第二話: 非の打ちどころがない美少女(ただし、尻は除く)



 ケットが暮らす世界には、地球と同じく気候や季節の違いがある。


 おそらく、星々の位置というか、そこらへんも地球と同じなのだろう。


 赤道から離れて北に行けば寒く、南の赤道へと行けば温かい。


 場所によっては四季がはっきりと分かれていて、場所によっては年間を通して暑かったり寒かったり……つまり、環境そのものは地球とそこまで違いはないわけである。



 ……で、そんな世界でケットは……だ。



 年間を通じて比較的温暖な気候が続く、南側の……世界最大規模の港町『フェルデーン』より少しばかり離れた場所に広がる、森林の奥深くにて、ひっそりと暮らしていた。



 どうしてそんな場所なのか……まず、森の中では他の人と遭遇する可能性がほぼないから。



 なにせ、ケットが住んでいるその場所の名は、『南の大森林』。


 世界で3つしか命名されていない『大森林』の内の一つ。


 名は正式に有るらしいが、『南の大森林』の二つ名が通り過ぎて、それが定着している……とにかく広大な森である。


 下手に奥深くに入れば二度と出て来られず、地元に住む猟師すらも常に位置を確認する必要があるぐらいで……だからこそ、ケットにとっては非常に都合が良いわけであった。



 そして、これはケットにとっては非常に重要なことなのだが。



 港、つまりは海に面したこの町は、日常的に潮風が吹きつけられているわけだが……この時に漂う、塩気の強い独特の臭いによって、ケットの体臭を誤魔化してくれるのだ。



 ……冗談のような話だが、ケットにとっては忌々しい問題である。



 原因は、例によって『美しさ補正+++』。


 これも後々になって推測を出したのだが……どうやらこの補正、単純に見た目だけに作用しているわけではないらしいのだ。



 曖昧な言い回しだが、この補正は全体に掛かるのだ。


 そう、例えば……店の料理に例えるならば、だ。


 盛られた料理だけでなく、料理を乗せた皿の造形、絵柄、置かれたテーブル、店の雰囲気、漂う空気、その他諸々全てに等しく補正が掛かっている。



 ……想像してみてほしい。



 如何に美味な料理であろうと、ひび割れて埃被った皿に乗せられていたら台無しだ。そういった料理でなくとも、悪臭が漏れ出て来るトイレの傍で出されたら台無しだろう。


 それと同じように、ケットの身体は常に美しく保たれている。体臭とて、その一つに過ぎない。



 ある者にとっては、思わず胸が疼く程に甘く蕩けて香り。


 ある者にとっては、むせ返る程に爽やかな香りだとか。



 これだけで我を忘れるといった事はないが、恋への後押しにはなってしまう。特に、酒などが入って脳が麻痺していた場合、かなりヤバい。


 おかげで、現在のケットの活動範囲は海に面したところばかりである。


 ちなみに、あくまで海に面した所だけ。何も考えずに南へ下りて気温の高い所に行っては行けない。えげつない事になるから。


 そして、北も駄目。土地柄故に密閉された空間の多い北側の土地へ向かえば……話を変えよう。



 ──いちおう、それ以外にもこの町を選んだ理由はある。



 その一つが、世界最大規模というだけあって、『フェルデーン』には様々な物が届き、この町より世界中に運ばれている……で、あるから。



 つまり、物流の中継点だ。



 当然ながら、その種類は多種多様。始めから売約済みの商品は多いが、これから売りに出そうとしている商品もまた、多い。


 そして、大半は日用品だったり食料品だったり貴金属だったりと、金を出せば買える代物だが……中には、金を出しても中々手に入らない珍品も出回ってくる。


 たとえば、魔法の書物とか、魔法のアイテムとか……そういうモノをいち早く手に入れる為には、やはり、港の近くに住んでいた方が良いわけである。


 ついでに、この世界ではゲテモノ扱いされる一部海産物を格安で手に入れることが出来る。前世より海産物大好きなケットにとって、鮮度の良い魚などは非常に魅力的であった。


 他には、他の町に比べて人の往来が多く、毎日のように見知らぬ顔が出て来るおかげで、よほど悪目立ちするような事をしない限りは町の者から見咎められない……という点だ。


 他にも、世界最大規模なだけあって、ここでは大勢の人間が働いている。さすがに、望めばすぐに仕事にありつける……とまではいかないが、他所で探すよりもよほど見つけやすい。


