第十一話: もはや、一刻の猶予もなく



 王妃の治療そのものは、何事も無く順調に進んでいる。




 病状そのものは前世においても完治出来る確率が半々といった感じだが、さすがはファンタジー世界。


 時に、あちらでは不治の病とされているモノですら、治す事が出来る場合もある。まあそれも、ケットという類稀な能力を持った存在が居たらの話だが。



 ──で、だ。



 治療を始めて、早10日。


 当初の予定通り、あと20日ほど投薬治療を続ければ、ほぼほぼ完治と診断を下せるぐらいにまでは回復するだろう。


 その後、数日は念のために経過観察をしておく必要があるだろうが……まあ、それ自体は本当に念のためなので、特に気に留めておく事はないだろう。



 それよりも、問題なのは……ぐぬぬ王子の事である。



 国王や王妃より、毎日厳しく叱責し、部屋を出ないように厳命しているらしいが……どうにも、効果がほとんどないらしい。


 まあ、当然だ。元々の性根にも問題があったのだろうが、恋に狂った今のぐぬぬ王子は周りなど全く見えていない。


 文字通り、牢屋にでも入れて監禁しない限りは、意味はないだろう。


 2人からすれば、それはさすがに……と、思うところなのだろうが……しかし、日に日にアプローチが露骨で強引なモノになってきている……今朝は特に酷かった。



 何をしたかって、部屋に入って来たのだ。



 それも、おそらくは非道な方法で宿のマスターキーを手に入れて、ケットの了承を得ないまま室内に入り……浴室に居るケットに声を掛けてきたのだ。



 あの瞬間──ケットは久方ぶりに身の危険を覚えた。



 何せ、その時のケットは入浴中だった……つまり、裸だ。


 従業員も居るし、まさか白昼堂々と侵入してくる事はないだろうと油断しきっていたせいもあって、思わず悲鳴をあげたぐらいにビビった。


 そうでなくとも、まだ寝起きで身支度が整っていなくとも不思議ではない時間帯。常識的に考えて、如何に非常識なのか分かるだろう。


 同性相手(それでも、非常識だが)ならともかく、だ。


 異性の……それも、恋人関係でもなければ友人関係ですらない、(見た目だけは)妙齢の女が一人居るだけの部屋に了承なく押し掛ける時点で、もはや一刻の猶予もなかった。



 ……なにせ、既に従業員の誰かが買収されてしまっている。



 あるいは、脅されたのかもしれないが……そんなのは、ケットには関係ない。信じたくはないが、『星屑の宿』とて安全な場所ではなくなってしまった。


 というのも、この一件でぐぬぬ王子の中にあった、心理的な良心の枷が外れてしまった事をケットが察したからだ。


 忌避感ある行為でも、一度やってしまうと二度目以降の心理的な負担が軽くなってしまう。それは、ぐぬぬ王子とて例外ではない。



 いや、むしろ、恋によって完全に暴走しているぐぬぬ王子のことだ。



 絶対にサプライズ(この世界に、そんな言葉はないけど)とか、一方的に色々と考えるに違いない。


 勝手に部屋の中を飾りたてるだけでなく、御馳走を並べて、『待っていたよ、さあ食事をしよう』とか言い出し……下手すれば、そのまま押し倒しに来る可能性すらある。


 そうならなくとも、もはや『直接見なければ、独りで寂しがる彼女を辱めることなく慰められる』という脳内自己完結の果てに、毎朝の入浴時間中に押し掛ける可能性大なのだ。



(……しかし、アレは『爆発型』の中でも上位に当たるイカレ具合だな)



 身支度を整え、私物を全て詰めたリュックを背負ったケットは……部屋の扉からではなく、窓より空へと飛び出し──まっすぐ、城へと向かった。



 ……。



 ……。



 …………当人曰く、了承も無く入浴を覗くなんてことはしないと紳士ぶっていた。



 いや、おそらく、本気で紳士のつもりなのだろう。



『貴女が誰かに害される夢を見て心配のあまり……』とか。


『貴女の命を狙う者がいるという情報を得て……』とか。



 正当な理由なのだと言わんばかりな言い回しだったが……想うあまり先走ってしまったという程度の感覚でしかないのかもしれない。


 ケットからすれば、もはや嫌悪を通り越した未知の存在と対面した気分で



 ──もしかして、こいつわざと私に嫌われようとしているのでは? 



