エピローグ: また、いつの日か



 ──ふと、ケットは目が覚めた。




 とても柔らかく、温かい。しかし、片手が妙に重くて湿っていて、身体が動かせない。


 隣を見やれば、僅かばかりの寝息を立てているローゼリッテが居た。どうやら、またベッドに入り込んできたようだ。本当に、根は甘えん坊だ。



 ……まあ、今日が最後なのだ。好きにさせておこう。



 そうして、視線を移し……視界に広がる天井を見て、ここが寝泊まりしている王妃の部屋であり、己がそこで一時的に用意してもらっているベッドの上であることを思い出す。



(……あ、仮面)



 しばしの間、ぼんやりと細やかな絵が施された天井を眺めていたケットは……不意に思い出し、顔に手を当てた。


 いくら顔を見せないケットとはいえ、さすがに入浴時や就寝時には仮面を外す。


 それは、この部屋においても同じ……とはいえ、だ。


 ケットの生きた現代社会とは違い、このファンタジー世界には現代のような明るさが無いから、特に恐れる必要はない。


 言うなれば、停電時の夜みたいなものだから。


 街灯なんて、この世界にはない。明かりを消せば、光源は月の光のみ。それこそ、獣並みに夜目が利かなければ、手元すらまともに確認出来なくなる。


 なので、けっこう気楽にケットは寝ていたのだが……それも、日が登れば気を付けなければならない、ということ。


 なので、何時ものように枕元に手を伸ばし……手を伸ばし……ん、あれ? 



(……無いぞ)



 おかしい、何時も必ず枕元に置いておくのに……アレは特殊な魔法を用いて作った特注品なのだ。


 軽くて頑丈で、装着しても、無いのと同じように視界を確保出来る優れものだ。


 下手に誰かの手に渡ると面倒事が発生するから、スペアも『大森林』の自宅にしか置いていないのに……ええい、仕方がない。


 手足より……枝葉を伸ばして、周囲を探る。身体から枝葉が直接飛び出している状態なので、けっこうグロテスク……出来るならば、ローゼリッテたちが寝ている間に……あ、あった。



(よかった、床に落ちていただけだ)



 一つ、息を吐いた。


 昨日は、色々と大変だった。はしゃぐローゼリッテの相手をするのに疲れていたから、ベッドに入る時はほとんど倒れ込むような勢いだったが……ん? 



(……昨日、仮面を外して寝たっけか?)



 眠気が酷かったせいなのか、どうにも記憶が……まあ、いいか。



 どうせ、半分眠りながらも無意識に外したのだろう。


 そう結論を出したケットは、するすると枝葉を戻しながら……ふと、窓際のテーブルに置かれた、萎びて枯れてしまった花の残骸が目に留まる。



 ……咲くのに20年も必要とする、あれほどに美しかった花も、朝日が昇れば……諸行無常というやつか。



 まあ、短時間とはいえ、王妃も見る事が出来ただけでも、ヨシとしよう。あと、実は近衛騎士もチラッと見る事が出来たのは……国王とヴァンには内緒だな。


 さて、と……意識を切り替えたケットは、耳を済ませ……王妃のモノと思われる寝息を確認する。


 王妃の寝息は、独特だ。おそらく、病に侵されていたとき、少しでも痛みを和らげるように身体がそうなったのだろう。


 深呼吸をしているかのように、ゆっくり大きく息を吸って、ゆっくり吐くという特徴があるので、見なくとも王妃が深く寝入っているのは分かった。


 ……で、だ。



(……よかった、少し騒がしくしてしまったから、起こしたのかと思ったが……まだ寝ている)