 故に、ここでは大勢の者たちが出稼ぎに来て、そして、同じぐらい故郷に帰る者がいる。中には留まる者もいるが、そうでなければ町の者もそこまで注意を払ったりはしない。



 そして……だ。



 600年間の時を経て様々な経験を重ねたケットとて、自力のみでは生きてゆけない。最低限、確保しておかなければならない金銭が必要なわけで。



 色々あった結果……うん、本当に色々あった結果。



 現在、ケットは……時折港にやってくる『変わり物の薬師』として町の者に薬を売りつけ、それで生計を立てて……長閑のどかな日常を送っていた。






 ……。


 ……。


 …………さて、そんな『フェルデーン』の現在の季節は夏。



 年がら年中蒸し暑い気候で安定している『フェルデーン』だが、実はそれでも僅かばかり四季というものが存在している。


 そして、薬草というものは得てして、そんな僅かな違いによって生育に大きな違いが生まれる……で、この時期にしか採取出来ない貴重な薬草が、この『大森林』には幾つも存在している。



 当然、それを目当てに、この時期に限り『大森林』に足を踏み入れる者たちがいる。



 例外(迷い込んでしまった者など)はあるものの、だいたいは同業者か商人か……あるいはそれらに雇われた冒険者や狩人である。


 当たり前だが、この『大森林』にあるものは基本的に(木々そのものの伐採は厳禁)早い者勝ちである。


 厳密には領主(ひいては国王)の物ではあるのだが、そこまでキツク締め付けたらあっという間に人々が他所へと流れて行ってしまう。


 なので、薬草や獣といった、日常的に消費されるモノを始めとして、よほど大々的にさえしなければ、いちおうは許す……といった暗黙のルールが制定されていた。



「……めんどくせぇ」



 ベッドにて、枕に顔を埋めたまま……ケットはため息を零す。


 これまた当たり前といえば当たり前だが、ケットもまた例外ではない。


 薬師の1人として金銭を稼ぐためには何かしらの糧を得て、それを町のギルド(公的かつ複合的な総合問屋みたいなもの)に引き取ってもらうなりして、生計を立てているわけである。


