第七話: 厄介事は向こうからやってくる
そうして、王族(仮)と別れてから……早5ヵ月ほどの時が流れた。
その頃にはすっかり王族の事など忘れ去っていたケットは、何時もの生活……自宅に引きこもって魔法の研究に勤しみ、実験を行い、時々気紛れを起こして違う事をしたりしていた。
気付けば季節は夏を過ぎ去り、秋の真っただ中に突入している。『大森林』の景色はあまり変わりないが、よくよく見れば落ち葉の数が以前より増えたような気がする。
とはいえ、『フェルデーン』の四季は他方に比べて緩く、年間を通して温暖な気候なので、秋と言われてもそこまで強く実感することはないだろう。
その証拠に、以前に比べて住民たちが一枚多く衣服を着こんでいる。
まあ、一枚といっても、薄いカーディガンみたいなものだし、大半は恰好が変わっていないが……とにかく、季節は秋に移り変わり、冬の気配がじんわりと感じ取れるようになった。
──そんな時、ケットは……明らかに貴族と思われる老年の男より声を掛けられた。
……。
……。
…………よし、唐突過ぎるので、話を少しばかり戻そう。
まず、ケットはその日、何時ものように行商をしに『フェルデーン』にやってきていた。
これまた何時ものように、資金が底を尽いたからである。売る物は、何時もと同じく薬品と果実酒。
他には、たまたまタイミングよく仕留めて内臓を取り除き、乾燥させた蛇の干物だ。
一部では珍味として知られており、精力剤としての側面がある薬である。
で、これまた何時も通り……早々と酒は売れて、その後は緩やかに薬が売れていった。
他の者たちにとっては5か月ぶりに姿を見せたという感じだが、ケットにとってはちょっと足が遠のいていたなという程度の感覚である。
ちなみに、この日トールマンは居なかった。
まあ、前回のアレは臨時の店番なので居ないのが普通だから、ケットも全く気にしていなかった。
……で、だ。
貴族と思われる老年の男がケットの店を訪れたのは、時刻は昼を少しばかり回った頃。
昼食代わりにリンゴの擦りおろしを食べていた(飲んでいた、の方が正しいのかもしれない)、その時であった。
「──ケット様でございますか?」
フッ、と。
影が差したので顔を上げたケットは、己を見下ろす……それはそれは品の良さそうなお爺さんの登場に、目を瞬かせたわけであった。
と、同時に、こいつはそこらの貴族ではないぞとケットは瞬時に察した。
恰好は、普通だ。オーダーメイドらしい一張羅に、素人目でも金が掛かっているのが一目で分かる、装飾細やかなローブ。
白髪が目立つけれどもキッチリ整えられていて、解れ一つない。胸元に下ろした帽子もそうだが、頭の先から足の先まで、見られるのを念頭にした装いをしていた。
何と言えば良いのか……これまで見て来た貴族とは格が違うと思った。
単純な力ではない。胆力とも言うべき、心身より伸びる根のような……力強いナニカを、ケットは感じ取った。
「……誰だ?」
「これは失礼。
「……ヴァン?」
言われて、少しばかり記憶を探ったケットは……ああ、と手を叩いた。
「あの時の男の執事……なんだ、やはり貴族とかそういう家柄の男だったか」
聞き返せば、セバスチャンと名乗ったその品の良い老人は一瞬ばかり驚いた様子で目を瞬かせ……そのまま、フッと意味深に微笑んだ。
「恐縮でございますが、少々お時間を頂戴してもよろしいでしょうか? もちろん、料金をお支払い致します」
「……ふむ、そうだな」
──あ~、これ、ただのお礼だけじゃないな。
表面上は、あくまでも平静に。
けれども、内心では頭を抱えて……ケットは、あえて気の無い返事をした。
短いが、今の言い回しで嫌でも察せられた。
これは……先日に関する、ただのお礼や挨拶ではない。
非常に厄介というか、デリケートな問題をこちらに持ちかけようとしている。
そうでなければ、いくら見栄と面子が大事な貴族とはいえ、わざわざ金を出したりはしない。
金を出す時点で、何が何でもケットをこの場より連れ出したいという意思の表れである。
……さて、困った事態だ。
執事とはいえ、当人の代理で接触を図った時点で、この執事は貴族も同然。下手に断れば、ケットが貴族の命令を一方的に蹴ったという状況になりかねない。
つまり、貴族の面子を潰したと捉えかねないのだ。
