さを保っていた事もあって、活動を沈静化。


 結果、治療を始めて30日目……ケットは屋敷に来てから一度としてグエンの訪問を受けることなく、安穏とした毎日を送る事に成功していた。








 ……治療を始めた初日に比べて、今の王妃が飲む薬はだいぶ味がマイルドになっている。



 理由としては、薬の濃度が違うから。あと、使用する薬を少し変えたから。


 初日と今とでは病状が異なっていて、ほぼ完治な状態である。なので、濃度などを下げて負担を和らげながら、徐々に身体を慣らしている段階であった。


 ……ちなみに、一番味も臭いも強烈で酷い時が、だいたい10日~15日目ぐらいである。


 グラフにすれば、放物線を描くような感じだろうか。


 さすがに、一番濃度を濃くした時は王妃も非常に飲み辛そうであり、何度もむせて大変であった。



「……ふむ、『音』も元に戻り、病巣も綺麗になったようだ……このまま数日ほど様子を見て、変化が見られなければ、それで治療を終えるとしよう」



 聴診器を外して道具を片付けるケットの言葉に、王妃のみならず、様子を伺っていた王女のローゼリッテが安堵の声をあげた。


 最初の頃とは違い、室内に国王の姿はない。


 グエンとヴァンを伴って、王家と懇意にしている有力な貴族との会談に出ているからだ。


 キッカケはしょうもない事だが、いずれは……と、以前から国王も考えていたのだろう。


 最近は息子たちの教育に忙しいらしく、前回王妃の下を訪れたのは3日前である。ちなみに、滞在時間は30分ほどだった。



『グエンもヴァンも、直情的な考えだけでは駄目だということを教えねばならん。時には、笑顔のまま堪える事を覚えねばならん』



 と、いうわけらしい。


 これに関しては国王のみならず、王妃も同様の事を危惧していたらしい。


 曰く、『有事の際には心強いか、太平な世では通じない事が多い』という話で、母親の目から見ても、『直情的なところがある』と心配もされていたらしい。


 なので、とばっちりのような感じでヴァンも貴族たちとの顔合わせが継続され……結局、一度も王妃の見舞いには訪れていない状況であった。


 ちなみに、王女のローゼリッテはほぼ毎日お見舞いに顔を出していた。彼女は彼女で、王女としての教育を受けているわけだが……まあ、アレだ。


 既に成人している兄2人とは違い、ローゼリッテはまだ子供だ。


 それに、時期が来て嫁げばもう、王都にすら戻れなくなる可能性すらある。だから、甘えるのが許される間は、そのまま甘えなさいという事で、ローゼリッテは毎日の訪問が許されていた。