 そして、現在のケットの所持金はけして多くはない。なので、ケットはそろそろお金を稼がなければならないわけなのだ。



 ……ちなみに、それはケットに浪費癖があるからではない。単純に、入ってくる収入の頻度が少ないだけである。



 ケットの作る薬品は町でも評判であり、売りに出しさえすれば小一時間で完売するほどだ。なので、稼ごうと思えばもっと稼ぐ事は可能である。


 しかし、そうすると何処で『美しさ補正+++』が悪さをするか分かったモノではない。


 故に、ケットは周囲の者たちに『腕は良いが変わり者で、森の奥で研究に没頭している魔女』と思わせる為に、あえて行商の頻度を少なくしているわけである。





 ……はあ、と。





 しばしの間、枕にひたすら愚痴を零していたケットは……だ。


 それで、区切りを付けたのだろう。最後に特大のため息を吐くと共に、のそりと……何一つ遮る物のない裸体を起こした。



 ──仮に、だ。



 その光景を目にした者がその場に居たとしたなら……彼らは、いや、年齢性別の区別なく、誰もが見惚れ……思わず、言葉を失くしていただろう。




 それほどに、寝ぼけ眼の少女の、その姿は……美しかった。




 職人が一本ずつ手がけたかのような黄金色の髪。背中まであるうえに寝起きだというのに、癖一つ見当たらないソレは、窓より差し込んだ光を浴びてキラキラと輝いて見える。


 顔立ちは言うに及ばず、非の打ちどころが見当たらない。


 深き森を思わせる瞳、ツンと伸びた鼻筋はまっすぐに、紅を差したわけでもないのに唇は赤くて瑞々しく、すらりと形良い顎先は摩りたくなるほどに滑らかだ。


 それらを支える首も細いが、細過ぎず。赤子のようにシミ一つ無い肌には、ぷっくりと両手に軽く余る程度に実った乳房と、淡い色合いの尖り。


 ただただ、美しい。何時までも、眺めていたくなる。


 現実に、これ程の美人が存在しているのかと。


 神の手で産み落とされた人形ではないのかと。


 乳房や腰の細さだけを見れば妙齢の女体であるというのに、誰も己の目を疑ってしまうほどに清廉な印象を与えた……が、それも。



 ケットの腰から下を見れば、認識もガラリと入れ替わる。



 上が清廉であるならば、下は……妖艶といったところか。


 有り体に言えば、大きかった。


 だが、太いわけではない。


 一目で分かる、形の良い女の尻。


 健康的に成熟した女体にしか出せない、丸みのある臀部がプリッと柔らかそうに膨らんでいる。


 太ももから足首へと先に行くにつれて、モデルのようにキュッと細くしなやかに伸びているというのに、だ。


 お尻辺りが明らかに大きく、思わず頬ずりしたくなるほどに形良く……誰もが一目で安産型だと思わせる、見事な逆ハート形をしていた。



 ──これが、『ケツがデカい』の影響だ。



 本来であればただ大きいだけのところを、『美しさ補正+++』との相乗効果によって生み出されてしまった、エロスの凶器であり具現化したエロス。


 上半身だけを見れば、まだ少女と呼んでも差し支えないというのに。


 下半身はもう、大人だ。それも、形だけで美女だと判断される程に。


 上と下とではまるで印象が異なるというのに、それでも、異様なまでにマッチしたミステリアスな色気は……世が世なら、傾国と称されてもおかしくないほどであった。



「……はあ、嫌だなあ」



 とはいえ、どれだけ美しかろうが、それが自分の物ともなれば有難みも何も無い。文字通り、生まれたその時からの付き合いだし。


 元が男だったとしても、生を得てから既に数百年……見慣れ過ぎて有難みなど全く無い。


 思わず零れ出た愚痴を意識して抑えつつ、ケットは裸体のまま浴室へと向かい……汗を流し、出発の準備を始めるのであった。



 ……。


 ……。


 …………ちなみに、ケットがどうして裸なのかと言えば、それは単純に下着などに体臭が染み着くのを防ぐ為である。



 というのも、この世界。



 現代のような洗剤は存在せず、汚れ落としの成分がある植物を擦り込んで揉み洗いするしかない。当たり前だが、洗浄力は比べられないぐらいに弱い。



 すると……残るわけだ。ケットの体より分泌された汚れ……すなわち、『匂い』が。



 これの何がマズイって、この『匂い』、ドリアドネの性質と緑の超越者を合わせて生み出し放出している鎮静成分の香りをも貫通してしまうのだ。


 短時間ぐらいならば、良い匂いといった程度に受け取られるが、長時間になると、この鎮静成分では抑えきれなくなってしまう。


 ただ、匂うだけなら何の問題もない。しかし、そこに『美しさ補正+++』という絶世の美貌を持つケットが揃うと、ヤバいのだ。


 そして、この『匂い』、ケット自身はほとんど嗅ぎ取れないのである。ていうか、自覚出来る状態になったら、それはもう手遅れである。


 だいたいの人が自分の体臭に気付けないように、ケットもまた同様なだけなのだが……なので、だ。


 基本的(自宅内のみ)に裸で過ごし、外出の際には新品か、あるいは洗濯して丸一日天日干しした物のみを着るというルールを徹底した結果、今のスタイルに落ち着いた……というわけであった。







 ……この世界では、基本的に人々の移動は徒歩か馬車である。自動車は、言葉はおろか概念すら存在していない。



 なので、町から町へと移動を頻繁に行う商人であればあるほど、その恰好は長距離の移動に適したモノ……丈夫で洗いやすく、肌を隠せる長袖長ズボンが多くなる傾向にある。


 理由としては街中で着るようなお洒落優先のモノだと、すぐ駄目になってしまうからだし、悪目立ちしてしまう。


 それに、いざ獣や野盗に襲われた時、薄っぺらい一枚があるかどうかで多少なり違いが出る時もある。故に、肌を隠す恰好が基本となるわけだ。


 まあ、他にもそういった商人間に伝わる常識というか、そういう恰好はフットワークの軽さを表していたり、その時その場所によって意味合いが異なり……まあ、色々あるわけだ。