 一瞬、そう考えてしまうぐらいに、ケットはぐぬぬ王子が嫌いになっていた。








 ……で、王城の敷地内にある屋敷へと到着したケットは──小走りで王妃の寝室へ向かうと、診察と治療を始めた。


 寝室には国王もいたが、構う事は無い。


 たとえ、許しがなければ王子とて部屋には入れぬと厳命されていても、理由を付けて部屋に入ってくるのが今のぐぬぬ王子だ。


 とにかく、ヤツが城に戻ってくるまでに用件を済ませたかった。


 そんな、ケットの気配に何かを察した2人はおとなしく、何時もの近衛騎士2人も困った顔で互いを見やる他なかった。



「……国王に王妃、グエン王子をどうにかしろ。これ以上曖昧な態度で対応を引き延ばそうとするのであれば、治療を切り上げて帰るぞ」



 そうして、朝の薬を王妃が飲み終えるのを目視し、体調に変化が無いのを確認したケット……その恰好は、何時もの仮面にローブだ。


 診察と治療を行う最中はどちらも外しているが、終わればすぐさま装着するようにしている。


 そうしないと、ぐぬぬ王子が『相手に失礼』だの『俺も見張りに立つ』だの、それらしい理由を付けてこの部屋に入ってくるからである。


 なので、ケットは余計な言葉を入れず、単刀直入に用件を告げた。


 そして、ベッドにて横になっている王妃と、傍の椅子に腰を下ろしている国王は、ケットの言葉にしばし互いに視線を交わした後……深々とため息を吐いた。



「……それほどに、酷いのか?」

「酷い、酷過ぎる。私でなかったら、今頃怯えて部屋から出られなくなるぐらいに酷いぞ」



 心の底から聞きたくない……そう言わんばかりに顔をしかめている国王に、ケットは何一つ誇張せずに答えた。



「見た目だけとはいえ、だ。了解の一つも取らないまま、淑女の入浴中に押し掛けてくる馬鹿の相手を私はこれ以上したくはないのだ」

「ああ……なんてこと……」



 信じたくない……これまた、そう言わんばかりに面を伏せてしまう王妃に、ケットも溜息を零したくなった。


 そりゃあ、王妃とて涙の一つも流してしまうだろう。


 実の息子が、己の恩人に対して無礼の数々を現在進行形で働いていると……恩人の口から聞かされてしまえば、特に。




 しかし、それは現状認識が甘いぞと、ケットは内心にて溜息を零した。




 なにせ、既にぐぬぬ王子の痴態は人々の目に触れ始めている。最初は話半分に聞いていた者たちが、徐々に事実だと認識し始めている。


 いくら口を塞いだところで、毎日毎日あのような強引かつ非常識な事をしているのだ。宿の者が守秘したところで、客の口から広まるのが当たり前である。



「治療が終わるまで、適当な失態を作って牢屋にでもぶち込んでおけ。このままでは、私だけでなく、王家そのものに事が及ぶぞ」

「ろ、牢屋……」

「辛かろうが、当然だろうよ王妃様。部屋に軟禁したところで、如何様にも理由を付けて出て来るからな」



 ケットとしては、それがせめてもの折衷案であった。


 失態とは口にしたが、戦時下でもないのに王族が牢屋に入れられるなんぞ、社交界においては致命的と言っても過言ではない。


 しかし、このまま放置し続ければ、人々の批難の目はグエン王子の後ろ……王家そのものへ向かいかねない。


 かといって、このまま治療が終わるまで我慢しろというのも、真っ平御免だ。


 というか、それを命令されたらケットは本気で王妃を見捨てるつもりである。無理やり言う事を聞かせようものなら、それこそケットは持てる力の全てを使って抵抗する覚悟がある。