 ただし、グエンだけは非常に不満そうな目でローゼリッテを見ていたらしいが……で、だ。



「まあまあ……では、もうあの苦い薬を飲まなくて済むのですか?」

「いや、念には念を、あと数日は飲み続けろ。ただし、濃度も下げるし蜂蜜を入れて甘くしてもいいから、それまで頑張りなさい」



 ケットのその言葉に、「……もう少し、頑張りますね」王妃は軽く肩を落とした。


 ……実際、王妃が落ち込むのも仕方がない。だって、本当に不味いから。


 病気で飲まないと死ぬと言われなければ、絶対に飲まないぐらいの酷い味で、調合しているケットですら、『よく飲めるよなあ』と思うぐらいである。



「……それでは、もうすぐケット様は『大森林』へ戻られるのですか?」



 道具の後片付けをしていると、ローゼリッテより話しかけられた。見やれば、ローゼリッテは……少しばかり寂しそうに、ドレスの裾でこしょこしょと指遊びをしていた。


 ……貴族の淑女としては、はしたない事である。


 王妃の視線が、幾らか厳しくなる。それに気付いたローゼリッテは、いくらか慌ててドレスより手を離したが……すぐに、落ち着きなくその手はこしょこしょと指遊びを始めた。



 ……その姿を見て、思い返せば、けっこう懐かれていたなあ……と、ケットは思う。



 短い間ではあったが、ケットはグエンが城に居ないと確定している間、敷地内を気晴らしに散歩したりしていたが……その際、よくローゼリッテがやってきた。


 ローゼリッテ、1人だけだ。


 本来なら独りで出歩くなど厳禁なのだが、国王たちは信頼してくれているのか、ケットを伴っているのであれば、敷地内に限り散歩することを許可されていた。


 その、散歩の中身は……まあ、特に中身などはない。


 一緒にお茶を飲まないかとか、一緒に敷地内にある花畑に行かないかとか……特に大それた事の無い、平々凡々な事ばかりであった。


 その時、ケットはローゼリッテから色々なお話をされた。


 病に伏せる母親には言えないでいる、様々な愚痴(中身の是非は別として)を聞いたし、アドバイスのような同意を求められもした。


 ……おそらくは歳の離れた姉みたいな感覚でケットを見ていたのだろう。



(……確かに、屋敷もそうだけど、この広い城の中で気軽に話せる同性なんて、私を除けばいないだろうなあ)



 兄弟や親せきが近くに居るならともかく、王族というのは基本的に孤独だ。おおよそ、対等の相手というのは同じ家族ぐらいしかいない。


 特に、ローゼリッテは年齢こそ末子だが、長女でもある。その立ち位置は、ある意味では兄2人よりも安穏とはしていない。


 それこそ、明日にでも数年後の嫁ぎ先が決まっても不思議ではない。そして、それに対して拒否権の一切は認められない。


 本来であれば、その内心を吐露出来る相手に母親がいるのだが……病に伏せていたがゆえに、ローゼリッテはひたすら溜め込むしか出来なかった。


 そこに現れたのが、ケットだ。


 ケットは、見た目こそ王女より少し年上ぐらいに見えるが、不老なだけで、その内面は数百歳にもなるお婆ちゃんだ。



 一般庶民からすれば畏れ多くて近づけない相手。


 貴族からすれば、気軽に声を掛けられない相手。


 屋敷の者たちからすれば上司の娘みたいな相手。



 ……だが、ケットは違う。


 ケットにとっては、着飾った小娘でしかないわけで……でも、それがローゼリッテにとっては非常に嬉しかった……のかもしれない。


 つまり、ローゼリッテからすれば、ケットは色々な事を知っていて包容力もあって、身分や家柄に拘る必要もなく、自由気ままに接しても問題のない相手なのだ。


 そりゃあ、懐いて当然なのかもしれない。


 むしろ、寂しそうにしつつも引き留めようとはしないだけ、本当にローゼリッテは良く出来た王女だと……ケットは感心すらしていた。



(……そうだな、もう二度と会う事もないだろうし……思い出の一つぐらいは……な)