一般人からすれば、ただ単に断られただけだろうといった感じだろう。顔も名前も知らなかった相手から、いきなりちょっと面貸せと言われて、笑顔で行くやつはそう多くはないのだ。
でも、これが貴族ルールなのだ。
一部の貴族は、滅茶苦茶な事だとは理解している。だが、貴族というのは、言うなれば武士。ナメられたら負けで、ナメられたら徹底的に分からせるのが基本なのだ。
「そうだね、ここにある商品が売れた後でいいかな? 生活が掛かっているからね、売れないとこちらも困るのだよ」
なので、ケットは……背に腹は変えられないという理由を前面に出した。
ここでセバスチャンが無理を通せば、この貴族は庶民の生活なんぞ気にも留めていない人物であると表明するも同じ。
少なくとも、何かしらの命令を受けているはずの執事は、こちら(ケット)より悪い印象を持たれたくないと考えているはず。
とにかく、時間だ。
魔法を使うにしても、逃げるにしても、考える時間が欲しかったケットは、その言葉でもって猶予を作ろうとした。
「では、全て買い取りましょう」
──が、しかし。
相手は、ケットの想像以上に本気だった。
優しく目の前に置かれた皮の袋から、ちゃりんと音がした。袋は、外側からでもはっきり分かるぐらいに、パンパンに膨らんでいた。
──あ、これはヤバい。
堪らず、言葉を失くす。仮面の下で、ギョッと目を見開いたままのケットは……おそるおそる、袋の中身を見て……内心、先ほど以上に頭を抱えた。
何故なら……袋の中身は、ケットが一回の行商で得られる金銭の……約20回分の金貨だったからだ。
「……多過ぎる」
「お手数はお掛けしません。どうか、お話だけでも出来ないでしょうか?」
深々と……それはもう、深々とセバスチャンは頭を下げた。
そうすると、困るのはケットだけでなく……ケットの両隣で店を開いている者だ。あとは、通行人ぐらいだろうか。
時間が時間なので店を閉められず、かといって、とばっちりは受けたくない。
両隣の店主の顔が、明らかに嫌そうに歪んでいた。
……。
……。
…………こうなれば、もうケットに断る選択肢はない。
とりあえず、せめてもの意思表示と抗議の意味も兼ねて、代金分の金貨だけを取り出して、革袋を投げ返しつつ……ゆっくりと、折り畳み椅子より腰を上げた。
そうして、場所を移して……とある屋敷の一室。
もちろん、ただの屋敷ではない。金持ち御用達というか、特別な者たちが利用していると噂されている、『フェルデーン』でも有名な屋敷である。
言うなれば、『フェルデーン』に住まう者でも、周辺に近付くだけで睨まれてしまうような場所というわけだ。
ちなみに、『フェルデーン』の中でも、富裕層ばかりが住まう地区の一角にそれがある。周囲を衛兵や門番が囲っている、陸の孤島みたいな感じである。
……で、そこへ案内されたケットは、だ。
何から何まで金が掛かってそうな、内装の中央。庶民の年収一年分でも変えなさそうな豪奢な椅子に腰を下ろし、これまたお高そうなテーブルに置かれた……湯気立つ紅茶と、ケーキ。
……出されたコレだけで、どれだけの金が飛ぶのだろうか。
仮面の下で、内心、ケットは頬を引き攣らせていた。
立ち昇る香りもそうだが、年間通して暑い『フェルデーン』において、実はケーキ等の冷蔵設備が必須なデザートは総じて高級品である。
『猫のお宿』の最上級の部屋に泊まった時でさえ、ジュースが一杯出される程度。というか、あの時出されたジュースはちょっと冷たい程度だった。
熱くするならともかく、この世界では冷やすという行為は、魔法や魔法道具を用いて冷やすか、冬の時期や雪国ぐらいしか出来ない事なのである。
「──ケーキは、お嫌いですか?」
黙って見つめていると、テーブルを挟んで対面に座ったセバスチャンより尋ねられた。
「いや、嫌いじゃないよ。ただ、こうまで至れり尽くせりだと、どうにも何をされるのか怖くてね……」
「なるほど、ですが、他意はありません。それを食べたところで、それを理由に無理強いをするつもりはありません」
「……そうか」
ニコニコと微笑んだままでいるセバスチャンの反応に……一つため息を零したケットは、仮面を僅かに持ち上げる。
そして、おそらくはケーキ用の小さなフォークを手に取り……露わになった唇へと、一口、ぱくり。
(……思い返せば、前世以来のケーキ!)
