第六話: 気づいていなければ、知らないも同じ




 ──非常に、厄介な事になった。




 あれから、3時間ほど。気付けば、外はすっかり昼間の温かさで満ち溢れている。


 手早く窓を開けて換気を行いつつ、無造作に散らばった空瓶や食べかけの保存食(まあ、食料なんて一つも持っていなかったし……)の片付けを終えたケットは……湯気立つお茶の香りに少しばかり心を安らげつつ、未だ眠っている男を見やる。



 ──本当に、厄介な事になった。



 そうして、幾度となく思い浮かべ続けている言葉を、改めて思い浮かべながら……ケットは、頭を抱えたくなった。


 常識的に考えて、ケットの懸念は当たり前の事である。


 何せ、ここは『大森林』。御付を1人も付けず(道中、死んだ可能性はあるけど)に居るのもそうだが、そもそも『大森林』に居る時点でおかしい。


 城がある王都ならばまだしも、だ。


 いや、その王都からも、かなり離れている……だけれども。


 有名とはいえ、港町でしかない『フェルデーン』に姿を見せただけでも大事になるというのに、命に危険が及ぶ『大森林』に入るとなれば……もっと大事になっているはずだ。


 だが、ケットは王族が来ているなど知らなかった。


 おそらく、『フェルデーン』の皆も知らなかった。知っていたら、誰かが教えてくれるはずだし、もっと騒ぎになっているはずだ。



 ……と、なれば、だ。



 王族がこんな場所に居る理由は、行楽を兼ねたお忍び……もしくは、別の理由でこの『大森林』へと入って、御付の者とはぐれてしまったか。


 あるいは……そうしなければならない理由があって、あえて独りで『大森林』の中に……あ~、うん、止めよう。


 ──そこまで考えた辺りで、ケットはひとまず思考を切り上げ……今後の事に思考を傾ける。



(……『ホクウォー国』が何処ぞの国といざこざを起こしたって話は聞かない……町では誰も、噂話すら表には出ていなかった……)



 『ホクウォー国』は、『フェルデーン』を始めとして、この辺り一帯を統治している国の名前だ。


 つまり、現代の言葉で言い直すのであれば、ホクウォー国のフェルデーン県……といった感じだろうか。


 で、ケットの記憶が正しければ……周辺国含めて、一昨年も去年も今年も作物の実りが十分だったので、どこもわざわざ戦端を開く愚挙は犯していなかった……はず。


 ……と、なれば、だ。



(これ、もうアレだよ……明らかに、政権争いだよ。あるいは、後継者争いか? やるんなら王都でやれよ……)



 考えられる原因に思い至ったケットは……深々とため息を吐いた。



 ……とりあえず、本物であると仮定して動こう。まず、面倒だと思って見捨てるのはマズイし、ヤバい。



 王族がこんな場所に居る時点でもヤバいのに、御付が1人もおらず、未だに応援が駆けつけて来ない時点で更にヤバい。


 気付かないままに目の届かぬところで死亡したならばまだしも、この状況でそれをやるのはマズイ。


 万が一、お偉方の誰かが、○○がここに向かうのを見た……とか言い出したら、その瞬間からケットは指名手配だ。


 単純に事情聴取で済むなら良いが、まず間違いなくそうはならないだろう。


 状況から見て、ケットを大犯罪人に仕立て上げた後、義憤に駆られたこの男は仲間を連れて乗り込んだが、返り討ちにあった……という感じだろうか。


 この男の立場がどのようなモノなのかは知らないが……まあ、その死すら何かしらの思惑の果てなのだろう。


 そうならなくとも、おそらくケットは別の形で利用される。『大森林』の中で長らく1人暮らし魔女なんて、むしろ利用されない方がおかしいだろう。



(……出来るなら、王族であっても末席の末席ぐらいの人でありますように)



