「先輩が!」じゅうに!

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「フン……」


 霧子はふんぞり返って四宮の腰を抱いた。


「お嬢様〜。メイドへのセクハラ行為は固く禁止されています〜」

「……?」

「『アタシだが?』じゃないんだよ霧子ちゃん」


 四宮は慣れたようにペイっと霧子の腕を払う。そして笑顔のまま「お帰りはあちらになります〜」と告げた。


「アタシを追い出すって言うの?」

「はいはいダルいダルい」

「躾のなってないメイドね」


 四宮は霧子を適当にあしらいつつ席に案内し、水とメニューを机に置いて。


「では、ごゆっくり〜」


 とだけ言って仕事に戻った。残された霧子は子猫のようにポカン…としていたが、やがて大人しくメニューを選び始めた。

 四宮の働きぶりは優秀だった。


「四宮ちゃん、さっきは客の対応変わってくれてありがと〜! マジ助かったよ!」

「ううん。絡まれて大変だったね」


 四宮は肝が据わっている、と言うより『最悪殴られてもいいかな』の精神で生きているので物怖じしないのだ。何もよくない。

 それに注文を間違えることもないし、真面目で働き者なのでよく動く。重いものだって、普段畑作業で肥料を運んだり土を耕したりしている彼女からすれば慣れたものだった。


「お待たせいたしました、ピザトーストとアイスティーです」

「あら? アタシクッキーなんて頼んでないわよ?」

「サービス。霧子ちゃんにだけだから、内緒ね」


 そう囁かれた霧子はズドンと胸を撃ち抜かれた。アフターフォローもバッチリである。


「ではごゆっくり」


 すごく優秀。SO GOOD.そして優秀なのはもう1人───


「これ2番テーブル。こっちは4番。3番ももうすぐできるから、戻ってきたら持ってって。1番のオムライスは時間かかるから、ドリンクだけ先にお出しして。山村、北山、そろそろ買い出しお願い」


 三田である。

 三田は厨房スペースにいる。なんせ料理もできるので。そしてメイド喫茶の全体指揮でもあり、メイド長でもある。つまりメイド服を着ながら調理をこなし、全体の動きを見て指示を出しているのだ。


「三田って地味にハイスペックだよな」

「ああ、本人の態度で台無しだけどな」

「あいつ惚れっぽすぎるもんな」


 短所のインパクトがデカすぎて長所が見えづらい、それが三田太陽という男である。

 そして三田の影に隠れてスペックが伝わりづらい、それが四宮よつばという女でもある。


「店員さんかわいいねえ。名前なんて言うの?」

「……ネームプレートに書いております」

「名字じゃなくてさあ、下の名前!」


「あっ、四宮が絡まれてる!」


 ちょっと目を離している隙に、四宮は絡まれていた。なんとも雑な絡まれ方である。

 大学生くらいのチャラくて軽いお兄さんに手を握られて逃げられない。それでも四宮は笑顔を崩さなかった。


「手をお離しください」

「名前教えてくれたら離すよ!」

「……」


 四宮は笑顔の奥で『面倒臭いわね』と思いながら、偽名でも考えれば良いかとため息を飲み込む。そして口を開こうとした瞬間───


「これ、セクハラ?」

「え」


 トン、と男の手のひらに指が刺される。細くて白い指の持ち主を見上げると、大きなサングラスをかけた美女が、不敵に微笑んでいた。


「……あ!? いやいや、セクハラじゃないっすよ! ちょっとお話ししてただけー」

「誤魔化さなくてもいいよ。ずっと見てたし」


 男は美女に見惚れて、一拍遅れて言い返す。しかしすぐに切り返されて、眉間にシワを刻んだ。


「なんすか。おねーさんには関係ないっしょ?」

「あるわよ。高校生の文化祭にまで来てやることがナンパって、恥ずかしくないの?」


 四宮は呆気にとられる───と思いきや、美女の背中に隠れてあからさまにため息をついた。もちろん、バレないように。


(面倒なことになったわ)