 ……なにせ、昔はコレと似たような理由で家が一つ潰れてしまったのだ。




 あの時は、今ほどに力は無く、逃げ切れなかった。相手が、当時は名のある貴族だった事も理由の一つ。


 当時は、隙を突いて逃げ出してやると考えていたが……気付けば、ケットを巡って長男と次男と三男とで骨肉の争いが勃発し、家は内面からズタズタのボロボロ。


 結局、ケットが隙を突く前に、好機と見た他の貴族が根こそぎ富を掻っ攫い、もはや貴族としての『力』を失ってしまった。


 そして、ケットへの貢物を作る為に領民たちから搾り取り続けたツケを、民の反乱という形で支払い……地図と歴史の上から、その貴族の名は消えてしまった。



 それを思えば……まだ、引き返せるとケットは考えていた。



 あの時は、男連中全員が恋の病(末期)なうえに、全員がライバルな状況だったから、取り返しがつかない域までノンストップで突っ走ったが……今回は、違う。


 ヴァンもそうだが国王と王妃(あと、王女も)は冷静だ。


 今なら、最後まで突っ走る事はないだろう……そう思って、提案したわけ……なのだが。



「……いや、それは出来ない」



 よもや、拒否されるとは思わなかった。



「何故だ? 私に我慢しろというのか?」



 ちょっと、声に力が入る。


 仮面越しとはいえ、ケットの怒気を感じ取った国王と王妃は、しばし視線をさ迷わせた後……と。



 ──部屋の扉が、ノックされた。



 思わず身構えるケット……しかし、直後に聞こえてきた声に肩の力を抜く。


 王妃の許可の後、部屋に入って来たのは……ヴァンだった。



「──ちょうど良い、ヴァンよ、少しの間、扉の前を塞ぐのだ」

「えっ? あ、はい、分かりました」



 おそらく、所用が有ってここに来たのだろう。


 一瞬ばかり面食らったヴァンだったが、素直に従い……廊下にて待機(警護とも言う)している近衛騎士たちを一時的に離れさせて……少し後。



「……魔女殿は、ヴァンがどうして『大森林』に居たのか、その理由はもう聞きましたかな?」



 唐突に、国王はそう話を切り出した。


 いきなり何の話だとは思いつつも、そういえば聞いていないなと思い出したケットは……素直に、首を横に振った。



「……この事は他言無用なのだが、よろしいかな」

「ふむ、聞こう」



 そう言えば、国王は軽く目を伏せてから……静かに、語り始めた。




 ……内容を簡潔にまとめると、他国の陰謀と一部貴族の思惑が合致した結果であった。



 他国は、ヴァンを亡き者にする事によって王家の求心力を衰えさせ、弱体化させるため。


 一部貴族は、グエンの派閥に入っており、グエンの次期国王を確実なモノにするため。


 この二つと、様々な利害関係が複雑に絡み合った結果、ヴァンは騙され……国王やその派閥の貴族の目が届かない辺境にて、窮地に陥った……らしい。


 『大森林』に入ったのは、単純に追手から逃れる為。


 普通に街道を通れば待ち構えている敵に見つかってしまう。


 かといって、近隣には隠れられそうな村はなく、最寄りの村にも罠を張っているのは考えるまでもない事であった。


 故に……やむおえず、追手から逃れるために、ヴァンは『大森林』へと逃げ込んだ。



 他にも、理由は二つある。



 一つは、ヴァンが死んだと思わせる為だ。


 というのも、『大森林』は人の世界ではない。奥地へ向かえば瞬く間に方向感覚を失い、生きて出られる事はないとされている場所だ。


 そんな場所に入り込めば最後、そのまま奥地のモンスターに食い殺された……と、考えるのが普通であり、ヴァンはそう思わせたかった。


 ……並みの兵士よりはるかにヴァンが強い(国王曰く、らしい)とはいえ、馬に跨った追手を振り払う事は不可能。


 夜の森の中だったならともかく、開けた平野の中で追いかけられてしまえば、『大森林』以外の逃げ場所がなかったのである。


 そして……二つ目は、『大森林』を抜けた先。


 敵も馬鹿ではないから、森と平野の境目に沿って追手を配置しているだろう。だから、森の中を迂回するようにして抜け出て、救援を求めようとしたわけである。



「……で、その途中で私の家で力尽き、無事に逃げ切った結果、色々大掃除をした後で私と接触を図った……というわけだな」



 話の結論を纏めれば、国王は深々と頷いた。


「そして、ここからが問題なのだが……どうも、此度の陰謀は……我が国の軍部までもが関与している可能性があるのだ」



 ……。


 ……。


 …………何だろう、帰っていいかな? 



