第五話: 自宅が安全地帯である保証は無い
……。
……。
…………で、翌日。
朝の喧騒を嫌がったケットは、まだ人々が眠りについている早朝(僅かばかり、日が登っていた)にはもう、宿を後にした。
もちろん、事前に話は通してある。
静まり返った宿を出て、人通りのほとんどない外へと出たケットは、小走りで町の外へと通じる検問へと向かう。
時間が時間なので、非常に眠そうな門番(ジェイクではなかった)より形式上のチェックを終えたケットは、周囲に注意を払いながら『大森林』へと向かう。
行きの時と同じ場所へとたどり着くと、改めて周囲を確認した(魔法含めて)後で……再び、『デッドエンド・フラワー』による地中移動にて、自宅へ。
そうして、『フェルデーン』に住まう人たちが1人2人と起き出し、静まり返った街並みが息を吹き返すように活気を見せ始める頃。
──ぽん、と自宅傍の巨大な花より飛び出したケットは、大きく息を吐いた。
『デッドエンド・フラワー』を利用した地中移動は、ちゃんと対処さえすれば、外敵に狙われる危険性がほぼほぼ皆無な移動方法ではある。
けれども、移動中は身動き出来ないし、窮屈だ。
行きの時はまだしも、帰りの時はいくらか気が緩んでいるのもあって、どうにも疲れるような気がする。まあ、久しぶりに町の営みに触れて、気疲れしたのだろう。
(……とりあえず、もう一眠りしよう。昨夜の酒が抜けきっていないせいで、眠い)
堪らず零れた欠伸に促されるがまま、仮面を外す。滲んだ涙を拭い、自宅へと向かう。
たった数時間とはいえ、だ。
顔を隠したまま、気を張って移動するのはどうにも肩が凝る。慣れてはいるが、だからといって、気が休まらないのは同じこと。
酒瓶の代わりに雑貨諸々が詰まったリュックは、重さこそ行きの時よりも軽いはずだが……どうにも、感じる重さは同じくらいに思える。
それに、昨日は興奮するルリーナの相手をするのにクタクタで、寝るのが遅かった。加えて、今日は何時もよりも3時間近く早く起きて……ん?
──ふと、ケットは足を止めた。
理由は、その足元。湿った外の土は既に乾いているが……明らかに、己以外の者と思われる靴跡が……っ!?
(──中に、誰か居る!?)
魔法による、気配探知。反応を感知するよりも前に、ほとんど反射的に、ケットは扉より離れて防御魔法を発動させた。
ついで、くるりと身を反転させて背中を向けると、そのままクイッと屈み……ローブを中のスカートごと捲り上げ、パンツに覆われた尻を露わにした。
貴族の女性が主に使用するという、細やかな刺繍が施されたそれを……見せびらかすように突き出すと、フリフリと左右にケツを振り始めた。
その際、ケットは──仮面を外す。
露わになる、補正によって向上した圧倒的な美貌。官能的な下着と、情欲を誘う腰の揺れも相まって、年頃の男でなくとも思わず動きを止めてしまうような光景であった。
……。
……。
…………いや、まあ、しかし、だ。
……。
……。
…………うん、まあ、うん。
見たままを語るのであれば、ドン引き間違いなしな光景である。と、同時に、何を血迷った行動かと思うだろう。
かくいうケットも、このスタイルを思いついた時は相当に悩んだ。元男とかそんなのは関係なく、いくら何でもこれはどうかという矜持の問題もあった。
だが、矜持に拘って命を危険にさらすほど、ケットは武人ではない。
そう、見た目こそ酷いモノだが、これはケットが持つ様々な体質を利用した、非常に理に叶った迎撃スタイルなのである。
それもこれも、生きるため。見た目が悪かろうが白い目で見られようが、死ねばそれまで。
全ては生きてこそという大前提を踏まえた結果が……この、戦闘スタイル。己の持つ最大の盾と矛を併用した、一撃必殺のカウンターの構えであった。
(……おかしいな、襲い掛かってこないぞ)
が、しかし。
想定していた反応……一向に飛び出してこない侵入者に、ケットは尻を振り続けながら首を傾げた。
と、いうのも、この迎撃スタイル。
相手がモンスター……人間の女性に対して興奮してしまう相手ならば、ほぼ100%の確率で発情させ、我を忘れさせる効果があるのだ。
そう、『美しさ補正+++』は、一部のモンスターにすら影響を与えてしまう。
そのうえ、モンスターでなくとも、そういった悪事に対して罪悪感が薄い賊などであるならば、興奮して動きを鈍らせる事ができる。
というか、人間相手の方が効果てき面であるし、影響の深刻さは人間の方が酷い。
どれだけ屈強な相手だろうと、股間のアレを起たせたまま普段通りに動けるやつなどいない。命の奪い合いにおいて、その小さな異変が、勝敗を決定させてしまう。
実際、かつてケットが非常に厄介なやつに想いを寄せられた時、コレのおかげで九死に一生を得られた経験があった。
少なくとも、今までコレが必要となった場面で、コレを使用した時、一度とて相手が平静を保てたのを見た事はなかった。
……と、なれば、だ。
そっと、ケットは姿勢を戻し、改めて自宅へと向き直った。
(賊は女か? いや、女にしてはデカい足跡だったが……あるいは、気付いていないのか?)