 伏し目になりながら、後ろにいるクラスメイトにハンドサインを出す。厨房の方を指差して、口パクで「サ・ン・タ」と言えば、クラスメイトは頷いて静かに移動する。

 それを確認した四宮は、再度笑顔を装備して一歩前に出た。


「お嬢様。とりあえずお席に案内させていただきますね。鈴木さん」

「あ、うん! こちらのお席に案内させていただきます!」

「え、あたしは……」

「お嬢様。ありがとうございます」


 四宮はニコリと笑顔で圧をかけて美女を黙らせる。そのタイミングで───


「アンタ、独身?」


 ヒステリックが来た。



「ちょっとよつば、大丈夫!?」


 霧子は血相を変えて四宮に駆け寄った。彼女は賢明だ。あの場で霧子が出ていけば確実にターゲットにされていたし、大事になっていた。殴らない自信がないので。

 でもそれは四宮にとって最悪だろうし、三田が先生を呼びにいくのも見えた。だから通報の準備だけして控えていたのだ。


「霧子ちゃん、我慢してくれてありがとうね」


 四宮は全てわかっていたからそう言ったし、手をゴシゴシと拭いてくる霧子を自由にさせていた。


「四宮。お前客引き行ってきて」

「……うん」


 ヒステリックは男を引きずって返って行った。それを見送った三田はやや慌てながら四宮に看板を渡す。これに霧子は顔を顰めた。


「ちょっと三田。あんなことがあったって言うのに、休ませなさいよ。他の客にも絡まれるかもしれないでしょ」

「いや、そうなんだけど」

「ハア?」

「霧子ちゃん。いい、行ってくる」

「え?」


 四宮はニッコリ笑ったまま看板を抱えた。やけに急いでいる様子だ。

 この笑顔には見覚えがある。何か隠している時の顔だ。

 霧子はさらにムムムと不満を募らせ、四宮の腕を掴んで引き止めてしまった。


「じゃあアタシも一緒に───」



「しーのーみーやっ♡」



 ギュッ。

 と霧子の腕から四宮を奪い抱き寄せたのは、サングラスの美女だった。


「久しぶりぃ。連絡もくれないんだから」

「……五十嵐さん」

「あはっ、覚えてたんだ。まあ忘れるわけないよね」


 ゆっくりとサングラスを外して、大きな緑の目が光る。その声はむせかえるほど甘かった。


「……」

「よつば?」


 四宮は笑顔を崩さなかった。ニコニコと人当たりのいい笑みを浮かべたまま「離してね」と女の手を払おうとしている。

 霧子はそれに違和感を覚えた。笑顔が、固い。


「おい、触んな」


 三田が間に入る。五十嵐の手から四宮を取り返し、霧子の方へと預ける。


「いいじゃん、久々に友達に会ったんだし」

「誰が誰の友達だよ」

「三田クン怒ってるじゃん。怖ーい!」


 おちゃらけた態度をとる彼女───五十嵐ジュリは、三田の視線を受け流しながら、ジッと四宮を見ていた。


「……あはっ。その顔……」

「四宮。もう行け。八代、連れてってくれ」

「後で話聞かせなさい」

「うん」


 四宮は霧子に手を引かれて教室を後にする。

 ジュリはずっと、こちらを見ていた。



「よつば」


 霧子の涼しい声に吹かれてハッとする。意識が飛んでいたようだ。いつの間にか人気のない廊下にきている。


「あ」


 窓ガラスに映った自分の顔を見て、『気持ち悪い』と思った。

 口の端が吊り上がって、完璧に笑顔が作られている。完璧なのにどこか歪で、そもそも笑うタイミングじゃなくて、何もかもが不気味で───


「よつば」

「あ、ご、ごめん、霧子ちゃん」

「謝らないの。知らないけど、全部あの女が悪いんでしょ」


 霧子は冷えた四宮の指先を握りながら、顔を見ないようにした。

 見てほしくないだろうから。


「……言えない?」


 霧子は確信めいて聞いた。四宮は話してくれない、とわかっていたのだ。前に三田に言われたように、全てを打ち明けるには、霧子と四宮は関わった時間が短すぎる。霧子だって、秘密を全て暴露しろ、なんて言われたら言葉に詰まってしまうだろう。

 それだけ恐ろしいことなのだ。

 だから、わからなくたって受け入れようと、いつか話してくれるまで気長に待とうと思っていた。


「……ちゅ、中学の、時」


 でも、四宮は話し始めた。顔は真っ青を通り越して真っ白で、指は硬く握り締められていた。ジッと地面ばかり見て、大量の汗をかいて。震えながらも、懸命に話し始めた。


「私、私を、ハブってた主犯格、みたいな。それで、ええと、友達で、あ、だった、んだけど」

「うん」

「……知らなくて、ずっと、仲良くしてて」

「うん」

「それで……。……ごめん、もう無理」

「うん。ありがとう」

「サンタから、聞いて」

「……いいの?」

「うん」


 霧子はずっと四宮の手を握って話を聞いた。

 霧子は強い。それゆえに、他人の気持ちに鈍感だった。少し前までは、「自分はそんなことで傷つかない、周りが弱いんだ」と本気で思っていた。でも───


『八代さんと私とじゃ違うよ。見えてる世界も、感じ方も。自分の物差しが正しいわけじゃないんだから』


 そう言われてハッとしたのだ。あの時の四宮の目には、ハッキリとした拒絶と無関心が乗っていた。

 『ここから先は入ってこないで』

 そう明確に線引かれてしまったのだ。その視線が最初は気に入らなくて、悶々としていた。でも、今は違う。霧子は確かに、四宮と関わる中で成長していた。


「ねえ、知ってる? アタシってとっても強いの」

「? うん、知ってる」

「だからね、あんなクソ女なんか屁でもないのよ。アタシがついてるんだから、何も怖くないわ」

「……ふふ、そうね」


 霧子は四宮が笑ったことにほっとした。まだ顔色は悪いけど、さっきよりは格段にマシだ。そのまま四宮の手を引っ張って、「客引きついでに美味しいものでも食べましょ!」と気分転換に誘った。



