第四話: 長生きしていても、勝てない相手はいる


 ……。


 ……。


 …………さて、夕方。



 果実酒に比べて売れるのが遅いとはいえ、ケットの作る薬品の効果は知られている。


 ケットが来ている事を耳にした者が、ぽつぽつと薬を買いに来て……夕焼けが空を染める頃には、無事に完売となった。


 ──で、何時もならばこのまま急いで店を回って買いあさるか、一旦は自宅へ戻り、数日ほど間を置いてから改めて……だったのだが。



(……なるほど、知らぬ間にトールマンの宿屋は改名していたのか)



 この日、ケットは何時もとは違い、一通りの買い物を済ませた後。



 『フェルデーン』の……門番のジェイクたちがおススメしていた、表通りの『猫のお宿』へとやってきていた。



 おススメされているだけあって、記憶にある以前のソレに比べたら一回り大きく、また、外観も少しばかり異なっているばかりか、全体的に綺麗になっていた。


 曰く、宿の名を『猫のお宿』にする代わりに、色々とお値段を安くしてもらったらしい。


 どうも、『猫の~~』というのが、改築に携わった者を証明する部分らしく、自分の名を宣伝するために、そのような流れになったのだとか。


 現代で言えば、名を売る代わりに値段を下げるといった感じだろうか……で、だ。



 いったいどうして、泊まる事を決めたのか。



 それは単に『猫のお宿』が、トールマンが経営する宿屋であったから。


 あと、トールマンの娘である『ルリーナ』の顔を見ておこうと思ったからだ。



(酒! 魚! 風呂!)