 改めて隣を見やり、己の腕を抱き締めるローゼリッテの寝顔を確認する。


 ローゼリッテは父親に似ているからなのか、寝息が静かで、耳を済ませてもほとんど聞き取る事が出来ない。


 しかし、ここまで近づければさすがに分かる。子供らしく、深く寝入っているようだ……が、どうしたことか、あまり良い顔ではない。



 怖い夢を見ているのか、それとも寝相がそうさせたのか。



 下がった眉もそうだが、少々顔色が悪い。目を覚ます気配はないが、抱き締める腕の圧力は相当で力の緩む気配がまったく……正直、ちょっと痛い。


 というか、ローゼリッテの寝汗が酷い。あ、いや、寝汗というよりは、冷や汗なのだが。


 何時頃からこの状態になっているかは分からないが、抱き締められた腕がベタベタだ……仕方がない、気付いた以上は、この状態を続けさせるのもよろしくない。



 ──精神を落ち着かせる効能の香りを、軽く散布する。



 あまり、強いやつではない。とりあえず、見ている悪夢が途切れてくれれば……そう思って眺めていると、強張っていたローゼリッテの顔が、徐々に緩み始め……ヨシ。



 ……だいたい5分ぐらい経った後で、ケットは腕を抜いた。



 少しばかりうっ血しているというか、痣になっているというか……まあ、当人も故意にやっているわけではないし、無かった事にしよう。


 少々どころか、かなりの痺れを発生させている腕を軽く摩りながら……ケットは、先ほどまでと違って安心した顔をしているローゼリッテを見て、苦笑を零した。







 ……そうして、三時間後。



 せめてもの感謝の気持ちだということで朝食を御馳走してもらったケットは、ここに来た時に降りた馬車の停車場にて……最後の別れの挨拶となった。


 そこには、すっかり元気になった王妃と、少しばかり涙ぐんでいるローゼリッテ。


 そして、遠方の仕事(要は、貴族たちとの顔合わせ)を終えて急いで戻ってきた国王と、同じく急いで戻ってきたヴァンが居た。


 国王もそうだが、若いとはいえヴァンも疲れているはずなのに、妙に義理堅いというか、何というか。


 まあ、それが出来るからこそ、この国は安定していて、民も落ち着いて日常を送れているのだろう。


 そう思いながら、ケットは改めて王家の皆様方へ向き直る。



「ではな、もう会う事もないだろうが、息災で」

「ああ、君も、健やかに……ところで、馬車の行き先は、本当に町の外までで良いのか?」



 そう、尋ねてきたのは国王……ではなく、ヴァンだ。


 国王は……ほら、アレだ。


 これまで忙しかったせいで、実感が湧かなかったのだろう。



 久しぶりにちゃんと王妃の顔を見て、元気になったその姿に思う所があるようで……ちょっと、涙を堪えて話せない状態になっていた。


 王妃もそれが分かっているのか、苦笑する程度で諌めるような事はしなかった。ケットとしても、わざわざお礼を言われたとは思わないので、気にするなとだけ伝えておいた。



 ……考えてみれば、



 本人の体質にもよるが、王族ともなれば3人4人と子供を望まれるのが普通。それが、ともなれば、妾を作れと周りから言われているはず。


 しかし、ケットはこれまで国王の妾の存在を見聞きした覚えがない。つまり、国王はそれだけ王妃を愛しているということだ。


 ヴァンとローゼリッテの歳が少し離れているあたり、元々身体が強い方ではない。それでもなお、彼女を王妃にしているあたり……まあ、これ以上は野暮というものか。



「──ああ、行きの時はロクに外の景色を見なかったからな。ゆっくり歩いて帰りたいんだ」

「そうか……しかし、少し寂しくなる」

「寂しい、と思ってもらえているうちに退散した方がお互いに良いのさ。そういう巡り合わせだった……今回のコレは、そういう事なんだよ」

「……ふふ、そうだな」



 ケットのその言葉に何かが吹っ切れたのか、ヴァンは……少しばかり寂しそうではあったが、笑みを浮かべた。



「じゃあ、もしも次にこの国を訪れる事があったら、君の口から『前よりも素晴らしい国に成った』という言葉が聞けるように、俺も頑張るとしよう」

「是非とも、そうしてくれ……私にとっても、ここに来て良かったと思っているからな」



 素直に、ケットは内心を吐露した。ケットにとって、それは滅多に表に出さない称賛の言葉であった。


 当たり前……という言い方も何だが、ヴァンもそれが気になったようで……いったい何処を気に入ってくれたのか……と、尋ねてきた。


 なので、ケットはしばしの間考え……まとめると、おもむろにヴァンを見上げた。



「何と言えばいいのか……ここは、落ち着くのだ」

「それは、城を気に入ってくれたという事か?」

「いや、そうではない。城だけでなく……この王都そのものが、どうにも……ね」



 どうしてか、それ自体は思いついた。


 しかし、その先は、ケット自身上手く説明が付かなかった。


 王都だから街並みがお洒落とか、宿の質が良かったとか、様々な書物を読めたとか、そういう話ではない。


 本当に、どう言い表せば良いのか分からないが……何時の頃からか、ケットは感じていた。



 ──懐かしい、と。



 とにかく、故郷に帰って来たかのような不思議な安らぎを、ケットは感じていた。いったいどうして、そんな事を思うのかも分からないままに。



 ……。


 ……。


 …………しばしの間、そんな事を考えている……と。



「……もしかしたら、ここが昔、『大森林』だったからなのかもね。ケット、君は自宅があるあの森と、同じ空気を感じ取っていたのかもしれない」



 ふと……ヴァンから、そんな言葉を掛けられた。




 ……ここが、『大森林』? 