 それならば、事情は分からないが運良く遭遇したので助けた……という体で終わらせられるかもしれない。


 とにかく、王族のドロドロとした政権争いに巻き込まれないよう祈りつつ……ジッと、男が目覚めるのを待った。



 ……。


 ……。


 …………そうして、さらに小一時間ぐらいが経った頃。



 むくり、と身体を起こした男は、ぼんやりとした顔で周囲を……正確には、室内を見回していた。


 その中には、当然ながらケット(仮面諸々装着済み)が居る。


 けれども、薬の影響からか、まだ意識はハッキリしていないようだった。


 ……そのまま、たっぷり5分程が経ったあたりで、ようやく。



「誰だ、お前は?」



 我に返った男が、問い質してきた。


 その手は流れる様に腰の……剣が無く、ケットが持っているのを見て一気に目付きが鋭くなったが……ケットの返答は、特大のため息であった。



「誰だとは異な事を言う」

「なんだと?」

「それは、私の台詞だ。私の家に勝手に入り込んで、私の作った薬と保存食を食らい、があがあ鼾を掻いて寝ていたのは何処のどいつだ?」

「……ここはお前の家なのか?」



 よほど、返答が意外だったのか。


 あるいは、顔どころか全身を隠している怪しい風貌から飛び出した女の声に面食らったのかは定かではないが……男の目は、驚きに見開かれた。



「──いや、すまない、言葉を間違えた」



 直後、ハッと遅れながらも状況を理解した男は……ケットに向かって、深々と頭を下げた。



「すまない、あまりの空腹と痛みに耐えかねて、盗み食いをしてしまった。主が帰って来るまで起きているつもりだったが……非は、間違いなくこちらにある」

「……あ~、まあ、いいよ。アレを飲んで爆睡したということは、それだけ身体が弱っていたってことだから……人助けと思うことにするよ」

「そう言っていただけると、こちらとしても有り難い……この恩、いずれ報いよう」



 ──いや、止めてね、王族のその言葉は胃が痛くなるから。




 反射的にそう言い掛けたケットではあったが、喉元辺りで抑え込んだ。


 とりあえず、現時点では正体には気付いていないという体を取れる。


 実際、今更ながら気付いた男が、ケットの視線から逃れるように背中を向けて……うん、ペンダントを確認している。



 ……良かった、ペンダントを元の位置に戻しておいて。



 嫌な予感を覚えて偽造工作をしたが、それが上手くいったようだ。まあ、王族に限らず貴族に対して敵意を抱いている庶民はそれなりに居るから。


 そんなわけで、目に見えて安堵のため息を零した男は、改めて居住まいを正すと……ケットへと軽く頭を下げた。



「自己紹介が遅れた。俺の名は……ヴァンだ。しがない冒険者だよ」



 ……名乗るまでの、意味深な空白の時間、やめてね? 



「そうか、私の名はケットだ。ときおり『フェルデーン』へ行商に向かう、引きこもりの魔女だよ」

「魔女!? ということは、貴女が『大森林の魔女』なのか!?」



 ──え、なんて? 



 何やら興奮し始めた男……ヴァンの反応に内心引きつつも、その二つ名は何だと尋ねれば……まあ、アレだ。



 どうやら……知らぬ間に、ケットは有名人になっていたようだ。



 理由としては、ケットが作る薬品(種類問わず)は非常に質が高く、とある貴族の病をすぐに完治させた事がキッカケで有名になったらしい。


 ケットとしては貴族に売った覚えなどないが、それはほら……商人から商人へと流れた結果、最終的に貴族へと渡ったのだとか。


 それで、一部の貴族はケットの行方を探し、強引に召し仕えさせようと動いていた……らしい。


 あとは、ケットが常に顔を隠していることもあって、その中身を暴きたいという貴族特有のアレな理由もあったのだとか。


 だが、滅多に町に出てこないうえに、下手に誘いを掛けると他所の国に行かれる可能性があるので、今は放置されている……とのこと。



 ……とりあえず、今は捜索されていないのか。



 思わぬところから思わぬ情報を得たケットは、内心にて溜息を零した。


 この地は気に入っているし、離れがたい諸事情もあるから、出来るのであればこのままが望ましいところである。



「……何だ、私の薬はそんなに有名になっているのか?」

「有名も何も……ちょっと待て、貴女は自分が何を売っているのか理解しているのか?」



 ふと、気になって尋ねてみれば、ヴァンは心底驚いた様子で、逆に問い返された。



 ……。


 ……。


 …………いや、理解も何も……ねえ? 



「怪我に効く薬と病全般に効く薬と酒ぐらいだが……それがどうしたのだ?」



 思っていることをそのまま伝えれば、何故か……途端に頭を抱えたヴァンは……何かを考え込むかのように唸った後、おもむろに顔をあげた。

「魔女様」

「なんだ?」

「これだけは覚えておいてください」

「何を?」

「貴女の作る薬は全て、王都では一つあたり金貨十数枚辺りで取引されています」

「……そうなのか? それにしては、売れ行き事態はゆっくりなのだが?」

「おそらく、暗黙の協定でも結ばれているのだろう。下手に殺到して嫌がられるよりは、だろうね」

「……そう、なのか?」

「あくまでも、俺の憶測だよ……ところで、『フェルデーン』では……そうですね、薬水は一本いくらで販売しているのですか?」

「銀貨3枚」

「えっ?」

「銀貨3枚。乾燥薬なら、銀貨1枚だ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……どうした、毛虫を踏んづけてしまったかのような顔をしているぞ」

「いえ……お気遣いなく。その、これはただの戯言なのですが……値段を上げようとは思わないのですか?」

「何故だ?」

「あれ程の秘薬を善意による安価で売っているというのに、一部の商人たちはそれを100倍以上吊り上げている……憤りは感じないのですか?」



 そう問われたケットは……そういう見方もあるよなと内心頭を掻いた。ちなみに、善意は全く無い。



 とりあえず、己の作る薬が評価されるのは、素直に嬉しい。


 しかし、それはそれ、これはこれ、だ。



 現代(前世)の知識があるケットは、それが商売であることを理解している。そして、ランニングコストというモノを知っている。


 それだけ名が知られているということは、それを狙う者たちが現れるということ。そこに怒りは覚えるが、それ自体は仕方がないことだと思っている。


 そして、そんな者たちから身を守る為に人を雇うだろうし、人を雇うということは、その分だけ経費が掛かるということ。


 利益を出す為には、それらを上乗せした料金で売らなければならないわけで。


 金貨十数枚が妥当かどうかは不明だが、それほどのリスクに見合うリターンが無ければ商人たちは動かないだろうから、それも仕方ないよね……というのが、ケットの正直な気持ちであった。