 ……とはいえ、年間通して高温多湿の『フェルデーン』にて、その恰好でいるのは辛い。特に、今の時期は慣れた商人であっても辛い。


 故に、『フェルデーン』ではローブを見に纏ったままの商売が慣例的に許されている。つまり、露見さえしなければ何処も見て見ぬフリするよ……というわけだ。


 現代で言い直すのであれば、他所だとスーツを着てビジネスマナーに則った振る舞いが求められるが、『フェルデーン』ではラフな格好でOK……といった感じだろうか。


 厳密には少しばかり違うらしいが、とりあえず、ケットとしては……だ。



 ──どうしても窮屈な感じがして、嫌だ。



 とまあ、そんな理由から長ズボンにお尻を押し込むのが嫌いなので、それも含めてこの暗黙のルールは喜ばしい限りであった。



(えっと、身嗜みヨシ、商品ヨシ、戸締りヨシ……うん、準備ヨシ)



 ぎっしり中身を詰めた大きなリュック。忘れ物がないかを確認し終えたケットは、次いで、大きめのローブでグルリと全身を覆い隠す。


 日陰である家の中ならともかく、サンサンと日差しが降り注ぐ野外にてコレをするのは準備がいる。対策は施しているので、暑くはない。


 他所から見れば、雨の日でもないのにと首を傾げられそうな光景だが……これも、必要な事なのだ。



「……さて、と」



 全ての準備を終えたケットは、家より少しばかり離れたところにある……人の身体よりも倍以上はある巨大な花の前に立つ。


 ついで、『緑の超越者』のスキルを発動──すると、くぱぁと花びらが開いて……その奥より覗いた空洞へ、ケットはスルリと吸い込まれた。



 続けて、リュックもスルリと……ケットが花に食われた──いや、違う。



 これは、植物モンスター『デッドエンド・フラワー』を利用した移動である。伊達に長生きはしていない、現在のケットは植物系のモンスターに限り、自由自在なのである。


 で、この『デッドエンド・フラワー』なのだが、全長数十キロメートルにも及ぶ胴体というか、『根』を持つ。


 先ほどの花弁は、言うなれば囮である。地中に広がる根の地上にて、毒性の強い甘い果実を実らせ、獲物をおびき寄せて食させ、殺す。


 獲物をその場で殺す必要はなく、己のテリトリー内で死ねば、そこに根を伸ばして地中へと引きずり込み、十数日ほどかけてゆっくりと吸収する……という狩りの方法を行う。



 ケットは、そのフラワーの『根』を通り道として利用している。



 この根は太いところでは直系1メートルほどもあり、痛覚も一切無い。普段は血管のぜん動よろしく、脈動に合わせて様々な体液が運ばれている。


 なので、『シールドバリア』等で全身を防御すれば、そのままケットの身体は血液のように伸ばされた根の先へと運ばれる……というわけだ。


 もちろん、これが出来るのは『緑の超越者』を持つケットだけであり、常人がやればそのまま消化されるか、酸欠で息絶えるか、あるいは脱出してもそのまま生き埋めになるか……なのだが、と。



 ──すぽん、と。



 体液と共に、出口として設置しておいたフラワーより、ケットの身体が地中よりポンと噴き出す。


 ケットの周囲には行きの時と同じく森が広がっているけれども、少しばかり先には森林が途切れていて……その先、かなり遠くの方に、『フェルデーン』を囲う外壁が見えた。


 真っ暗な空間から明るい外へと飛び出した事で、軽く目が眩んだが、これもすっかり慣れたモノ。


 人の目が周囲に無い事を素早く確認(いちおう、隠してある)したケットは、少し遅れてポンと吐き出されたリュックの無事を確認……してから、懐より取り出した仮面を装着。


 匂いもそうだが、一番危険なのは顔だ。顔を見られると、高確率で面倒事に発展するので……ヨシ! 


 全てを確認し終えたケットは、よいしょとリュックを背負い……テクテクと、『フェルデーン』へと歩き出した。


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