 気になったケットは、率直に訪ねた。


 すると、「王家に伝わる、古い歴史書だから」といって、それが間違っている可能性は否定出来ないと前置きしたうえで……教えてくれた。




 ──記録では、今より約300年以上昔の事だ。




 どうやら……『ホクウォー国』の中心であるこの地は最初、『大森林』と呼んでも差し支えないぐらいに広大な自然が広がっていたらしい。


 どうしてケットが知らなかったのかと言えば、単純に『大森林』という呼び名が定着する前に、開拓されて森が小さくなってしまたから。



 ──なるほど、言われてみれば、他の『大森林』は今も残っている。



 そして、後に王家になるヴァンたちの祖先は、この地に訪れた開拓団の末裔。すなわち、この王都は、『大森林』を切り開いて作られた都である。


 ヴァン曰く、「爺様の若い頃は、昔の名残が少し残っていたらしい」、とのこと。


 今では街道も整備され、同じ時期に出来て発展した町は戦火や災害などによって滅び、もはや王家に伝わる歴史書ぐらいにしか、その時の事を知る術はないのだとか。



「……そうか、何だかんだ言いつつも、私はホームシックに罹っていたわけか。つくづく、私は独り暮らしが性に合ってしまったようだ」



 一通り話を聞いたケットは……堪らず、苦笑した。


 傍で、『ほーむしっく?』と首を傾げているヴァンがいたが、ケットは気にするなと首を横に振ると……ついで、ヴァンを見やった。



「ヴァン、私の記憶が確かならば、王都より東へ向かった先に『大森林』があったな?」

「ん? あ、そうだな、あったぞ。それがどうかしたのか?」

「行ってみようと思う」



 その言葉に目を丸くするヴァンに、ケットは……仮面の下で笑みを浮かべると、『大森林』の名を口にする。


 それは、の名前。その中には、ケットが暮らしている『南の大森林』の名もあった。



「実はな、私はこれまでに足を踏み入れて調査をした事があるのだが……東の方にある『大森林』には足を踏み入れた事がないのだ」

「……遠いからか?」

「そうだ、『南の大森林』から向かおうと思えば、行って戻ってくるだけで大変だ。興味を引かれるモノがあるならともかく、出不精である私には遠過ぎるわけだ」

「そりゃあ……あっちに向かうとなると、船で大回りに迂回するか、あるいは町を幾つも幾つも経由して向かうしかないからな」

「そうだ……しかし、此処から向かうと、経由する町をいくつか減らす事が出来る」

「いちおうは馬車で7日分、距離が短いからか?」



 ……仮面の下で、ケットは笑みを浮かべた。



「思い返せば、今までは距離も遠いし機会に恵まれなかったから行きはしなかったが、せっかく王都の方まで来たのだ。少々、寄り道してみるのもいいかと思ったわけだ」

「……なるほど、さすがは魔女だ。俺よりもよほど勤勉で、王族に向いていると思うよ」

「はははは、あんな堅苦しい生活なんぞ真っ平御免だ」



 そう、ヴァンに答えた後……ケットは、王妃の傍で俯いているローゼリッテを優しく抱き締めた。己よりも小さい、それでも聡明な王女の身体を。


 ローゼリッテも、抱き締め返す。緩やかに涙を流し始める。別れを惜しんでいるのだろう……その身体は、僅かばかり震えていた。



「出会いもあれば、別れもある。縁が有れば、また会えるさ」



 ローゼリッテは、返事をしなかった。頷くことも、しなかった。


 けれども、伝わったし、伝えたのは互いに理解していた。だから、離れる時はお互い、あっさり離れた。


 そうして、ケットは馬車に乗り込み、ローゼリッテは見送る。遅れてようやく我に返った国王と王妃、そして、ヴァンが……並んで、ケットが乗る馬車を見やった。



「では、な。貴方たちの未来に、幸あらんことを」



 最後に、ヒョイッと顔(仮面装着済み)を出したケットが、その言葉と共に引っ込めば……察した御者ぎょしゃが、ぱちんと手綱で合図を送った。


 ゆっくりと歩く速度で……やがては小走りへ……加速を始めて行く。


 その後ろ姿を、ローゼリッテは……淑女らしく、小さく手を振りながら見つめる。


 ヴァンの手が、慰めるようにローゼリッテの肩に置かれる。一瞬ばかり、その小さな肩が震えたが……涙が流れることはもう、なかった。



 ……。



 ……。



 …………そうして、見送られた、馬車の中で。




「……何時の時も、別れは寂しいね」




 馬車の中で、ケットは独り……仮面の下で、こっそり一滴二滴と涙を零したのであった。




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転生妖怪ケツデカロリババァの話 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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