 他には……単純に、たまには誰かの作ったご飯を食べたいし、他所のお酒を飲みたいし、広いお風呂でのんびり過ごしたいといった、ごくありふれた欲求も理由であった。


 そりゃあ、家に帰ればどれも自分で作っているのだから、容易く得られるモノではあるが……正直、飽きてしまっている。


 それに、『美しさ補正+++』は非常に厄介ではあるが制御しきれないわけではないし、影響こそあるが全ての人間を恋に狂わせるわけではない。


 男性で性欲はあっても不能になっていればそこまで気にする必要はないし、同性相手ならその気が無ければ憧れ程度……まあ、他にも色々ある。


 他所の国では気を付けなければならないが、『フェルデーン』は潮風のおかげで匂いによる影響を抑えられるし、個室を取れば気ままに過ごすことも出来る。


 宿を後にする時に寝具などは魔法で綺麗にして、部屋そのものは香り草でも焚けば、悪影響も残さない……と、なれば、ケットの決断は一つ。




 ──一番良い個室、最上階の部屋を借りてディナー一択である。もちろん、値段は相応に高い。




 一般的な商人からすれば、一回の行商が上手くいった程度でここまで無駄遣いはしないが……それはほら、『緑の超越者』を持つケットだ。


 町の中に住んでいないから税金は支払っていないし、食料は自分で作れるし、それ以外もたいていのモノは魔法でカバー出来る。


 果実酒に使う果実も、薬に使う薬草だって、ほぼほぼ原価0。移動費も、『デッドエンド・フラワー』を活用した地中移動により、ほぼほぼ無い。


 なので、他の一般的な商人に比べてはるかに懐に余裕が生まれたケットは、最上階より見える外の景色を眺めながら……ゆっくりと食事を楽しんだのであった。



「……ああ、良いな」



 その後、用意して貰った風呂にゆっくりと浸かる。『猫のお宿』の浴室には大きな窓が設置されているので、そこからでも外を見る事が出来る。


 風呂は温いくらいがジャスティス。暑い風呂も嫌いではないが、グラスに入った酒を片手に、だらだらと夜景を眺めるにはそれが一番楽なのであった。


 ……。


 ……。


 …………ぼんやり、と。



「……寂しい、な」



 何をするでもなく、ときおり思い出したようにグラスに口づけながら……ふと、ケットはため息を零した。


 それは……内心の全てではないが、まぎれもなく、ケットの本心でもあった。


 独りで生きると決めたとはいえ、元々独りで生きたかったわけではない。必要に迫られて、しかたなく独りで生きるしかなかっただけのこと。



 それに、もう独りは慣れた。



 最初の10年、20年は寂しく人々の営みに焦がれていたが、100年を過ぎた頃にはもう、ガラス一枚隔てた別世界の出来事として捉えるようになった。



 今更、そう、今更なのだ。



 今更、誰かと一緒に生きようとは思っていないし、己のパーソナルスペースに誰かが入ってくるのは億劫だし、誰かと家族になるのも……今更の話だ。


 でも、それでも、時々無性に人恋しい時がある。おそらくそれは、『妖怪』の性質の影響なのだろう……と、ケットは思っている。


 人外の要素が入れば自動的に『妖怪』に分離される。


 しかし、言い換えればそれは、人外の要素が入った人間でしかないということ。ドライアドの能力が使える人間といっても、過言ではない。


 これが……完全なドライアドであったならば、おそらく寂しさなど感じなかっただろう。


 精霊の感覚がどんなものかは知らないが、今まで出会った事のある精霊はみな、寂しいという感情すらなさそう──っと。



 ──不意に、扉がノックされた。



 思わず、ケットは肩を震わせた。ケットの借りた部屋は、最上階。誰かが間違ってノックするわけもない。




 ……誰だろうか? 




 幸いにも、この部屋の浴室は玄関に近く、それでいて玄関からは見えない位置にある。


 扉の鍵は閉めてあるので、強引に突破されない限りは姿を見られる事はない。



 ……。


 ……。


 …………ふむ、無視するのも変な話……か? 



 しばし迷ったケットは……浴槽の縁に引っ掛けておいた仮面を装着すると、「──誰だ?」ノックの主に問い掛けた。



『あ、あの、ケットお姉ちゃん、ルリーナです』



 すると、玄関の方より聞こえてきたのは、トールマンの娘であるルリーナのモノだった。


 意外な人物の登場に、ケットは目を瞬かせる。魔法を用いて気配を探ってみるが、ルリーナ以外の気配は一切感じない。


 とりあえず、どうしたのかと尋ねてみれば……だ。


 どうやら、ケットが宿泊している部屋にはジュースとデザートが一食分無料のサービスがあるらしく、必要かどうかを確認しに来たらしい。


 ……本来ならばトールマンかその奥様、あるいは従業員が聞きに来るらしいのだが、今回はルリーナが来たようだ。



(なるほど、私に会いたくて黙って来たようだね)



 常識的に考えて、それが妥当だろうなとケットは思った。


 口の悪いところはあるが、トールマンは公私をキッチリ分けるタイプだ。だから、たとえ友人が泊まっていても、それに甘えてこんなことはしない。


 まあ、これに関しては、己も悪いところがあるなあとケットは苦笑した。


 だって、ルリーナはまだ8歳か9歳だ。


 しっかりしている部分もあるが、甘えたい年頃……顔を合わせて数時間程度だが、ルリーナには懐かれていると自覚している。


 ケットも姿こそさらしていないが、素直で愛きょうのあるルリーナが可愛くて、おごりでパンケーキを注文したからだろう。


 それに、普段からルリーナは家の手伝いをしていると聞く。


 自営業の悲哀というやつで、中々同世代……友達と遊べる機会が少ないのかもしれない。


 ……まあ、そういう日があってもいいか。


 結論を出したケットは、浴槽の壁より飛び出している伝声管の蓋を開け、軽く叩いてからトールマンへと声を掛けた。



「トールマン、聞こえているかい?」

『──ケットだな、どうしたんだ? 何か問題でも起こったのか?』


「ルリーナがこっちに来ている。話を聞いたけど、飲み物とデザートが無料で貰えるらしいが、今から頼めるかい?」

『──ルリーナが!? すまない、もう部屋で休んでいるとばかりに……準備するから、待っていてくれ』



 予想通り、ルリーナの独断のようだ


 まあ、トールマンが驚くのも無理はない。



 彼は公私を分けるタイプだし、自室に居ると思っていた娘が、客が泊まっている部屋を勝手に訪ねているのだ。


 気心知れた相手とはいえ、いや、そういった相手だからこそ、キッチリ公私を分けていたのだろう……その声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。