「……は?」


 時間は朝まで遡る。


『緊急で四宮がメイドやることになったんすよね。ちなみに写真は嫌らしいです。それはさておき、今回飲食店の目玉ってメガクレープですよね。三田。』


 そんな連絡を受けた優也(猫耳メイドの姿)は、リップが地面に落ちたことにも気が付かずスマホを凝視した。


「マジ? ねえ俺午前抜けるわ」

「お前午後全部休みなんだから無理に決まってんだろ、馬鹿が」


 優也は委員長に頭を叩かれた。結構な威力だった。


「って〜! ふざけんなよ」

「えー! 優也いないと客集まんないじゃん!」

「ポスターで宣伝もしちゃったし」

「どないした優也クン、彼女でも来るん?」

「ん? や、違うけど」


 優也は三田の度胸あるメッセージに『よつばちゃんシフト終わるのいつ?』と返信した。すぐに『午後は全部空いてます。』と返ってくる。友達を売りまくりである。

 優也は浮かれていたので、「シフトの時間被ってるとか、運命かも!」と頬を緩ませた。


「イケメンじゃなかったらその顔許されねえぞ」


 委員長は仲良しな分辛辣だ。

 そんなわけで、午前全力で働いて、差し入れに適当なお菓子を買って1年の教室まで機嫌よく歩いた。ここまでが経緯である。

 そして現在───


「だから帰れよ。今更四ノ宮に何の用だ」

「三田クンに関係なくない?」


 三田が美女と険悪な雰囲気を醸し出している。

 廊下の隅っこ、ただでさえ人がいないのに、彼らのせいでさらに遠巻きにされている。

 しかし優也は特に気にもせず。


「サンタくーん。先輩が来たよー」


 と割り込んだ。


「え、優也先輩!? あ、もう昼っすか!?」

「そー。そっちは?」

「初めましてぇ、四宮の友達のぉ、五十嵐ジュリでーす!」

「フウン」


 優也はチラリと三田を見る。「お前から紹介しろ」、との意味だった。

 三田は顔を顰めて嫌悪感を露わにし、「四宮の友達でもなんでもないです」と苛立って吐き捨てる。


「こいつに先輩を紹介する価値なんてないですよ。行きましょう」

「ええー、酷くなーい? てかオニーサン、四宮のこと知ってるんですか?」

「まあねー」

「へえ! もしかして彼氏とか!?」 

「……」


 優也はニッコリと笑顔を崩さないが、半分話を聞いていない。なぜなら頭の中は、四宮のメイド姿でいっぱいだからだ。

 ミニスカ? ロング? 膝丈?

 ニーソ? ハイソ? タイツ?

 長袖? 半袖? パフスリーブ?

 ポニーテール? ツインテール? ハーフアップ? 三つ編み? お団子?

 もう夢いっぱいである。早く話終わんねえかな、と顔にありありと書いている。


「いや流石に無いかー! あの四宮だし」


 マしかし、彼は地獄耳なので、好きな子の話題と悪口だけは敏感に耳に入ってくる。


「五十嵐ちゃん、だっけ?」

「は、はい」


 初めて優也に話しかけられたジュリは、流石にたじろいだ。

 顔やスタイルの良さもそうだが、オーラがあるのだ。絶対的なオーラが。その存在を無視できなくて、機嫌を損ねたくなくて、一挙手一投足を観察してしまう。

 優也は一見、美しい顔を持った妖精のように見えるから。

 そんな彼はニッコリ笑ったまま、優しい声で続けた。


「俺はよつばちゃんの彼氏じゃないよ」

「あ、ですよねー」

「ま、立候補中だけど」

「え、アナタが……ですか?」

「うん」

「四宮に」

「そうだよ。……さっきから言ってるじゃーん!」


 あははっ。

 急な笑い声にジュリはビクッと体を揺らした。驚いたからではない。

 目が笑っていないからである。

 そのことに気づいてしまったジュリは、曖昧に笑ってその場を立ち去るしかなかった。目は口ほどに物を言うのだ、あんなに恐ろしいブルーの目は見た事がない。


「じゃあねー」

「……優也先輩、ありがとうございました」

「おー。じゃあ対価な」

「え?」

「全部話してくれるよな?」

「ひええ」


 おお、ごめん四宮。オレは命が惜しいよ……。

 三田は胸の前で手を組みながら、いつでもかっこいい優也の顔から目を逸らした。



 

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