少し間を置いてから、ケットは……堪らず、仮面の下でにんまりと笑った。経緯は何であれ、思いがけない懐かしい味わいに、頬が緩んでしまうのを抑えられなかった。
──というのも、このファンタジー世界。
文明レベルというか様々な事情故に致し方なしなのだが、『料理』という分野があまり重要視されていないのだ。
この『料理』というのは、つまるところ、『美食』である。
一定水準より上になれば、現代レベルの味を知っているケットも『まあまあイケる』というぐらいになるのが、下は本当に酷い。
新鮮な海鮮を得られる『フェルデーン』はまだマシで、全体的に見れば、食事=腹を満たすという考えが根強いのだ。
いや、『フェルデーン』も土地柄的に恵まれているだけで、根っ子は他所と五十歩百歩。
魚介類から取れるエキスを除けば海より採れる塩ぐらいしか、調味料が無いのだから。
……香辛料?
アレは、高級品である。
砂金=胡椒みたいな取引はされていないが、買おうと思っても中々手が伸びないぐらいには、お高いのだ。
基本的に塩味大好きなケットだからこそ大満足しているが、仮にケットと同じ転生者(それも、日本人)がこの世界に来たなら……おそらく、メシの不味さに精神を病んでも不思議ではないだろう。
そして、それは……『甘味』にも同じ事が言える。
この世界の甘味は、とにかく甘いのだ。というより、甘い=美味いという認識すらあるのかもしれない。
甘さ控えめ素材の味などという言葉は存在せず、とにかく大量の砂糖を使えば全部お菓子……そういう認識でもあるのだ。
まあ、ケーキに限らず菓子などに使う砂糖の量は、実際の話、ドン引きする量だけれども。
何にせよ、砂糖そのものが効果なので、必然的に砂糖を沢山使える=美味いという図式が成り立ってしまうという背景があるから、一概に間違っているとは言えないわけであった。
「……ケット様は、フォークの扱いがお上手なのですね」
しばしケーキの味を堪能していると、唐突にセバスチャンより尋ねられた。見やれば、感心した様子でケットの手付きを見つめていた。
「上手も何も、幼子でもフォークぐらいは使えますよ」
「ただ突き刺すだけならば、そうでしょう。ケーキのように柔らかいモノを食べた経験が無い者は、突き抜けたりフォークから落としたり、先端を皿に当てて音を立てたりするのです」
「ふ~ん、そうなのか」
「それに比べて、ケット様は非常にお上手です。必要最低限の力で、ほとんど音を立てていない……さすがは『大森林の魔女』、感服致しました」
「……お世辞はいい。それで、私に何の用があるのかな?」
現代の前世を持つケットにとって、ケーキの食べ方が上手いなんて言われても喜べるモノではない。
言うなれば、子ども扱いされたも同じで……内心は分からなくともケットが不機嫌になりかけているのを察したセバスチャンは、すぐに居住まいを正すと。
「ケット様にお願いがございます。ヴァン様の母君……病の治療に、ご協力していただきたいのです」
「おや、お礼ではなかったのかい?」
茶化すように問えば、セバスチャンは申し訳なさそうに視線を落とした……あ~、うん、意地悪が過ぎたな。
「……協力と言われても、私は医者じゃない。薬師を名乗っているとはいえ、王都の学校に通った事もないモグリの薬師だ」
一つため息をついて、ケーキをぱくり、ぱくり、ぱくり……紅茶を一口。
「学位など、病を治せないのであれば何の意味もございません。必要なのは知識と腕だと私は考えております」
「なるほど、中々な口説き文句だ……ああ、おかわりはいらないよ」
いつの間にか部屋に入って来ていたメイドを手で制止しつつ……さて、と考える。
(治療に協力するのはやぶさかではないが、相手は王族……何事もなければ良いのだが……まあ、可能性は低いだろうな)
くぴっ、と紅茶を一口。
(王族や貴族なんて、人を顎で使う事が当たり前の環境で育ったやつらの集団だからな……まあ、貴族の中でも貧乏なやつは多少違うけど)