「いや、気にしなくていい。ちょうど、退屈を持て余していたところだ。少しの間、私の話し相手になってもらうよ」

『──だが、しかし』


「怒るのならば、軽くにしてやってくれ。たぶん、寂しかったのだろう」

『──分かった。けれども、怒るところはしっかり怒るからな』


「それでいいよ……じゃあ、頼んだよ」



 そう告げて、パタンと蓋を閉じる。


 ついで、フッと指を振れば、かちゃん、と扉の鍵が開かれる音がした。


 呼べば、恐る恐るといった様子で扉が開かれ──不安と喜びが入り混じる、複雑な笑みを浮かべたルリーナが顔を覗かせた。



 ……。


 ……。


 …………で、遅れてやってきたトールマンより、宣言した通りにルリーナは怒られた。



 他の客の事もあるからその会話は小声で、浴室にいるケットには聞こえなかった。


 というか、魔法を用いて浴室への出入り口を完全に封鎖していたから、盗み聞こうと思っても出来なかったけど。


 まあ、事前にケットが話していた通り、一言か二言の注意だったのだろう。


 封鎖を解けば、親の了解を得たルリーナは嬉しそうに浴室に入って来た。そうして、そのまま流れで一緒に風呂に入る事になり……ふと、ケットは気付く。



(……あ、これ、風呂の相伴しょうばんをあずかりたかったのか)



 内心にて、ケットは苦笑した。


 ちゃっかりしているというか、幼くとも女というか。


 そりゃあ、風呂に入るなんてのは、金が掛かる。


 最高級の部屋に泊まっているからこそ浴槽が付いているが、一般的な宿屋には浴室なんてないし、風呂といえばお湯で濡らしたタオルで身体を拭くぐらいだ。


 『フェルデーン』にも公衆浴場はあるが、御世辞にも快適とは言い難い。お湯は温いし次から次に人を押し込められるから、正しく身体を洗う為だけの場所だ。


 それを思えば、優しくしてくれるお姉ちゃんにお風呂をオネダリするのも……まあ、幼いゆえの行動と思えば、納得するというものだ。



(まあ、今回はそういう日だった……たまには、お姉ちゃんに成りきってやるか)


 とりあえず、そう己を納得させたケットは……何とも言えない気持ちで、ルリーナの頭を洗ってやるのだった。



「お姉ちゃん、どうしてお風呂の中で仮面なんて付けているの?」

「昔、事故で顔に怪我をしてね。誰にも見られたくないんだ」


「そうなの? もう痛くないの? でもお姉ちゃん、すごく綺麗だよ、どこにも怪我なんてないよ」

「あはは、ありがとう。まあ、怪我をしたのは顔だけだから」


「お姉ちゃんの、スベスベしてる、お母さんと違う。大人なのに、赤ちゃんみたいにスベスベしているね」

「え、あ、ああ、うん、そ、そうだね、同じだね。お母さんに、それを言ってはダメだよ、いいね?」


「え、どうして?」

「凄く怒られると思うから、絶対に言ってはダメだよ、本当に怒られるからね」


「うん、分かった──ねえ、お姉ちゃんってお尻大きいね、どうしてそんなに大きくなれたの?」

「え、いや、それは私にも……大きくなりたいの?」


「うん、大人の人みたいに背もおっぱいもお尻も大きくなりたい。小さいと、子供っぽくて嫌だもの」

「そ、そうかい、そのうち大人になるから、気にしなくて大丈夫だよ」




 ──一つ、追加。




(スイッチの入った子供のどうして攻撃なめてた……風呂に入っただけなのにヘトヘトだぞ……)




 ……やっぱり、もう少し強めに叱るようトールマンに進言するか否か。



 お風呂上り、興奮したルリーナを落ち着かせるために、お話を始めたのが失敗だった。


 聞き慣れない物語故に強く好奇心を刺激したみたいで、もっともっと……と、お話の続きをオネダリするルリーナを見て、ケットは内心にて顔を引きつらせるのであった。




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