 そう、二度と会えないのだ。



 少なくとも、あえて王族が『魔女』と会おうとしない限り。


 あるいは、ケットの方から王族へアプローチをしない限り。



 もう、会う事はないのだ。



 何故なら、ケットは『魔女』で、ローゼリッテは王族。それも、ローゼリッテは第一王女だ。


 王妃の病が無かったら、それこそお互いに顔や名前すら知らないままに終わっていた……それぐらいに、本来は交わる事のなかった関係なのだ。



「……王妃よ、今晩だけ、王女を借りてもいいか?」



 だから……いや、おそらくは……ケットの方も、少しばかり情が移ってしまったのかもしれない。


 もはや、人の営みに紛れて生きる事は止めた。そのように、ケットの心は形を変えて、順応してしまった。



 だから、今さら寂しいとは思わない。


 人の世界で暮らしたいとも思わない。



 城で過ごした30日と少しも、いずれ記憶の奥底に埋もれ……キッカケが無ければ思い出せない過去の一つになるだろう。



 ……けれども。


 ……それでも。



 己とは違い、一生老い続けるローゼリッテには。


 己とは違い、死に怯え続けるローゼリッテには。



 ……たった一夜の出来事とはいえ、この時にしか得られない思い出を残してやりたい……そう、思ってしまった。



「少し、王女に見せてやりたいモノがある。美しい花でな、20年に一度しか咲かない希少なやつが……城の隅にて群生しているのを見かけたのだ」

「まあ……そんなものが? いったい、どこに?」

「敷地の端っこにある、薪小屋の裏手だ。見た目は雑草も同然だからな……行った事はあるか?」



 ケットのその言葉に、王妃は過去を探るかのように視線をさ迷わせ……軽く、頷いた。



「幼少の頃に、何度か……しかし、あんな場所にそんなものが?」

「非常に珍しい事だが、おそらくは鳥が種を運んだのだろう。本来は、森の奥深くでひっそりと咲く花だからな」



 ──で、連れ出して良いのか、悪いのか。



 どっちなのかを、ケットは返答を促した。



 ……。


 ……。


 …………王妃が返答するまでに、少しばかり間が空いた。



 まあ、そりゃあそうだろう。ただの村娘が夜間に出歩くならともかく、王家の長女であり末子のローゼリッテが出歩くとあっては、前提が違い過ぎる。


 いくら城の敷地内とはいえ、絶対ではない。24時間体制で警備が敷かれてはいるけれども、ローゼリッテの安全を思えば、このような突発的な行動は避けるべきだ。



「……いいでしょう。貴女が傍にいるのであれば、許可します」



 だが、しかし。王妃は、首を縦に振った。



(おお、断られると思ったのだが……)



 これには、頼んだ側であるケットも、内心では少し驚いた。



「言っておきますが、二度目はありません。本当に、これっきりですよ」



 そんな、ケットの内心を察したのだろう。


 王妃はあからさまに苦笑いを浮かべると……直後、ベッドから降りて……居住まいを正し、ローゼリッテを見やった。


 それを見て、ローゼリッテも無言のままに動く。


 王妃と……いや、母親と同じく居住まいを正す。ドレスの皺を軽く伸ばし、そのまま背筋も伸ばし……クイッと、母親を見上げた。



「ローゼリッテ」

「はい、お母様」


「貴女は、我が娘であると同時に、我が国唯一の王女であります。いずれは他国、あるいは定められた殿方に嫁いで、その家を守って行かなくてはなりません」

「はい、お母様」


「おおよそ、貴女の人生に自由というモノは存在しません。いえ、王家に生まれてしまった以上、王家に嫁いだ以上、私を含めて誰もが王族として生きる他ありません」

「はい、お母様」


「ですが……今ならば、子供である今だけは、些細なワガママに身を浸しても……許されると私は考えております」

「……はい、お母様!」




「たった一夜の事ではありますが……楽しんでいらっしゃいね」

「──はい!」




 満面の笑みで頷くローゼリッテに、王妃もまた満面の笑みを浮かべると、ケットへと軽く頭を下げた。


 それは、王家でも何でもない。1人の母親として、我が子に楽しんでもらいたいという……母性から来る行動であった。



「安心しろ、そう長くは時間を取らせん。咲いている時間はそう長くはないからな」

「まあ……それでしたら、私も見に行ってよろしいですか?」

「いや、それは駄目だ」



 ……そして。



「あら、それはどうして?」

「ローゼリッテにだけ教えるつもりだ。まあ、二人だけの秘密というやつだ……そうだろう、ローゼリッテ」

「──うん、私と、ケット様との二人だけの秘密ですわね!」



 満面の笑みで……普段の王家に生まれた淑女として振る舞う姿からは思いつかないぐらいに年相応の、少しばかり頬を赤らめた……娘の姿を見て。



「……うふふ、そうね、二人だけの秘密であるならば、仕方ありませんわね」



 残念そうにしつつも、そう微笑む王妃の姿は……間違いなく、娘を想う母親の姿であった。




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