とはいえ、基本的に王族や貴族というやつは、自分たちの命令に下々が従うのを当然の事だと認識している。
少なくとも、ケットがこれまで出会ってきた尊き御方たちは、その肩書とは裏腹に、唾を吐き付けたくなるようなやつらしかいなかった。
眼前のセバスチャンは……現時点では、何とも言えない。
用件が事実であるならば致し方ないとは思うが、商人以上に人の生き死にを数字で考える者たちだ……信じる理由にはならない。
(でもなあ……事実なら、無視するのは可哀想だし、助けたいという思いを無下には出来ないし……)
しばし、考える。
報酬を貰えるならば貰うが、そこまで金に困っているわけではないし、勲章や爵位だっていらない。
というか、下手に貰って貴族(要は、子飼いの部下)扱いされるのは嫌だから、提示されても断るつもりだ。
……。
……。
…………まあ、助けられるのであれば、助けてやろうか。
そう、結論を出したケットは……改めて居住まいを正すと、同じく居住まいを正したまま様子を伺っているセバスチャンを仮面越しに見やった。
「条件が有る」
「出来うる範囲で、最大限に答えましょう」
「本当かい? それは、君の後ろにいる尊き人たちより諸々を承認されていると思ってよいわけだね?」
一瞬ばかり、セバスチャン(あと、控えているメイドも)の目じりがピクリと動いた。
「……お気付きでございましたか?」
「口調こそ荒っぽい部分はあるが、冒険者にしては立ち振る舞いが上品で、商人にしては無謀過ぎる。で、あれば、貴族などの末席に籍を置く男だろうなとは思っていた」
「全て、お見通しというわけでしたか」
「というより、隠すだけの余裕がなかったのだろう。まあ、死にかけていたのだからな、まだ貴族らしい振る舞いを表に出さなかっただけ上等だろうよ」
苦笑するセバスチャンに、ケットは……ニヤリと仮面の下で微笑んだ。
「なれば、私が求める条件も察せられるだろう?」
「報酬として、金銭を。合わせて、貴女様をこちらには一切巻き込まない。これで、よろしいでしょうか?」
「うん、上出来だ。あとは、珍しい魔本(まほん:魔法の本のこと)でもあれば、見せて貰えると嬉しいね」
「……申しわけありません。魔本に関しては、私の一存では……」
「そりゃあ、そうだろう。まあ、見せて貰えたら御の字程度に考えておくよ」
──『魔本』というのは、その名の通り魔法に関する事を記した本のこと。
言うなれば、特定の魔法の発動方法と、その取扱い全般を記した本だ。
ロウソク程度の火を灯らせるモノから、天変地異を引き起こすモノまで、様々。
当たり前だが、庶民でも手に入れる事が可能な魔本もあれば、城の宝物庫にて厳重に管理されているモノもある。
なので、見せて貰えば御の字というのは皮肉でも何でもなく、本当に見せて貰えたらラッキー……という程度の話であった。
「それで、出発は何時だ? 出来るなら、これまでの治療に使われている薬草や薬品のリストが有ると助かるのだが……」
「出来うる限り、お早く。リストは、こちらになります」
メイドより、スッと差し出された数枚の紙を受け取ったケットは、素早くそれらに目を通し……顔をあげた。
「これらの薬は、全てそちらで用意されているのか?」
「はい、ただ、名前の横に赤い点が打たれている物は切らしておりまして……時期が時期なので、手に入る目処が立っておりません」
「そうか……よし、分かった」
ふむ、と、一つ頷くと。
「出発は明日だ。今日は家で準備をしてくる……また、ここに来たらいいのか?」
「いえ、『フェルデーン』の正門前にてお待ちしております。馬車で、約7日を予定しております」
(馬車で7日……けっこう飛ばすのだな)
一般的な馬車なら、天気などのその時の状況により、9日から12日は掛かる距離だった覚えが……まあいいか。
満面の笑みを浮かべるセバスチャンと握手をしながら……どうか、穏やかに解決しますようにとケットは心の中で祈るのであった。
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