気付いていない……そんな事、あり得るのだろうか?
『フェルデーン』であれば、時々だが泥酔したやつが住宅に入り込んでそのまま翌朝までぐっすり……という話は聞く。
しかし、ここは『大森林』。それも、けっこう奥深い場所にある。
そりゃあ、場所さえ分かっていれば来るのは可能だが……とはいえ、リスクが高すぎる。たまたま迷い込むにしても、ただの賊がこんな場所までは……あ、いや、待てよ。
──もしや、ストーカーか?
そう思った瞬間……ケットは、傍目にも分かるぐらいに、はっきりと嫌悪感に顔を歪ませた。
ここに引き籠るようになってからはトンと見掛けなくなったが……1人見つけると30人は出て来ることを、身を持って学んできたケットだ。
だいたいのやつは『大森林』に住んでいると分かった時点で勝手に自己完結して身を引くが、稀に……凄まじいやつが出て来る時がある。
もし、コレがそうなのだとしたら……文字通り、殺すつもりで撃退するしか方法はない。生半可な事では、逆効果なのだ。
だって、『大森林』を突破してくるぐらいなのだから……頭のイカレ具合も、相応にヤバいわけで。
障害が有れば有るほど燃え上がるとはこの事で……防御魔法の強度を上げつつ、ケットはそーっと……そーっと、玄関を開けて……おやっ、と首を傾げた。
とりあえず……居るには、居た。
顔は位置的に確認出来ないが、己が毎日身体を預けているベッドに、仰向けの状態で寝転がっているのが見えた。
体格や大きさから見て、男だ。やはり、男だった。
だが、しかし……気になるのは、そこだけではない。
ケットの視線を引き付けたのは、男の装備だ。
こんな場所なのだから、武装なり何なりの装備をしているのは何ら不思議な事ではない。いや、むしろ、装備していなかったら逆に警戒していただろう。
そうではなく、ケットが気になったのは……鎧の装飾の部分だ。
具体的に述べるならば、お金が掛かっているのだ。
塗装もそうだが、一目で当人に合わせたオーダーメイドであるのが見て取れる。
いや、鎧だけではない。履いている靴もそうだが、ベッドの下に転がっている剣(鞘に収まっている)の
一般の冒険者が見に纏うソレらとは、根本的に用途が異なっているように見えて……明らかに、男が只者ではない事をケットに教えてくれた。
(うわぁ……無視して見なかった事にしてぇ……)
それが出来る非情さがあれば己はココにはいないし、ここが自宅でなければ外に放り出しておしまいなのだが……さて、だ。
中に入れば、男の
演技……いや、違う。本当に、寝ているのだ。
伊達に、ケットは長生きしていない。気配もそうだが、魔法による探知でも、眼前の男が深くふか~く寝入っているのが確認出来た。
……まあ、方法は不明だが、この『大森林』を突破してここに来たのだ。
よくよく見れば、身を守る装備の至る所に細かな傷や凹みが見られる。玄関の傍を転がっていた剣を鞘より抜けば……うん、刃こぼれだらけだ。
手入れが不十分なのではない。おそらく、幾度となくモンスターと戦い、手入れなどする余裕などなかったのだろう。
(……今気付いたけど、テーブルに置いてあった回復薬が空になってるじゃん……あ~、こいつが飲んだのか)
何気なくテーブルに視線を向ければ、だ。
魔法の保冷庫に入れてあったはずの保存食が食べかけの状態で放置され、同様に、飲み掛けの水瓶と……回復薬が入っていたはずの、空き瓶が置かれていた。
……なるほど。
ケットが作る薬品は基本的に無害なモノばかりだが、回復薬というやつは、飲むタイミングによっては副作用が強く生じる場合が多い。
もちろん、そんなのは冒険者のみならず、よほどの田舎者でない限りは常識。そして、この『大森林』は田舎者が来られるような場所ではない。