 だから……素直に、ケットは何も感じていないと告げた。



 ケットとしては、わざわざ値段を上げなくても必要な分は得られている。不必要な値上げは、お互いに良くはならないだろう……と、思ったわけである。



「……魔女様はお優しい御方なのですね」



 すると、何故か優しく微笑まれた。


 ケットとしては、どうしてそこで微笑まれるのかさっぱり分から「あ、ところで──」ない……おっ? 



「これは俺の好奇心なのですが、どうして薬水だと値段が上がるのですか?」

「え? 水にいちいち溶かして飲むのは面倒だろう?」

「はい?」

「だから、面倒だろう? いちいち粉末にするのは大変だからな……あと、味も良くしているから、手間賃含めて銀貨を追加2枚だ」

「……そ、そうですか、分かりました、長年の疑問が解決しました」

「よく分からないが、疑問が晴れるのは良い事だ。ところで、腹は空いているだろう? 簡単なモノならば用意出来るが……どうする?」

「……ありがたく、いただきます」



 疑問が解決したというわりには、苦虫を噛んだ顔ではあったが……まあ、色々と考える事があるのだろう。


 なんてったって、王族だし。関わり合いたくないけど、元気に森の外へ出したら、後は放って置けばよい。


 そう、結論を出したケットは……適当にサンドイッチでも作るかと考えながら、台所へと向かった。






 ……そうして、昼前。



 朝食の後、回復薬による副作用がヴァンの体より完全に抜けたのを改めて確認したケットは……ヴァンを背負ったまま、ぴゅーんと『大森林』の上空を飛んでいた。



 お前そんな事も出来るのかと思うだろうが、実は出来るのだ。



 しかし、疲れるからしないだけである。


 自分一人だけならば、『デッドエンド・フラワー』を利用すれば良いわけで……まあ、さすがに生きて出られないだろうからという、ケットの優しさであった。


 行き先は……王都方面へと面している森の境目付近。そこから先は、仲間(意味深)がいるから大丈夫……とのこと。


 まあ、王族だし。


 魔法も剣術も学んでいるようだし。


 ゴロツキに絡まれたところで瞬時に返り討ちが可能な実力であるのは疑いようがないので、それ以上は触れなかった。



 ……で、だ。



 必要だとはいえ、この姿勢……『美しさ補正+++』を持つケットにとって、非常に問題が生じる状態……なのだが。



 ……今回ばかりは、何の問題もなかった。



 と、いうのも、だ。


 まず、ヴァンはそんな事を考える余裕は全くなかったのだ。というか、考えが脳裏に浮かぶ事すらなかった。


 何故ならば……ヴァンは明らかに怯えていたからだ。


 傍から見ればそれは、背負っているというよりは、ヴァンがケットにしがみ付いているというのが正しいのだろう。


 いや、実際に、それが正解であった。


 何せ、ヴァンの顔色は真っ青だ。事前に『魔法によって落ちないから』と何度も念押しされているのに、コレだ。


 この森を突破してくるだけあって、度胸はあるのだろうが……空を飛ぶという未知には弱いようで、既に悲鳴すら上げられず、ひたすら歯を食いしばって我慢しているようだった。



 ……いや、まあ、気持ちとしては分かるのだ。



 高さ数十メートルより命綱無しで飛ぶだなんて、絶叫系アトラクションに慣れた現代人ですら失神しかねない恐怖だ。


 落ちれば、重傷は確実。奇跡的に軽傷で済んだとしても、そんな状態でモンスターと遭遇すれば……待っているのは、確実な死だ。


 ましてや、空を飛ぶ=鳥という発想しかないこの世界の人達にとって、それは刃を向けられる以上の恐怖だったのかもしれない。


 そんな状態なので、ケットより伝わる匂いや温もり、ローブ越しとはいえ女体特有の感触に胸をときめかせる余裕など皆無であり、ただただ目的の地点へ到着するのを祈るばかりであった。


 なので、ケットもそういった意味では気楽に空を飛んでいた。


 渾身の力で抱き締められているので息苦しいが、それは長生きした魔女。魔法によって防御しているので窒息することもなく、ぴゅーんと空を飛び続け。


 ……時間にして約一時間後ぐらいに、ようやくヴァンは地面へと降り立ったのであった。


 その際、身体中を強張らせたヴァンは、そのままの姿勢で腰を抜かしてしまい……しばらく立てなかったことを、此処に記しておく。






 ……。



 ……。



 …………ちなみに、話をだいぶ戻すが、銀貨1枚が現代に直すと1万円ならば、金貨1枚は100万円ぐらいである。


 つまり、3万円の商品が他所では1000万円以上で売られているというわけで……まあ、それだけである。



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