 そう言い掛けたケットではあったが、口には出さなかった。


 もはや、今さらだ。全ては手遅れだし、国王も覚悟して話しているのが分かっていたから、黙って受け入れることにした。



「もちろん、全てではない。しかし、少数ながら出世を目論む野心家がいるのだ」

「なるほど、平和の中で下に下がる事はあっても、上にはほとんど上がれない……その状況を変えたいと思っている者がいるわけだな」

「ああ、そうだ……ついでに言えば、グエンは軍部……特に、武闘に長けた者たちからの覚えが良い。本人も、可愛がられてもらったと話していた」

「……あ~、なるほど」



 一瞬ばかり理解する事を拒んでしまったが、でも、そのまま理解してしまったケットは……考えたくもないと言わんばかりに頭を掻いた。


 どの国もそうだが、国を守る矛と盾を務める家(爵位、問わず)は、その国において古株である場合が圧倒的に多い。


 そして、そういった家は……例外はあるにせよ、ほとんどがその国において重鎮的な立場である場合が多く……同時に、階級意識が非常に根深い。


 そんな者たちからすれば、平民(魔女も)がグエン王子の要求を拒否すること事態が、許されざる事なのだ。


 妾になれと言われた時点で、喜ぶのが当然だという意識が強いわけである。


 なので、グエンを下手に軟禁してしまえば、だ。


 一部の者たちからすれば、たかが平民にへりくだる腰抜けにしか見えず……その憤りを、他国にも利用されかねない……というのが、国王の話であった。



 ……。


 ……。


 …………事情は分かった。とはいえ、だとしても、だ。



「だからといって、私が我慢する道理はない」



 それが、ケットにとっての結論だった──が、しかし。



「とはいえ、国王の懸念はもっともだ。私も、この国が不穏に陥るのは見過ごせない……なので、だ」



 そこで、ケットは……ベッドにて横になっている王妃を見やった。



「今日より、私は王妃の部屋で寝泊まりする」

「えっ?」

「それならば、グエン王子が私を訪ねる理由が一つ無くなる。と、同時に、母親より治療の邪魔だと言われてしまえば、ますますグエン王子が室内に居る理由を消せる」



 ──不本意ながら、『星屑の宿』に居られなくなったからな。



 そう言葉を続けながら、パンパンと叩いた大きなリュック。声色が、明らかに笑っていなかった……が、それよりも。



「ついでに、ローゼリッテ王女も巻き込め。実母と実妹との女の授業に突っ込む男と評判になれば、グエン王子の派閥も一旦は距離を取ろうとするだろう」

「ローゼリッテも、ですか?」

「年頃の王女に、長き時を生きた魔女が女としての知恵を授ける。それを妨害しようとした時点で、王家への反逆と捉えることが出来るだろう」

「それは……」

「気になるなら、他の貴族の子女も巻き込め。ちゃんと知恵は授けるつもりだから、その子女たちが、事実である事を広めてくれれば、ますますグエン王子は手が出せなくなるからな」



 悩む王妃に、ケットは畳み掛けた。


 実際、ケットは……前世の知識も合わせて、この世界で学んだ様々な『知恵』を話すつもりでいる。



 ……。


 ……。


 …………しばしの間、王妃は目を伏せ、唇を軽く噛み締めたまま……何も言わなかった。



 考えるまでもなく、様々なメリットとデメリットを天秤に掛けているのだろう。



 国王は……何も言わず、隣で沈黙を保っていた。



 けして影が薄いわけではないが、女の問題に不用意に首を突っ込むのは自殺行為だと理解しているからである。



 ……。


 ……。


 …………時間にして、5分ほど。



「……それは、有益な知恵でしょうか?」

「有益か無益かは、聞いてから判断してくれ。少なくとも、悪い内容ではないと私は思うよ」



 そう、包み隠さず答えれば……結論出した王妃は、一つ頷くと。



「ベッドの他に、何か用意するものがございますか?」

「とりあえず、一日1回は風呂に入れるように手配してくれ」

「……噂は耳にしておりましたが、本当にお風呂が好きなのですね」



 その言葉を契約として……ケットは、王妃の寝室に寝床を移す事が決まったのであった。


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