それに、誤飲しないように全ての瓶にはラベルを張り付けており、文字が読めないか、よほど焦っていたかではない限り、間違える事はないはずだ。
……実際、空になっている回復薬は、主に怪我の治癒に対して強く効果を発揮する薬水だ。
つまり、寝ている男は怪我をしていた可能性が……ああ、なるほど、だから寝入っているのか。
──結論が出たケットは、そこでようやく肩の力を抜いた。
というのも、傷を治す類の回復薬の副作用は極度の眠気。
特に、ケットの作った薬水は効能こそ太鼓判を押されているが、その分だけ副作用が強く出る。
そして、その副作用は……治癒する怪我の度合いによって変化する。
副作用の眠気は、意志でどうにかなるモノではない。
なので、安心したケットはベッドへと近付き……ちょんちょんと髭を生やした男の顔を見やった。
……一言でいえば、美形だ。それも、かなりの美形だ。
歳は……分からん、二十台の半ばといったところか。おそらく、上流階級の者だろう。もちろん、根拠はある。
まず、この男と思われる剣。
あれは、一般の物が手に入れられるモノではない。業物……とまでは分からないが、鎧の装飾を含めて、それがよく分かる。
それに、一般人とは違い、髪や肌の土台が綺麗なのだ。
歯も手入れされているようで、うっすら開かれた唇より見えるソコの並びは綺麗であった。
(軽い怪我ぐらいならうたた寝する程度だが……これほど深く寝入るとなると、骨の4,5本はヒビが……それに、内蔵でも痛めていたのか?)
軽く、寝入っている男の臭いを嗅ぐ。
途端、むせ返るような汗の臭いに、軽く顔をしかめる……が、血の臭いがしないことに、軽く安堵する。
この『大森林』を通ってくるだけあって、御世辞にも身綺麗とは言い難いが……まあ、それが普通なのだから、それはいいとして、だ。
(よくもまあ、死なずに辿りつけたものだな)
現時点ですら迷惑であるのは事実だが、それはそれとして、素直にケットは称賛の念を抱いた。
(……とはいえ、ここまで鼾を掻かれると、色々と台無しだな)
苦笑しつつ、改めて男を見やれば……うん、やはり美形だ。
もはや男女の感覚が薄くなって久しいケットから見ても、美形だと断言出来る。こんな状態でなければ、世の女どもが放ってはおかないだろう。
……で、だ。
とりあえず、こんな場所に来るイカレたやつだ。
起きた途端に警戒されて押し問答にもなれば面倒なので、武器は全て外しておこう。
そう判断したケットは、先ほどの剣を始めとして、男の身体を物色する。
まあ、見た目通り、持ち物らしい持ち物は何もなく、道中にて全て使い果たしたようであった。
……が、しかし。
首に掛けてある金糸。何気なくそれを引っ張れば、小さな宝石が埋め込まれたペンダント。
中々に金の掛かった御守りだなと思って、これまた何気なく裏返し……絶句した。
──いったい、どうしてか?
それは、ペンダントの裏に彫られた模様。
魔法を用いて金属同士をくっつけたようで、取っ掛かり一つ感じ取れない滑らかな表面には……だ。
世間に疎いケットでも知っている、『フェルデーン』のみならず、ここら一帯を統べる者たち。
「……お、王家の紋章……だと?」
複製はおろか、許可なく模写するだけでも罰則が設けられているという、この国の王族の証が。
「つ、つまり、こいつは……王家に連なる者……?」
キラリ、と。
どうかハズレて欲しいと願うケットの内心を否定するかのように、光を受けたペンダントは……きらめいたのであった。
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